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日比谷公園といえば、日比谷界隈の会社や省庁に勤務している方々のお昼の憩の場というイメージです。<br />お昼時、眺めの良い庭園のベンチにサラリーパーソンの方々が鈴なりになっています。<br />今回は平日の午後、短い時間ながら日比谷公園を一周してきました。<br />一番北東の有楽門から一番南東の幸門へ、東西ジグザグに向かいました。<br /><br />

平日の午後に、日比谷公園を散策

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2023/11/29 - 2023/11/29

2139位(同エリア2887件中)

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キャンサー50

キャンサー50さん

日比谷公園といえば、日比谷界隈の会社や省庁に勤務している方々のお昼の憩の場というイメージです。
お昼時、眺めの良い庭園のベンチにサラリーパーソンの方々が鈴なりになっています。
今回は平日の午後、短い時間ながら日比谷公園を一周してきました。
一番北東の有楽門から一番南東の幸門へ、東西ジグザグに向かいました。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル

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  • 有楽門のすぐ前にある大きな石垣は日比谷見附跡です。<br />見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外堀および内堀に沿って、36の見附があったそうです。<br />36の見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っています。<br /><br />

    有楽門のすぐ前にある大きな石垣は日比谷見附跡です。
    見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外堀および内堀に沿って、36の見附があったそうです。
    36の見附の中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、大名小路への出入り口でしたが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っています。

    日比谷見附跡  名所・史跡

  • 見附跡から少し西に行くとある、「伊達政宗終焉の地」の説明板。<br />ここには仙台藩祖の伊達政宗から3代目の綱宗の時代まで、仙台藩の外桜田上屋敷があったところです。<br />政宗は寛永13年(1636)にここで70年の生涯を閉じました。<br /><br />

    見附跡から少し西に行くとある、「伊達政宗終焉の地」の説明板。
    ここには仙台藩祖の伊達政宗から3代目の綱宗の時代まで、仙台藩の外桜田上屋敷があったところです。
    政宗は寛永13年(1636)にここで70年の生涯を閉じました。

    伊達政宗 終焉の地 名所・史跡

  • 有楽門を入ってすぐにある心字池。<br />日比谷公園内で一番大きな池です。<br />日比谷公園ができる前までは濠で、その面影を残すために公園造成時に池にしたものです。<br /><br />

    有楽門を入ってすぐにある心字池。
    日比谷公園内で一番大きな池です。
    日比谷公園ができる前までは濠で、その面影を残すために公園造成時に池にしたものです。

    日比谷公園 心字池 公園・植物園

  • 心字池の裏手にある、ホセ・リサール博士の銅像。<br />ホセ・リサール(1861~1896)は、フィリピン独立運動の初期の指導者で、フィリピン人なら誰でも知っている国民的英雄です。<br />碑には「フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士 1888年 この地東京ホテルに滞在す」と記されています。<br /><br />

    心字池の裏手にある、ホセ・リサール博士の銅像。
    ホセ・リサール(1861~1896)は、フィリピン独立運動の初期の指導者で、フィリピン人なら誰でも知っている国民的英雄です。
    碑には「フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール博士 1888年 この地東京ホテルに滞在す」と記されています。

  • 心字池のほとりにあった「南極の石」。<br />日本の観測隊が南極から持ち帰り、昭和41年にこの公園に設置されました。<br /><br />

    心字池のほとりにあった「南極の石」。
    日本の観測隊が南極から持ち帰り、昭和41年にこの公園に設置されました。

  • こちらも心字池のほとりの「古代スカンジナビア碑銘鐸」。<br />北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文学碑を模したものです。<br /><br />

    こちらも心字池のほとりの「古代スカンジナビア碑銘鐸」。
    北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文学碑を模したものです。

  • 心字池近くにあった「石貨」。<br />南太平洋ヤップ島でお金として使われていた石の貨幣です。<br />この石貨は長径1.35m短径1.00mのほぼ円形で、大正13年(1924)頃、1000円位で通用したと言われています。<br /><br />

    心字池近くにあった「石貨」。
    南太平洋ヤップ島でお金として使われていた石の貨幣です。
    この石貨は長径1.35m短径1.00mのほぼ円形で、大正13年(1924)頃、1000円位で通用したと言われています。

    日比谷公園 石貨 名所・史跡

  • 心字池の前にある第一花壇。<br />テレビに一番映る場所ではないかと思われ、広場を囲むベンチに多くの人が休んでいます。<br /><br />

    心字池の前にある第一花壇。
    テレビに一番映る場所ではないかと思われ、広場を囲むベンチに多くの人が休んでいます。

  • 第一花壇のある「自由の女神」像。<br />昭和25年、文化の日が制定されたことを記念して建てられたモニュメントだそうです。<br /><br />

    第一花壇のある「自由の女神」像。
    昭和25年、文化の日が制定されたことを記念して建てられたモニュメントだそうです。

  • こちらも第一花壇にあるペリカン噴水。<br />明治36年の開園当時からある公園のシンボル的存在で、向かい合った2羽のペリカンのくちばしの先から水が噴き出ています。<br /><br />

    こちらも第一花壇にあるペリカン噴水。
    明治36年の開園当時からある公園のシンボル的存在で、向かい合った2羽のペリカンのくちばしの先から水が噴き出ています。

  • 第一花壇のすぐ北にある、東京都公園資料館(旧日比谷公園事務所)。<br />明治43年(1910)、公園の管理事務所として竣工しました。<br />昭和51年(1976)に公園資料館として使用するため内部を改造していますが、当初の名残りを多く残しています。<br />東京都指定有形文化財です。<br /><br />

    第一花壇のすぐ北にある、東京都公園資料館(旧日比谷公園事務所)。
    明治43年(1910)、公園の管理事務所として竣工しました。
    昭和51年(1976)に公園資料館として使用するため内部を改造していますが、当初の名残りを多く残しています。
    東京都指定有形文化財です。

    東京都公園資料館 (旧日比谷公園事務所) 美術館・博物館

  • 旧日比谷公園事務所の脇にあった「松石」。<br />3~5千万年前の植物に珪酸質の液がしみ込んだもので、ここにあるものは、昭和初期、福岡市外亀山炭鉱の地下300mのところから発見されたものです。<br />

    旧日比谷公園事務所の脇にあった「松石」。
    3~5千万年前の植物に珪酸質の液がしみ込んだもので、ここにあるものは、昭和初期、福岡市外亀山炭鉱の地下300mのところから発見されたものです。

  • 旧日比谷公園事務所の隣が日比谷茶廊です。<br />1949年創業の一軒家のビアレストランです。<br />1階は全席テラス、2階は貸し切り専用サロンルームになっています。<br /><br />

    旧日比谷公園事務所の隣が日比谷茶廊です。
    1949年創業の一軒家のビアレストランです。
    1階は全席テラス、2階は貸し切り専用サロンルームになっています。

  • 日比谷茶廊から少し西寄りにある「石枡」。<br />石をくり抜いた水槽で、江戸時代の上水施設です。<br /><br />

    日比谷茶廊から少し西寄りにある「石枡」。
    石をくり抜いた水槽で、江戸時代の上水施設です。

  • 日比谷公園の北西にある、公園唯一の高台、三笠山です。<br />山といっても標高9m。<br />公園造成時に池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が3つの笠を伏せた形に似ていたのでこの名が付いたといわれています。<br /><br />

    日比谷公園の北西にある、公園唯一の高台、三笠山です。
    山といっても標高9m。
    公園造成時に池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が3つの笠を伏せた形に似ていたのでこの名が付いたといわれています。

  • 三笠山の麓にある「水飲み」。<br />日比谷公園開設当時のもので、デザインが素敵です。<br />馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時が偲ばれます。<br /><br />

    三笠山の麓にある「水飲み」。
    日比谷公園開設当時のもので、デザインが素敵です。
    馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時が偲ばれます。

  • 三笠山近く、祝田門すぐにある「アーク灯」。<br />開園当時の公園灯で、園内には10基設置され、1200カンデラの明るさがあったといわれています。<br /><br />

    三笠山近く、祝田門すぐにある「アーク灯」。
    開園当時の公園灯で、園内には10基設置され、1200カンデラの明るさがあったといわれています。

  • 心字池に戻って、池の南にある「小音楽堂」。<br />1905年に完成した国内初の野外音楽堂です。<br />小音楽堂の利用は軽音楽などの音楽演奏のみで、集会等は禁止され、営利目的の利用はできません。<br /><br />

    心字池に戻って、池の南にある「小音楽堂」。
    1905年に完成した国内初の野外音楽堂です。
    小音楽堂の利用は軽音楽などの音楽演奏のみで、集会等は禁止され、営利目的の利用はできません。

    日比谷公園 小音楽堂 名所・史跡

  • 日比谷門を入ると右手にある日比谷花壇(日比谷公園店)。<br />明治5年創業の老舗フラワーショップです。<br /><br /><br />

    日比谷門を入ると右手にある日比谷花壇(日比谷公園店)。
    明治5年創業の老舗フラワーショップです。


    日比谷花壇 (日比谷公園店) 専門店

  • 日比谷門の正面にある大噴水です。<br />毎日午前8時から午後9時まで稼動。<br />28分間周期で24景を楽しめます。<br /><br />

    日比谷門の正面にある大噴水です。
    毎日午前8時から午後9時まで稼動。
    28分間周期で24景を楽しめます。

  • 大噴水の左手にある第二花壇ですが、訪問時は改装中で、フェンスに囲われていました。<br />残念でした。<br />工事は令和5年9月~令和6年5月までの予定です。<br /><br />

    大噴水の左手にある第二花壇ですが、訪問時は改装中で、フェンスに囲われていました。
    残念でした。
    工事は令和5年9月~令和6年5月までの予定です。

  • 第二花壇の西側にあるレストラン、松本楼。<br />創業は明治36年、当時では珍しい洋食レストランとして、日比谷公園の開園と同時にオープンした歴史のあるレストランです。<br />林の中に佇む姿が美しいです。<br /><br />

    第二花壇の西側にあるレストラン、松本楼。
    創業は明治36年、当時では珍しい洋食レストランとして、日比谷公園の開園と同時にオープンした歴史のあるレストランです。
    林の中に佇む姿が美しいです。

    日比谷松本楼 グルメ・レストラン

  • 松本楼脇に立つ、首かけイチョウ。<br />公園開設までは、日比谷見附にあったものです。<br />移植不可能とされていたものを、日比谷公園生みの親本多静六博士が「首にかけても移植させる」と行って実行された木なので、この呼び名があります。<br /><br />

    松本楼脇に立つ、首かけイチョウ。
    公園開設までは、日比谷見附にあったものです。
    移植不可能とされていたものを、日比谷公園生みの親本多静六博士が「首にかけても移植させる」と行って実行された木なので、この呼び名があります。

  • 松本楼のすぐ近くにある「はにわ」。<br />昭和40年(1965)に、東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が、姉妹公園として結ばれたことを記念し、古墳の多い宮崎県より贈られたものです。<br /><br />

    松本楼のすぐ近くにある「はにわ」。
    昭和40年(1965)に、東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が、姉妹公園として結ばれたことを記念し、古墳の多い宮崎県より贈られたものです。

    日比谷公園 はにわ像 名所・史跡

  • 首かけイチョウ近くの小さな流れに架かる「石橋」。<br />芝増上寺霊廟の旧御成門前桜川に架けてあった石橋の一つです。<br />市区改正の道路構築の時、ここに移したと伝えられています。<br /><br />

    首かけイチョウ近くの小さな流れに架かる「石橋」。
    芝増上寺霊廟の旧御成門前桜川に架けてあった石橋の一つです。
    市区改正の道路構築の時、ここに移したと伝えられています。

    日比谷公園 石橋 名所・史跡

  • 石橋を渡った先にある「馬の水飲み場跡」。<br />日比谷公園開設当時の照明灯(アーク灯)と、同じデザインで作られた鋳鉄製の水飲みです。<br /><br />

    石橋を渡った先にある「馬の水飲み場跡」。
    日比谷公園開設当時の照明灯(アーク灯)と、同じデザインで作られた鋳鉄製の水飲みです。

  • 「馬の水飲み場跡」のやや西にある「京橋の欄干柱」。<br />明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたものです。<br /><br />

    「馬の水飲み場跡」のやや西にある「京橋の欄干柱」。
    明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱で、大正11年(1922)架け替えの際にここに移されたものです。

  • 日比谷公園の南西にある雲形池、<br />周りを木々に囲まれていて、秋にはそれらが紅葉して非常に美しいです。<br />池の中には噴水があり、「鶴の噴水」と呼ばれています。<br />噴水は日本で3番目に古いものです。<br /><br />

    日比谷公園の南西にある雲形池、
    周りを木々に囲まれていて、秋にはそれらが紅葉して非常に美しいです。
    池の中には噴水があり、「鶴の噴水」と呼ばれています。
    噴水は日本で3番目に古いものです。

    日比谷公園 雲形池 名所・史跡

  • 雲形池の南にある日比谷野外音楽堂。<br />大正12年(1923)に造られたもので、「野音」と通称され、「音楽の聖地」「ロックの聖地」「フォークの聖地」などともいわれています。<br />老朽化に伴い、建替えが予定されています。<br /><br />

    雲形池の南にある日比谷野外音楽堂。
    大正12年(1923)に造られたもので、「野音」と通称され、「音楽の聖地」「ロックの聖地」「フォークの聖地」などともいわれています。
    老朽化に伴い、建替えが予定されています。

    日比谷野外音楽堂 名所・史跡

  • 西幸門前にある「カモメ噴水」。<br />池の真ん中の「&#40407;」と題する彫刻は淀井敏夫による1986年の作品で、「うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、時の流れを告げる古い貝殻」をイメージしたものです。<br /><br />

    西幸門前にある「カモメ噴水」。
    池の真ん中の「鷗」と題する彫刻は淀井敏夫による1986年の作品で、「うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、時の流れを告げる古い貝殻」をイメージしたものです。

  • 公園内にある公共図書館、日比谷図書文化館。<br />かつては東京市立日比谷図書館、後には東京都立日比谷図書館として、東京市・東京都の図書館活動の中心を担っていました。<br />三角形の外観がユニークです。<br /><br />

    公園内にある公共図書館、日比谷図書文化館。
    かつては東京市立日比谷図書館、後には東京都立日比谷図書館として、東京市・東京都の図書館活動の中心を担っていました。
    三角形の外観がユニークです。

    日比谷図書文化館 美術館・博物館

  • 日比谷図書文化館の隣が日比谷公会堂です。<br />昭和4年(1929)、市政会館およびそれに併設する公会堂として建設されました。<br />垂直性を強調したデザインで、見る角度によって表情を変える茶褐色のタイルが印象的です。<br />東京都選定歴史的建造物に選定されています。<br />改修予定のある公会堂ですが、何とトイレ問題(長くなるので興味のある方は調べて下さい)で着工のめどが立っていないそうです。<br /><br />

    日比谷図書文化館の隣が日比谷公会堂です。
    昭和4年(1929)、市政会館およびそれに併設する公会堂として建設されました。
    垂直性を強調したデザインで、見る角度によって表情を変える茶褐色のタイルが印象的です。
    東京都選定歴史的建造物に選定されています。
    改修予定のある公会堂ですが、何とトイレ問題(長くなるので興味のある方は調べて下さい)で着工のめどが立っていないそうです。

  • 幸門向かって右手にあったキリノ大統領顕彰碑。<br />エルピディオ・キリノ・イ・リベラ(1890~1956)はフィリピンの政治家で、同国第6代大統領です。<br />第二次大戦後、反日感情が強い中、将来の日本との友好を考え、日本人戦犯105名を恩赦で釈放したことへの感謝の意を表するため、昭和28年(1953)に設けられた碑です。<br /><br />

    幸門向かって右手にあったキリノ大統領顕彰碑。
    エルピディオ・キリノ・イ・リベラ(1890~1956)はフィリピンの政治家で、同国第6代大統領です。
    第二次大戦後、反日感情が強い中、将来の日本との友好を考え、日本人戦犯105名を恩赦で釈放したことへの感謝の意を表するため、昭和28年(1953)に設けられた碑です。

  • 幸門向かって左手にあったのが「烏帽子石」。<br />江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子に似ていたため名が付きました。<br />明治時代、道路拡張に伴い石塁が取り壊された際に、永く保存するためにこの公園に移されました。<br /><br /><br />ここで公園周遊はお終い。<br />公園内は史跡がたくさんあり、だいだいのものに説明板が付いているので、楽しく散策できます。<br />しかし、それらの史跡には、「なぜここに?」といったものも多く、昔の人は何かあるととりあえず日比谷公園に持ってきちゃったんじゃないかと思ってしまいました。<br />そこらへんを想像するのも含めて、楽しめる時間でした。<br /><br />

    幸門向かって左手にあったのが「烏帽子石」。
    江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子に似ていたため名が付きました。
    明治時代、道路拡張に伴い石塁が取り壊された際に、永く保存するためにこの公園に移されました。


    ここで公園周遊はお終い。
    公園内は史跡がたくさんあり、だいだいのものに説明板が付いているので、楽しく散策できます。
    しかし、それらの史跡には、「なぜここに?」といったものも多く、昔の人は何かあるととりあえず日比谷公園に持ってきちゃったんじゃないかと思ってしまいました。
    そこらへんを想像するのも含めて、楽しめる時間でした。

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