2023/08/07 - 2023/08/07
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今回高岡に初めて訪れた。
高岡は富山県第二の町だがかつての繁栄は富山を凌いでいたという。富山市は大東亜戦争でアメリカにより焼夷弾をいくつも投下され、街が焼け野原になり多くの犠牲者をだしたが、高岡は、大きな戦災を免れた。これはアメリカが高岡と長岡を誤って攻撃し、長岡が、焼夷弾により焼け野原になってしまったことによる。
こうして明治期の町並みが残された高岡は数々の観光名所が、残ることになった。今回はそのうちの一つ、山町筋を散策した。
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城端から高岡駅まで戻ってきた。
高岡駅 駅
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2時間半ほど時間が取れるので高岡の町を少しだけ散策することにした。
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高岡駅前の広場に行くと、ドラえもんにかかわる多くのオブジェが存在する。なんでこんなところに??と不思議に思っていると、藤子・F・不二雄先生の故郷がここ、高岡なのだとか。子ども連れていくなら絶対に外せない場所だろう
ドラえもんの散歩道 名所・史跡
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蔵づくりの建物が並ぶ通りへと進む
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市内電車が走る
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その途中にあった高岡御旅屋(たかおかおたや)。「御旅屋」は鷹狩や参勤交代で加賀藩主が高岡で泊するために使われた宿場だ。
御旅屋は御旅屋通りに面して建てられ、その名残として
「御旅屋通り」と名前が残されている。
御旅屋通り商店街は、アーケード街になって商店が建ち並んでいる。御旅屋通り商店街 市場・商店街
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訪れた時にはちょうど高岡七夕まつりの真っ最中だった。
高さが約20mにも及ぶとんでもない大きさの七夕や、大小1,000本の七夕中が商店街に彩り豊かにに飾られ、夏の高岡の風物詩にもなっている。高岡七夕まつりの規模は、日本海側随一なのだとか。高岡七夕まつり 祭り・イベント
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建物にサンドイッチされてぎゅぎゅっと圧迫されているような建物がある。それが大村三書堂印房だ。
印房の創業は1923年(昭和3年)であり、建物建てられたのが6年後の1929年(昭和9年)に建てられた。建物は非常に特徴的で2階部分が銅版葺になっている。緑色の壁がとても印象的だ。大村三書堂印房 専門店
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こちらは交差点に建つ旧塩崎利平商店。
建物は1900年(明治33年)に建築されたそうで、1935年(昭和10年)に昭和通り拡幅工事のさいに改築した。建物の大きな特徴として、南面は山町筋に多く見られる土蔵家屋になっており、西面(昭和通り)は石材を使用した西洋風となっている大変ユニークな建築物だ。
旧塩?利平商店 市場・商店街
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高岡は越中になるが、加賀前田藩の治める町でもあった。高岡城の城下町として栄え、ここ山町筋は加賀前田家二代当主前田利長が高岡を開く際に近隣の城下町から町人を招聘し、北陸道沿いに商人町を造ったことが始まりだ。かつては富山よりも繁栄していたという。高岡は江戸期から明治期にかけ物資集散の拠点として発展し、山町は高岡城のお膝元にあり商業の中心だった。
山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡
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高岡市の老舗の和菓子屋さん。だんごはおもちの弾力があるのかと思っていたが意外と固めに作られている。お餅と白小豆を練られて作られており、水飴の甘さが、お茶とセットで食べるとベストマッチだ。結構いい値段するのも納得の商品
大野屋 グルメ・レストラン
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棚田保寿堂は創業は1803(享和3年)、200年の老舗だ。建物には立派な看板が掲げられているが、薬肆「 くすりし」と読むらしい。
棚田保寿堂 専門店
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典型的な蔵造りの建物は筏井家の住宅。筏井家は代々糸などの卸商を営んだ豪商だが、1900年(明治33年)に発生した高岡大火に罹災し、その3年後に現在の家屋が再建された。
黒漆喰仕上げの土蔵造りで、重厚な造りはインパクトが強い。山町で代表的な家屋だろう。
なお、家屋は伝統的技法を踏襲しながらも、塗壁による防火構造、洋風の構造・意匠を導入した貴重な建造物なのだとか。筏井家住宅 名所・史跡
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高岡の山町筋はアメリカ軍による空襲で大きな被害を受けなかった。
山町筋 自然・景勝地
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これはアメリカ軍が「高岡」と「長岡」を誤って、長岡を大空襲したことによる。
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こうしてアメリカ軍の誤標的により高岡の町並みは今日まで残ることになった。
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高岡の山町筋は1900年の大火により多くの建物が焼けてしまったため、明治以降の建物だ。
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再建される際、防火構造である土蔵造り主屋が建てられた、現在の姿になった。
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こうした防火に対する知恵により土蔵造りとなり、加えて本格的な洋風建築の赤レンガの銀行や洋風建築の意匠を取り入れた主屋等も建ち、特色ある歴史的景観となった。
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歴史を紐解くと面白いものだ。
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山町筋の町並み
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電線は地下に埋められ景観を整えられている
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電線の配慮も山町筋の町並みが昔ながらの町並みに見えることにもつながっている
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室崎琴月生誕の家(室崎家住宅)が山町筋にのこされている。
室崎琴月は1891年(明治24年)にこの家で生まれた音楽家。幼少から音感に優れ楽器を奏でることが好きだったと言われる室崎琴音は、現在の東京芸大のピアノ科に進学し、その後私立の音楽学校の草分けとなる音楽学校を設立するなど、日本の音楽界に影響を与えた。
室崎琴音は童謡作曲家としても知られており、1977年(昭和52年)に86歳の天寿を全うするまで音楽界を支えた人物の西端の家が今もなお現役として残されている。 -
山町茶屋と呼ばれるカフェ
山町茶屋 グルメ・レストラン
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山町茶屋
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菅野家住宅は筏井家とならび、山町筋を代表する家屋の一つだろう。
菅野家住宅は、山町筋の蔵造りの建物の中でも、規模、質、保存度がよく、重要文化財にも指定されている。菅野家 名所・史跡
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壁面は黒漆喰を塗が塗られ、2階には重厚な観音開きの扉が施され、屋根には大きな箱棟を付けられている。
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萩野佛壇店
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これは高岡に残されたの蔵造りの建物の要素が全て備わっているとも言われる。
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かつて明治の繁栄を支えてきた「山町筋」に残る大型商家が残る。コンクリート造りで3階建ての建物は異色であるとも言える。
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現在この建物は内部がリノベーションされ、複合商業施設「山町ヴァレー」として存在感をだしている。
山町ヴァレー ショッピングモール
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梅田呉服店
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宮岡仙次郎商店
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「漆器くにもと」は、明治42年創業の漆器屋の店。高岡の伝統を今につたえる。高岡で作られた漆器だけでなく鋳物、ガラス、木工などの伝統的な商品を販売している。高岡漆器の「青貝塗(螺鈿)」や「彫刻塗」は看板商品だ。
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土蔵造りのまち資料館は、かつて室崎家の家屋だった建物だ。室崎家は1945年(昭和20年)まで綿糸や綿布の卸売業を手広く営んでいた、高岡でも指折りの商家だった。
土蔵造りのまち資料館 名所・史跡
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山町筋では主屋内部を一通り見学できる唯一の施設でもあるので、ぜひ内部を見学してほしい建物だ。
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井本商店
富山県の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。明治時代に創業。 -
牧野屋
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山町筋近くにある寺院
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山町筋から高岡城址へ。内堀を渡る
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高岡城は1609年に前田利長により築城された。
高岡城跡 名所・史跡
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しかし一国一城令が発令され、廃城の憂き目にあった。
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これほど立派な内堀を擁し、立派な二の丸、三の丸を持っていた城郭がありながら築城後僅かな年月で廃城にせざるを得なかったとは、前田利長からすれば大枚をはたいて築城したのだから口惜しくて仕方なかっただろう。
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その前田利長の像
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高岡市内を走るトラムにはドラえもんトラムが走っている。その名の通り、外観から内装までドラえもん一色だ。トラムの車体はドラえもんブルーで覆われ、ドラえもんの鈴の紐を彷彿させる赤いラインがつけられている。最新車両なだけに是非乗ってみたいところだ。
万葉線 (トラム) 乗り物
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高岡城址を観光後、トラムで高岡駅まで戻ることにした。高岡市内を走る市内電車は最新の車両から床が木製の旧型車両までバラエティ豊か。ただ広島市民としては本数の少なさがやや気になったとはいえ、市内電車が走るまちはよいものだ。
ドラえもんトラム 乗り物
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残念ながら市内電車に乗れることができなかった。
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電停で待つことに
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旧式のトラムに乗ることに。
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昔懐かしい
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高岡駅にとうちゃく
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あいの風とやま鉄道で富山へ
あいの風とやま鉄道 あいの風とやま鉄道線 乗り物
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