2023/12/05 - 2023/12/05
126位(同エリア487件中)
kojikojiさん
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アルザスのクリスマスマーケット巡りは前日で終わり、「ゴールデン チューリップ ミュルーズ バーゼル ザウスハイム」を後にしてスイス国境に向かいます。ツアーの中に免税手続きをされた方がいたのでしばらくバスの中で待機します。スイスに戻ってからはこの日の目的地の1つのルツェルンに向かいます。長時間の移動になるので、出発して2時間ほどで一度トイレ休憩がありました。ヨーロッパの高速沿いのドライブインはどこも同じようなシステムで、有料のトイレを利用するとレシートがもらえ、大抵0.5ユーロほどの買い物の補助券になっています。併設のスーパーでも使えたので、ジンジャーティーを買うとおまけにチョコレートをくれました。ちょっと得した気分です。さらにしばらくバスに乗ってルツェルンに到着しました。中央駅の脇からロイス川に架かる橋を通過すると左手にはカペル橋、右手にはルツェルン湖が見えます。「ブヘラー(Bucherer)」という高級時計店の前でバスを降りて、添乗員さんについて旧市街を散策します。ルツェルンに来るのはこれが3回目で、1度目は1991年の10月の終わりにグリンデルワルトから下って、ルツェルンで列車を乗り換えてチューリッヒ中央駅に向かうときでした。2カ月の旅の終わり近くでバックパックの荷物は膨れ上がっていましたが、どうしてもカペル橋を見たくて、ホームの待合室のベンチの下に荷物を隠して、空身でカペル橋まで走りました。この時に橋を見ておいたのは正解で、その2年後の1993年には火事でほぼ全焼してしまいました。添乗員さんの説明を歩きながらガイドレシーバーで聞いているとその時の話になりました。添乗員さんが新入社員の研修でスイスに来てカペル橋に来たすぐ後に火事があったという説明でした。2回目に来たのは1995年の11月のことで、その当時のガールフレンドと一緒の旅でした。やはり1カ月を超える旅の終わりだったのですが、その人が具合が悪くなって滞在を延ばさなくてはならなくなり、リコンファームも終わっていたアエロフロートに電話をして予約変更したりいろいろ大変な思いをした思い出がありました。その人のことは連絡も途絶えていたのですが、11月になってお母さんが亡くなったという連絡をお父さんからもらっていました。お線香と京都の干菓子を送ったお礼の手紙をもらったこととルツェルンという場所からその時の旅のことが思い出されてきました。帰国してからその時の写真データを見直してみると、その人を撮ったのと同じ場所で妻の写真を撮っていたことに驚きました。我ながら進歩の無さに呆れてしまいます。今回は余裕をもって旧市街を歩くことができて、周囲の山々の美しさに改めて気が付きました。30年前はよほど余裕がなかったのだと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ツアー4日目の朝です。この日はフランスのミュールーズからスイスに戻り、ルツェルンとチューリッヒのクリスマスマーケットを巡ります。今回のクリスマスマーケット巡りの旅も現地での観光は最終日になってしまいました。
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この日も昼食や夕食がしっかり食べられないと思うので、朝食はガッツリいただいておきます。スイスのホテルは安宿でも朝食は充実していますが、アルザスのホテルも同じくらい充実していて良かったです。
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午前9時にホテルを出発して、一昨日と同じルートでスイスに戻ります。
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昨日は小雪が舞っていましたが、アルザス地方はあまり雪が降らないのか積雪はありませんでした。
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ローヌ川に繋がる運河を通過しました。もう30年も前からパリでヨットを借りてセーヌ川からローヌ川に入って地中海まで下りたいと思い、フランスの河川の航行用の地図まで買い揃えてありますが、いまだに計画として成り立っていません。
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同じようにロンドンでナローボートを借りてイギリスを旅することも考えているのですが、もう無理かなとあきらめの境地でもあります。
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森の向こうにはライン川が流れ、ドイツの山々も遠くに見えています。
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スイスとの国境は空いていましたが、2名ほどの方がフランスで免税手続きをしたようで、10分ほどバスの中で待機してフランスを後にします。
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ライン川を渡りました。このままこの川筋を下っていくとオランダのロッテルダムに至ると思うと感慨深いものがあります。妻とのオランダ旅行でロッテルダムの港からボートを乗り継いでキンデルダイクで風車を見ながらのんびり1日過ごしたことを思い出します。
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スイスの山岳部は牧歌的な風景ばかりですが、幹線道路沿いは意外に大きな工場が多いと思います。そして大抵の工場には大きな煙突があります。
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無意味なほどに高い塔のような小屋の使い道は何なのだろうか想像しても頭に浮かんできません。
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そしてまた小さな集落の教会が通り過ぎていきます。
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これから冬は本番だというのに萌黄色に色づいた林は東山魁夷の絵画のようです。
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屋根に雪が積もっているだけで何でも絵になってしまうようです。
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この季節でなければ目にも留まらないコンクリート製の小屋も間もなく来るクリスマスを知らせるアドヴェントリースに変身しています。
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高速道路で同じような所を走っているようでも、真冬の景色が秋に戻ったり春の様だったり、狭いスイスの中景色を眺めていても飽きることはありません。
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天気までもが曇天だったり青空が広がったり変化していきます。
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そしてまたどんよりした空の下をバスは疾走します。これまでスイスは何度も旅していますが、バスで移動するのは今回が初めてだと気づきます。スイスといえば鉄道での移動しか頭に浮かびません。「賢者は電車で旅をする」というスイス連邦鉄道 SBB/CFF )が掲げるモットーはスイス人のお気に入りで、実際にスイス人1人当たりの鉄道の利用距離は世界最長といわれます。
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2時間ほど走ったところでドライブインでトイレ休憩になりました。スイスではこのようなCOOPやカフェが併設されたところが多いようです。
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そしてその多くにエッチなお店も併設されています。ドイツやオーストリアでも同じだったような気がしますが、なぜなのかは分かりません。
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こんなおしゃれなマルシェを見てしまうと買い物したくなります。
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そしてカフェスペースもきれいです。
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柿はスイスでも「Kaki」でした。柿の学名は「ディオスピロス・カキ(Diospyros kaki)」と言いますが、「ディオスピロス」とはギリシャ語で“神様の食べ物”という意味です。そのため、ヨーロッパなどでも「Kaki」という名前で売っています。これでポルトガル、スペイン、フランス、イタリアに続いてスイスでの名前も確認できました。英語だと「パーシモン(Persimmon)」ですが、これは「アメリカガキ」という品種で、日本の柿とは違います。
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何となくキャラが被っているので並んでもらいました。
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ヨーロッパのこういったドライブインのトイレのほとんどが有料で、入り口に機械式のバーがあり、お金を投入しないと回転しません。レシートとして出てくる紙は0.5ユーロの金券になっているので何か買わないと損した気分です。ペットボトルのドリンクを買ったらレジのお姉さんがチョコレートをくれました。
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COOPのジンジャーグリーンティーはほんのり甘くて美味しかったです。この度の前のウランバートルの旅では成田からの移動日水分を取らずにいたらに尿管結石で苦しむ羽目になったので水分補給は欠かせません。
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バスはさらに走りルツェルンに向かいます。車窓からはガイドブックにも乗っていないようなお城が見えます。ほんの一瞬なのですが、雪を被って凄みを感じる景色です。
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また新たな集落を越えていきます。教会の尖塔にはいろいろ種類があるので見飽きることはありません。
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右手の車窓にゼンパハ湖が見えてきたので、ルツェルンが近いことが分かります。クロアチアのナイーブアートが好きなのですが、そんな絵画を思い出させるような風景です。
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ドイツ南部のクリスマスマーケット巡りから始まった我が家の12月の旅もかなりの国々のマーケットを巡ったので、来年は初心に返ってドイツのマーケット巡りをしようかなと思います。コロナ前のツアーはかなりお手頃だったのですが、円安や諸物価の高騰からだいぶ値上がりしています。
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巨大なホキがの前を通り過ぎましたが、描かれた面々を見るとブレーメンの音楽隊に出てくる動物のようです。これはやはりドイツへ行けという御触れかもしれません。それもまだ行っていない北部の方が気になります。
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「ホテル シュバイツァーホフ(Hotel Schweizerhof)」の前を通過するとルツェルンの町に到着です。
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2回目に来たルツェルンの旅ではルツェルン湖を航行する船の上がレストランになった「フォンデュークルーズ」というものがありました。乗船したとたんに大きなキャビンの中が強烈なチーズと白ワインの香りでむせ返るほどでした。
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バスは高級時計店の「ブヘラー(Bucherer)」の前で停車して、我々を降ろすとどこかへ走り去っていきます。再集合場所はここに決まり、最初は添乗員さんの案内で旧市街を歩くことになります。
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グレンデル通りではちょうどサンタクロースがクリスマスプレゼントを配っているところに出会いました。最近はトナカイではないようです。本当はエレベーターの無い古い建物でよく見られる引っ越しのようです。
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「コーンマルクト(Kornmarkt)」の広場には等身大の白木のプレセビオが飾られていました。ほとんど我が家にあるものと同じようなデザインです。
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プレセビオはイエスの母のマリアとその夫のヨセフ、イエス、天使、羊飼い、東方の三博士、牛、ロバなどが家畜小屋または洞窟の中に等身大または小型の人形として置かれます。降誕場面は12月初旬の待降節(降臨節)の時期に設置されて、クリスマスにはそれまで空っぽだった飼い葉桶に生まれたばかりのかわいいイエスが置かれます。3人の博士が置かれるのは1月初旬の主の公現(顕現祭)時期近くになることもあります。イエスが生まれた地域には馬がいなかったのですが、日本では馬小屋と言いますね。
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以前にフランスのシャモニー・モンブランからイタリア側のクールマイユールにスキーに行った日が1月6日の日曜日でエピファニア(顕現祭)の祭日でした。スキーを終えて村の中を歩いていると蜂起を持って籠を背負ったおばあさんに扮した女性がいたので声を掛けてみました。すると背中の籠から紙袋に入ったお菓子をくれました。彼女たちによるとエピファニアの日なので、ベファーナ(Befana)という魔女の格好をして村を歩いているということでした。いい子にはお菓子をくれて悪い子には石炭をくれるということでした。
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これがエピファニアとの初めての出会いでしたが、日本の良い子は世界に通用すると思えた日でもありました。
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「ルツェルン市庁舎(Am-Rhyn-Haus)」の塔を見上げていたら28年前の思い出が急に蘇ってきました。
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塔の脇の「フルレンガッセ(Furrengasse)」を進んだ先にその時宿泊していたホテルの入り口があるはずでした。その旅ではイタリアを1カ月ほど周って、ミラノから峠を越えてローザンヌに入り、スイスの何都市かを訪ねた最後がルツェルンでした。
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2泊だけしてチューリッヒ空港からモスクワ経由で帰国するだけだったのですが、連れが具合が悪くなってしまい、数日滞在を延ばさなければなりませんでした。フリブールでリコンファームも済んでいたのでアエロフロートに電話して再度変更したり…。
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帰国したらその時のクライアントの担当部長に会いに行かなければならなかったのですが、その予定も変えざるを得ませんでした。その時の担当部長とこの日一緒にルツェルンへ来るとは思いませんでした。
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広場の中央に置かれた噴水は15世紀末の豊かなデザインの例で、甲冑を着た6人の騎士が彫られています。オベリスクの上には街の守護聖人である聖モーリスの姿があります。
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「ヴァインマルクト(Weinmarkt)」に面した建物の外観は一面が緑色のフレスコで覆われ、「最後の晩餐」の情景が描かれています。ルツェルンの街歩きの楽しさの1つにこのフレスコ画を見て歩くことがあります。
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元薬屋さんの壁には「AMOR MEDICABI LIS NVLLIS HERBIS(愛に効く薬はない)」というロマンチックな言葉が書かれてあります。
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その言葉の上にはリンゴの木に巻き付いた擬人化した蛇の姿があり、その上では蛇と天使が戦っています。リンゴの木と蛇は旧約聖書の「アダムとイブ」を誘惑した蛇の話だと分かります。
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L形に折れ曲がった広場の奥には「ホテル デ バランス(Hotel des Balances)」があります。このホテルの外観も美しいフレスコ画で覆われています。
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バロック様式のエントランスと壁のフレスコ画が調和してとても美しいです。
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フレスコ画は古代ローマやギリシャのデザインを多用し、ルツェルンの中世の風俗も描いていますが、唯一聖セバスチャンだけがキリスト教に由来しているようです。
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ロイス川に架かる「ロイス橋(Reussbrücke)」まで出ました。川の下流にはカペル橋と対岸の「イエズス会教会(Jesuitenkirche Hl. Franz Xaver)」の玉ねぎ頭の2本の塔が見えます。
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この風景には思い入れがあります。1991年の10月に2カ月の旅の終わりに通過したルツェルンの駅に荷物を置いてこの橋を渡ったこと、その2年後の1993年にこの橋がほぼ全焼したこと、1995年に再訪したことが思い出されます。
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その時はルツェルン湖の対岸のリギ山の景色なんて見る余裕もなかった気がします。
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「イエズス会教会」には思い出は無いのですが、この近くの公衆電話からチューリッヒのアエロフロートの事務所に電話してリコンファームの取り消しと再予約をお願いしたことはよく覚えています。
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橋の反対側の山の上には「ホテル シャトー ギュッチ(Hotel Château Gütsch)」が見えました。
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この山の上のホテルには麓からケーブルカーで昇ることができました。2日ほど滞在を延ばしても刊行するところも無いので、ここへも足を延ばしました。
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街歩きは橋を渡った後も続き、フライング・タイガーの店の前にはサンタクロースを呼び止める札が売っていました。思わず欲しくなりましたが、コペンハーゲンの雑貨店の商品をスイスで買うのも変なのでやめました。
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こちらにも古い噴水があり、柱頭の上には盾を持ったライオンの像が乗っています。
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ルツェルンといえば「瀕死のライオンの像」が有名です。1792年8月10日にパリで革命家がチュイルリー宮殿を攻撃した時に王家を守って亡くなったスイス警備兵たちを記念してつくられたものですがまだ行ったことはありません。
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天気はどんどん良くなってきて、ロイス川の対岸の今まで歩いてきた旧市街もきれいに見渡せます。
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「ルツェルン市庁舎(Am-Rhyn-Haus)」の塔も風変わりな姿をあらわにしています。
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穏やかに流れるロイス川の水面には美しい建物が映りこんで、さらに美しい景観を見せてくれます。
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28年前に思いもせずに4泊することになったホテルも健在でした。変わっていたのは「ホテル デ バランス(Hotel des Balances)」のテラスレストランにあったヴェネツィアのゴンドラが無くなっていたことくらいでしょうか。
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川辺で一度解散になり、フリータイムでマーケットを散策します。事前に調べてもルツェルンのクリスマスマーケットは「フランチェスコ教会(Franciscan Church)」の横の広場だけのようでした。添乗員さんから中央駅の構内にもマーケットが出ているという情報がありました。
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「フランチェスコ教会」は13世紀後半に建立された教会で、スイスで最も美しいゴシック様式の建物のようですが参拝している時間もありません。
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「ロツァルナー ヴィエナハツマート(Lozärner Wiehnachtsmärt)」がマーケットの正式名称のようです。ルツェルンはドイツ語圏に属しますが、現地のスイスジャーマニー(アレマン語)では「ロツェルン」(Lozärn)と呼ばれるということを実感します。
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まだお昼前なのでマーケットのスタンドも開店準備中のようです。やはり夕方から夜のマーケットが魅力的で、この時間だと覗こうという気持ちもあまり芽生えません。
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ルツェルン市内には約 225 の異なる噴水があります。これらは飲料水を供給するだけでなく、中世からの彫刻を見る楽しみを与えてくれます。コリント式の柱の上に立つのは場所的にも聖フランチェスコです。シャワーハットのような光輪を頭に乗せています。この時期はアドヴェントリースに早変わりです。
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ルツセルンのマーケットのスタンドやイートインコーナーは木をふんだんに使ったスイスのシャレーのようでとてもきれいです。屋根の上に雪が積もっているのも絵になります。
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1893年に造られたカルーセルもまだまだ現役です。自宅と同じ練馬区にあった豊島園のカルーセルエルドラドは解体されて保管されるとは聞いていますがどうなったのか。
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妻に乗ってもらうには馬などの動物たちがちょっと小さすぎます。
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「Alte Suidtersche Apotheke」はルツェルンで最も古い薬局で、1833年以来この場所で営業しています。スイスらしい軒の形と半分表に出た螺旋階段が美しいです。
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アルザスの木造建築も美しかったですが、スイスの重厚な建物も素晴らしいです。
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「クリーンブリュッリの噴水(Krienbrüggli Fountain)」はその薬局の目の前にあります。1730年から1740年の間に作られた噴水の彫刻には紋章を備えた六角形の花崗岩の水盤をベースに雄牛の頭蓋骨を4面にデザインし、2人の天使が井戸から水をくみ上げています。
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再びロイス川の河畔に出ましたが、ここはダムのようになっていて両脇から流れる水量を調整しています。アルプスの山々から流れ出た川の水は透明で美しく、白波が立つとその色を変化させています。
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先ほど渡ったロイス橋よりさらに上流にある木造の橋を目指します。この橋は昔の古いままの姿を残しています。
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対岸の山の上にはムゼック城壁と塔がきれいに見渡せます。
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川辺の見晴らしの良いテラスの横には「ルツェルン歴史博物館(Historisches Museum Luzern)」の建物があります。窓の鎧戸と観音扉はブルーと白に塗り分けられていてとても美しいです。
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この色はルツェルンのゲマインデと呼ばれる基礎自治体の旗の色だと分かります。矢羽根のデザインに合わせてポーズを取ってもらいましょう。
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こんなことをして遊んでいましたが、家に帰って28年前の写真を見たら、その時のガールフレンドをここに立たせて同じような写真を撮っていました。この28年の間に全く自分が進歩していないことに気が付くと同時に、過ぎた年月の長さを改めて感じます。
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ルツェルンに来てその時のガールフレンドのことを思い出したのもありますが、この旅の少し前にその子のお母さんが亡くなったと喪中の葉書をお父さんからいただいていました。
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ガールフレンドとは28年前の旅の後に別れてしまいましたが、お母さんとは数年前まで手紙のやり取りを続けていました。何年か前に病気になられたことはお聞きしていましたが、この2年ほど年賀状も来なくなって心配していました。お線香と京都の鍵善の干菓子を送ってすぐの旅でもありました。
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この日妻と一緒にルツェルンに来られて本当に良かったと思いました。スイスの記憶の上書きが出来ましたが、今回の旅でスイスが気に入ったようなので、改めて計画をしなければと思います。
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古い「シュプロイアー橋(Spreuerbrücke)」の橋の1本目には火気厳禁のプレートが貼られてありました。これは1993年の隣接するカペル橋の火災がタバコの火の不始末と思われているからでしょう。
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シュプロイヤー橋は19世紀に取り壊されたホーフブリュッケと現存するカペル橋と並んでルツェルン市内に3つあった屋根付き木造橋の1つです。
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「シュプロイヤー橋」の切妻には1626年から1632年にかけて画家のカスパー・メグリンガーの指揮のもとに制作された独特の「死の舞踏」を描いた三角形のパネルが嵌め込まれています。オリジナルの67枚の木製パネルのうち45枚が残っています。
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「死の舞踏」の中で最も広範であると同時に最も公的なもので、三角形のパネルはには左下に寄進者の紋章と右側に寄進者の女性の紋章を描き込んでいます。 黒い木枠には説明文と寄贈者の名前が刻まれています。
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画中にはルツェルンの寄進者やその他の人物の肖像画も描かれています。ルツェルンの画家たちはハンス・ホルバイン・ザ・ヤンガーの「死の舞踏」の絵に精通しており、そこからインスピレーションを得ました。
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ハンス・ホルバインはルネサンス期に活躍したドイツの画家で、南ドイツのアウクスブルクに生まれ、各地を旅しながら画の研鑽を重ねました。1515年頃より画家として本格的に活動を始め、1536年よりイングランド王ヘンリー8世の宮廷画家となります。
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ハンス・ホルバイン版の「死の舞踏」では骸骨が生きている人間と共に描かれ、時には手を取り合い、時には人々を襲い連れ去ろうとしています。
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14世紀頃よりヨーロッパに広がり、人口の1/3が亡くなったと言われる黒死病(ペスト)の蔓延によって、当時は常に死が身近な存在として意識され、「死を忘れるな(メメント モリ)」という言葉が広まるとともに、教会や墓地に「死の舞踏」と呼ばれる壁画が描かれるようになります。
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橋の中ほどには祭壇があり、ヨハネの黙示録の中に記された「黙示録の女」に由来した姿で描かれています。黙示録には「また、天に大きなしるしが表われた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」
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パネルの写真は全部取ってきたのですが、面白かったものだけ何枚かアップしてみます。ハプスブルグ家の女性の前を歩く骸骨の従者は双頭の鷲のマントをまとい、後ろでマントの裾を持つ従者も骸骨です。これはルツェルン周辺地域の支配強化を試みたハプスブルク家に対し、ルツェルンと原初三邦は1386年のゼンパッハの戦いでハプスブルク家の軍隊を打ち破ったという歴史も踏まえているようです。
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馬上で戦う騎士の1人も骸骨が甲冑を着た姿で描かれています。「死の舞踏」は世の中のあらゆるところに市は隣り合わせで存在するということを説いていますが、船上はその最たるものだったのではないでしょうか。
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王冠を被り錫杖を持つ女性の背後から骸骨が近づいています。身分の貴賤に関わらず死は誰の上にも平等にやってきます。
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司教冠のミトラを被せようとする聖職者たちの姿も骸骨で描かれています。どれほど得があっても死は平等にやってきます。
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そして最高権力者でも死から逃れることは出来ません。
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この旅の前に自身の遺言書も完成したので年明けに公証役場に行くことになっています。その過程でいろいろなことがありようやくまとまったのですが、相続人である弟たちから必要ないから自分で責任をもって使い切りなさいと言われています。このままでは全部妻のものになってしまい、死んでも死に切れません。
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これから先は妻と自分とどちらが先に逝くかの本当のデスマッチです。年上の妻より先に死ぬのは悔しいですが、後々の面倒を考えたら先に逝った方が楽かとも思えます。橋を渡りながらそんなことも考えます。
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写真を撮りながらなので時間がかかってしまいます。28年前の旅ではフィルムカメラの時代でしたので、パネルを全部写真に撮るなんて発想は生まれませんでした。
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川で魚を獲っていてもすぐ横には死が待ち構えています。
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だんだん死と向かい合っている人々が滑稽に見えてきます。もちろんこの板絵を見ていながらのことですから。
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園丁の人にもじょうろを持った死が迫ってきます。
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鎌を持って牧童の家族に近づいてくる死神は追っ払われているようです。
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生まれたばかりの赤ん坊にも死は容赦ありません。
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騎乗の貴族には死神が言葉を贈っています。白いリボンには「Sic Transit Gloria Munoi(かくしてムノイの栄光は過ぎ去った)」とラテン語で書かれてあります。
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ベットに眠る老女は死の間際のようで、医者が脈を見ています。背後や箱の中から死が確実に近づいてきています。
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パレルモのシチリア州立美術館に収蔵されている、アンネトロ・ダ・メッシーナの「死の凱旋」という絵を思い出させるような構図です。
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「最後の審判」の場面ではキリストに誘われ死者が蘇ってきています。
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ミケランジェロの描くバチカンのシスティナ礼拝堂の「最後の審判」を思い出させる構図です。
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橋を渡るだけで20分もかかってしまいました。ルツェルンの街歩きはまだまだ続きます。
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