2023/12/05 - 2023/12/05
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kojikojiさん
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「シュプロイアー橋(Spreuerbrücke)」の「死の舞踏」のパネル絵を眺めていたら自分の人生の先にも死が待っているのだと考えさせられてしまいます。2023年は自分の病気のことや遺言書を作り始めたことや友人だった人のお母さんが亡くなったことなどもありました。元気なうちに妻と一緒に旅が続けられたらと願うばかりです。以前に数日滞在した旧市街を抜けて「カペル橋(Kapellbrücke)」の袂までやってきました。1991年の2カ月の旅の終わりに駅のホームに大きな荷物を置いて、荷物を盗まれることも覚悟して渡った橋です。その2年後には火災で焼失してしまい、渡っておいて良かったと思ったこともありました。1995年にはその時のガールフレンドと一緒に旅した最後の地で、3週間一緒に旅してこの先長続きしないであろうことを感じた場所でもあります。1つの橋にずいぶん思い出が詰まっているなと思いながら渡りました。前回の旅では破風のパネル絵を眺めながら渡る余裕はありませんでしたが、今回は先を歩く妻に遅れない程度に見てゆくことができました。1993年の火事でその多くは焼失してしまいましたが、復元されたものが掲げられています。途中に焼け焦げた梁や垂木がそのまま残されている姿に痛々しさを感じます。渡り切った後は添乗員さん情報のルツェルン駅のクリスマスマーケットを見に行ってみます。ところが今年は開催されていませんでしたが、何度か利用した駅のホームには当時の面影が残っていて懐かしさを感じます。当てが外れてしまい、お昼も食べていないので空腹感に襲われてきます。妻の提案で駅構内のパン屋さんでパニーニを買うことにします。かなり大きいので半分づつにしようと注文すると店員のお姉さんはオーブンで焼いた後に2つに分けるか聞いてくれました。そして手渡すときに「良い旅行を。」と言ってくれました。たったそれだけのことでも嬉しくなってしまいます。駅前から続く「シーブリュッケ(Seebrücke)」を渡りながら頬張ると生き返った気がします。集合時間には少し時間があったので湖岸から遠くに望めるスイスアルプスの山々を眺めて、28年前はこんな景色を眺める余裕もなかったと感じます。集合場所は「ブヘラー(Bucherer)」という高級時計店の前なのでROLEXのコーナーを覗いてみます。時計並んでいるじゃないと思って店員さんに声を掛けてみますが、残念そうに「予約しても5年お待ちいただくことになります。並べてあるのは展示品になります。」とのことでした。3年前にリタイアした際に記念にデイトナを買おうと思ったのですが、月に1本入るかどうかと聞かされて諦め半分で池袋西武の店に通っています。仕事を辞する前であれば毎日確認に行くことができたのですが…。スイスでもダメかと地下にあるトイレだけを借りて店を出ました。失意のうちにバスに乗り最終目的地のチューリッヒに向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ここからの眺望は素晴らしいのでフリータイムの間に「ホテル シャトー ギュッチ(Hotel Château Gütsch)」にも登ってみたい衝動に駆られます。
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「シュプロイアー橋(Spreuerbrücke)」を渡った所の掲示板にはこの時期のクリスマスマーケットなどの案内がありました。
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メイン会場は先ほど見てきた「フランチェスコ教会(Franciscan Church)」の横の広場だけのようです。
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1階の「オー・メルベイユ・ドゥ・フレッド(Aux Merveilleux de Fred)」はベルギーのフランダース地方の伝統菓子「メルベイユ」の専門店で、東京の神楽坂にもあります。
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この建物のファサードのフレスコ画もとても美しいです。14世紀末に建てられたルツェルンで最も古い建物の1つでファサードには1499の数字も見えます。
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「ヒルシェン広場(Hirschenplatz)」にあるゲンセメンヒェンブルンネンは、ルツェルンで最も古い噴水場の1つです。有名なニュルンベルクのゲンセメンヒェンブルンネンのコピーのようです。ニュルンベルグではこの彫刻を見たことはありませんが、デューラーの家の前のユーゲン・ゲルツの巨大なウサギの彫刻や阿呆舟の彫刻などが思い出されます。
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噴水の背後の建物「フォン・ラウフェン・ハウス」の外壁にはモスグリーンと黒で描かれたフレスコ画が美しいです。ネオルネサンスのフレスコ画が描かれたこの建物は1557年建設され、1981年文化財保護になったそうです。建物自体はシンプルな外壁ですが、古典に倣った疑似柱が描かれて、あたかも立体的な建築のように錯覚します。出窓の頂には金色に輝くキューピットの像が置かれ、3階部分には指輪で遊ぶキューピットたちが帯状に描かれています。よく見るととてもロマンチックなデザインです。
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この広場はフレスコ画だけではなく、美しいブラケットサインも見ごたえがあります。1階の店は建設当時とは変わってしまっていますが、外壁のフレスコ画とデザインは共通しているようです。バラの花と黄金の鹿が印象的です。「ヒルシェン(鹿)広場」の名前の由来はこの看板と先の狩りの場面のフレスコ画の鹿なのかもしれません。
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その横にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)が1779年にここに滞在したと書かれてありました。ホテル「黄金の鷲」があった場所です。1779年というとゲーテがワイマールの主馬頭の妻シュタイン夫人との恋愛を続けていた時期です。この恋愛によってゲーテの無数の詩が生まれただけでなく、後年の「イフィゲーニエ」や「タッソー」など作品も彼女からの影響が強いです。
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古典的なフレスコ画だけではなくこんなメルヘンの世界も広がっています。5歳の頃に父が買ってきてくれた「いるいる おばけが すんでいる」の絵が怖かったのですが、後に「かいじゅうたちのいるところ」という名前になったモーリス・センダックの絵本です。そんな昔のことを思い出しました。
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「レストラン・フリッチ(Restaurant Fritschi)」の外壁はカーニバルの主役のわら人形のFritschi(フリッチ)から名づけられたようです。1985年に地元のフリーランスの壁画家ロバート・オッティガーによって制作されたこの作品には、毎年開催されるルツェルン・カーニバルの期間中に通りをパレードする多くのキャラクターやグッゲムシゲと呼ばれる仮面バンドが描かれています。
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カトリック教徒の多い都市として知られるルツェルンは、中世から続く長い伝統のカーニバルで有名です。パレードの原型は15世紀の記録に残り、フリッチと呼ばれる等身大のワラの人形をギルドやクラブの一団、太鼓隊、笛吹き隊がひきつれて歩いたというフリッチ・パレードに端を発することに由来することから、別名「フリッチ・ファスナハト(Fritschi Fasnacht)」とも呼ばれています。
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「フリッシブルンネン」の噴水は鎧を着た旗手の像が置かれた噴水柱で、1918年に建てられました。フリッシ兄弟はルツェルン最大かつ最古のギルドである「サフラン・ギルド」の架空の頭領であり、カーニバルの象徴的なイメージです。 フリッシという名前はドイツ南部のフリードリヒの愛称のようです。
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コッドピースとは14世紀から16世紀末にかけて流行した、股間の前開き部分を覆うための布のことで、フランスではブラゲットと呼びます。日本語では股袋と訳されます。もともとはラッツと呼ばれ、中世ドイツの農民の間で股間を保護するために考案されますが、16世紀に入ると体型を誇張する流行が生まれ、貴族や王族にも浸透していきます。
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ようやく「カペル橋(Kapellbrücke)」の袂に着きました。この橋を渡るのは28年ぶりのことです。
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入り口脇のパネルにはカペル橋の歴史と共に1993年の火災の写真がありました。
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先に渡ってきた「シュプロイアー橋(Spreuerbrücke)」に比べると、修復されて30年経っても屋根を支える柱や軒裏の垂木などはまだ新しさを感じます。
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橋の上からは「シーブリュッケ(Seebrücke)」とその先に広がるルツェルン湖、その先には雪を頂いたリギ山が見えます。
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過去に2回来たルツェルン駅の駅舎の記憶は残っていませんが、この新しい建物は1991年に竣工したようです。。バーンホフ広場にポツンと取り残されたようなアーチ「トルボーゲン ルツェルン(Torbogen Luzern)」は1971年の火災で焼失を免れた旧ルツェルン駅の遺構で、リチャード・キスリングによる彫刻「ツァイトガイスト」が見えます。
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ルツェルンの印象はどんよりと曇った鉛色の空とたまに降る氷雨でしたが、今回の旅では晴天の青空です。妻と2人で旅するとほとんど天気が良いので助かります。
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破風の三角のプレートはもともと158枚で構成されていました。1993年までに147 枚の写真が保存され、そのうち110枚の写真は19世紀に橋が短縮された後もそこに展示されていました。木製のパネルは幅が150~181センチで高さが85~95センチです。各パネルは3~5枚のトウヒの木の板を組み合わせてありました。
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パネル画のシリーズのコンセプトは評議会を代表して、町の書記官レンワード・シサットに由来し、評議会の各メンバー(特別評議会と大評議会)は自分自身と妻のためにパネル画を寄進することができました。寄進者を識別するために左下に紋章が配置され、反対側に女性の紋章が配置されました。各絵の額縁に書かれた詩は絵の表現を説明しています。
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イエズス教会からの帰り道はルツェルンの守護聖人である聖レオデガルの生と死、そしてスイスの守護聖人である聖モーリシャスの伝説についての伝説を知ることができました。
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天気はどんどん良くなってきました。このままのんびりルツェルンで過ごしたい気分ですが、短期間のツアー旅行ではそんなことは叶いません。
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改めて妻と2人で3週間くらいスイスを巡りたいところですが、1スイスフランが170円を超えている現在では計画を作って試算するのが恐ろしい気もします。
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1993年の火災で焼け焦げてしまったパネルが痛々しいです。111枚の絵画のうち78 点が焼失しています。火災後に47点の絵画の残骸が回収され、1998年までに30点の絵画が修復されました。
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火災で焼失した78点を含む146点の絵画の複製が制作され、再建された橋に焼かれていない原本だけを戻すべきか、それとも複製画を差し替えるかをめぐって論争が勃発したようです。2014年の住民投票で橋のパネルの146枚の複製画に差し替える計画が否決されています。
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左岸近くには八角形の給水塔があり、カペル橋の架かる前の1300年ごろに建てられました。この塔は監視塔や都市の要塞の礎石、都市の公文書館や宝物庫、地下牢や拷問室としての役割も果たしていました。現在は土産物店とルツェルン砲兵協会のクラブハウスがあります。
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再び対岸に渡り、このまま添乗員さんの言っていたルツェルン駅のクリスマスマーケットに行くことにします。そろそろお腹も空いてきました。
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ガラス張りの明るい駅構内に入りましたが、全く過去の記憶と違っている気がします。1991年に来たときはホームからまっすぐ表に出られてカペル橋に向かいましたが、現在は地下を通るのが一般的なようです。1995年に時もこのような地下道を通ったか記憶が一致しません。
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ホームに架かったトレイン・シェッドには記憶が残っています。初めてここに着いたときは2カ月の旅の終わりでものすごい量の荷物になっていました。乗り換えの1時間ほどしかないので、荷物を預けるのも面倒なのでホームにあったガラス張りの待合室のベンチの下に押し込んでカペル橋へ向かいました。
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2回目の旅ではここからチューリッヒ空港へ向かい、アエロフロートでモスクワ経由で帰る旅の最後に利用した駅です。ヨーロッパに多いこのタイプの終着駅には数々の思い出があります。
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「ヘルヴェティア(Helvetia)」はアルプス山脈とジュラ山脈に囲まれた台地からなる古代ヨーロッパ中央地域のローマ名で、ほぼ現代のスイス西部に該当しますが、その名前は現在でも使われています。現在でも4つの公用語のすべてまたはいずれかを使うことに不都合がある場合はその国名としてラテン語の「ヘルヴェティア」を使います。郵便切手やコインなどにその名を見ることができ、スイスを意味するCHは「Confœderatio Helvetica(ヘルヴェティア連邦)」の省略形です。
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マーケットで何か食べようと思っていたのですが、空振りに終わったので地下にあったパン屋さんでコーラとパニーニを買うことにしました。1本のパニーニは30センチ以上あるのですが、お店の女性が気を利かせて「半分にしますか?」と聞いてくれます。焼きあがったものを手渡されるときに「良い旅行を。」とにっこり。駅まで来た甲斐がありました。
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橋の上をパニーニを食べながら渡ります。今回のツアーは昼も夜もマーケットで調達しなければならないのでせっかくのスイス料理が楽しめないのが残念です。
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ルツェルン湖に流れ込むロイス川とカペル橋の景色もそろそろ見納めです。今回はこのように晴れたルツェルンを歩くことができて良かったです。
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ピラトゥス山もきれいな姿を見せてくれました。標高約2000メートルほどの山ですが回りに高い山がない独立峰なのでとても美しいです。29年前に来たときは4日もいたのにその姿を見ることはありませんでした。
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橋を渡ったところでルツェルン湖の湖畔も歩いてみます。こちら側からはリギ酸などの山々がきれいに姿を見せてくれます。
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湖面には白鳥が泳いでいるのが見えます。一見すると優雅ですがここの白鳥は獰猛です。前に来たときにイエズス会教会近くで餌をあげていたら水から上がってきて追いかけられたことがあります。
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前にはフォンデュークルーズというものがあるのを偶然知り、申し込んでみました。夕方にこの桟橋から出港してルツェルン湖を周遊しながらチーズフォンデューを食べるというものなのですが、数十と並んだ火に架かったフォンデュー鍋からは白ワインとチーズの香りが立ち昇り倒れそうになるほどでした。
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雪を被った「ビュルゲンシュトック(Buochserhorn)」が美しいです。
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若い頃はスイスでも何度かスキーを楽しみましたが、最後にツェルマットへ行ったのももう25年ほど前のことです。再びマッターホルンに向かって滑ってみたい気もしますが、無理は出来ない年齢になった気がします。
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まだ歩けるうちにツェルマットやグリンデルワルトをベースにハイキングもしてみたいと思うのですが、妻はもう歩かないと思うと旅先には向かないかもしれません。
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集合場所の「ブヘラー(Bucherer)」まで戻ってきましたが、まだ15分ほど時間があるので誰も戻ってきていませんでした。
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ここ数年デイトナを求めて池袋西武へ足を運んでいますが手に入りません。近所のスマホ屋さんのお兄さんが持っているので尋ねてみると、「昼休みに毎日池袋まで行って1年かかりました。」とのことでした。これはダメだと諦め気分でしたが、スイスならと思い店に入ると並んではいますがどれもエキシビジョンオンリーと書かれてあります。店の女性は「予約していただければ5年くらいでなんとかなるかもしれません。」と気の毒そうに言います。
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40年前にハワイの免税店でガラスの丸みが気に入って買ったサブマリーナのノンデイトと同じようなものがありました。当時は15万円くらいで買えた時計が高くなったものです。その当時に無理してでも3つ4つ買っておいて良かったと思います。唯一池袋の「サクラヤ」で売っていた王冠マークのリューズの付いたTUDORのクロノグラフを買わなかったことです。同じ時計の色違いを持っていたからですが、当時は人気が無くて4.8万円でした。
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結局ROLEXでは地下にあるトイレを借りただけで店を出ました。近くにあるお土産物屋にも大したものはなく、何も買うことはありませんでした。
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全員が揃ったところでバスに乗り込んでルツェルンともお別れです。西洋菩提樹が手を振って見送ってくれているようです。後10年もしたらお互いに枝先が繋がってしまいそうです。
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ルツェルン駅の脇を通って、バスは最終目的地のチューリッヒに向かいます。
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町を抜けて高速道路に入ると、再び小さな集落をいくつも超えていきます。その度にここはプロテスタントなのだろうかカトリックの村なのだろうかと教会の尖塔の先に目を凝らします。
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直前の旅では雪のモンゴルの草原をバスで走り抜け、羊やヤギや馬の写真を撮ってばかりいました。そのせいかスイスでも羊を見るとカメラを構えてしまいます。
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チューリッヒに着く前に一度トイレ休憩がありました。この後チューリッヒについても簡単に団体で入れるトイレは無いようです。バスはチューリッヒへ向けてラストスパートです。
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