2023/08/02 - 2023/08/05
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Weiwojingさん
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北海道旅行も後半になった。美瑛と富良野から札幌を経由して小樽に出た。小樽には10数年振りの訪問であるが、あまり大きな変化がないのには驚いた。前回訪ねた場所が今もそのままあり、大変なっかしく思えた。
あまり変わらないのが小生には好ましいとはいえ、変化がないことは停滞しているとか進歩がないと言う方々もいそうであるが、小生は正に逆である。日本中が同じような街になり、個性がない、近代的なビルばかりというのではなく、地域の特徴を生かした街作りが必要ではないだろうか。
そういう意味で小樽は大変興味を覚えた都市である。古いものを活かし、活用する。これが観光都市のあるべき姿ではないだろうか。
- 旅行の満足度
- 5.0
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札幌から小樽駅へ到着した。そんなに長いとは感じない1時間余りで着いた。小樽には10数年ぶりに来たが、駅は建物も雰囲気も全然変わっていなかった。
この駅舎は戦前の上野駅を彷彿させられる。また、中国の大連駅にもよく似ている気がするが、どうだろうか。元々、大連駅は上野駅をモデルにしているので、共通点はある。 -
小樽駅前に出ると、たくさんのオートバイが駐車してあって、賑わっている。先ずはここから歩いてホテルに行くことにした。
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駅から地図を頼りにホテルに向かった。途中、小樽都通り商店街を通った。アーケード内には「榎本武揚の夢」と書かれた観光ポスターが見られる。
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宿泊したホテルは「オーセントホテル小樽」で、駅から歩いていける距離なので便利である。小生はいつもどこへ行っても可能な限り駅の近くにホテルを取ることにしている。
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夜間ライトアップされたオーセントホテル小樽。このホテルの「オーセンチト」という名前は英語の Authentic (真正の、本物)に由来し、格調高いホテルをめざすものとして命名されたそうである。船の形をイメージしているようで、1998年開業し、25年は経つている。
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ホテルのロビーは派手さはなく、落ち着いた雰囲気で、好ましく思えた。
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宿泊した客室はそんなに広くはないが、大きいダブルベッドが置かれ、ゆったり過ごすことができた。
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ホテルに到着後、札幌駅で購入した「ジンギスカン丼」という駅弁を部屋で食べた。本当は列車内で食べたいと思つたが、できなかつたので小樽まで持つて来てしまった。
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食事の後は小樽の街をしばらく歩いてみた。ホテルの前から延びる道路は色内大通りといい、かつての銀行街で、「小樽ウォールストリート」とも言われたそうだ。この建物は「旧日本銀行(原金融資料館)」で、この日は閉館していたので明日もう一度来てみたい。
この銀行の設計者は辰野金吾〈1854~1914)と長野宇平治〈1867~1937)で、当時の第一人建築家たちであった。 -
夜間ライトアップされた旧日本銀行は美しく輝いていた。
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翌日、銀行を訪れ、見学した。旧日本銀行の中は往時の装飾の痕跡を随所に見ることができる。
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天井を見上げると、格天井が見えるとともに照明器具が美しい。
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色内大通リには、もう一つ旧三井銀行小樽支店の重厚な建物がある。この銀行は曽根中條建築事務所の設計であった。
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正に重厚な造りの入り口で、当時の銀行建築に見られる権威を象徴する一つであったのだろう。
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建物全体を写真に収めてみた。このような建物を見ていると、かつての小樽の商業都市としての繁栄の姿を見ることができる。
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こちらは「第四十七銀行小樽支店」の建物。
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4本のオーダー(円柱)と壁面のタイルが特徴の昭和初期の典型的な銀行建築の様式を表している。
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街を歩いていると、「手宮線跡地」と書かれた掲示板があった。かつての手稲線が走っていた跡で、近代化産業遺産と文字が見える。
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ここが昔の手宮線の駅だったのだろうか。駅がそのままの形で記念に残されている。
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線路際にはカフェや雑貨店などいくつかの店があり、独特な景観を醸し出している。
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線路わきにの広場にはこのような「少女16歳」像が建っている。
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夕食をこのレストランでとってみた。「小樽バィン」という名前の店で、ここには十数年前に来たことがあり、もう一度来てみたいと考えていたので、今も昔と変わらず営業していたのには感動した。
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店内に入ると、以前と全く変わらない雰囲気で、懐かしく思えた。
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オーダーしたのは「ニシンのマリネ」と「真狩ポークとほうれん草のゴルゴルソーラ」であるが、それとともにこれらの料理に合うような北海道のワインを飲んだ。北海道の味覚を楽しむことが出来た。
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「ステンドグラス美術館」へ行ってみた。ここはかねてからぜひ一度来てみたいと思っていたステンドグラス専門美術館である。
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中に入って、先ずその圧倒的な重量感に驚かされた。
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「マギの礼拝」(イギリス、19世紀末~20世紀初)
チャールズ・イ―マー・ケンプ工房制作。 -
「奇跡の行い」(イギリス、1874年頃)
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4枚のパネルは、左から「種まく人」、「善きサマリア人」、「善き羊飼い」、「放蕩息子の帰還」。(イギリス、19世紀末~20世紀初頭)
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「磔刑図」(イギリス、1890~19001年初頭)
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「種まく人」(イギリス、19世紀末~20世紀初)
新約聖書に書かれている信仰の大切さを説いた「種まく人」というエピソードが題材。左のパネルでは、荒れ地に種をまく人物の回りに、種を狙う鳥や毒麦をまく悪魔が描かれている。一方、右のパネルでは、豊かに実った麦を刈り取る天使たちが描かれている。これにより、よい土地、つまり、素直な心で神に向き合うことが多くの実を得られることだと説いている。 -
「最後の晩餐」(イギリス、1901年制作)アラン・バランタイン&ガーディナー工房。
中央のイエスと右端手前の男がイエスを裏切ったユダである。 -
旧三井銀行の前に瀟洒なホテルがあった。歩き疲れたので、少々休憩させていただいた。UNWINDという名前で、元は1931年(昭和6)に北海道で初の外国人専用のホテルとして建設された「旧越中屋ホテル」が前身であった。
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中に入って驚いた。インテリアが素晴らしく、しばらく腰を据えて見させていただいた。
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建物自体がかなり古そうであるが、イノベーションをしてホテルとして蘇らせたものと思われる。次回はこのようなクラシックなホテルに泊まるのも良さそうだと思い、レセプションで尋ねると、一泊3~4万もするとのことで、驚いた。少々高すぎる。
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バーも併設されていて、ここも素晴らしい空間である。
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こちらはレストランで、朝食やカフェとしても利用できるようである。雰囲気がよい。ここで一休みさせていただいた。
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ホテルの近くでこんな光景に出会った。公園の一角にたくさんの提灯をぶら下げたところがあり、これは何かのイベントなのだろうか。
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色内大通りには過去の栄光を伝えるいくつもの銀行が残されている。すでに訪ねた旧日本銀行、旧三井銀行、旧第四十七銀行等が軒を連ねている。また、この写真の右側は旧三菱銀行小樽支店で、左は旧小樽第一銀行である。
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「旧小樽三菱銀行小樽支店」の全体図である。
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小樽の街を歩いていると、数多くの近代建築に出会う。
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ここは「株式会社後藤商店」と書かれた看板のある商店で、今でも使われている模様だ。
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ずいぶん変わった建物が軒を連ねているが、どれも観光客を対象にしたもので、土産や食べ物等が売られている。
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ここは上記の写真の裏通りで、飲食店が軒を連ねている。ただこの時間帯ではほとんど店を開いていなかった。
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ふと屋根の方を見上げると、鯱ならぬ魚が置かれている。
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あちこちにこのような石造り蔵を見かける。これは、それだけ商人が多く、たくさんの蔵を所有していたという豊かさの象徴ではないだろうか。
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こちらの倉庫も石造りで、頑強な様子をしている。火災から守るための備えをしているのだろう。
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倉庫を利用したショップもあり、興味を覚え中に入ってみた。土産物店であったが、大したものはなかった。
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どこを歩いていても、このような石造りの頑丈な商家が残され、2階が鞍を兼ねているものが多くみられる。
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どの家も石造りで、どっしり、頑丈に出来ている。おそらく明治期は大きな火災が頻繁にあったので、火災対策用に造られているのであろう。
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この店は何の店かよくわからないが、昔の建物をそのまま使っている。
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ずいぶん変わった建物だ。和洋折衷で、一見しただけで不思議な感じがする。
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この建物は1階は和風であるが、2階は窓や壁が洋風の造りになっている。
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これは完全に洋風建築である。
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ずいぶん昔の映画看板が出ているが、ここでは古い映画やそれにまっわるグッズが置かれ、販売されている。
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石造りの建物をそのまま利用した硝子の店であるが、小樽には硝子を作るとともに販売している店が数多くあり、どこも美しい作品を見ることができる。
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石造りの倉庫が連なる商店が今も営業しているようだ。通り際に見ると、手ぬぐいや布製品を販売している。
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裏通りにはこんな洒落た一角があった。たくさんの和傘が吊り下げられている。
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ある店のわきにこんな消防ポンプが何気なく置かれていて、いつごろのものか分からないが、ずいぶん古そうである。
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「小樽 旧板谷邸 海宝樓クラブ」という表示があり、一体どんな建物なのか興味を覚えた。
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ここが入り口であるが、実際は右側から裏に回れば屋敷の中に自由に入れる。そこで中へ入ってみた。
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内側には日本建築の堂々とした建物がある。しかし、管理が十分なされていないようで、荒れた状態である。
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更に奥の方は2棟の建物がつながっている。かつての繁栄ぶりを偲ばせる建物である。
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日本家屋の脇には繋がるようにして洋館もあった。
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「旧寿原邸」(1912年/ 大正12 年 )
実業家寿原英太郎〈1882年/明治15年~1957年 /昭和32年)の住まいであったところで、この人は小樽市長や衆議院義員を務められた。 -
年に数回一般公開されるようで、可能ならば今後見学したいものである。
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2日目の昼食は近くにあった中華食堂でラーメンを食べてみた。
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昼食後は、小高い丘の上にある「水天宮」へ出かけた。ここからは小樽の街が一望できるが、坂を上ってここまで来るのが大変であった。
この神社は1859年(安政6)に現在地に建立され、もう150年以上の古い歴史を持っている。 -
境内左右に狛犬が2体置かれている。
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水天宮の隣に小さな稲荷神社があり、真新しい前掛けを下げたキツネが置かれている。
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境内からは小樽港を見渡すことができ、港の様子がよく見える。
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港の方を見ると、塔のような建物が聳えている。一体何なんだろうか。
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境内には2つの文学碑が建っている。これには「柳絮(りゅじょ)とび 我が街に 夏 来たりけり」と彫られ、作者は謡村とある。彼は三ツ谷謡村のことである。これまで聞いたことがない俳人である。
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石川啄木の
かなしきは 小樽の町よ
歌ふことなきひとひとの
声の荒さよ
が刻まれている。 -
境内に何やら案内板があったので読んでみた。
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神社の中を塀の隙間から覗いてみると、なんと案内板に書かれていたものがあるではないか。それは「水路部」と書かれた石碑である。
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「水路部」と彫られた碑が見えた。一体何なのか。
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街を歩いていて、小樽には教会が多いのに気が付いた。この小樽聖公会教会は歴史があり、北国の風土にぴったりの教会という気がする。
1895年(明治28)、最初の教会が別な場所で建設されたが、火災に遭い、ここに再建された。外観は木造下見張り、切妻屋根で、その上に鐘撞堂をのせている。その他、軒下のレース飾り、星形模様のバラ窓、やや幅広の尖頭アーチ窓等が特徴となっている。 -
入り口に立て看板があり、この教会の由来が書かれている。
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中を見させていただいた。狭いながらも、落ち着いた礼拝堂である。正面に祭壇がる簡素な矩形平面となっている。
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両側の窓にはステンドグラスがはめ込まれ、日の光で美しく輝いている。
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この教会は西欧建築でありながら、所々に和風の要素が組み入れられていて、興味深いものがあった。
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次いで「日本基督教団小樽教会」を訪ねた。あいにく閉まっていたので、外観だけの見学である。
プロテスタントの教会は建物だけでなく内部も装飾がほとんどなく、単純な構造が特徴である。 -
ずいぶん現代的な、しかも独特な外観をしている。
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ガラス面が大きく取られていて、おそらく内部には明るい光が注ぎ込んでいるのだろう。
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教会全体を見てみた。左側の方が教会で、右側は教会関係の建物(事務所と幼稚園)のようである。
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「小樽市オン教会」(日本キリスト教会)
1903年に教会堂が建築され、それ以来120年の歴史を持つ古い教会である。 -
茶色や白の外壁が周囲の緑と相まって美しい。
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教会の内部。先にも述べたように、プロテスタントの教会は装飾的なものはなく、簡素な造りに撤している。
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こちらの教会は「小樽公園通教会」(日本基督教団)で、1926年(大正15)の建設である。元は小樽組合基督教会という名前であった。
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「小樽公園通教会」の入り口。尖頭アーチや装飾アーチ帯などゴシック風の造りである。
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側面から教会を見てみた。
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元は「旧小樽組合基督教会」という名前であったと書かれている。
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八角形の鐘楼を持つ「カトリック小樽教会富岡聖堂」は、小高い丘の上に聳えたつように建立されていて、堂々とした教会である。
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聖堂の内部。聖人像が置かれたり、装飾的だったりして、プロテスタントの教会とはかなり異なる。
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中央祭壇部分。いろいろなカトリック独特な装飾がある。
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会衆席の両端には十字形の飾りが施されている。
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ステンドグラスも作られているが、この日は曇りがちの天気だったので、あまり光輝いていなかった。
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祭壇の左右にヨセフ像とマリア像が置かれている。カトリック教会には必ず置かれている像である。
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ロシア正教の「小樽ハリストス正教会」も訪ねてみたが、この日は残念ながら閉まっていた。北海道には函館の「函館ハリストス正教会」を始めとして各地にロシア正教の教会が多い。
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屋根の上の十字架に注目していただきたい。これはロシア正教独特の十字架で、カトリックやプロテスタント教会の十字架とは異なる。
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地図を見ていたら、大正期に出来た建物があると書かれていたので来てみたら、それは現在の「小樽市公会堂」であった。公会堂にしてはずいぶん変わった建物だと思ったが、当初は1911年(明治44)大正天皇が皇太子時代に北海道に行幸された際に宿泊所として造られた建物であった。
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中に入ると、大正期の写真がたくさん展示されていた。さらに奥の方には能舞台がある。この能舞台は元々あったのではなく、地元の実業家が寄付し、ここに移築されたものである。
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運河沿いに「西洋美術館」があった。興味を覚え入ってみた。
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中に入ると、数種類の「装飾パネル」が置かれていて、その他にも展示品があったが、それ以外は有料エリアに入らないと見られないので、ここまでとした。中途半端な見学となってしまつた。
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小樽に来て、「小樽運河」を見ないでは小樽に来た価値がないとさえ言えるのではないだろうか。それほどの観光名所である。
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小樽運河は埋め立てられて、かつての半部くらいの長さしかないが、しかし、今ではその運河沿いにはたくさんの倉庫が並んでいる。今では多くがカフェやショップとなっている。
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パノラマ写真で撮ってみた。
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レンガの建物が運河に映り込み、大変美しい。
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夕方,日が沈みかける頃の運河の陰影も素晴らしいの一言に尽きる。
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あまりにも美しいのでしばらくこの場を離れることができなかった。周囲を見回してもたくさんの人がカメラを構え、この風景を写真に収めていた。よく見ると外国人観光客が大半を占めていた。
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運河沿いにある白い建物が見えるが、これは HOTEL NORD OTARU (ホテル ノルド小樽)で、今回は利用しなかったが、次回来ることがあったらぜひ泊まりたいと思っている。
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HOTEL NORD OTARU の正面部分であるが、外観はい石造りの街並みに溶け込むように大理石を使用し、重厚で威厳を感じるホテルとなっている。
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滞在しているホテルの周辺を歩いていたら、偶然「レンガ横丁」という路地に迷い込んでしまった。
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レンガ横丁は夜になれば賑わうのだろうが、昼間は閑散としていて、店の人たちがたむろしているだけである。
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再度夕方にでも来てみたいと思っていたが、すつかり忘れてしまっていた。残念である。
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何十というランプが輝く「北一硝子三号館北一ホール」は前から訪ねてみたかったところで、やっと念願がかなった。
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コーヒー飲みながら1時間程店内にとどまった。それほどランプの光に照らし出された室内は幻想的で、まるで夢のような世界であった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- nomo1215さん 2024/04/25 23:48:34
- 小樽・・・
- Weiwojingさんへ・・
小樽・・い~わ~・・大好きな街です・・
昔、両親と一緒に旅をした頃は・・小樽運河辺りのお店が人でごった返して
いた記憶があります・・・
コロナ禍にステンドグラス美術館見たさに 行った時は・・
ほぼ、観光客と合わず・・
札幌から小樽駅への車窓から見る石狩湾・・北海道に来たんだ!なんて感傷に浸らせてくれる光景が好きです
Weiwojingのおっしゃる通り、古い建物を生かし・・今に繋いでいる
哀愁漂う本当に素敵な街だと思います・・
「北一硝子三号館北一ホール」朝、一斉にあのランプが上に上がる様子は
何度見ても凄い!・・
改めて小樽の素敵さ・・旅行記から伺わせていただきました・・
nomo1215
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