2023/07/24 - 2023/08/02
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Weiwojingさん
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前回は釧路と根室を中心にレポートしたが、それから4か月もたってしまった。あまりにも時間が経過し、少々躊躇したが、あえて見ていただければと思う次第である。
今篇では根室から釧路に戻り、ここから網走に向かった。根室から網走つながる鉄道は走っていない。そこでかなり迂回するような形で移動せざるを得なかった。釧路本線を利用した。
列車での旅はのんびり、ゆったり移動するのが原則であり、飛行機での移動とは全然違う楽しみがある。地元の人とのふれあいや会話があり、沿線の景色を見ることができ、その上地元の食べ物(駅弁など含めて)を楽しむことが出来る。
- 旅行の満足度
- 5.0
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根室から直接網走に向かう鉄道は走っていないので、いったん釧路に戻り、ここから 釧路本線を利用して網走に向かった。釧路から季節限定の「ノロッコ号」という特別車に乗った。
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網走には釧路から釧路本線を利用して向かったが、途中釧路湿原を通るので、ここで途中下車して少し歩いてみたいと思った。
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乗車した列車の車体には「ノロッコ号」と書かれ、季節限定の特別列車である。特別料金を払い展望車に乗ってみた。乗客の半分くらいは外国人であった。
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途中、このような風景に何度も出会った。列車は湿原の中を走っていった。
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「釧路湿原国立公園」の案内がある。今ちょうどこの地に到着したばかりである。
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「釧路湿原駅」で降りてみた。ここで降りる人がたくさんいて、ここから釧路湿原に行くのだろう。網走に向かう次の列車まで2時間以上あったので、小生も同じようにこの湿原に行ってみることにした。
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釧路湿原駅は山小屋風の造りで、ただ待合室だけがあるだけの小さな駅である。ここでは外国人が多いのには驚いた。
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待合室に入ると、「釧路湿原駅開業 昭和63年7月23日」と書かれたプレートがある。
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釧路で購入した「焼きさんま寿司」を昼食にして、腹ごしらえをした。その後、湿原を目指して歩いた。
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釧路湿原マップによると、小生がいるのは赤い印が付いたところのようである。
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駅から歩いて10分くらいのところに「細岡ビジターズラウンジ」があり、立ち寄ってみた。
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林を抜け、細岡展望台に向かった。夏の日差しはかなりきつかったが、日差しを遮る木々と心地よい風が吹いていた。
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見渡す限り湿原がどこまでも広がっている。
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細岡展望台から眺めた釧路湿原は、どこまでも広がる湿原に目を奪われた。ここは釧路湿原国立公園で、動植物の宝庫と言われている。冬になれば、タンチョウが飛来するそうだ。
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道のわきにはこんなキノコが何種類も自生している。木や草の陰に生えていたりして、よく見ないと見つけられない。
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再び駅まで戻ってきた。ここから再び列車に乗り、網走に向かった。しかし、まっすぐ網走まで行けるわけではない。
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「塘路(とうろ)駅」に着いた。網走に行くのに、ここで乗り換えである。
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「原生花園」という駅も通った。さぞかしこの辺りにはたくさんの花が咲いているのかと思ったが、全然なかった。
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北海道の風景はこれまで見たことがないような雄大な風景で、どこまで行っても飽きることがなかった。
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網走に近づくと、これまでとは違う風景が見られるようになった。
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網走駅に到着した。こんな最果てのところまで来ることが出来たとは感無量である。
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駅を降りて、前方に網走の街並みが見えた。さほど大きなビルはないが、狭い範囲に建物が密集しているような感じである。
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網走駅の駅舎は立派であるが、ここでも人の姿は少ない。
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網走川の橋の欄干にいろいろな花が飾られている。
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海に近いせいかやたらに海鳥がたくさんいて、その独特な鳴き声が耳に衝いて、あまり気持ちよいものではなかった。
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網走と言えば、網走刑務所が有名であるが、先ずはここを見学したいと思った。駅からバスに乗り、網走刑務所というバス停で降りた。そこからこの橋を渡って右側の方に見える刑務所を目指した。
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橋の向こう側には白い壁のようなものがずうっと続いている。これが刑務所なのかと思った。
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刑務所のそばにこのような「地蔵堂」と書かれた、小さな社がある。
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その脇には「私の手は厳しいけれど わたしの心は愛に満ちている」と書かれた碑がある。これは刑務所所長の本田孝信氏が記した記念碑がある。
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守衛所らしきものがある。しかし、今は使われていないようだ。
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入り口には「煉瓦門」があり、その奥の方に獄舎がある。
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網走刑務所のこちらの門は固く閉ざされている。
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最初に見に行った刑務所は現在現役で使われているもので、見学など出来るはずもなかった。間違いに気づいて、守衛さんに尋ねると、見学できるのは「博物館網走監獄」とのことであった。ここからかなり離れているようである。
バスに乗って行けるようであるが、時刻表を見ると1時間に1本ある程度で、これならば歩いて行くしかないと判断し、歩いて行った。何と1時間もかかってしまった。
ここが入り口で、左側の建物の所で入場券を購入し、中に入る。 -
この石碑には映画「網走番外地」のシリーズが映画監督・石井輝男によって網走刑務所を舞台に作られたと書かれている。
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網走刑務所の説明ある。
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ちょうど小生が訪れた時はたくさんの花が咲き乱れ、このような美しい花を見ていると、ここが刑務所であることを忘れさせるほどであった。
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明治期の官庁建築を代表するデザインの「庁舎」。庁舎内には展示コーナー、レストラン、ミュージアムショップなどがある。
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庁舎の玄関部分。一見、洋風建築であるが和風のテイストが取り入れられている。
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玄関の入り口の上にはこのような紋章が見られた。
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喫茶コーナーもあり、疲れた時にはちょうどよい休憩室である。
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博物館の庭には夏の盛りを満喫しているような、たくさんの花が咲き競っていた。
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遠くに正門が見える。かつての監獄の入り口である。
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中に入ると、先ず見学者を対象とした「監獄歴史館」があるが、この建物は当初裁判所法廷であった。
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旧網走監獄の舎房に移動した。ここは受刑者が収容されていた独居房と雑居房があるところで、写真のような中央見張所があり、一カ所から舎房全体を見渡すように8角形になっている。
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見張り場からはこんな風に各舎房を見渡すことができる。
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「第一舎」と書かれた掲示がある。奥まで行くことが出来るので、ずっと先まで見て回った。
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放射状に広がる5棟のひとつ。廊下には天窓がつけられていて、クイーンポストトラスの小屋組と鉄筋の開き止めが美しい空間を作り出している。
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『第三舎」には32の雑居房があり、それぞれ広さが9.9平方米、一室数人で起床するようになっている。
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煉瓦造りの独居房があり、何か規則を破ったた囚人を入れるために作られた小屋である。
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一見、寺のような「教悔堂」が建つている。教誨堂とは、教誨事業の行われた講堂で、収容者に対して精神的、倫理的、宗教的な教化指導を行った場所である。
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横から見た教誨堂。
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教誨堂の内部は、ブルーに塗られた腰高の木製壁と白い漆喰の壁、上げ下げ窓、柱のない広い空間とシャンデリアボックスが目を引いた。
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これは何なんだろうか。壁にこのようなものが取り付けられていた。
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正面舞台上には祭壇のようなものが安置されている。
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囚人用大浴場が再現されている。背中いっぱいに入れ墨をしている囚人がいたり、
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浴場には隣の部屋のガラス窓越しに監視人がいて、囚人の様子を監視している。
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「休泊所」
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「職員宿舎」
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野外労働の様子が再現されている。
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ここは出口であるが、門は閉まっていて右側の方に見学者用の出口が設けられている。
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見学者向けの「監獄食堂」がある。ちょうど昼時だったので、ここで昼食をとった。
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現在の網走刑務所の受刑者が食べている数種類のメニューを「監獄食」として提供されている。この中から「ホッケ定食」を選び、食べてみた。手ごろな値段で食べることができた。
監獄食は米7割、麦3割のご飯と味噌汁、焼き魚、副食のセットメニューとなっている。 -
博物館網走監獄からバスに乗って,「北海道立北方民族博物館」へ移動した。ここはグリーンランドから北欧までアイヌ文化を含めた北方民族の文化とオホーツク文化を紹介する日本で唯一の博物館である。
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これはトーテムポールだろうか。見事な色合いである。
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北方民族の様々な民族衣装が展示されていて、どれも見事なものばかりである。
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これは何なんだろうか。動物のスケルトンに藁出来たものが結ばれている。
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これはエスキモーのシャマンの仮面。
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石北本線を利用して、網走から北見に移動した。1時間もかからずに到着した。
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駅を降りて駅前に出ると、それなりの都会風の風景が見える。しかし、人の姿があまり見かけない。東京から来ると、あまりにも閑散とした様に驚かされた。
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北見には昼過ぎについて、すぐホテルに荷物を預け、行きたいところがあったので早めに昼食を済ませ、その場所へ出かけた。
今回、カキカレーを食べた。たまたま見かけたレストランに入ったのであるが、味の方はそれほど不味くはなかった。 -
訪れたいその場所というのは、「ピアソン記念館」というところで、ここはアメリカ人建築家のウイリアム・メリル・ヴォーリズ( 1880~1964 )が携った建築物である。
彼が携った建物は日本全国に100以上あるが、北海道には3か所のみあるそうである。 -
丘の上の木立の中にひっそりと建ち、かつての宣教師であったピアソン夫妻が住んでいた家を再現している。
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玄関入り口には「ピアソン記念館」と記された看板が出ていて、下のブドウとその葉が彫られている。
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「ピアソン記念館」の説明版。
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中を見させていただいた。この記念館の館長にはこれまで何度か会ったことがあり、今回前もって連絡したところ、「お待ちしています」とのことで、この日に訪問することになった。
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このピアソン記念館を建てたW. M. ヴォーリズの紹介プレートが掲げられている。
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階段を上がり、2階へ移動した。
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色々な資料が掲示され、この地域のキリスト教の歴史やピアソン時代の様子が紹介されている。
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書籍類もたくさん展示され、購入することが出来るものもある。
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ピアソンが書かれた文章のようだが、英文とその訳文がある。
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3つの石板があるが、よく分からない。
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記念館の館長が車でハッカ記念館へ案内していただいた。
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「勅使御差遣記念碑」
1943年(昭和11)、昭和天皇が北海道に来られた際、ここまで来ることが出来なかったことにともない、その名代として故入江侍従長が -
記念館の隣には薄荷蒸留館があり、歴代の蒸留機器や取卸油を取る行程を見ることが出来る。
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ハッカオイルの数々。
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記念館のすぐ隣にはハーブガーデンがあり、様々なハーブを見ることが出来る。
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こんな花も咲いていた。名前は分からない。
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見に行かないかと、「YMCAチミケップキャンプ」へ知人から案内していただいた。彼は大学生の時夏休みには毎年ここでYMCAのキャンプに参加したそうで、懐かしそうに話してくれた。
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キャンプ場の入り口近くに何やら立派なホテルらしきものがあった。名前が出ていたのでよく見ると、CHIMIKEPP HOTEL(チミケップ ホテル)とある。オーベルジュとのことであった。
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キャンプ場の中に入ると、大きな湖があり、この周りにキャンプ場が広がる。
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今は全然使われていないようで、人気もなく、静まり返っている。コロナ禍のためにこの数年間は全然使われていないとのことで、普通ならばたくさんの若者たちの元気な声が聞こえて、夏の間賑わうことだろう。
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キャンプ場のセンターともいうべき建物で、ここにホールや食堂があるようである。中には入れないので、知人の説明でよくわかった。
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しばらくキャンプ場内を歩き回り、素晴らしい自然環境を満喫した。この後、北見駅に戻り次の訪問地を目指した。
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