2023/12/26 - 2023/12/26
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旅熊 Kokazさん
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国立西洋美術館 "パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ~美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ~" (その2)
https://cubisme.exhn.jp/exhibition/
- 旅行の満足度
- 5.0
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ブラックは、1906年から1910年までセザンヌが制作した地として知られるレスタックに4回滞在し、セザンヌに応答する作品を描きました。その過程で、彼の作品は、キュビスムの始まりを告げる新たな表現へと大きく変化します。緑や黄土色などセザンヌ的色彩が中心となり、セザンヌを真似て一定の方向性のある筆触で彩色が施されました。また、単純化された幾何学的形態を用いて、画面は以前よりも構築的に組織されるようになります。
1908年11月にカーンヴァイラー画廊で開催されたブラックの個展には、レスタックで描いた風景などが展示され、そのときの展覧会評で、「彼は形態を軽んじていて、景観も人物も家々もすべてを、幾何学的図式や、キューブ(立方体)に還してしまう」と評されました。これがキュビスムという名称の起源となります。
1906年10月に亡くなったセザンヌの大規模な回顧展が翌1907年10月に開催され、若い芸術家たちは自分なりにセザンヌの試みを理解しようと努めました。ピカソもまた、1908年から1909年にかけて、セザンヌを研究し、「セザンヌ的キュビスム」と呼びうる作品を残しています。国立西洋美術館 美術館・博物館
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ブラックとピカンが知り合ったのは1907年でしたが、毎日のようにお互いのアトリエを訪ねるほど交流を深めたのは、1908年の冬を迎えた頃です。ブラックは、「私たちはザイルで結ばれた登山者のようでした」と、当時の二人の関係について回想しています。
新しい絵画の方法を追求する二人の造形的実験は、1909年夏には、いわゆる「分析的キュビスム」の作品にいたります。対象物はいくつもの部分に分解され、無数の切子面によって構成されたようなモノクロームの画面が登場しました。1910年半ば以降は、描かれているモティーフの識別が困難なほどに作品は抽象化の度合いを増していきます。絵画は何かを写実的に描写するための場ではなく、自律的なイメージが構築される場となりました。
1912年になると「総合的キュビスム」の段階を迎えます。この年にはコラージュやパピエ・コレ(貼られた紙)といった新たな技法が試みられました。画面には新聞や広告の切り抜きなどの異質な素材が取り込まれ、多様な要素を組み合わせて、総合するように作品が作られるようになります。絵画も、そうした紙が貼られたかのように見えるだまし絵的な表現や、平面が重なり合うような構成へと変わりました。 -
ダニエル=アンリ・カーンヴァイラー(1884-1979年)
ドイツ出身の画商ダニエル=アンリ・カーンヴァイラーは、1907年に23歳でパリに移住し、同年に画廊を開きました。まもなくピカンと知り合い、1908年11月にブラックの個展を開催すると、のちに二人と専属契約を結び、その制作を支えました。ピカンとブラックの作品をパリで唯一展示していたカーンヴァイラー画廊は、キュビスムの震源地的存在となります。
1912年4月、大衆誌『ジュ・セ・トゥ(私は全て知っている)』に掲載されたキュビスムやイタリアの未来派などの前衛美術を紹介する記事「未来の絵画(?)」(no.D4)の冒頭には、カーンヴァイラー画廊の様子と、画商自身によるキュビスム作品の説明が記録され、ブラックの<円卓>(no.31)の図版も掲載されました。
1914年、カーンヴァイラーは第一次世界大戦の勃発に伴いスイスに亡命。1916年にはチューリヒの文芸誌にキュビスム論を連載し、それらをまとめて『キュビスムへの道』(no.D3)を1920年に刊行しました。本書では、キュビスムの展開がカントを拠り所とした美学に基づき論じられています。 -
D3
『キュビスムへの道』 -
D4
大衆誌『ジュ・セ・トゥ(私は全て知っている)』に掲載されたキュビスムやイタリアの未来派などの前衛美術を紹介する記事「未来の絵画(?)」 -
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22
パブロ・ピカソ
《女性の胸像》1909年冬ー1910年 -
23
パブロ・ピカソ
《肘掛け椅子に座る女性》1910年 -
24
パブロ・ピカソ
《ギター奏者》1910年夏 -
29
ジョルジョ・ブラック
《レスタックのリオ・ティントの工場》1910年秋 -
30
ジョルジョ・ブラック
《静物》1910年-1911年 -
32
ジョルジョ・ブラック
《ヴァイオリンのある風景》1911年11月 -
31
ジョルジョ・ブラック
《円卓》1911年秋 -
34
ジョルジョ・ブラック
《ギターを持つ女性》1913年秋 -
35
ジョルジョ・ブラック
《ギターを持つ男性》1914年春 -
33
ジョルジョ・ブラック
《果物皿とトランプ》1913年初頭 -
25
パブロ・ピカソ
《少女の頭部》1913年初頭 -
26
パブロ・ピカソ
《ヴァイオリン》1914年 -
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ブラックとピカンが創始したキュビスムは、新しい表現を求める若い芸術家たちのあいだに瞬く間に広がり、多くの追随者を生みました。なかでもレジェとグリスの二人は、カーンヴァイラーによってキュビスムの発展に欠かすことのできない芸術家であるとみなされます。
1907年のセザンヌの大回顧展を見た後、レジェの作品は構築的となり、1910年には《縫い物をする女性》(no.38)のような最初のキュビスム絵画を描きます。レジェは、ドローネーとともに豊かな色彩表現を追求するとともに、「コントラスト(対照・対比)」という概念を自らの制作の原理とし、直線と曲線、色彩同士など様々な要素が織りなす二項対立的構造によって動感のある画面を作り上げ、それは抽象絵画へも発展しました(no.40)。
スペイン出身のグリスは、1906年にパリに移り、ピカンと知り合います。1911年より本格的に油彩画を描くようになり、《本》(no.41)に見られるように、彼もまたセザンヌを学ぶことから始めました。鮮やかな色面を組み合わせて、対角線や水平線、垂直線を強調した厳格な構成を持ちつつも複雑な空間を特徴とする静物画を多く描きました。 -
38
フェルナン・レジェ
《縫い物をする女性》1910年 -
40
フェルナン・レジェ
《形態のコントラスト》1913年 -
41
ファン・グリス
《本》1911年 -
42
ファン・グリス
《ギター》1913年5月 -
43
ファン・グリス
《ヴァイオリンとグラス》1913年 -
44
ファン・グリス
《ヴァイオリンとグラス》1913年12月- 1914年1月 -
ピカンとブラックがフランスではカーンヴァイラーの画廊以外では作品をほとんど展示しなかったのに対し、二人の影響を受けた若いキュビストたちは、おもにサロン・デ・ザンデパンダン(独立派のサロン)やサロン・ドートンヌ(秋のサロン)といった年一回開催される、公募による大規模な展覧会で作品を発表したため、今では「サロン・キュビスト」と呼ばれています。
1911年と1912年のサロンでは、自分たちの作品を同じ展示室でまとめて公開することで、キュビスムは注目の的となり、スキャンダルを引き起こしました。時どれほど話題となっていたかは、新聞や雑誌の風刺画や映画など様々なメディアで、キュビスムが揶揄の対象にされていたことからもよくわかります。
サロン・キュビストたちは、ピカソやブラック以上にキュビスムを理論化し、グレーズとメッツァンジェは「「キュビスム」について』(no.D10)という著書を1912年に発表します。同年には、キュビスムのグループ展である「セクション・ドール(黄金分割)」展も開催され、グレーズの《台所にて》(no.45)や《収穫物の脱穀》(no.46)、ピカビアの《赤い木》(no.64)が出品されました。 -
48
ロジェ・ド・フレネー
《腰掛ける男性》1913-1914年 -
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アポリネールは、ロベール・ドローネーを「オルフェウス的(詩的)キュビスム」の発明者と呼び、そこから「オルフィスム」という名称が生まれました。オルフィスムは、色彩によって構成された「純粋な」絵画であると捉えられました。
シミュルタネイスムロベール・ドローネー自身は、妻ソニア・ドローネーとともに、「同時主義」という独自の概念を打ち立てます。フランスの化学者ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールによる「色彩の同時対照の法則」(1839年)に依拠しながら、色彩同士の対比的効果を探求するものです。
しかし二人の「同時主義」は、単なる色彩論にとどまらず、異質な要素を同一画面に統合する方法であったとも言え、ロベールが描いた大作《パリ市》(no.51)では、古代(三美神)と現代(エッフェル塔)、アンリ・ルソーの作品からの引用など多様な要素がひとつにまとめられています。「同時主義」は空間や動きを表す原理でもあり、それはソニアがダンスホールの情景を描いた《バル・ビュリエ》(no.54)によく示されています。 -
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39
フェルナン・レジェ
《婚礼》1913年
257 x 206 cm -
51
ロベール・トローネー
《パリ市》1910-1912年
267 x 406 cm -
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46
アルベール・グレーズ
《収穫物の脱穀》1912年
269 x 353 cm
国立西洋美術館 -
50
ロベール・トローネー
《都市 no.2》1910年 -
52
ロベール・トローネー
《窓》1912年 -
53
ロベール・トローネー
《円形、太陽 no.2》1912ー1913年 -
54
ソニア・ドローネー
《バル・ビュリエ》1913年 -
55
ソニア・ドローネー
《シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌのための散文詩》1913年 -
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(8.デュシャン兄弟とビュトー・グループへ続く・・・)
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