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国立西洋美術館 &quot;パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ~美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ~&quot; (その1)<br />https://cubisme.exhn.jp/

国立西洋美術館 "パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ~美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ~" ①

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2023/12/26 - 2023/12/26

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旅熊 Kokaz

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国立西洋美術館 "パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ~美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ~" (その1)
https://cubisme.exhn.jp/

旅行の満足度
5.0

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  • 立て替えのため、東京海上本社ビルの取壊しが完了<br /><br />何年後かにはここに木造の高層ビルが完成するらしい・・・

    立て替えのため、東京海上本社ビルの取壊しが完了

    何年後かにはここに木造の高層ビルが完成するらしい・・・

  • この辺りから、日本橋まで地下を移動

    この辺りから、日本橋まで地下を移動

  • &quot;TOKYO TORCH Terrace&quot;

    "TOKYO TORCH Terrace"

  • 小洞天 日本橋店 グルメ・レストラン

  • 小洞天で、久々のハーフ担々麵セット!

    小洞天で、久々のハーフ担々麵セット!

  • 日本橋駅

  • 東京メトロ銀座線はフェンディとコラボ中!

    東京メトロ銀座線はフェンディとコラボ中!

  • 上野駅

  • 国立西洋美術館 美術館・博物館

  •  19世紀後半から20世紀初頭、西洋の絵画や彫刻の表現は、それまでの伝統や規範から抜け出し、大きく変化していました。なかでもポール・セザンヌ、ポール・ゴーガン、そしてアンリ・ルソーは、キュビスムの誕生にあたって重要な役割を果たします。ピカンやブラックらキュビスムの画家たちは、彼らの作品の中に、自分たちが探求しつつあった新しい表現の可能性を見出し、それらを跳躍台として自らの芸術を発展させていきました。<br /><br /> セザンヌは、幾何学的形態による画面構成や、遠近法を解体する多視点の導入によって、絵画を写実的模倣から構築的なもの~と変えました。ゴーガンは、西洋以外の文化圏にまなざしを向け、「プリミティヴ」とも形容される素朴で大胆な造形を絵画や彫刻にもたらし、ルソーは、正規の美術教育を受けていないからこその自由な表現で描き続けました。<br /><br /> その頃、西洋諸国によって植民地化が進められたアフリカやオセアニアからは、仮面や彫像など、その地の文化の多様な造形物がヨーロッパにもたらされていました。ピカソやドラン、ブラックらは、そうした造形物を自ら収集するとともに、西洋美術とは異なる表現のあり方をそれらに見出し、自らの作品に取り入れていきます。

     19世紀後半から20世紀初頭、西洋の絵画や彫刻の表現は、それまでの伝統や規範から抜け出し、大きく変化していました。なかでもポール・セザンヌ、ポール・ゴーガン、そしてアンリ・ルソーは、キュビスムの誕生にあたって重要な役割を果たします。ピカンやブラックらキュビスムの画家たちは、彼らの作品の中に、自分たちが探求しつつあった新しい表現の可能性を見出し、それらを跳躍台として自らの芸術を発展させていきました。

     セザンヌは、幾何学的形態による画面構成や、遠近法を解体する多視点の導入によって、絵画を写実的模倣から構築的なもの~と変えました。ゴーガンは、西洋以外の文化圏にまなざしを向け、「プリミティヴ」とも形容される素朴で大胆な造形を絵画や彫刻にもたらし、ルソーは、正規の美術教育を受けていないからこその自由な表現で描き続けました。

     その頃、西洋諸国によって植民地化が進められたアフリカやオセアニアからは、仮面や彫像など、その地の文化の多様な造形物がヨーロッパにもたらされていました。ピカソやドラン、ブラックらは、そうした造形物を自ら収集するとともに、西洋美術とは異なる表現のあり方をそれらに見出し、自らの作品に取り入れていきます。

  • 2<br />ポール・セザンヌ<br />《ポントワーズの橋と堰》1881年<br />


    ポール・セザンヌ
    《ポントワーズの橋と堰》1881年

  • 5<br />ポール・ゴーガン<br />《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年

    5
    ポール・ゴーガン
    《海辺に立つブルターニュの少女たち》1889年

  • 12<br />制作者不詳<br />《ヨンべあるいはウォヨの呪物(コンゴ民主共和国)》制作年不明<br /><br /><br />

    12
    制作者不詳
    《ヨンべあるいはウォヨの呪物(コンゴ民主共和国)》制作年不明


  • 8<br />制作者不詳<br />《ダンの競争用の仮面(コートジボワール)》1850-1900年

    8
    制作者不詳
    《ダンの競争用の仮面(コートジボワール)》1850-1900年

  • 9<br />制作者不詳<br />《バンバラの小像(マリ)》1850年-1900年<br />

    9
    制作者不詳
    《バンバラの小像(マリ)》1850年-1900年

  • 10<br />制作者不詳<br />《コタ、マホングウェの儀式ブヴェテに用いる遺骨容器の守護神(ガボン)》1880-1920年

    10
    制作者不詳
    《コタ、マホングウェの儀式ブヴェテに用いる遺骨容器の守護神(ガボン)》1880-1920年

  •  ドランやピカソら美術家たちや詩人・批評家のアポリネールは、古代ギリシア・ローマの美術を規範とする伝統に代わる新しい表現の可能性を、アフリカやオセアニアの造形物に見出しました。<br /><br /> こうした地域の美術への関心や、その影響による単純化され、図式化された表現は、「プリミティヴィスム」と呼ばれてきました。しかし、これはアフリカやオセアニアの文化をヨーロッパに比べて「原始的(プリミティヴ)」であると当時の西洋の人々が考えていたためでした。アフリカやオセアニアの制作物が「美術」として評価された基準も、西洋の美的価値観によるもので、それらの造形物が持つ本来の文化的意味が理解されていたわけではありません。本来の意味とは関わりなく、これらの造形物は、ヨーロッパの前衛芸術家たちにとって、西洋の伝統的な規範に挑戦するための拠り所となりました。<br /><br /> 1907年にパリの民族誌博物館を訪れたピカンは、当時制作中の<アヴィニョンの娘たち>(本展不出品、ニューヨーク近代美術館)を大幅に描き直します。この作品を見たブラックは、その過激さに驚き、「まるで麻くずを食べるか、石油を飲んで火を吹けと言っているようだ!」と語ったといいます。ブラックは、ピカンへの応答としてく大きな裸婦>(no.15)を描いています。<br /><br /><アヴィニョンの娘たち>(本展不出品、ニューヨーク近代美術館)↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11133587<br />

     ドランやピカソら美術家たちや詩人・批評家のアポリネールは、古代ギリシア・ローマの美術を規範とする伝統に代わる新しい表現の可能性を、アフリカやオセアニアの造形物に見出しました。

     こうした地域の美術への関心や、その影響による単純化され、図式化された表現は、「プリミティヴィスム」と呼ばれてきました。しかし、これはアフリカやオセアニアの文化をヨーロッパに比べて「原始的(プリミティヴ)」であると当時の西洋の人々が考えていたためでした。アフリカやオセアニアの制作物が「美術」として評価された基準も、西洋の美的価値観によるもので、それらの造形物が持つ本来の文化的意味が理解されていたわけではありません。本来の意味とは関わりなく、これらの造形物は、ヨーロッパの前衛芸術家たちにとって、西洋の伝統的な規範に挑戦するための拠り所となりました。

     1907年にパリの民族誌博物館を訪れたピカンは、当時制作中の<アヴィニョンの娘たち>(本展不出品、ニューヨーク近代美術館)を大幅に描き直します。この作品を見たブラックは、その過激さに驚き、「まるで麻くずを食べるか、石油を飲んで火を吹けと言っているようだ!」と語ったといいます。ブラックは、ピカンへの応答としてく大きな裸婦>(no.15)を描いています。

    <アヴィニョンの娘たち>(本展不出品、ニューヨーク近代美術館)↓
    https://4travel.jp/travelogue/11133587

  • 12  <br />パブロ・ピカソ<br />《女性の胸像》1907年6月-7月

    12
    パブロ・ピカソ
    《女性の胸像》1907年6月-7月

  • 13<br />パブロ・ピカソ<br />《女性の仮面》

    13
    パブロ・ピカソ
    《女性の仮面》

  • 14  <br />アンドレ・ドラン<br />《立てる裸婦》1907年秋

    14
    アンドレ・ドラン
    《立てる裸婦》1907年秋

  • 15<br />ジョルジョ・ブラック<br />《大きな裸婦》1907年冬-1908年6月

    15
    ジョルジョ・ブラック
    《大きな裸婦》1907年冬-1908年6月

  • 16  <br />マリー・ローランサン<br />《アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)》1909年

    16
    マリー・ローランサン
    《アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)》1909年

  • (3.キュビズムの誕生に続く・・・)

    (3.キュビズムの誕生に続く・・・)

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この旅行記へのコメント (3)

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  • イメ・トラさん 2023/12/30 10:06:07
    はじめまして
    行く気満々のキュビスム展興味深く拝見しました。
    次の佐川美術館のキュビスム展は早くから予定に入れていました

    年内に一回、年明けに一回行くつまりでしたがバタバタしていてまだ行っていません
    佐川美術館のフリーパスを持っていますので、2回は行こうと思っていましたが
    3回行こうかな?なんて欲深なことが頭をよぎります

    ところで、たくさんの写真をupしておりますが
    撮影OKなのでしょうか。それならとても嬉しいです

    初めてのおたよりで厚かましいですが
    教えていただけたら有難いのでよろしくお願いします

    旅熊 Kokaz

    旅熊 Kokazさん からの返信 2024/01/02 04:25:05
    RE: はじめまして
    撮影可能かどうかは、展示されている個々の作品により異なると思います。

    行かれるご予定があるのが佐川美術館なのであれば、当該美術館に事前に照会されては如何でしょうか。

    ちなみに画像をアップした国立西洋美術館のキュビズム展は基本的に撮影可能、作品によっては不可でした!

    イメ・トラ

    イメ・トラさん からの返信 2024/01/02 09:30:43
    RE: RE: はじめまして
    > 撮影可能かどうかは、展示されている個々の作品により異なると思います。
    >
    > 行かれるご予定があるのが佐川美術館なのであれば、当該美術館に事前に照会されては如何でしょうか。
    >
    > ちなみに画像をアップした国立西洋美術館のキュビズム展は基本的に撮影可能、作品によっては不可でした!
    >
    >
    ありがとうございました。

    そうですね。最近はOKマークが張ってありますね。
    ありがとうございました
    それから、勘違いしていました。
    キュビスムは京都の京セラ美術館で3月からでした。
    佐川はエッシャー典でしたどちらも楽しみです。

    ありがとうございました

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