2023/11/01 - 2023/11/02
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RAINDANCEさん
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佐賀県北西部、唐津市の町である呼子を訪れました。玄界灘に面し古くから天然の良港として栄えてきた小さな港町は、新鮮な魚介と朝市で知られ、特にイカの活き造りで有名です。また周辺には、大陸と関係する歴史遺産や、玄海国定公園に含まれた景勝など見どころが多い町です。
★呼子の朝市通りに近い宿に泊まり、イカの活け造りなど美味な海鮮を味わう。
★周辺の棚田を望み、そして呼子大橋を渡って加部島へ。
★秀吉の大陸侵攻の拠点だった名護屋城跡や、景勝の七ツ釜へ。
[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎イカの活け造り
◎イカシュウマイ
◎イカスミサイダー
◎アジのみりん干し
◎甘夏ゼリー
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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有田から北上して佐賀県の北西部、唐津市の東松浦半島を目指します。
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伊万里市から唐津市に入ってすぐ、まず立ち寄りたかったところがここ「大浦の棚田」。
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こちらがその駐車場。
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そして、こちらが棚田の展望台。
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お~いい感じの棚田ですね~!水田面数1096枚、日本の棚田百選に選定されてます。
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棚田の向こうには、かつて弘法大師がその美しさに筆を投げたという伊万里湾と「いろは島」の風景が広がります。湾と棚田が調和した素晴らしい景色。
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そしてさらに、大浦の棚田から北上し、いったん玄海町に入りもう一つの棚田へ立ち寄ります。
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「浜野浦の棚田」です。283枚の田んぼ。
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このような立派な展望台が設置されています。
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スケールと景色はさきほどの大浦の棚田に一歩譲りますが、こちらもなかなかの景観でした。
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幸せの鐘「エターナルロック」を置いたりして、恋人の聖地で盛り上げようとしてるようです。
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さらに北上して呼子まではもうすぐ、途上の「名護屋城跡」は次の日に訪れる予定ですのでここは一旦パス。
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呼子町の呼子地区に到着しました。
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呼子港の入り江に沈む夕陽。
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陽が沈む前に、この日の宿「旅館 出雲」に到着できました。
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旅館に入ると玄関に生簀…イカが何匹か泳いでいました。今夜の夕食は活イカがいただけそうです。不漁の場合は活イカが出ない…ということもあるそうなので良かった。
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呼子港の入り江に面する、全8室の小さな宿です。
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客室は広縁付きですっきりした広めの和室。
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エアコン、テレビ、金庫、空気清浄機も完備。
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広縁の外の景色は駐車場でした。海側ならよかったですが。
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洗面台。
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トイレは温水洗浄付き。
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お着き菓子は佐賀銘菓の「丸ぼうろ」。
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まずはさっと風呂に入って…
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風呂上がりの一杯と…
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楽しみにしていた夕食です!この宿を選んだのはこの夕食が決め手でした。
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刺身は、ハマチ・マグロ・サーモン・鯛。
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サザエのつぼ焼き。
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突き出しは、キュウリのごま油・イカのゴマダレ・いぶりがっこ生ハム明太子カマンベールクリームチーズ。焼物は、鰆の西京焼き。
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イカシュウマイ。呼子発祥のご当地グルメ。
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鯛の煮付けと茶碗蒸し。
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そして…イカの活き造り!この日のイカはアオリイカ(ミズイカ)でした。ヤリイカ(ケンサキイカ)でなかったのはちょっと残念…かな、
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ですが一口食べてみると、普段食べるイカとは異なる何とも言えない歯ごたえに甘みと舌ざわり…前言撤回、種類どうのこうのでなくメチャクチャ美味いです。
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冷酒をおともに。
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活イカをいただいた後のゲソは天ぷらになって出てきます。これがまた…サクサク衣に絶妙の塩加減、少し甘みのあるプリッとしたゲソ…もうたまりません!
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ごはんとナメコとかまぼこの吸い物で締め。いやこの夕食、呼子の海鮮がこれでもかと出てきて、味もボリュームも最高でした。
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食後に少し外へ出てみると、静かな港に一隻の漁船。夕食の満足感と共に眠気が…この日は早めに休みにつきます。
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翌朝は、まだ暗いうちに呼子大橋を渡って加部島へ。
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日の出前の呼子大橋を橋の下から。
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もうじき日の出です。
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「風の見える丘公園」へやってきました。佐用姫伝説の主役「松浦佐用姫像」が立っています。
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ここからの眺望。日の出。
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日が昇り、呼子大橋を照らし出します。いい景色!
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島の東側にある「田島(たしま)神社」へ。
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創建は不詳ながら、古書により天平時代(8世紀頃)に建てられたという説があるらしい。
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肥前守在任中の源頼光が寄進した頼光鳥居(そうなると佐賀県最古)があるという説がありながら、それはいろんな根拠で疑問視されているようです。その鳥居はこれかな?
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海側から見た参道。
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「元寇船碇石」、近海より引き上げ、奉納されたものだそう。鎌倉時代、日本は大陸の帝国「元」からの侵攻を受けました。神風が吹いたおかげで日本が勝ったという説が信じられてきました(私もそう思ってました)が、実は軍事的に撃退したという説が昨今は有力の様ですね。
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左手には末社の「佐與姫神社(佐用姫神社)」。
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朝廷時代に朝鮮半島に派遣された大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、この松浦の地で長者の娘「佐用姫」と恋に落ちます。出帆の時に別離の悲しみに耐えかねた佐用姫はこの加部島で七日七晩泣き続け、ついに石に化したという伝説が残ります。
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拝殿。
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豊臣秀吉が名護屋城在陣の折に、武将たちが持ち上げて力を競い合ったという力石。
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神社の創建は弥生時代後期という一説もあるようですが、”魏志倭人伝”において対馬から隠岐を伝う倭国本土の最初の地とも考えられるこの地域なら、その歴史もまんざらではないという気がしてきます。
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朝食の時間にあわせ、旅館 出雲に戻ってきました。
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朝食はシンプルですが充分。アジのみりん干しに…卵かけご飯大好きですので生卵はうれしい。デザートは呼子甘夏ゼリー。
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朝食後、宿をチェックアウトして「呼子朝市」へ。朝市通りの北側に無料駐車場があります。
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ここから朝市通り。歩行者天国。
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小路の両側にお店が並びます。
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アワビとサザエ、安っ!
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いわしのみりん干しとか美味そう!
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こっちのサザエも安い。
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特産のイカを含めて干物がずらり。
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ちょっとジャンキーな屋台メニューも。
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朝市通りのなかほどにある「呼子いこいの広場」。
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そこにあったマンホール。「ゾンビランドサガ」
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その向かいには「呼子ふれあい広場」。朝市マップはここにあります。
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他にも、魚ロッケ(ギョロッケ=呼子・唐津名物の魚肉のコロッケ…食いそびれた!)、イカシュウマイ、イカ焼きなど色んな出店があって美味そうです。
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こっちが南側の朝市通りの始まり。
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その近くにあるのがこちら「萬坊(まんぼう)朝市通り店」。イカシュウマイ発祥の店とされる「海中レストラン萬坊」の販売店です。
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イカが回転しています。
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蒸しイカシュウマイとイカスミサイダーをいただきました。イカシュウマイは普通に美味いがサイダーは微妙。
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朝市通りの北側にある「鯨組主(くじらくみぬし)中尾家屋敷」にやってきました。県指定重要文化財です。
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中尾家は江戸時代から明治初頭にかけて、呼子を拠点に捕鯨業を営んでいた鯨組主だそうです。秋のお祭り「呼子くんち」で使われる「鯨の山車」。
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主屋は当時の姿をよく残す貴重な文化財らしい。
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中尾家は捕鯨で巨万の富を築き、藩主をも凌ぐ繁栄を見せたとも言われています。
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昭和初期の写真。解体された鯨をバックに当時のギャルたち(たぶん)。バブリーでイケてる中尾家で鯨バックのショットが人気でした(きっと)。
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屋敷の隣には勘定場跡に建てられた資料館があります。
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今はイカですが昔はクジラだったんですね。捕鯨にちなんだ展示が盛りだくさん。
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8代170年間も捕鯨で栄えた中尾家も明治10年に捕鯨業から撤退し、屋敷は山下家に引き継がれ酒造業が営まれました。
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中尾家が所蔵していたとされる「競馬(くらべうま)図屏風」を鑑賞したところで、鯨組主中尾家屋敷と呼子地区をあとにします。
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続いて、呼子から西へ4kmほどのところにある名護屋(なごや)城跡へ。
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入るとすぐに「名護屋城博物館」。かなりの規模の展示ですがなんと入場無料です。
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名護屋城は、豊臣秀吉による明国(現中国)征服構想の第一歩として、朝鮮半島への出兵の拠点として築かれた城とされています。
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この朝鮮侵攻は現代では「文禄・慶長の役」と呼ばれます。その歴史と資料を紹介する博物館です。
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秀吉の「黄金の茶室」が再現されていました。
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この、秀吉自らの権威と財力を見せつけて見る者を圧倒する茶室は、当時「舞台装置」として京都や大阪そしてこの名護屋城にも運ばれ、要人の応接に用いられたとのこと。
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秀吉の大陸侵攻の野望の下に前線が敷かれ、130以上に上るオールスター諸大名の陣屋、そして全国から20万人を超える人々が集った幻の城下町…
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…日本全国に城は数あれど、これほど特別な事情を持つ城は他には無いのではないでしょうか。そんな背景を知ることで、ここを訪れる価値を大いに感じました。
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では、その城跡へ。こちらの窓口で城跡マップをゲット。
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石垣が残る城跡。記念撮影スポットです。
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天正19年(1591年)に築城が始まり、諸大名の分担によって数ヶ月で完成したという大陸侵攻の前線基地。秀吉自身も1年あまり在陣したらしい。
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徳川家康、伊達政宗、真田昌幸/信幸、前田利家、黒田長政…といった諸大名の陣屋が城下に布陣されていました。
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ここは三ノ丸跡。
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こちらは本丸跡。
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本丸御殿跡には「名護屋城址」の碑。
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こちらが天守台があった場所。
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北側には、加部島・加唐島・松島を望みます。この先に隠岐島・対馬、そしてさらにその先には朝鮮半島…秀吉はこの場所から大陸を望み、侵攻の野望に燃えていたのでしょう。
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名護屋城をあとにし、最後に向かったのは「七ツ釜」。呼子からは東へ5kmほど離れたところにある、玄海国定公園に含まれる海岸の景勝地です。
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駐車場へクルマを置き、遊歩道を約0.5km…およそ10分ほど歩きます。
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展望台が見えてきました。
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「七ツ釜」です。玄武岩が玄界灘の波で侵食されてできた7つの洞窟で、国の天然記念物に指定されています。この展望台からは5つくらいまで見え、残り2つは右側の壁に隠れて見えません。定番の柱状節理も見られます。
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七ツ釜全体を近くで見るには、この近くの船着き場や呼子港から出ている観光遊覧船に乗るしかないようです。私たちは時間の関係もありパスしましたが。
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遊歩道は、七ツ釜の北側にある「象の鼻」などにも繋がってますのでついでに。
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象の鼻展望台の足元がすごい柱状節理。
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こちらが「象の鼻」。この方向よりも、向こう側から遊覧船などで見る方が”寝そべる象の頭から鼻”に見えるみたいです。ちなみに、私たちが訪れた際はドローン飛ばしているツワモノが居ました。
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玄界灘に面し古くから天然の良港として栄えた小さな港町呼子と、その周辺を巡る旅はここまで。次の目的地である唐津市の中心へ向かいます。
何と言っても名物のイカの活き造りは最高でした。そして、加部島や名護屋城跡などを訪れてみて感じました。この地域は島々を介し大陸との最短経路上にあったことから、古代にはヒトや文化の伝来、中世には相互の侵攻など、ユーラシア大陸と日本との関係において非常に重要な場所であったのであろう、ということを。
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