2023/12/02 - 2023/12/02
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あおしさん
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現在の兵庫県の一部である旧播磨国で有名な城といえば、「世界遺産」の姫路城。
ただ、旧播磨国はかつて室町幕府の重臣赤松氏、「軍師官兵衛」で登場した黒田氏、小寺氏、別所氏など群雄が割拠し、多くの城がありました。
今回は姫路城に比べるとマイナーなお城をまわってみました。
12月といえば「忠臣蔵」
まず、「忠臣蔵」ゆかりの龍野城と赤穂城へ行きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日にドリーム号で東京駅前を出発。
東京大阪の夜行バスは多くの業者の夜行バスが走っていますが、さすが元祖夜行バスのドリーム号は駅前で発着するのでとても便利です。
大阪駅からはJR西日本のエース、新快速で姫路駅までたった1時間で快走します。大阪駅JR高速バスターミナル 乗り物
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姫路駅からは姫新線というローカル線に乗り換え。
2両編成の電車ではなくデイーゼルカーが走っています。
姫路駅から約20分で龍野市の中心駅である本竜野駅に到着。JR姫新線 乗り物
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本竜野駅から市街地を歩き、揖保川という大きな川を渡ったところに旧龍野城下町があります。
揖保川近辺はそうめんで有名なところです。
「揖保乃糸」といえば多くの人が知っているブランド商品です。たつの観光案内所 名所・史跡
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龍野城の城下町は現在もレトロな街並みが残ります。
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まずは龍野城へ。
龍野城の旧二の丸に当たる場所には、裁判所がありました。
城跡に市役所などは珍しくないですが、裁判所は珍しい。たつの市立龍野歴史文化資料館 美術館・博物館
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播磨国は室町時代、室町幕府の功臣だった赤松円心に始まり、室町幕府では3管領4職家の1つだった赤松家の領地でした。
しかし謀反で室町6代将軍・足利義教を謀反で殺したり、戦国時代、家臣の浦上家の下剋上で勢力が衰え、戦国時代の終盤は赤松家の領地はこの龍野城周辺のみになっていました。
赤松氏の龍野城は背後の山にあった山城でした。
それでも播磨国は領主が割拠していたこともあり、有力な領主ではありました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」では赤松政秀を、「帰ってきたウルトラマン」の団時朗さんが演じていました。龍野城 名所・史跡
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龍野城は本丸だったところが公園として整備されています。
城内にあるたつの市龍野歴史文化資料館で龍野城についてのお勉強。
室松時代の赤松氏、江戸時代の大名・脇坂氏など中心に史料が展示されていました。 -
戦国時代が終わり江戸時代になると、龍野城は脇坂氏の5万石の城となります。
脇坂氏は豊臣秀吉の「賤ケ岳七本槍」の1人、脇坂安治に始まる家です。
関ヶ原の合戦のときは、小早川秀秋とともに、石田方・西軍から徳川方・東軍に寝返り、大名として生き残りました。
3代脇坂安政のときに龍野5万石の大名となりました。
4代脇坂安照は「赤穂事件」のとき、隣の藩だったので赤穂城を大石内蔵助より受け取り、しばらく管理しています。
「忠臣蔵」では赤穂藩主・浅野内匠頭の友人とされ、「松の廊下」の場面では刃傷事件を起こした浅野内匠頭の無念を思いやり、抱きかかえられて運ばれる吉良義央とわざとぶつかり、吉良の血で大紋の家紋を汚すと、それを理由にして「無礼者」と吉良を殴りつけるシーンが「お約束」。
個人的には1996年「忠臣蔵」の渡辺謙さんの脇坂淡路守が一番かっこよくて好きです。
脇坂氏城主時代は平和な時代でもあり、天守閣は作られず、本丸御殿だけがあったようです。
現在の本丸御殿は昭和54年に復元再現されたものです。 -
大正時代以降は龍野はうすくち醤油の生産で栄えました。
当時の旧龍野醤油同業組合事務所や工場が観光案内所やカフェとして保存されています。醤油の郷大正ロマン館 名所・史跡
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醤油会社の本社は現在はうすくち龍野醤油資料館として使われていました。
うすくち龍野醤油資料館 美術館・博物館
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龍野城下町を散策したあと、赤穂へ向かいます。
姫路に戻って赤穂へ向かうと大回りなので、ショートカットするコミュニテイバスに乗ります。
龍野は童謡「赤とんぼ」の作詞者三木露風の生誕地でもあり、バスの名前も「赤とんぼ」号。本竜野駅 駅
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「赤とんぼ」号でJR山陽本線の竜野駅に出て、その駅から播州赤穂行の電車の乗り換えます。
竜野駅 駅
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約20分ほどで播州赤穂駅へ。
JR西日本の大阪圏のアーバンネットワークの一番の西の駅で、なかなか大きな駅です。
駅前にはさっそく大石内蔵助の銅像がありました。播州赤穂駅 駅
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播州赤穂駅から赤穂城へ向かって歩き始めます。
駅から5分ほどのところにある時計台「義士あんどん」。
大石内蔵助のあだ名が「昼あんどん」だったことに由来するのでしょうか。
またここには「息継ぎ井戸」もあります。
刃傷事件が起こると、早水藤左衛門・萱野三平の2人は早かごで江戸から赤穂まで突っ走り、ここで一息ついたとされる場所です。息継ぎ井戸 名所・史跡
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近くにある赤穂藩主・浅野家の菩提寺。
花岳寺。花岳寺 寺・神社・教会
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豊臣秀吉の妻・北政所ねねの実家浅野家は広島藩の大大名になりましたが、その分家・浅野家は常陸(茨城県)笠間より、この赤穂に移封されました。
浅野家分家初代浅野長重、赤穂藩初代浅野長直、2代浅野長友の3代のお墓がありました。
なお、3代浅野内匠頭長矩は「松の廊下」事件で江戸で切腹したのでここにお墓はありません。花岳寺宝物館 美術館・博物館
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さて赤穂城にやってきました。
赤穂藩5万石のお城です。
5万石の城にしてはかなり大きな城だったようです。
現在は門や櫓が復元されて、公園として整備されています。赤穂城跡 (赤穂城跡公園) 名所・史跡
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赤穂城は本丸、二の丸、三の丸の3重の構えとなっていました。
赤穂市立歴史博物館 美術館・博物館
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まず正門から入ったところの一帯である三の丸には、重臣の屋敷がありました。
大石内蔵助は赤穂藩の筆頭家老で1500石の領地を持っていました。
現在も大石家の長屋門が現存しています。 -
大石内蔵助邸の屋敷の建物は残っていませんが、現在は敷地内に大石神社があります。
「大願成就」ということでなかなか人気のある神社のようで、多くの参拝客が来ていました。赤穂大石神社 寺・神社・教会
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また神社内の宝物館には赤穂浪士たちの刀剣や浅野家代々の当主の肖像画なども展示されていました。
三の丸には他に大野九郎兵衛などの家老や片岡源右衛門、磯貝十郎左衛門と言った側近など上級武士たちの屋敷があったようで各所に石碑が建てられています。義士史料館(赤穂大石神社) 美術館・博物館
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三の丸跡から二の丸跡を通っていくと本丸の門があります。
本丸は殿様が居住していたところです。 -
本丸の中にある天守台。
赤穂城では天守台は作られましたが、そのうえの天守閣は作られなかったようです。
時間とかお金がなかったからでしょうか。 -
天守台から見た本丸跡。
かつてはこの本丸の殿様の「総理大臣官邸」である屋敷がありました。
今はその屋敷のあったところにそれぞれも部屋のある場所ごとに区画が整理されていました。 -
本丸の石垣と濠は当時のものです。
三の丸まではいつでも入れるのですが、二の丸と本丸は午後5時で閉園でした。 -
赤穂城に隣接する城下町跡を散策。
今は住宅街になっていますが、かつては中級クラスの武士たちの家がありました。
写真の場所には不破数右衛門の居宅跡。
不破数右衛門は堀部安兵衛などと並ぶ「使い手」で、「忠臣蔵」のスターの1人。
大河ドラマ「おんな城主 直虎」「青天を衝け」で大トメで、今や大河ドラマの大御所となった小林薫さんの大河デビューが昭和57年の大河ドラマ「峠の群像」の不破数右衛門でした。
他に何人かの浪士たちの居宅跡を見つけましたが、見つけたかった堀部安兵衛や赤埴源蔵の居宅跡は見つけられませんでした。 -
日が落ちたので駅前の食堂で夕食。
ちょうど今の時期の赤穂は牡蠣の旬の時期。
まずカキフライ定食。主税 グルメ・レストラン
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追加して、「カキのサカムシ」
「サカムシ」って何のことかと思ったら、「酒蒸し」のことでした。
カキフライよりカキのおいしさをストレートに味わえました。
店のオヤジさんも「量では広島に負けるかもしれないが、味では赤穂の方が上だ」と自慢していました。播州赤穂駅 駅
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