2023/11/23 - 2023/11/23
66位(同エリア7080件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2023/11/23
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徒歩での移動
北鎌倉駅:10時36分→浄智寺10時46分
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徒歩での移動
浄智寺:10時46分→たからの庭:11時22分
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徒歩での移動
たからの庭:11時22分→円応寺:11時48分
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徒歩での移動
円応寺:11時50分→茶織菴→12時10分
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徒歩での移動
茶織菴:12時36分→宝戒寺:12時38分
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徒歩での移動
宝戒寺:13時04分→紅葉やぐら:13時10分
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徒歩での移動
紅葉やぐら:13時12分→東勝寺跡:13時17分
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徒歩での移動
東勝寺跡;13時18分→圃場高塒腹切りやぐら:13時19分
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徒歩での移動
北条高塒腹切りやぐら:13時20分→妙隆寺:13時32分
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徒歩での移動
妙法寺:13時35分→日蓮上人説法跡:13時38分
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徒歩での移動
日蓮上人辻説法跡:13時36分→蛭子神社:13時41分
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徒歩での移動
九品時:14時50分→高明治:15時07分
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徒歩での移動
蛭子神社:13時44分→九品寺:14時04分
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徒歩での移動
光明寺:14時50分→ウッドベリーコーヒー:15時07分
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徒歩での移動
ウッドベリーコーヒー店15時37分→鎌倉駅:15時07分
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11月23日の勤労感謝の日に行きました。
今年の夏は特に長く感じました。
11月に入って少し秋を感じるようになったのですが、この日は夏を思わせる天気になりました。
祝日ですので、かなり混むことが予想されたので、今回は混まないであろう場所を選びました。
いつもとは違う鎌倉を見たいと思います。
元々鎌倉には「やぐら」が多く約3000基のやぐらがあります。
鎌倉は山に囲まれているため、地形的にも作りやすかったと思います。
そんな「やぐら」を少し見たいと思います。
【旅程】
・北鎌倉:10時36分→浄智寺:10時46分
・浄智寺:10時46分→たからの庭:11時19分
・たからの庭:11時22分→円応寺:11時34分
・円応寺:11時50分→茶織庵:12時10分
・茶織菴 : 12時36分→宝戒寺:12時38分
・宝戒寺:13時04分→紅葉やぐら:13時10分
・紅葉やぐら:13時12分→東勝寺跡13時17分
・東勝寺跡:13時18分→北条高塒腹切りやぐら:13時19分
・北条高塒腹切りやぐら:13時20分→妙隆寺:13時32分
・妙隆寺:13時36分→日蓮上人辻説法跡:13時38分
・日蓮上人辻説法跡:13時39分→蛭子神社:13時41分
・蛭子神社:13時44分→九品寺:14時04分
・九品寺:14時06分→光明寺:14時13分
・光明寺:14時50分→ウッドベリーコーヒー鎌倉:15時07分
・ウッドベリーコーヒー鎌倉:15時37分→鎌倉
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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浄智寺に到着しました。
北鎌倉駅の円覚寺方面に下車する人の方が多かったのですが、私は県道側に降りました。
ただ、こちらは歩道が狭いので歩きにくいのですが・・・。 -
古い小さな石橋です。
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鎌倉十井(じっせい)の1つの甘露ノ井です。
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山門です。
宗派:臨済宗円覚寺派
建立:弘安4年(1281年)
開基:北条宗政、北条師時
史跡名:国指定史跡浄智寺境内(昭和41年2月28日指定) -
鎌倉五山の第4位であり、境内は緑豊かです。
国の史跡に指定されています。
仏殿には、室町時代に造られたという三世仏坐像があります。
写真撮影はできませんでした。
阿弥陀・釈迦・弥勒が安置されています。
それぞれ過去・現在・未来を意味するといわれています。
国指定重要文化財に指定されている地蔵菩薩像や「西来庵修造初進状」などは、鎌倉国宝館に預けられています。 -
苔むした石段を上って行きます。
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七福神
境内一角の洞窟には、鎌倉・江の島七福神の一つである布袋尊が祀られています。 -
鐘楼門です。
この山門は珍しいことに2階部分に鐘楼があります。 -
こちらは拝観料が必要になります。
本堂です。曇華堂。 -
紅葉はボチボチでしたが、この銀杏は綺麗でした。
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書院ですが、茅葺の屋根がしっとりと趣深いです。
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鎌倉市指定天然記念物コウヤマキ1株
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お庭です。
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竹林になっています。
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HIMMELI TOWER(ヒンメリタワー)
スウェーデンの伝統的な麦わらを使った装飾品です。
ヒンメリは「天」を語源としているそうです。
麦ではなく篠竹を使用して吊るし飾りとともに、竹林の間伐材料の特に細いもので、ひもの変わりにロープやテグス、針金で組み立てています。
9月18日の「鎌倉竹日」のオブジェとして展示したものです。 -
古い井戸があります。
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この竹は少し太めです。
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やぐらです。
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お花が供えてありました。
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やぐらです。
宝塔 -
横井戸です。
山の水をためて用水に使うため掘ったものです。
30数年前までは蝙蝠の棲家になっていたようです。
今は大丈夫かと・・・・覗いてみましたが、真っ暗です。
幸い蝙蝠はいませんでした。
思ったより奥が深くなっていました。 -
手前から横井戸方向を見た様子です。
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狸です。
昔は出たのでしょうか・・・。
調べてみたところ、以前交通事故で亡くなった狸がいて、依頼を受けて葬ってさしあげたらしいです。
今年は熊が、全国各地で町中に出没するニュースがありました。
狸の出没はあまり聞きません。 -
やぐらです。
この横穴は古くは住まいとして使われていました。
その後は墓所となり、やがて倉庫としても使われました。
大正時代から昭和初期までは、薪や木炭などの保管場所になっていました。 -
お地蔵様
小さなお子さんが亡くなり、その供養に作られました。 -
観音様です。
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トンネル洞窟です。
通り抜けることができます。 -
布袋様がいました。
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うっすらと樹々が色づいてます。
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御朱印はこちらでいただきます。
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RINKO SHADE(リンコシェード)
6mの長い竹を数人で輪弧編みをして作ったシェードです。
手作業で竹ひごを作り編み上げたそうです。 -
小津三昧だそうです。
たしかに小津安二郎の世界のようです。
このお寺の先には、かつて小津安二郎邸がありました。
円覚寺には小津安二郎の墓所があります。 -
御朱印をいただきました。
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源氏山には行きませんが・・・。
「宝庵」にやってきました。 -
茶室です。
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宝の庭だそうです。
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少し覗いてみると、素敵なお庭になっています。
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その先には茶室があります。
残念ながら公開は月に1回のようです。
12月2日(土)なら開催日でした。
10-11時
11-12時
12-13時
13-14時
14-15時
お抹茶、上生菓子で1500円です。 -
こちらは浄智寺までの間の脇道です。
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県道に戻って、鎌倉方向に向かってます。
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立ち入ることができないようですが、急な石段の先に鳥居があります。
鳥居の左奥に「安倍晴明」の石碑がありました。 -
円応寺です。
ちょっと急な階段です。 -
本堂です。
人が死後に冥界で出会う、閻魔大王を中心とした「十王」をまつるお寺です。
閻魔大王とは、インド最古の神話「リグ・ベーダー」における「ヤマ」のことです。「ヤマ」は人間として最初に生まれ、死後には楽園の主となりました。
インドの「ヤマ」が仏教とともに中国に伝わり「エンマ」となり、道教の影響により閻魔大王を中心とした「十王思想」となりました。
「十王思想」は室町時代に「十三仏信仰」となり、日本仏教独自の宗派を越えた葬儀・法要の元となっています。円応寺の「十王」は鎌倉時代に中国から伝わった「十王思想」を彫像したものです。本尊の「木造閻魔大王坐像」は運慶の作と伝わり国指定重要文化財です。 -
宗派:臨済宗建長寺派
山号寺号:新居山円応寺
建立:建長2年(1250年)
開基:智覚禅師 -
鐘楼です。重厚感のある茅葺の屋根がいいです。
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鐘です。
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「閻魔大王」とあります。
この後、閻魔大王様に会いに行きました。
ただし、写真は撮れませんでした。 -
御朱印をいただきました。
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手打ちそばのお店です。
鶴岡八幡宮の先の、同じ通り沿いにあります。 -
店先にあったメニューです。
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茶織菴でいただいたお蕎麦とかき揚げです。
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横から見た感じです。
ご馳走様でした。美味しかったです。 -
北条執権邸旧蹟
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宝戒寺に向かう参道です。
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義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍謝天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋めつくされる「萩の寺」として有名です。 -
本堂です。
宗派:天台宗
山号寺号: 金龍山円頓宝戒寺
建立: 建武2年(1335年)
開山:五代国師(円觀慧鎮)
開基 :後醍醐天皇 -
こんなところに手水舎が。
「平成水琴」だそうです。響きがいいですね。
ちなみに、この本堂の中で、御朱印をいただきました。 -
大聖歓喜天堂です。
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徳崇大権現堂
執権北条高時公を、お祀りしています。 -
鎌倉幕府が滅亡した5月22日には北条氏鎮魂のため、毎年大般若転読会が行われます。
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聖徳太子堂
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宝篋印塔
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本堂には、帝釈天、子育経読地蔵大菩薩、梵天、十王尊などが祀られています。
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石積みの宝塔のようです。
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鐘楼です。
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お香を購入しました。「金龍香」
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御朱印をいただきました。
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小さな橋を渡ります。
鎌倉市景観重要建築物等第23号平成14年4月1日指定
東勝寺橋
東勝寺橋は、鉄筋コンクリートが積極的に導入された震災復興期の大正13年(1924年)に建造されたアーチ構造の橋です。太く安定感のあるアーチリング、V字型の谷間との微妙なバランスなどその美しい姿は多くの人に愛され、平成11年(1999年)には「かまくら景観百選」に選定されました。 -
史跡 「紅葉山やぐら」 は、 昭和10年(1935年)に発見され、 五輪塔や納骨、 それに “海蔵寺十六井” と全く同じものが出土されていますが、その時代考証からも、北条執権ゆかりの 納骨といわれてます。 平成11年(1999年)の大崩落後の神奈川県教育委員会の調査で も「十六井」 が再確認されています。
鎌倉付近では、山腹の岩(第3紀層の凝灰岩質)をくりぬいて作った穴を 「やぐら」と呼んでおり、鎌倉時代から室町時代における上層階級の墳墓とされています。
この奥にある穴は、第2次世界大戦時の防空壕の跡ですが、 ラングドン・ウォーナー博士(1881-1958年 米国)の若かりし頃、 東京美術学校(現在の東京芸術大学)に留学し、岡倉天心に私淑し「文化は戦争に優先する」と、 京都・奈良・鎌倉の三古都を中心に「日本の重要文化財リスト」を作成。そのおかげで、多くの重要文化財が戦禍から救われました。
この地域は、鎌倉幕府の実力者・旧跡「北条執権邸」(歴史的風土特別保存地区内)にあり、北条時宗(第8代執権 1251-84年)生誕の地ともいわれ、文永・弘安の役の2度にわたる蒙古来襲を撃退。「神風」とともに、日本の歴史に名跡を残しました。 -
また、橋を通ります。
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「北条高塒腹切りやぐら」あと少しです。
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ここは東勝寺跡です。
東勝寺は、13世紀前半に鎌倉幕府第3代執権の北条泰時により、得宗(北条氏嫡流)家の氏寺として創建されました。様々な宗派を学ぶ諸宗兼学の寺院であるとともに、周辺の地形と一体となった防御のための城郭的な機能も持っていたと考えられています。
元弘3年(1333年)、新田義貞らの鎌倉攻めにより、幕府の最高権力者であった北条高時は、東勝寺で一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は減亡しました。平成8・9年(1996・1997年)に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う約10cmの炭の層が発見されました。
焼失後まもなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられましたが、16世紀後半ごろには途絶えたと考えられています。
ところで・・・
この史跡に対して、みだりに現状変更(掘削、工作物の設置等)や保存に影響を及ぼす行為を行うことは、文化財保護法により禁止されています。 -
祇園山のハイキングコースです。
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見えました。ちょっと寂しい所です。
ここが最後の場所だったのもわかるような気がします。 -
1333年(元弘3年)、新田義貞が鎌倉を攻め、最終的な決戦の地、東勝寺が最後の砦となりました。そして北条一族は滅んでしまいました。
第4代執権の北条高塒をはじめとした北条一門及び家臣870名余は、最後を悟り自害しました。
そして山すそには腹切りやぐらが、残されています。 -
妙隆寺
宗派: 日蓮宗
山号寺号:叡昌山妙隆寺
建立:至徳2年(1385年)
開山:日英上人
開基:千葉胤貞 -
この辺り一帯は、鎌倉幕府の有力御家人・千葉氏の屋敷跡と言われ、この寺は、一族の千葉胤貞が日英上人を迎えて建立しました。
本堂手前の右手の池は、日親上人が寒中、百日間水行をした池とされ、厳しい修行の跡と言われています。 -
鍋冠日親上人五百遠忌御報恩塔
応永34年(1427年)の冬、上人が21才の時、「大法弘道に耐え得るや否や、自らの忍力を試さん」 -
寒中の雪の降る早朝にこの池に身を浸すこと100日間、毎日、自我偈百巻、お題目、千遍を日課として法華経を弘通されました。
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日蓮大聖人 七百遠忌報恩謝徳
日蓮上人の700年の遠忌の際に建てられたのかと思います。
ちなみに今年は742年です。 -
日蓮上人は建長5年(1253年)、安房(千葉県)から鎌倉に来て、松葉ケ谷(現在の長勝寺、安国論寺の辺り)に草庵を結びました。
鎌倉時代、この辺りは武士の屋敷と商家町が混在した地域と考えられ、毎日のようにこの辺りを訪れて、法華経の功徳を説く辻説法を行ったと伝えられます。 -
文応元年(1260年)、五代執権・北条時頼に提出した「立正安国論」が原因で、松葉ケ谷の草庵は焼き討ちされました。
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日蓮上人です。
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鳥居が見えたので、立ち寄ってみました。
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「蛭子神社」とあります。歴史が感じられます。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)です。 -
本覚寺と妙隆寺がある通りの中間に位置しています。
本覚寺と妙隆寺は鎌倉七福神の寺なので、七福神の御朱印めぐりの際に、蛭子神社へ立ち寄ることができます。
蛭子神社の「蛭子神」とは、「えびす」と読みます。
「夷」「戎」とも「恵比寿」と表記されるようです。 -
お神輿が安置されていました。
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立派なご神木です。
もう少しで綺麗な黄色になりそうです。 -
蛭子神社です。
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九品寺
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山門
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宗派:浄土宗
山号寺号:内裏山霊獄院九品寺
創建:建武3年(1336年)
開山:風航順西
開基:新田義貞 -
九品とは、九種類の往生のありさまのことをいいます。
極楽往生を願う人々の生前の行いによって定められます。
上品、中品、下品のそれぞれに上生、中生、下生があり、合わせて九品とされます。
鎌倉攻めの総大将であった新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方であった北条氏の戦死者を供養するために、材木座に建立しました。
山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の文字は、新田の筆を写したものといわれます。本尊は阿弥陀三尊です。 -
よく見るとお顔が描かれています。
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ちらりと海が・・・・・。
鎌倉が好きなのは、山もあり海もあるところです。 -
光明寺です。
こちらのお寺は、先ほどの写真からわかるように、海に近いです。 -
総門が見えてきました。
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境内の案内図です。
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総門です。
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和賀江嶋について
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宗派:浄土宗
山号寺号:天照山蓮華院光明寺
創建:寛元元年(1243年)
開山:然阿良忠上人
開基:北条経時 -
駐車場は結構台数が入りそうです。
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山門
弘化4年(1847年)に造られたものです。
間口約16m、奥行約7m、高さ約20mで鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えた山門です。
この山門は中に入って拝観できます。(拝観料が必要です。) -
1階が和風で、2階が中国風になっています。
禅宗の五山形式が浄土宗に取り入れられたものです。
2階の中央には「天照山」の額があって、これは永享8年(1436年)後花園天皇より賜ったものだそうです。
また、2階は眺望も良く、目の前の由比ガ浜はもちろん、江ノ島や富士山も望めるようです。 -
あらららら・・・せっかく来たのに、御本堂は修復中でした。
このお寺は天照山蓮華院光明寺で、浄土宗の大本山です。
宗祖は法然上人です。
二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人です。
三祖は石見国生まれで、38歳で聖光上人のお弟子になった良忠上人です。
良忠上人は鎌倉幕府第4代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれました。
その後も第5代の執権、北条時頼公などの歴代の執権の帰依を受けて、「関東総本山」の称号を受け、国と国民の平安を祈る「勅願所」となりました。 -
鐘楼
北条泰時と御成敗式目について
1232年、三代執権に就任した北条泰時が、13人の評定衆と共に制定した日本初の武家法が御成敗式目である。評定衆とは「13人の合議制」を受け継ぐものでもあり、議会政治のような様相を呈しているともいえます。
51箇条からなり、裁判基準として全国の武家に広められました。
御成敗式目は江戸時代まで受け継がれ、武士の意識や価値基準に影響を及ぼし、後に武士道と称される美学になったといってもいいでしょう。
「領民から搾取してはならない」など庶民や弱者を慮る内容が散見され、泰時が明恵の教えに基づき民を思いやる政治を目指していたことがわかります。 -
材木座に所在する光明寺は、江戸時代には浄土宗関東18檀林の第一位として格付けされた格式の高い寺院です。開山は記主禅師然障良忠、開基は鎌倉幕府の第四代執権北条経時で、仁治元年(1240年)鎌倉に入った良忠のために、経時が佐助が谷に寺を建てて蓮華寺と名づけ、それが寛元元年(1243年)に現在地に移り光明寺と改められたと伝えます。
元禄11年(1698年)建立の本堂は、国指定重要文化財です。また、弘化四年(1847年)建立の山門は、県指定重要文化財。ことに本堂は、鎌倉で現存する近世仏堂のうちでも最大規模を誇ります。
今なお、建長寺、円覚寺と並ぶ壮大な伽藍を構成しています。
10月12日から15日の間に行われる「十夜法要」の行事は今でも、夜市がたち大勢の人で賑わいます。 -
裏山には見晴らし台があるようです。
案内には本堂の右横の方向から石段があって行けそうでしたが、閉鎖されていました。
このため、左方向の坂道を登って行きます。
良忠上人御廟参道
光明寺の開山は然阿良忠上人です。 -
御廟所は右方向です。
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御廟です。
天照山にあります。 -
さて、見晴らし台に上って見てみます。
気持ちのいい美しい形式です。 -
うっすらとですが、富士山も見えます。
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江ノ島も見えます。
実は、光明寺と江の島弁財天には深いつながりがあります。
光明寺の大殿には江の島の奥の院に祀ってあったという弁財天像があります。
1532~1555年頃、大嵐によって流されてしまい、光明寺の浜辺に打ち上げられました。弁財天像は、いったん江の島に戻されましたが、弁財天が「光明寺にて、直接、善導大師の念仏のことを聞きたい」と欲していると、たびたび重ねてお告げがありました。
そこで、光明寺では二尊堂を建てて再びお迎えすることとしました。
そして、善導大師像と弁財天像を祀ったのです。
今も江ノ島弁財天は善導大師像のすぐ隣に安置されています。 -
御本堂は修復中ですが、横から入ることができました。
庭園を拝見できます。
三尊五祖の石庭です。 -
御朱印をいただきました。
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海岸通りにでました。
今回は人が多い小町通りを避けました。
また、若宮大路をはさんで反対側の小町大路を通りました。 -
この日は結構暑いのですが、気持ちがいいです。
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若宮大路の通り沿いにあるお店です。
何度か利用していますが、少し内装などが変わって、入口も変わりました。
スマホで注文します。
コーヒーを選んで、クラッシックにしました。
600円です。
この器が素敵です。
このお店は外国の方が多いです。
開放的なテラス席もあります。
私は奥の席にしました。
こちらで休憩してから帰ります。
祝日でしたが、ゆっくり拝観できて良かったです。
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