2022/10/09 - 2022/10/09
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みーみさん
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今は神戸といえば、三宮や元町あたりが賑やかですが、長田区の海沿いの町・駒ヶ林は奈良時代から港として古い歴史を持ち、兵庫区はなんといっても、平清盛が福原遷都を行った場所で、今も清盛ゆかりの史跡や神社がありました。
神戸市内でも、異人館やミナト神戸のある中央区の西側に位置する長田区の街歩きツアーに参加しました。
せっかくなので、ツアーの前後に「神戸街めぐり1dayクーポン」というオトク切符を利用して、長田区や兵庫区を見て回りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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まずは兵庫区にある和田神社を参拝しました。
御祭神は天御中主大神、蛭子大神、市杵嶋姫大神で、市杵嶋姫大神は平清盛が兵庫津(大輪田泊)を築港した時に、平家が信仰していた宮島の厳島神社から市杵嶋姫大神を勧請しました。和田神社 寺・神社・教会
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境内はとてもきれいに整えられていました。
非接触で、鈴がなる工夫も。和田神社 寺・神社・教会
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イチオシ
和田神社前の壁に「ようこそ 兵庫津の道」というきれいなモザイク画がありました。
兵庫津の道というのは兵庫区の名所を巡る散歩道で、今回はその一部を歩きました。 -
和田神社のすぐ近くの三石神社には、東京オリンピックで兄弟で金メダルを獲得した阿部一二三選手と阿部詩選手を祝う横断幕が掲げられていました。
たしかにお二人ともこの神社に参拝されていましたね。三石神社 寺・神社・教会
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三石神社は神功皇后所縁の神社で、境内には神功皇后像と、後に応神天皇となる赤ん坊を抱いた、武内宿禰の像が建てられていました。
三石神社 寺・神社・教会
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今回は地下鉄の和田岬駅を利用しましたが、JR和田岬駅はJR和田岬線の終点です。
和田岬駅 駅
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駅周辺には三菱重工や三菱電機の工場があり、利用者も工場関係者が多いので、列車の運行は時刻表の通り、朝と夕方に集中していて、昼間の運転はありません。
和田岬駅 駅
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三菱重工神戸造船所の建物。
高い時計台とその上にはためくスリーダイヤの旗が印象的。 -
ここからは長田の街歩きツアーです。地下鉄海岸線の駒ヶ林駅からスタートです。
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まずは商店街めぐり。長田地区にはほんとうにたくさんの商店街が縦横に走っています。(西神戸センター街)
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本町筋商店街。
新長田本町筋商店街 市場・商店街
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ろっけんみち商店街。
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阪神淡路大震災の映像で、長田地区の建物が煙を出している場面がよく出ていましたが、長田地区内でも、まったく火事にあわなかったところもあり、古い建物も結構残っていました。
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もちろん、震災後、再開発で新しく建てれらたショッピングモールもあります。
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駒ヶ林の商店街は三国志押しです。新長田が鉄人28号なら、こちらは同じ横山光輝さんの三国志で行こうということでしょうか、あちこちに三国志の登場人物の像がありました。
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地下鉄の駅にも三国志。
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丸五市場は昭和レトロな商店街、コロナ前はナイト屋台というイベントがとても人気だったそうです。ミャンマー、タイ、ネパールなどアジア料理の店もあり、実際、長田は外国人が多いそうです。
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古い商店街ですが、震災でも、倒壊を免れました。
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シャッターが出っ張っているところがありますが、商品台とかをそのまま収納しているからだそう。
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イチオシ
この鉄骨造りの柱、実は電信柱。神戸でも、長田区(兵庫区にもあるらしいですが、見てないのでほんとのところはわかりません。)に残っている、珍しいもの。
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旧二葉小学校の校舎はアーチデザインの立派な建物です。小学校自体は統合されましたが、校舎は地元の人の熱意もあって、ふたば学舎として、様々な用途に使われています。
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入り口部分もアーチ。
かつての校庭は公園になっています。 -
校舎内部の廊下の様子。
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階段。
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講堂の天井は格天井でした。
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古い門柱も残っていました。
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長田区の中でも海に近い駒ヶ林地区は、特に歴史が古く、戦災の被害を免れ、震災の影響はあるものの、古い区割り、町並みが残り、その歴史を今に伝えています。
古くは神功皇后がこのあたりで船が進まなくなり占いの結果、長田神社を創建したという話が日本書紀に載っているそうです。コマガバヤシという地名も、「高麗=こま」の船が出入りしたことからついたと言われ、南北朝時代、足利尊氏が駒ヶ林付近から上陸して湊川合戦に赴いたそうです。 -
駒ヶ林の街並み。
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狭い路地が縦横に走ります。
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イチオシ
舗装していない道。私道なのかな?
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駒ヶ林の古い町並みから長田区の新しい町並み(マンション)を望む。
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古い町屋。
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現在はオフィス&カフェとして利用されており、
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内部を見学させてもらいました。
この建物は何と幕末のものだそうです。 -
漁港に近い一軒の家。
一見すると普通の家みたいですが、 -
イチオシ
玄関を見ると、ただ者ではない雰囲気。
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イチオシ
裏手には立派な和風の門が。
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ここは角野邸といって、昔網元だった角野氏が迎賓館として建てた建物です。
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現在は改修されて、アートの展示スペースなどとして、活用されています。
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角野邸は大正年間に建てられたもので、和洋折衷になっています。
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廊下はヒノキの一枚板。
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欄間は桐に漆塗り。
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床の間。
全体的に、派手さはありませんが、よい材質が使われています。 -
イチオシ
琵琶床もありました。
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イチオシ
風通しがよさそう。
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洋室もあります。ガラス窓やドアの取っ手がレトロ。
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角野邸を出るとそこはすぐ海、漁港が見えます。
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漁船がたくさん並んでいます。
今でもここでは漁業が盛んで、リッチな方が多いとか。 -
大正時代に建てられた公会堂の建物が現存。当時のこの地区の繁栄ぶりが偲ばれますね。
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右の建物は後の増築。
長田の街歩きはこれで終了です。 -
地下鉄海岸線に乗り、中央市場駅で下車して神戸市・兵庫区にやってきました。
大輪田橋 名所・史跡
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大輪田橋という立派な橋がありました。大輪田というのは奈良時代からあった大輪田泊という港で、交通の要衝でした。
大輪田橋 名所・史跡
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右手には運河と水門が見えます。
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橋を渡って少し歩くと、兵庫住吉神社が鎮座しています。
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神社の前に、清盛塚、平清盛像、琵琶塚があります。
清盛塚 ・ 琵琶塚 名所・史跡
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清盛塚は平清盛のお墓であると伝えられてきましたが、大正12年の調査で、墳墓ではないことがわかりました。
しかし、鎌倉時代建立の古いものであることは確かみたいで、やはりこの地域の歴史を感じました。清盛塚 ・ 琵琶塚 名所・史跡
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琵琶塚は、清盛塚と道を挟んであった琵琶の形をした塚が、その形から、琵琶の名手であった平経正(平敦盛の兄)と結び付けられて彼の墓と信じられていました。そして、明治の世になって、有志が琵琶の形をした石碑を建てたものです。
塚そのものはなくなって、石碑だけが残っています。清盛塚 ・ 琵琶塚 名所・史跡
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清盛塚を見学して後戻りをして、先ほど見た水門の向こうにあるキャナルプロムナードへ。
プロムナードの反対側は運河を挟んでイオンモールが建っていました。キャナルプロムナード (兵庫運河・新川運河) 名所・史跡
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この付近には戦国時代、池田恒興が兵庫城を築城し、江戸時代には尼崎藩に組み込まれましたが、後、兵庫津一帯は天領となり兵庫勤番所が置かれました。明治時代初期にはその勤番所が初代兵庫県庁となりました。
今は遺構はほとんどなく、石碑だけが建っていました。兵庫城跡 名所・史跡
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兵庫大仏で有名な能福寺にやってきました。
能福寺 寺・神社・教会
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現大仏は平成3年に建てられた新しいものですが、初代は明治24に建立。奈良や鎌倉の大仏のように歴史がないので、今まで足が向かなかったんですが、明治時代にできたのにはやはり理由があるようで。明治時代、廃仏毀釈やキリスト教布教など、危機感を持った仏教界・仏教徒が総力で建てたものだそうです。
能福寺 寺・神社・教会
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本殿は、歴代の皇族の墓所として知られる京都東山月輪御陵の拝殿を九条家より拝領し移築したものだそうです。
能福寺 寺・神社・教会
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