2023/10/11 - 2023/10/18
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j3matuさん
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この旅行記スケジュールを元に
西遊旅行社さんの「王の道が貫く砂漠の国ヨルダン8日間」のツアーに参加しました。旅全体の概要は旅行記①で紹介させていただいているので、ここでは省略させていただきます。また、ペトラ遺跡の歴史についての簡単な説明は旅行記②の「概要」に記載しています。興味がある方はご参照ください。
この旅行記③では、ツアー3日目(2日目まではほぼ移動だったので、本格的な観光はこの日からですが)のペトラ遺跡観光の午後の様子を紹介させていただきます。午前中の観光はペトラ遺跡のメインストリート沿いにある主だったところを巡りました。(旅行記②) その後、The Basin Restaurantで昼食をとり、エド・ディルという山の上にある遺跡に向かいます。エド・ディルを堪能した後は、ビザンチン教会、王家の墓を見て、ホテルに戻ります。その後、近くのペトラ博物館に行ったり、夕陽を見に行ったりしました。
ペトラ遺跡内での総歩行距離 15km
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ツアー3日目。朝8:00にホテルを出発して、ペトラ遺跡の見どころ、シーク、エル・ハズネ、ローマ円形劇場、大神殿、カスル・アル・ビントなどをガイドのモハマドさんと共に見てまわりました。(旅行記②)
そして、11:00にThe Basin Restaurantに到着しました。The Basin Restaurant はペトラ遺跡内にある唯一のレストランです。(軽食を食べられるカフェなどは他にもあります) そのため非常に混雑するようで、添乗員のNさんから「まだビュッフェの用意ができていないようですが、スタートしたらすぐに取りに行ってください。でないと、大変なことになりますから。」と散々脅されました。The Basin Restaurant 地元の料理
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11:18、ビュッフェがスタートしたので、脅されていた私たちは急いで取りに行きました。一番乗りです(笑)
遺跡の中のレストランですが、種類は豊富です。私たちが宿泊しているペトラゲストハウスが経営しているレストランなので、味も美味しかったです。 -
ホテルと同じようなメニューなので、ほとんど一度食べたことがあるラインナップになりました。
初めて食べたものは、左の皿のお菓子だけ。ココナツファインの焼き菓子で、ザクザクした食感がおいしかったです。 -
食事を終えた人から自由行動になるので、ササッと食べて、11:40にエド・ディルという建造物があるところに向かいます。ここからは単独行動です。
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なぜここから自由行動になるかと言うと、エド・ディルは山の上の方にあって、なかなかハードな道のりになるからです。当然行かないという選択をする人もいますし、行く人の中でも歩き慣れている人かどうかでペースも変わってきます。
シンドイというクチコミを山ほど見たので、私もエド・ディルのためだけに日本から愛用のトレッキングポールを持ち込みました。昨日使用した三脚やヘッドライトといい、このトレッキングポールといい、死海で使う予定の水着、アクアシューズといい、今回の旅行では一度きりしか使わないグッズが多く、スーツケースを圧迫しました。 -
20分ほど登っただけで、この眺め!
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自分の足でエド・ディルに行く自信がない人は、ロバに乗るという選択肢もあります。しかし見ていると、ロバもズリッと足を滑らせたりしているので、乗っている方が怖いのでは…? ましてや、不安定なロバの背に乗り急坂を下るなんて、どんな罰ゲームなん?と、見てて恐れおののきました。
ちなみに、このロバくん達のおかげで、エド・ディルへの道はフンだらけ。足の置き場を考えながら登ることになります。私の場合はそれに加えて、トレッキングポールの突く場所も。 -
12:16、広い平地が見えてきました。ここまではずっと上りだったのですが、ここから下り坂。「せっかく登ったのに、今度は下るんかいっ」と心の中で悪態をついていたのですが…ご安心ください。ここを下った所がゴールでした。
片道1時間くらいと聞いていたのですが、30分ちょっとで登ることができました。私の勝手な推測では、ベイジンからここまで標高差が300mないくらいじゃないかなぁと。途中少しだけ滑りやすいところもありますが、基本きちんと整備された道です。登山の難易度としては高尾山より少し楽といったレベルでしょうか。「観光」と思えばシンドイけど、「登山」と思えば軽いといった感じです。
しかし、それはあくまでも山の難易度の話です。そこに「暑さ」という条件が加わると、話は変わってきます。この日の最高気温は26度前後くらい。乾燥しているので日陰は涼しいのですが、日なたは陽射しがとてもきつかったです。エド・ディルまでの道のりはほとんど日陰がないので、山としての難易度が低いわりには体力を消耗しました。油断すると熱中症になりそうだと感じたので、頻繫に水分を補給し、塩分チャージしました。エド・ディルまでの登りだけで、水は500~600ccほど飲んだかな?
26度くらいでこの有様なので、真夏の40度越えの時にはどうなることかと考えるだけで恐ろしいです。真夏に行く人はくれぐれもお気をつけください。 -
坂を下って、右後方を振り返ると、エド・ディル!
エル・ハズネよりシンプルな装飾ですが、スケールは段違いに大きいので、威風堂々としています。
エド・ディルはナバテア最後の王、ラベル2世が先王のオボダス2世を祀るために1世紀半頃に建てられました。エド・ディルの前には平らに削った広場があり、そこに人々が集まって神格化したオボダス2世を称えたと言われています。エド・ディルは修道院と言う意味ですが、これは後のビザンチン時代に教会として使用された経緯からつけられたようです。エド ディル 史跡・遺跡
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内部も美しい!
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エド・ディルの前で同じツアーのMさんに会ったので、撮っていただきました。いつも一人旅が多いので、自分の写真は貴重です。足元、砂ぼこりで真っ白!
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広場の端には"Best View"の案内板。Мさんと行ってみることにしました。
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ベストビューポイントは2か所。旗が立っているところだと思います。
下の写真の方に向かってみたのですが、ベストビューポイントのすぐ手前は急で滑りやすそうな階段で、ちょっと危険かなと判断して、やめておきました。まだ旅の前半ですし、無理は禁物です。 -
ベストビューポイントまで行かなくても、途中からでもなかなかの眺め。エド・ディルが山の中にめり込んでいるように見えます。
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そして、山の裏側の方に回り込むと、こんな素晴らしい眺めが! 足元には深い渓谷があり、遠くの山々も見ることができます。
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このような墳墓っぽいものもありました。
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この辺の砂は赤くて細かいです。
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黄色い花が咲いていました。なんて花かは分からないけど、キク科っぽい感じです。
私はエド・ディルの後、モザイクが綺麗なビザンチン教会や、ナイスビューも楽しめる王家の墓に寄るつもりだとMさんに話すと、Mさんも興味を持ったらしいので、この後も一緒に回ることになりました。 -
12:35、エド・ディルから下山開始です。ほぼほぼ歩きやすい道なのですが、時々こんな感じのところがあって、そこは滑りやすいので、ゆっくりと慎重に…。
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13:00過ぎに下山して、昼食を食べたレストランの辺りから小高い丘に向かう道を行きます。右方には行きに通って来た柱廊通りが見えます。
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午前中に観光した大神殿も見えます。全体像はこんな感じだったんですね。
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下方に見える賑やかな柱廊通りと比較すると、私たちが歩いている小高い丘の道は人が少なめ。でも、時々馬車がすごい勢いで飛ばして行くので注意が必要です。
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大神殿を正面から。
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柱廊通りの向こうには王家の墓。
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あ!トカゲがいました。めっちゃ素早い動きだったのですが、奇跡的に激写。
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この白い屋根のところがビザンチン教会です。遠くからはこの屋根が目印となって場所が分かりやすいのですが、近くなると丘の斜面で見えなくなって、道を見失いやすいです。ちょっとだけ遠回りしましたが、無事にたどり着きました。
ビザンチン教会は、ビザンチン時代の西暦530年頃に、元はナバテアの建物だったところを教会として改修して作られました。しかし、すぐに火事で焼失しまい、その後の地震で地中に埋まっていたところを発掘されました。ビザンチン教会 史跡・遺跡
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そのため、こんなに美しいモザイクが綺麗に残されています。とても状態の良いモザイクです。ユーモラスな動物の絵が多いですね。私たちが訪れたときは誰もおらず、二人で静かに鑑賞することができました。
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ビザンチン教会を後にして王家の墓に向かうのですが、そういえばビザンチン教会のある丘と王家の墓の間には大きな谷があったような…。このまま突き進んで、直接行けるのかなぁ? それとも、一旦柱廊通りに出て、サンドボトルのお店があった辺りまで戻らないといけないのかなぁ? と迷いながらも、取り敢えず突き進んで行くと…
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谷にはちゃんと橋がかけられていました。
大きな遠回りをせずに済んだのは喜ばしいのですが、この橋が怖すぎた!
めっちゃ、透けてるっ! -
写真では伝わりませんが、この谷が本当に深いのです。こんな深い谷に、こんな簡易過ぎる橋で大丈夫なのかっ!?…と泣きそうな気分でなんとか渡り切りました。
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ビザンチン教会(白い屋根)を振り返って。
あ、今気がつきましたが、この写真のビザンチン教会の右端(矢印のとこ)に、私が行きそこなった「青い教会」が写っていました。青い教会には、珍しいエジプト産の青い花崗岩から作られた円柱があって、それがとても美しいのだとか…。あまりガイドブックには大きく取り上げられていないので、今回の旅では知らずにスルーしてしまいました。帰国してから存在を知って、とっても残念! これからビザンチン教会に行く人は、良かったら寄ってみてくださいね。私もいつかリベンジできればいいなぁ。 -
写真を引き伸ばしてみました。画像が悪いのですが、確かに円柱が青みがかった色をしているのが見てとれますね。
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13:43、王家の墓の「宮殿の墓」に到着。
王家の墓は、紀元前1世紀前後に作られた5つの墓(墓かどうかは定かではない)の総称で、ペトラ遺跡の中でも規模が大きく、個性的な墓が並んでいるところです。5つの墓のうち、1つだけ少し離れていますが、残りの4つはほぼ横並びです。
この宮殿の墓は、王家の墓の中で一番大きく、装飾も手が込んでいるので、墓ではなく、宮殿だったのではないかと言われています。王家の墓 史跡・遺跡
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宮殿の墓は立入禁止のようで、この段から上には上がれないように、階段が封鎖されていました。だから、ここから眺めるだけですね。
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見上げて。
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自然が作った地層の紋様と人工的に作られた装飾が合わさって、本当に美しいです。
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次は宮殿の墓の右隣にあるコリント式の墓。
エル・ハズネと同じフォルムをしていることから、同時期に建てられたものではないかと推測されています。 -
風化が激しいですが、それが独特の風合いを醸し出しています。
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コリント式の墓の前からの眺めは素晴らしい! 柱廊通りの周辺が一望できます。
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更に右隣のシルクの墓です。
王家の墓の中では、ファサード(建物の正面)の模様が最も美しいとして、別名、虹の墓とも呼ばれています。 -
ここは建物の中に入れたので、中から外を覗いてみました。こういう構図、好きなんです。
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最後に壺の墓ですが、こちらは少々高いところにあるので、長い階段を登らねばなりません。とはいえ、とてもきちんとした階段なので、特に難しくはありません。
スタスタと前を登って行くのは、ご一緒していたMさん。毎日走っているというだけあって、とっても健脚です。 -
階段を上がったところにある平地から壺の墓を撮影。スケールが大きいので、もっと後ろに下がって撮影したいところですが、これが限界。なぜなら…
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壺の墓の前には何も柵がなくて、この高さなのです! 遺跡、ほぼ一望できてるし。下にいる人々は米粒程度にしか見えないし。カメラ構えて後ろに下がったら、ストーンと落ちてしまいそうで怖い…。
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壺の墓には可愛い住人がいました。高いところに住んでいるので、写真が上手に撮れませんでしたが、矢印のところに鳥さんが写っています。頻繁に出入りしていました。
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壺の墓は建物の内部にも入れます。砂岩の綺麗な模様が印象的です。
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また、中から外を覗いてみました。
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こちらも。
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王家の墓全体が分かる写真は午前中に撮ったものしかなかったので、参考用に引っ張ってきました。
左の端から宮殿の墓、コリント式の墓、シルクの墓、壺の墓になります。 -
壺の墓の階段を下りて、シルクの墓とは反対側の方に下りて行きます。この辺の岩窟もすごい!
そして、しばらく歩くと、午前中に休憩をしたカフェの近くに出ることができました。そこからは朝来た道を通って、出口に向かいます。 -
14:17、エル・ハズネに戻って来ました。
エル ハズネ 史跡・遺跡
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馬に乗ったポリスマン達。かっこいい!
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陽は当たっていませんが、この時間の方が朝より薔薇色に見えますね。
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エル・ハズネともお別れ。
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14:53、ホテル近くに戻って来ました。登山アプリで歩行距離を測定していたのですが、全部で15kmほど歩いてました。
Mさんはこのままペトラ博物館に行くそうです(タフ!)が、私は一刻も早く汗や砂ぼこりを洗い流してサッパリしたかったので、一旦ホテルに戻ることにしました。 -
この青いお花は、ヨルダンのあちこちで見かけました。ルリマツリかな? 日本では夏に咲く花ですが、ヨルダンではこの時期に咲くのですね。
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シャワーを浴びてスッキリして、15:45、再びお出かけします。宿泊しているホテル、ペトラゲストハウスのケーブバーです。
こちらのケーブバーは、2000年前のナバティア人の岩窟墓を利用したバーだというので、ぜひ行ってみたかったんです。ペトラ ゲスト ハウス ホテル
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おぉ~、雰囲気バツグン!
バーにしては早い時間でお客も少ないせいか、自由に席を選ぶことができました。特等席みたいな個室で、独り占めして申し訳ないくらい素敵です。 -
個室からの眺め。
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まだ夕方だし、アルコールはなしでアイスクリームをオーダー。サービス料込みで8USDくらいでした。アイスクリームにしては高いですが、まぁ、雰囲気代ですよね。
ヨルダンではお酒は高級品になります。レストラン等ではソフトドリンクが5USDくらいで飲めるのに対し、グラスビールは15USDくらいかかります。価格は確認しなかったのですが、たぶんケーブバーでお酒を飲んでも結構かかるかと…。
ケーブバーの営業は15時からで、お酒を飲まなくても、アイスやケーキ、ソフトドリンクなどもあります。メニューはQRコードを読み取って見る方式でした。 -
16:06、ホテルからすぐのところにあるペトラ博物館にやって来ました。
ペトラ博物館はペトラ遺跡の入口付近、ビジターセンター前にある博物館です。日本のJICAの協力のもと2019年に建設されました。それに伴い、かつて遺跡内にあった博物館は閉鎖され、そこでの収蔵品もこちらに移されています。
日本が資金協力したわりには、館内の説明文は英語とアラビア語で、日本語対応していません。まぁ、翻訳アプリを使えば苦もなく読める時代になりましたが、もっとおすすめのものがあります!
実は、ペトラ博物館アプリなるものがありまして、こちらの方は日本語対応しています。しかも、主要な展示品についてのみではありますが、館内の説明書きよりももっと詳しく解説されています。興味のある方は事前にダウンロードしてから行くといいと思います。 -
奥はテラコッタの水道管です。紀元前1世紀頃のものです。今日見てきたシークの水路などに敷設されていました。
手前のはもっと時代が進んだものですかね。 -
紀元前8~7世紀頃の香炉です。ナバティア王国以前のエドム王国のものだそうです。上の部分が平になっていて、そこで香を炊くようです。側面には野生のヤギの仲間アイベックスを矢で狩ろうとしている姿が見られます。
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ナバテアの女神ハイヤーンの石板。紀元後1世紀前半頃のもので、ペトラ遺跡の有翼獅子神殿の壁龕(へきがん)にあったものだそうです。
今日見たシークの壁龕もそうですが、ナバテア人は壁龕にこのような神をかたどった石板を置いて、祈りを捧げていたようです。 -
ナバティアの至高神ドゥシャラーの胸像。紀元後1世紀頃のもの。
元々はペトラ周辺に広がるシャラ山地の神でしたが、ギリシャ文化が入ってきたことにより、ギリシャ神ゼウスと同一視されるようになり、髭をたくわえた男性像で表現されるようになりました。 -
美しい装飾品の数々。ピアスが重そうですね。
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細かな彫刻がほどこされた柱頭。
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ザクロの花の彫刻。ヨルダンではザクロをモチーフにしたものが本当に多いです。
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獅子の意匠の衣装? (くどい?)
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女性形のスフィンクス像。
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個人的にはこれがすごく気になりました。鳥人間?
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ナバテア人の土器。
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ナバテア文字の碑文。
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紀元後170~210年くらいの壺。トルコ中部のフリギュアでしか産出しない特別な大理石で作られています。紀元後106年にナバテア王国はローマ帝国に併合されていますが、ローマ帝国に支配された後もペトラが裕福であったことがこの壺からも分かります。
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16:30過ぎに博物館を出て、一旦ホテルに戻ります。
色鮮やかなジャカランタ。 -
赤い花も咲いています。
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これも別の赤い花。
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ボンボンみたい!
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17:54、夕焼けの時間を見計らって、早朝散歩で見つけたナイスビューポイントに来てみました。ちょうど良いタイミングでした。
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陽が沈む山の右方はこんな感じ。山肌は白く、空は薄いピンク色に。
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反対側の山は、夕陽を浴びて、赤く染まっています。
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もうすぐ沈みます。
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沈み切った時にパッと明るく光る、この瞬間が好き。
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なんか絵になる。
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近くの公園から、賑やかな声が聞こえてきました。もう18時をまわっているのですが、こんな時間に子ども達が遊んでいるなんて驚きです。日本だとちょっとないですよね?
楽しそうなので、ちょっと行って見てこよう。 -
女の子やお母さん(?)達の衣装が素敵なので、写真を撮らせてくれるようお願いしたら、快く応じていただけました。
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子ども達からは更なる催促。「撮って、撮って~」
撮ったら、「サンキュー」とお礼を言われてしまいました。いえいえ、こちらの方が「サンキュー」です。人懐こい母子達にほっこりさせられました。 -
もう日が暮れますね。
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街にもチラホラ灯りがつき始めています。
ホテルの夕食が18:30からなので、そろそろ帰らないと…。 -
ペトラ博物館の隣の芝生では、現地のご家族などがたくさん集まって、それぞれピクニックのように飲食をしていました。中にはBBQしているグループも。
日が沈んで涼しくなった頃に外に出て、ごはんを食べるみたいな習慣があるのでしょうか?
それにしても、皆、人懐こい。「写真を撮らせて」とお願いすると、めっちゃポーズを取ってくれます。 -
18:30、ホテルに戻って夕食です。
このツアーの夕食は全日、宿泊するホテルでのビュッフェでした。昨日は食欲がなく、料理の写真をあまり撮らなかったので、今日はしっかりと撮影します(笑)
こちらは前菜コーナー。
ホテルビュッフェはどこも種類が豊富で、ずっとビュッフェでも最後まで飽きませんでした。どこのホテルビュッフェでも、昼のレストランでも、必ず前菜にフムス(ひよこ豆のペーストに味をつけたもの)は出てきました。日本でもフムスを食べたことはありますが、日本で食べたものより美味しかったです。
また、どこに行っても、野菜と果物が豊富で、おいしい! 女性陣に大好評でした。ペトラ ゲスト ハウス ホテル
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私が取った前菜のプレート。
シーフードは多分ヨルダンと関係ないかと思いますが、好きなのでつい取ってしまいました(笑)
ムール貝とスモークサーモンの間にあるのがフムス。
一番手前にあるパセリとトマトのサラダが美味しかったです。タッブーレというサラダだと思います。 -
メインのコーナーには蓋がかかっていたので写真はありません。私が取ったプレートだけ。残念ながら、今夜は羊肉が見当たらなかったので、ローストチキン(左)とビーフ(右)を取ってみました。ヨルダンではあまりビーフの料理を見かけることがなく、あってもあまりおいしくありませんでした。これも今いちです。
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そして、ペトラゲストハウスはデザートが充実!
どれにするか迷っちゃう… -
欲張っちゃいました! アラビアっぽいものを中心にチョイス。焼き菓子も好きだし、ナッツも好きだし、この国のお菓子はとっても口に合います。
写真に撮り忘れましたが、実はこの後、桃も食べました(食べ過ぎ!)
見た目は日本の白桃に似てるけど、中はプラムみたいな桃でした。白桃よりもサッパリしているので、甘いデザートの口直しにはぴったりでした。
今日はたくさん歩いたし、お腹もいっぱいになって、ぐっすり眠れそうです。
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