2022/11/12 - 2022/11/12
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岳人28号さん
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この旅行記のスケジュール
2022/11/12
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電車での移動
→JR伯備線・備中高梁駅(10:12)
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徒歩での移動
備中高梁駅(10:15)→紺屋川(10:30)
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徒歩での移動
武家屋敷旧折井家(10:53)→備中松山城登城口(11:02)
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徒歩での移動
登城口(11:02)→中太鼓櫓跡(11:30)→大手門跡(11:41)
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徒歩での移動
二重櫓(12:03)→相畑(12:13)→天神の丸(12:20)→大池(12:30)
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徒歩での移動
大池(12:30)→大松山城跡(12:34)
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大松山城跡で昼食休憩
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徒歩での移動
大松山城跡(13:10)→大池→大松山つり橋(13:17)
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徒歩での移動
大松山つり橋(13:17)→城見橋駐車場(14:13)→中洲公園(14:32)
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中洲公園
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徒歩での移動
中洲公園(14:54)→御前神社(15:03)→順正記念館(15:14)→備中高梁駅(15:31)
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この旅行記スケジュールを元に
2022年11月中旬、紅葉が見ごろになった備中松山城に行きました。紅葉は大手門跡や天守閣付近がとくに見事でしたが、さらに奥のほぼ自然の森といった感じになっている大松山城跡などでも、鮮やかな紅葉が見られました。下山後に立ち寄った中洲公園や御前神社も穴場的紅葉スポットでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR伯備線・備中高梁駅に到着。
備中高梁駅 駅
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石造りの水路になっている紺屋川。桜が多いですがカエデの木もあります。
紺屋川筋 名所・史跡
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紺屋川沿いにある高梁基督教会堂。明治22年に建てられた岡山県内現存最古のキリスト教会で県指定史跡です。
高梁基督教会堂 寺・神社・教会
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教会は9時から17時までの間(ミサがある日曜午前を除く)自由に拝観できます。
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並んでいる長椅子なども古く年季の入ったものばかりで歴史を感じます。
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大きくて分厚い聖書は持ち運ぶのが困難だからか壇上に設置されたままになっています。壇上には上がらないよう注意書きがしてありました。
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入口付近の階段を上がると
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上から見ることができます。
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上は物置になっているようです。
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こちらも紺屋川沿いにある藩校 有終館跡。今は市立高梁幼稚園になっています。
藩校有終館跡 名所・史跡
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紺屋川沿いの通りから踏切を渡って伯備線の線路の東側に出て北へまっすぐ行くと武家屋敷通りです。
石火矢町ふるさと村 名所・史跡
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映画「男はつらいよ」第8作のロケ地になった場所もあります。
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門前に展示されている当時(昭和46年)の写真ではひび割れが見られた土塀が、今は白くきれいに塗られていて、さすがに50年以上前の景観のままというわけではないようです。
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ロケ地となった家は民家で中に入ったりはできませんが、隣にある武家屋敷 旧埴原家は有料で見学可能です。
高梁市武家屋敷 旧埴原家 名所・史跡
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見学可能なもう一軒の武家屋敷 旧折井家。
高梁市武家屋敷 旧折井家 美術館・博物館
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武家屋敷通りの突き当たりにあるのが県立高梁高校。備中松山藩の政庁である御根小屋の跡地に建てられており、敷地内には一時期備中松山城主だった小堀遠州が作った庭もあるそうです。
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右折して川沿いに坂を少し上ると備中松山城の登城路への案内板があります。
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案内板にしたがって小川に架かる小さな橋を渡り山に向かいます。城門があったのでは?と思わせるような配置の石垣が橋を渡ったところにありますが、そういう案内板などは見当たりません。
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少し上がったところに三島中洲旧宅 虎口渓舎跡の石碑と案内板があります。山田方谷の弟子で藩校有終館学頭に就任した三島中洲が藩から与えられた邸宅の跡地らしいです。中洲が邸宅内に開いた私塾 虎口渓舎は、他藩からも集まった60~70人の塾生がいたそうです。かなり規模の大きい私塾といえます。
明治5年に中洲が新政府に召されたことにより虎口渓舎は廃されましたが、明治10年に中洲は東京で二松学舎(現・二松学舎大学)を開いています。 -
備中松山城への登城口。ここはカエデがたくさんあって紅葉がきれいです。
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備中松山城のある臥牛山一帯は臥牛山自然植物園になっています。植物を人工的に植栽して展示しているふつうの植物園と違って、ここは樹種豊富な天然林が残っているため自然公園として保護されているというものです。
臥牛山自然植物園 公園・植物園
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登城口から30分ほど山道を登ったところにある中太鼓櫓跡。本丸と麓の御根小屋との間で太鼓による通信をする際の中継点です。
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展望が開けています。
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櫓台の地面には瓦の破片がたくさん散らばっていました。
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中太鼓櫓跡から10分ほど歩いたところが大手門跡。聳え立つ天然の巨岩と融合するように高々と積み上げられた石垣が、鮮やかなカエデの紅葉に彩られて絶景です。
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大手門跡から石段を上がった三の丸の外側の山肌もカエデ林になっていて紅葉がきれいでした。
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厩曲輪の隅にも大きなカエデの木があります。白塗りの土塀は大手門跡から見上げた石垣の上部にあったものです。最奥が江戸時代から現存している土塀で、それより一段低くなっている土塀は復元された部分です。現存部分と復元部分を区別するため、わざと段差をつけているそうです。
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黒門跡から二の丸へと通じる坂の脇に四の平櫓跡や公衆トイレのある御前棚があり、そちらも紅葉がきれいです。二の丸の広場には登ってきた観光客が大勢休憩していました。
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天守閣のある本丸は有料(500円)なので今回はスルー。
備中松山城 名所・史跡
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本丸の脇を通る道の天守閣付近はカエデがたくさんあります。
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天守閣のすぐ裏にある二重櫓。天守閣とともに国の重要文化財に指定されています。天然の岩の上に石垣を積んで土台にしているのが特徴です。
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堀切に架かる木の橋を渡って、さらに山の奥に進みます。
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あちらこちらに紅葉しているカエデが見られます。
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相畑城戸跡。建物などはありませんが国指定史跡となっているエリアのひとつです。戦国時代の備中兵乱の古戦場でもあります。
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臥牛山の最高地点(標高480m)にあたる天神の丸。江戸時代を通じて城主の信仰を受けていたとみられる天神社の遺構があります。ここも国指定史跡エリアで備中兵乱の古戦場です。
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天神社の手水鉢。
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こんもりとした丘に石段があり、その上部が天神社の社殿跡です。
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森の巨人100選のひとつだった臥牛山のアベマキ。幹の周囲4.7m、樹高30m、推定樹齢350年。残念ながら枯死したため切り倒されています。臥牛山ではこれに匹敵するような巨木をいくつも見かけます。
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石垣でつくられた大池。ここも国指定史跡エリアです。発掘調査により地下4mの位置に池から外部に水を引くためのものとみられる木樋(いつの時代のものかは不明)が埋設されていたことが確認されています。平成30年3月の発掘調査現地説明会資料のプリントが、防水加工された状態で現地に掲示されていました。
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鎌倉時代の延応二年(1240年)に秋庭三郎重信が築城したと伝えられる大松山城跡。臥牛山で最初に城が築かれたところで、国指定史跡エリアです。
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ところどころで色鮮やかな紅葉が見られます。
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公園や庭などと違って天然林なので、カエデの紅葉はところどころで見られるだけですが、それだけに紅葉を見つけたとき特別感がありますし、樹木の勢いが公園や庭に植えられているものとは違う気がします。
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大松山城跡は巨木が多いエリアでもあります。二抱えはありそうな巨木をあちこちで見かけます。
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こちらはフユイチゴ。晩秋から初冬にかけて実がなる木いちごの一種で食べられますが、実が小さすぎてあまり食べ甲斐はありません。
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大松山城跡から大池まで戻って別の道を進むと大松山つり橋。
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橋からの眺め。
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何年か前に来たときは反対側が施錠・閉鎖されていましたが、今回は開いていて向こう側に渡れました。
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振り返って見た大松山つり橋。
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坂を登りつめたところに道標があり、車道がここまで通じています。
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しばらく林道のような幅の広い道を進み
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途中の分岐から城見橋駐車場への下山路に入ります。
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整備された道ではなく、木に巻かれたビニールテープの目印をたどって行く感じです。
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ムラサキシメジでしょうか?ムラサキシメジなら食べられるキノコです。
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鉄板の橋を渡り
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広い道に出ると
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少し歩けば城見橋駐車場に到着。
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駐車場から坂道を下っていると途中に小さなお堂があり
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ほぼ首だけのお地蔵さんが安置されていました。
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駐車場への道路が通っている小さなコンクリート橋が城見橋。
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城見橋駐車場から坂道を下りた先の川沿いに中洲公園があります。公園の名前は三島中洲からとられています。
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鮮やかなカエデがたくさんあるのに誰もいない穴場的紅葉スポットでした。
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人工的な滝も造られているようでしたが水は止められています。
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ぱっと見は立派な東屋ですが、イスの表面にゴミや汚れが目立ち、快適な休憩場所とはいえません。
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小さな水車小屋がありましたが水車は動いてません。水路に水が流れていないようです。
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山田方谷の家塾 牛麓舎跡の碑。三島中洲はここで学んだ弟子の一人です。
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御前(おんざき)神社の石鳥居と鐘楼。代々の備中松山城主が城の鎮守として尊崇した神社で、鐘楼には慶安四年(1651年)に松山藩主水谷勝隆公が奉納した時鐘がありましたが、第二次大戦のとき供出されたそうです。
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拝殿手前の駐車場の脇の山際には鮮やかに色づいたカエデやイチョウが見られます。
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山際の通路は紅葉のトンネルのようになっています。
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順正記念館。明治28年に順正女学校の校舎として建てられ、その後女子寮などに使われていたもので、今はイベントスペース兼資料館となっています。県指定史跡です。
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備中高梁駅の東口まで戻ってきました。正面やや左の高梁国際ホテルのビル向こうの山の上に小さく備中松山城の天守閣が見えます。
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