2023/09/25 - 2023/09/28
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nao520さん
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ウズベキスタン旅行12日間。3、4日目 サマルカンド。
国慶節の休みに有給をくっつけてウズベキスタンへ。サマルカンドは1992年に訪れた事がありますが他は初めて。
ここ数年で観光政策に力を入れており随分と旅行しやすい国になったそうで、実際にその通りで入国から出国、市内移動などストレスはなかったです。
全て個人手配の一人旅。鉄道と宿のゲストハウスは事前にオンラインで予約。市内交通はYandex。各都市での個人ガイド、タジク1日旅行、ブハラヒヴァ間の長距離タクシーは行ってからアレンジ。だいたいゲストハウスで相談してなんとかなりました。
【1日目,9/24】北京→タシュケント (1515-2030) 中国南方
【2日目,9/25】タシュケント観光
★【3日目,9/26】タシュケント→サマルカンド鉄道移動と観光
★【4日目,9/27】サマルカンド
【5日目,9/28】サマルカンドからタジキスタン日帰り旅行
【6日目,9/29】サマルカンド→ブハラ移動 鉄道
【7日目,9/30】ブハラ観光
【8日目,10/1】ブハラ→ヒヴァ移動 タクシー
【9日目,10/2】ヒヴァ
【9日目,10/3】ヒヴァからカラ遺跡日帰り ガイドつき
【9日目,10/4,5】ヒヴァ→タシュケント→北京 ウズベクエア、中国南方
日程組む時に南のテルメズか西のヒヴァかどちらに行こうかと迷いましたが間接的に日本にいるウズベキスタン人3人にどちらがいいか聞いてもらったら3人ともヒヴァだということで即決でヒヴァに。彼らの観点からはテルメズ行っても何もないと。まあ、古代仏教遺跡と加藤の家はあるのですけど。
行程で皆迷うのはヒヴァに行く場合、どうまわるかですが私は東から西へ行くことを選択。悩むブハラ-ヒヴァは最初から鉄道ではなくタクシーに乗るつもりでした。100ドルまでは出すつもりでしたが実際は60ドルでうまく行けました。一人です。
時間におされるのは嫌なので余裕をもった日程と交通機関を選択しています。敢えて言えばブハラヒヴァのタクシー移動が六時間超かかるため朝移動せざるを得なくブハラの時間が足りなかった感あり。もう一日居たかった。
4都市それぞれ魅力あるところでしたが、後で気づくといちばん小さい町のヒヴァの写真が一番多かった。なお、土産物系は最終地で最も物価の安いヒヴァで購入。ヒヴァはクレカはほとんど使えないです。ウズベキスタンはどこでもUSDかスムのどちらでも支払い可。
2025年にはヒヴァに高速鉄道が開通する予定なのでそうなると断然便利になりますね。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国南方航空 ウズベキスタン航空
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ウズベキスタンに来て3日め。2泊したタシュケントのGurnalla Guest House。正午の電車なのでゆっくりと朝食をとる。とても居心地の良い宿だった。
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12:40発タシュケントからサマルカンドへ。チケットは事前にウズベキスタン鉄道HPから予約。基本的にサマルカンド行きのシャルク号、アフラシアブ号は北駅からの出発で、プリントアウトしたチケットにもそう書いてあるのだが、宿のオーナーと話をしていたら北駅は工事をするためこの1ヶ月間、全ての列車は南駅から出発することになったと教えてもらって事なきを得ました。本当に良かった。そのアナウンスはウズベキスタン鉄道のHPでロシア語で書かれていた。
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2週間前予約時にはシャルク号しかもう空きはなかった。これはカッコいいアフロシアブ号。
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値段が大して変わらないのでビジネスクラス。オンラインでは座席指定もできます。
駅へは30分前に着いていれば十分で、荷物検査が混むことはありませんでした。そもそも列車の本数が少ないからだと思います。出発前には満席。 -
車窓はこれと言って変わりのない大地が続くだけ。
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約3時間でサマルカンドへ。到着後は駅校舎には入らずに左手の脇に沿って駅構外へ。客引きを抜けて大通りに出たところでYandexでタクシーを呼ぶ。タシュケント空港でSIMカードを買うのを忘れずに。そうでないと旅がかなり不便になる。
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Rabat Butique Hotel. ホスピタリティの塊のようなゲストハウスで不満なところが全くない完璧なブティックホテルだった。
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この部屋は歴史ある古い建物を利用した部分にありその昔ブハラのEmirも泊まった事がある由緒ある部屋だという。この辺りは古いエリアで宿のあるブハラ通りはその当時のメインストリートだったという。
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歴史ある建物内部で当時ユダヤ人の主人が趣向を凝らしたため奥には小さなシナゴーグもある。
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ここも居心地のいい中庭で、お茶を飲みながら過ごすのが快適だった。スタッフが絶えず気にしてくれてお茶はまだいるかと尋ねてくれる。
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昼間は日差しが強く暑いので宿の中庭でゆっくりした後少し散策を。
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よく演出があるというのは知っていたが。レギスタン広場に人が集まって来るので今日はなんだろうかと。ピアノが置いてある。
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この日はなんとイタリアの作曲家、ピアニストのルドヴィコ・エイナウディの特別コンサートだった。まさかこんなところでエウナウディを聴けるなんて思ってもみなかった。この日にサマルカンドにいた人はラッキーだ。
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9時から始まり1時間弱で終了。
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翌日、朝食は歴史ある建物の中で。これに目玉焼きが来る。食べきれませんでした。
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今日はプライベートで1日ガイドを雇う。前日宿に紹介してもらった。歴史ある都市ではいろいろと背景なども知りたいためだいたい正規のプロガイドを雇います。ティムールの遺体が眠るグルアミールから。
早世した後継者である孫のためにティムールが建てた。ティムール自身は出身地のシャフリサーブスへの埋葬を望んだが中国遠征中に死亡したのが冬だったためシャフリサーブスへ移送する事ができすここに眠る。家系図などもある。
※ティムールはモンゴル系の一部族バルラス氏族であり、チンギスハーン次男チャガタイの子孫の領地の西部を乗っ取りかつ四方を制服して一代でもともとのモンゴル帝国の半分にもなる大帝国を作った。ティムールはモンゴル系だがチンギスハーンの子孫ではなかったのでハーンの称号は名乗らなかった。死後、北方モンゴルのジョチ家のウズベク人南下により1507年に滅ぼされたが、子孫のバーブルは北インドに逃げ込み、デリーに本拠を置いてインドムガル朝を建てた。これがムガル帝国の起源。ムガルはモンゴルのなまり。(岡田英弘著「世界史の誕生」より抜粋)
つまり、インドはティムールの後裔であり、さらに遡ると結局モンゴルに行き着くということ。 -
入り口で腰をかがめてこうやって撮るとうまくドームが入るんだと。
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正面は元々ゲートとして空いていたそうですが、ティムールの師を安置している位置の関係でそこを跨ぐことになりそれは不敬であるということで塗り固められたとか。
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頭蓋骨から復元したもの。ローカルの信心深い人たちはそんなことやめろと言ったそうですが、ロシアの考古学者、科学者たちにより復元。
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内部のこういう部分がオリジナルの石壁部分。ペンライトでさしてもらっている。
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よく見るといくつかこういう場所がある。
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Swastika 。この意匠は至る所で見つけられる。ナチスの鉤十字も同じ系統の意匠でそれで有名になってしまったとか。
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ゾロアスター教のシンボルである太陽とその周りの星
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アラビックの文字もそれぞれに意味がある。
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周りの一部の壁で使われているオニックス、この瑪瑙は上の方と下の方では材質が違いライトで照らすとわかるそうだ。
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これは石棺ではなく墓石が置いてある位置を表す。実際の棺はこの真下3メートルにある。ティムールのものは一番大きい目立つものではない。それは師のもので黒いのがティムールのもの。他にはティムールの後継者であるはずだった早世した孫のもの。
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四隅から真上を見上げて写真を撮ると綺麗だとガイドに言われる。
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黄金は3キロ使われている。
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暑い。
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ここのドームは最も精巧で綺麗だと思う。
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建物を出て右手に廻ったところにある小さいドアが実際の墓石が置かれている地下への入り口。写真がある。私が前回来た1992年はここに入ることができたが今は立ち入り禁止。その部屋を再現したのが向かいにあるのだが今は土産物屋でそれと知る由もない。
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次はレギスタン広場。1キロ程度の距離ですが何しろ暑いのでYandexで。値段は100円ぐらいかそれ以下。昼間は体力を消耗するので私はYandexを積極的に使いました。
1992年当時左のウルグベクメドレセはボロボロの半壊状態。右手は残っていた。見事に復元されていて素晴らしい。 -
左手ウルグベクのメドレセから。ティムールと共にサマルカンドでは何度も出て来る名前。ティムールの孫で君主であったが科学者、天文学者として知られる。彼も教壇に立った神学校、寄宿学校。右のミナレットは意図的に若干北側に斜めになって建てられている。正面のデザインは天文学者だったウルグベルグらしく青い星が意匠になっている。なお建物後方部分には一部ロシアによる砲撃の跡が残っている。後方に不自然にある窓はその穴を塞ぐために作られたもの。
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門を入ると広場。建物はフジュラという小部屋で1階は学問をする部屋で2階は寄宿舎。今は全て土産物。
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中には何世代も続いているタイル屋やカリグラフィの店などがあってそれを見たりしていると結構時間は過ぎる。タイルや装飾もそれぞれ意味があり説明を聞いたり休憩したりして平気で一時間はいたような気がする。
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正面一番左手の土産物と右手土産物屋の中に2階へ上がる細い階段がある。狭くて細いので滑って転げ落ちることもあるので、ガイドは団体客には紹介しないそうです。よってもって、8席程度しかないのに空きは比較的ある。左手の2階は手で入れるコーヒーで右手の2階はマシーンで入れるコーヒーだと。私は左手へ。小休止には丁度良い。値段もいい値段する。
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フジュラの中は見れるが全部土産物屋。
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次は正面のティラカミメドレセ。1660年建造なのでウルグベクメドレスより約200年も後なのか。
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中はゴージャス。
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黄金3-5キロ使用
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このアングルもおすすめ
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中には大きなスザニ売り場が。ガイドによると伝統的にはウズベクスタンの女子は家庭で子供の頃から刺繍を縫うことを始め18歳ぐらいで完璧にできるようになったらOKだと言われる。その過程を通じて集中力、忍耐力なども養われていくということも目的としているそうです。これは、ブハラ地域のスザニで特徴は柘榴の図柄。
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サマルカンド・オリジナルとしては基本的にこのゾロアスティックな太陽を中心とした柄(メダリオン)しかないそうです。その周りのギザギザ模様はサソリのハサミ部分。元々、ここのシンボルだったが、生き物などを描くことを禁止するイスラム時代に、それとわからないようにハサミだけにして書いたそうで、至る所で見かける。
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右手のシェルドルのメドレッセ。1636年建造。中は10分で終わり。ガイドによるとウルグベルグのメドレセで40ー60分、正面のメドレセは20分、この右手のメドレセに費やす時間は10分という時間の割り振りが多いそうです。
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そのメドレセの前にあるもの。これは何?と尋ねる。このメドレセを建設中にとある肉屋が、完成するまで労働者の食事を全て出しましょうと言った。毎日100人分を3食。結局完成するまでになんと14年もかかった。そんなにかかるとは思わなかったそうで。それでも彼はその言葉の通り負担し続けたのだが最後は貧乏になり亡くなった。その信心深さと約束を守ったことに敬意を示しここに葬られたという。
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ミナレットは別料金で上に登れます。
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昼食はビービーハニムモスクに行く途中誰もが通るイスラムカリモフ通りで。
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確かにこの柄もゾロアスター系だ。
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そういえばまだプロフ、(パロフという発音の方が近い)を食べていなかった。
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食事後は巨大なビビハーヌムモスク。あまりに大きすぎて写真に入りきれないです。何人かいた妻の名をとった名前。
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展示されていた写真の通り1992年当時ここは廃墟でした。30年すぎてよくここまで綺麗になったものだと感心します。
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ティムールの命によりこのモスクは一年というあまりに早い期間で作ったせいで内部構造が脆く、当時からレンガなどが落ちることもあり危険すぎて早々に使われなくなったそうです。今でも内部にはかなり大きな亀裂の入っている部分があります。
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これは、巨大なコーランが置いてある書見台。こちらの習慣では結婚して40日以内に妊娠しない場合にはこの台座の穴の部分をくぐると良いという言い伝えがある。ただ今は入れなくなっている。しかし、今でもその願掛けの習慣は残っていて台座をくぐる代わりにこの周りを願いながら3回回るそうで、私のガイドの奥さんもそのようにしたと。そのお陰で子供を授かる事ができたそうな。
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このレンガ積み。予想外に、色の深い下の部分は最近のもので、色の浅い表面にあるものがオリジナルのものだそう。
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この石はオリジナルの石。
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バザール
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サマルカンドでしか買えないお菓子ということで教えてもらった。他の都市では売ってないらしい。下に積んであるパッケージのもの。
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砂糖をボイルして底に残った部分のお菓子
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バザールの端の小道で売っていたもの。これは何かと? 揺籠の一種で生まれて間もない頃はこの上に寝かせて縛って置くそうです。お尻が当たる部分には穴が開いていてそこから排泄できるようにしてある。
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それで、ガイド氏が、これはなんだかわかるかと? これは見当つかない。
木でできている方は男の子用で、あそこにはめておくそうです。
赤い方が女の子用で、あそこに入れておくそうです。
そうすると木製の揺籠機の開けてある穴から排泄しやすいと。
これ当てる人はいないんじゃない? -
バザール付近から歩いて10分。シャーヒズィンダ廟群。この時点ですでに4時過ぎ。ここの霊廟軍では14-15世紀に完成されたイスラム幾何学建築装飾のあらゆる見本を見ることができる。
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ここも願い事を叶える階段。Stairway to Heaven.
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ここはかなりポイント高い観光地だと思います。何しろ、タイルが綺麗で綺麗で。
写真の撮りがいがあるので観光客は写真撮りまくり。 -
ガイド氏の指導通りの構図で。。
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タイルの紋様の理解も随分深まった。
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古いモスク入り口だったけれども中身の説明は忘れてしまった。ここは中より外だね。
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入り口階段を上がってすぐ左に細い階段あり。そこを登るとドームが綺麗に見える。
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さらに、遠くに巨大なビビハヌールモスクとアフラシアブの丘の斜面に広がるセメタリーが見える。墓地には故人の顔を模写した墓石があるがそれは全てソ連時代のロシア人の習慣で、ウズベキスタン人はそういうことはしないそうです。墓石は全てメッカの方向に並行して建てられ遺体も同様に葬られているという。内部構造はガイド氏がスマホで見せてくれたが死者が起き出して来ないような石の設置の仕方をして安置してある。なお、土葬。古代は鳥葬。
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さて、ここまで説明もたっっぷり盛りだくさんで既に午後5時になりましたが、どうしても行きたかったのがウルグベグの天文台。30年前に来た時は整備されてはいなかったけれども、600年前に中央アジアで現代と同じレベルの天文学が発展していたということを知って印象に残っていた場所。
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この丘はこの辺りで最も高い位置にあり、よって天文台に適していた。
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レギスタン広場にあるメドレセ同様ティムールの孫のウルグベクが1420年代に設計・建造した天文台でもちろん本人もここに勤務して天体観測を行なっていた。しかし、本人の死後破壊されて巨大な6分儀の台座のみ残った。ウルグベクが殺されたのもこの天文台の破壊も彼の考え方がイスラムの教義に合わないという理由による。
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サマルカンドのどこかに巨大な天文台があったということは古書に記されていたがそれがどこかはわからなかったが、1908年にロシアの考古学者が遂に地中に埋もれたこの天文台の一部を発見した。当時6分儀の高さは21メートルもあったそうだ。
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正確に子午線に沿って建てられている。設計するのもすごいけれどもこれを正確に建造するのも高度な仕事だったろう。
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こういう天文台だったらしい。
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君主であり、それ以上に偉大な科学者として名を残すウルグベク。ウルグベクの著書に記されている一年の長さと、現代の太陽年計算にはごく僅かな差があることが分かっていたが、ロシアの科学者がその理由を仔細に調べたところ、1420年代と現代では地球の地軸が2度ずれているそうでその差を考慮するとウルグベクの計算と現代の計算とはピタリ一致するということ。
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もう、午後6時になってしまった。サマルカンドの事がよく分かった一日だった。
明日はガイド氏のツテで行くことになったタジキスタンのペンジケントと7Lakes1日遊。
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