2023/02/03 - 2023/02/04
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しにあの旅人さん
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旧軽井沢通りの北約1kmにオルガンロックという岩山があります。明治大正のむかし、軽井沢に別荘を開いた外国人達が、オルガンの鍵盤に似ているからと名づけました。地元では愛宕山と言われておりました。
堀辰雄の作品に、巨人の椅子、お天狗様、オルガン岩という名で出てきます。
行ってきました。
名づけてオルガンロック登攀記。
七十路のじいさんには、これくらいでも山登りです。
基本参考資料は「堀辰雄紀行 軽井沢1」に並べました。引用では僭越ながら敬称を略させていただきます。
投稿日:2023/07/17
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
オルガンの鍵盤に似ていなくもない。方状節理というらしい。
最初に出てくるのは、「ルウベンスの偽画」(1930年/昭和5年)
ここでは「巨人の椅子」でした。
★本町通りは彼が思つたよりもひつそりしてゐた。彼はすつかりそれを見違へてしまふくらゐだつた。彼は毎年この避暑地の盛り時にばかり來てゐたからである。
彼はしかしすぐに見おぼえのある郵便局を見つけた。
(中略)
そのとき彼はひよいと、向うの曲り角を一人の少女が曲つて行つたのを認めたのである。
おや、彼女かしら?
さう思つて彼は一氣にその曲り角まで歩いて行つた。そこには西洋人たちが「巨人の椅子」と呼んでゐる丘へ通ずる一本の小徑があり、その小徑をいまの少女が歩いて行きつつあつた。思つたよりも遠くへ行つてゐなかつた。★(青空文庫)
「巨人の椅子」というのは、本来軽井沢駅の南、矢ヶ崎山にあるカマド岩のことだそうですが、郵便局があって「本町通りからひょいと曲がる」というと、どうしても愛宕山のオルガンロックです。 -
旧軽銀座から、少女は青線のようにひょいと曲がりました。
私達も曲がります。
片山広子は、この「ルウベンスの偽画」の「夫人」のモデルといわれております。「少女」はその娘、総子。片山母娘の別荘がこの道筋にありました。
3番目別荘というのは、1940年(昭和15年)夏、堀辰雄が軽井沢で借りた3番目の別荘です。7月11日から9月いっぱい滞在したようです。(佐藤恒子宛はがき筑摩書簡400ならびに矢倉年宛絵はがき筑摩書簡405)
片山広子の別荘と道路を挟んで隣り合っておりました。
「堀辰雄の周辺・片山広子」によれば、掘夫妻はこの年広子と親しく行き来しました。多恵子は片山家の本棚からアガサ・クリスティを借りてきて読んでいました。(P224-225)
この年、娘の総子は軽井沢にきておりません。1932年(昭和7年)ごろ結婚していたようです。
多恵子が総子に初めて会ったのは、1957年(昭和32年)の広子の葬儀の時でした。(堀辰雄の周辺・片山広子P225)
深田久弥は、「思い出の一時期」(発表時期不明、筑摩別巻2P234)で、片山宗瑛(そうえい、総子のペンネーム)はこの頃(昭和5年頃)の堀辰雄の恋人であったと書いています。宗瑛は「気の利いた短編小説をいくつか書いた女流作家」だったそうです。 -
この手前右辺りが片山広子の別荘と昭和15年夏の掘の別荘があったあたりのはずです。
軽井沢はどこもかしこも同じような森と細い道で、写真をあとから識別するのが難しいのです。
この小道を延々と上るとオルガンロックに到ります。 -
旧軽銀座の観光会館。
前日、地図をもらいに行きました。オルガンロックへは車では行けないことを確認。10月初めでしたが、もうしばらくすると落葉が積もって、滑って歩きにくくなるそうです。
やばいことも聞きました。愛宕山のあたりはクマが出るとか。
携帯ラジオをつけて歩くのがいいそうです。そんな物もっていない。
「クマ鈴が効果あります。この音はクマが嫌いなので、寄ってきません」
というわけで、クマ鈴を買いました。1000円。 -
「ごめんなさい、押し売りしちゃって」と案内係のきれいなお嬢さんはおっしゃっていましたが、いえいえ、これも記念で。
-
こんなふうに、つけて歩きます。チロチロと頼りない音です。クマさんはこれが嫌いなのかねえ。「なんだろう?」と寄ってきそうな感じですが。
-
我が家にはクマはいないので、ネコでためしてみました。こんな音です。
あまりお気に入りではないみたいです。
一書に曰く、
トイレから、帰ってきたら、by夫は、鈴を買っておりました。
いらないんじゃない?わたしが、ズーと、歌っていくわよ。
と一瞬思ったby妻は、はい。けちです。
ま、いいや。お土産にもなるしね。と、思い返して、
でも、よく考えると、一体誰のおみやげ?
→ネコのお土産になりました。熱狂的には喜んではいませんでしたが。
By妻
堀辰雄のころ追分、軽井沢では本当に熊が出たようです。
昭和9年(1934年)9月25日信濃追分油屋より矢野綾子あて(筑摩書簡175)
★(追分)村の近くまで熊が出たとか云って騒いでいます。僕もこはくて散歩する気になれない。(中略)もう〆切までに五日ぐらいしかないけれど、何を書いたらいいんだかまだ分からない。そんなこと
よりも君のことを考えてゐる方がよっぽど楽しいんで困っちゃう。どうしたらいい?」★
綾子とはこの夏出会ってラブラブのころ。どうしたらいいって・・・好きにしてください。
室生犀星→堀辰雄、昭和13年(1938年)9月12日付はがき(筑摩来簡87)、
★今年の冬は軽井沢に熊が出て君もたえ子さんも食べてしまうだろう。こちらは毎日85度位、もうなれた。蚊がゐてかなはん。けふからみな学校に行った。ネコもなれたが僕のへやへは来ない、なすびが三つ十銭するそうで高いということや、津村君の小説はうまくなった。★
犀星はときどき分かんないことを書きますが、なんで熊が二人を食べるんだろう。85度は華氏、摂氏だと29.4度で9月にしては熱いということらしい。
このころは温度は華氏だったのか。
https://youtu.be/CK8Qy71VDY8 -
一書に曰く、
オルガンロック 登ります。
まず、観光会館へ。
情報収集です。
この建物そのものが、おしゃれで軽井沢していました。
ところで、
旅先で困るのは、トイレです。
町営の駐車場前にありましたが。
建物の付近に、男性どもが、どの人も何やら荷物を抱えて所在なげに立っていました。
アイドルの出待ちみたい、、、
なにやってるんだろ。
と、じろりと見て、入ると、列を作った女性たち。
そうかぁ。外の男性たちは、彼女たちを待っているのね。
なるほど。
私も列に、約10分。
ようやっと個室を私物化できる瞬間が来て、びっくりですよ。
その個室の狭さったら!
アメリカ人の中高年のミセスには、方向転換もできない狭さ。
というわけで、ものすごいご不満な軽井沢。
それで、二回目の軽井沢。
前回懲りたわたくしは、ここを選びました。
町中に看板がありましたものね。
ここ観光会館のトイレ。
むちゃくちゃきれい、清潔、エレガント。
なんだったら、住み着いちゃおうかしらってくらい素敵。
ただーし、有料でしたけれど。
フランスでは、公衆トイレは有料で、おばちゃんが番をしてくれています。
有料って、安全と清潔を得るためには、仕方ないのではないでしょうか。
ところで、最近話題の、元男性の女性が入ってきたら、おばちゃんは、どうするのかしらね。
トイレおばちゃんの思想調査!
By妻 -
ここで珍しく役に立つ情報。
軽井沢での堀辰雄文学散歩で、一番役に立つのはこの地図です。堀辰雄文学記念館常設展示図録の最後のほうに載っています。 -
信濃追分の堀辰雄文学記念館ではこの地図がもらえます。ただし範囲が広すぎるのと、赤丸の部分が実際の地形と違います。矢ヶ崎川を挟む「水源地の道」はこんなに離れていません。
-
これはどうやら堀辰雄自作の「軽井沢北部地図」を踏襲したからでしょう。
堀辰雄の筆跡です。 -
こちらは筑摩版堀辰雄全集第1巻口絵の自筆地図。
「Organ Rock
Mt. Atago」
とあります。
堀辰雄に絵の才能がなかったことは「ウインザルチェア」で分かっていましたが、フリーハンドで書く地図は正確です。地図は空間をバランス良く認識できる能力がないと書けません。
ちょっと脱線します。
★或る日のこと、私は自分の「美しい村」のノオトとして悪戯半分に色鉛筆でもって丹念に描いた、その村の手製の地図を、彼女の前に拡げながら、その地図の上に万年筆で、まるで瑞西あたりの田舎にでもありそうな、小さな橋だの、ヴィラだの、落葉松の林だのを印しつけながら、彼女のために、私の知っているだけの、絵になりそうな場所を教えた。★(青空文庫/筑摩第1巻P374)
「美しい村」の一節です。この「彼女」が後の「風立ちぬ」では節子になります。節子のモデル矢野綾子と掘の出会いは、だいたい「美しい村」のようでありました。
矢野綾子に掘はこのような「その村の手製の地図」を渡したのではないか。 -
旧軽銀座から入ってしばらくは、こんな感じの細い道です。
両側は浅間石という腰の高さくらいの石積みです。車のすれ違いは絶対にできません。路肩などはなく、1台でも車の脇腹をこすらないか、心配。
車はダメという観光協会のお嬢さん、正しい。
一書に曰く、
オルガンロックへの道は、もちろん別荘地の間の小道をたどってゆくのですが、木々が茂り、苔むしてじわりと湿っぽい道です。
川端康成を思い出しながら登ります。
おじいさんを介護する話で、おじいさんが尿瓶を使う音を谷川の音のようだと描いてありました。
題名を忘れて、調べましたら、「十六歳の日記」でした。
今なら、ヤングケアラーです。
川端康成が孤児だというのは、有名ですが、両親も姉も結核だったそうです。
堀辰雄が結核だと知ったとき、暗澹たる思いを抱いたことでありましょう。
By妻 -
両側には点々と別荘が続いていました。狭いけれど舗装道路です。
800mくらいで舗装道路が途切れました。左の家が舗装道路最後の家でした。 -
両側にT字形に舗装道路はありますが、行き止まりでした。
-
参道、というより私には登山道。
「美しい村」(1934年/昭和9年)にも、オルガンロックは「お天狗様」として出てきます。
★或る小高い丘の頂きにあるお天狗様のところまで登ってみようと思って、私は、去年の落葉の落葉ですっかり地肌の見えないほど埋まっているやや急な山径をガサガサと音させながら上って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私の靴がその中に気味悪いくらい深く入るようになり、腐った葉の湿り気がその靴のなかまで浸み込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林の中からその見棄てられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。★(青空文庫/筑摩第1巻P338)
「雑木林の中の見棄てられた家」というのは、そのすぐあとに、
★ 夏毎にこの高原に来ていた数年前のこと、これと殆どそっくりな眺望を楽しむために、私は屡、ここからもう少し上方にあるお天狗様まで登りに来たのだけれど、その度毎に、この最後の家の前を通り過ぎながら、そこに毎夏のようにいつも同じ二人の老嬢が住まっているのを何んとなく気づかわしげに見やっては、その二人暮らしに私はひそかに心をそそられたものだった。★
とあるので、堀辰雄の時代にはこの家が最後の家だったことが分かります。
現在の参道登り口の家がその跡継ぎではないでしょう。比較的新しい別荘でした。
この辺りは現在でも開発中のようでした。
なにも建物がたっていない空き地の分譲地が多くありました。近くで大きな建物が建築中でした。
おそらく90年前は、別荘の限界点は愛宕山のもっと下の方ではないか。
「美しい村」の主人公はこの無人の家のベランダにたちました。そこからは軽井沢の高原と中央アルプスが見えた。
★そんな物思いに耽りながら、私はぼんやり煙草を吹かしたまま、ほとんど私の真正面の丘の上に聳えている、西洋人が「巨人の椅子」という綽名をつけているところの大きな岩、それだけがあらゆる風化作用か逃れて昔からそっくりそのままに残っているかに見える、どっしりと落着いた岩を、いつまでも見まもっていた。★(同P340)
主人公は結局「お天狗様」まで登らずに愛宕山を下りてしまいます。それからしばらくして主人公はこの見棄てられたヴィラを再訪します。またベランダに立ち、
★私は日の暮れるまで、其処から林だの、赤い屋根だの、丘だの、それから真正面に聳えてえている「巨人の椅子」だのを、一々暗記してしまうほど熱心に見つめていた。★(同P350)
何回もヴィラに行っています。こんなのもある。
★私は、いま私の下方に横たわっている高原一帯を隔てて、私と向い合っている、遥か彼方の「巨人の椅子」を、あたかもそのあたりに見えない巨人の姿を探してでもいるかのような眼つきで、まじまじと見まもっていた。★(同P367)
方向、距離感からいって、この「巨人の椅子は」軽井沢駅の南、矢ヶ崎山のカマド岩つまり本来の「巨人の椅子」です。
「ルウベンスの偽画」にも「巨人の椅子」が出てきますが、これが堀辰雄の誤用なのか、なにかの意図があるのかは、分かりません。オルガンロックを「巨人の椅子」と表記しているのは、ここ1カ所です。
堀辰雄は雑誌に発表した作品を、後年作品集にまとめるとき、かなりの修正を入れています。筑摩版全集では各巻末に、作者がどのように加筆修正したかを示す「校異」を載せています。「ルウベンスの偽画」の校異では、「巨人の椅子」に手を入れた痕跡はありません。
「いつまでも見まもっていた。」「熱心に見つめていた。」「まじまじと見まもっていた。」同じような表現です。堀辰雄も、後年「巨人の椅子」の見つめ方だけを、このように詮索されるとは、思っていなかったかもしれません。 -
参道突入。
-
だいたいこんな感じの山路です。
ここで大失敗。トレッキングポールをもってこなかった。写真を撮るのに不便だと思ったのですが、写真もなにも山路を登るのによろけまくって、まず必要なのはトレッキングポールでした。 -
まだ落葉していませんでした。観光協会のお嬢さんの話では、落葉は20センチの厚さに積もるそうです。すると滑ってとても歩きにくい。
-
何を始めたんだろう。
-
登りきったらお堂がありました。
まずお参りします。
「愛宕神社」さんです。それほど古い神社ではないようです。
一書に曰く、
熊のことなんか思い出さないくらい、急な坂道をフーフー登りました。
じっとり湿った枯れ草を踏んで、登り切ると、愛宕神社です。
愛宕神社は、我が家の孫娘が、初参り、三歳、七歳の七五三でお参りした神社です。
というご縁なので、孫をよろしく。孫の両親をよろしく、ついでに孫のじじばばもよろしく。と、僅かなお賽銭で、盛りだくさんのお願いをして参りました。
このお社の上がオルガンロックです。
登れるらしいけれど、疲れたし、まあいいや。
登り口が滑りそうだし、何か出そう。
本当に、ここまで、堀辰雄は登ってきたのだろうか。
青年堀辰雄は、まだ元気だったときでしょう。
やっぱり、若さには負けるよ。
By妻 -
もったいなくも荷物をおかせていただきました。
-
オルガンロック、高さ10mくらいでしょうか。
堀辰雄のノート・軽井沢(一)に、
★愛宕山 愛宕浅間神社の風琴岩(Organ Rock)★(筑摩第7巻下・ノート 日記 補遺P463)
風琴はオルガンと手風琴つまりアコーディオンの意味があります。この書き方だともともと風琴岩と地元でいわれていた岩を、外国人がオルガンロックと名づけたみたいです。
出典・根拠は書いてありません。たしかにオルガンの鍵盤よりアコーディオンに似ています。しかし掘はこの説を作品には反映させておりません。 -
堀辰雄の作品には、オルガンロックを間近に見た描写はありませんが、近くまで来たことはまちがいない。
1933年(昭和8年)6月23日の、神西清あての絵はがきで「オルガン岩にももう三度登ったよ」とあります。(筑摩書簡136)
この年8月が初めてということはないいでしょう。
「快復期」(1931年/昭和6年-1933年/昭和8年)にでてきます。ここでは「オルガン岩」
★或時、彼はドロシイとその小さな妹とを連れて、オルガン岩のほとりへ散歩に行つた。★(青空文庫/筑摩第1巻P201)
「ほとり」というので、たぶんオルガンロックの足下までは行ったということでしょう。
ドロシーというのは、カナダ人の女の子で、作中では七つか八つです。
オルガン岩からの帰路、ドロシーが怪我をして脛に血がにじんでしまいます。主人公はドロシーと妹をホテルに連れていって何とかしてやろうと思うのですが・・・
★彼はどうかした機會に、血を見ると、それが自分のであらうと、他人のであらうと、すぐ腦貧血を起してしまふ癖があつた。★(同)
主人公がホテルで失神してしまいます。
血を見ると貧血をおこすのは、堀辰雄自身の体質でした。パンを切り損なって指を切って、その血で軽い脳貧血を起こすほど。(父上條松吉あてはがき筑摩書簡14) -
オルガンロックから軽井沢方面を見ています。10月初めでまだ落葉はしていません。
「美しい村」では、ここよりもっと標高が低いところで、軽井沢高原や中央アルプスが見えたと書いてあります。90年前のことです。現在より愛宕山山腹の森の木はもっと小さく、疎らだったのでしょう。落葉していれば見えたでありましょう。
軽井沢だけではなく、信濃追分でも、当時の写真や文章を見ると、現在より森が浅かった印象です。当時は燃料が薪、炭ですから、必要に応じて伐採していたのではないか。 -
この写真だと、お堂の右にオルガンロック上に出られそうな小径があります。たった今気がつきました。岩の上に登ったら、もっと見晴らしがいいのかもしれません。
もちろん、堀辰雄がオルガンロックの上までよじ登ったという記録はありません。 -
水分を補給して、しっかり休んで、下山します。
Wifi回線をとおして「なんとかの冷や水」という声が聞こえました。
おっしゃるとおりで。
「ハゲている」という声も。いえ、これは坊主にしているのです。コロナ対策で人混みを避けるため、床屋に行くのをやめました。坊主は快適かつ簡単なので、その後3年間By妻にかり上げてもらっています。
似たようなものですが。 -
下山するBy妻。
-
なにやらかわゆいですね。
ラン、ラン、ラン♪
一書に曰く、
帰り道は、いつものことですが、はやいはやい。
途中、滑って尻餅ついたりしながらも、私らもまだまだ。
ご機嫌さんで下りました。
私は、オルガンロックのオルガンは、パイプオルガンだとおもうのよね。
でもby夫は普通の、分教場なんかのオルガンだというのです。
どっちだ、どっちだと議論しながら山を下りましたので、熊は鈴がなくても逃げました。
By妻 -
途中もう一度片山広子別荘跡らしきところを通りました。
「快復期」の主人公は叔母さんの別荘に招かれました。
この叔母さんは、探偵小説が大好きで、避暑中の学校友達が毎日おしゃべりに来て、その夫人達はそれぞれ由緒のある貴婦人たち、と描かれています。
すぐに片山広子を連想します。
掘は前年10月喀血、1931年4月から6月富士見高原療養所に入院しました。退院後向島の自宅で静養。
多恵子作成の年譜(堀辰雄の周辺P237)および堀辰雄没後50年特別企画展図録の年譜によれば、1931年(昭和6年)8月中旬より滞軽、片山広子の招きで別荘に滞在。その後8月29日から10月7日までつるやに投宿。(葛巻義敏あて筑摩書簡105および神西清あて107)
この間に書かれたのが、4月-6月の富士見サナトリウムに入院した体験をもとに書かれた「快復期」です。
片山広子宛はがき。
★やっと小説が出来上がりました。へんなものを書きました。これでどうにか東京へ帰れます。身体もまあいい方です。10月1日★(筑摩書簡106)
★片山廣子さん一家は、辰雄にとって理想の家庭であったかもしれない。尊敬と憧憬の思いで接していた片山廣子夫人のような伯母さんが自分の身内にいたらと、若い日に夢見ていたのではないかと私は思ったりする。(中略)
片山夫人は探偵小説を読むのが好きで原書でアガサ・クリスティのものなど読んでおられた。★(堀辰雄の周辺・片山廣子P223-225)
「快復期」の「叔母さん」そっくりです。
一書に曰く、
叔母さんというのは、結構微妙な関係で、肉親でありながら他人で。
近いんだけれど遠くって。
母親に対する愛は、べったり自己愛で、やりきれない。
それが、母親の姉妹だったら、身内である意識と、客観性があるから、恋愛感情も持てる。感情だけですが。
他人の恋人より、同族意識があるっていうか。
つまり、堀辰雄は、片山広子に、精神的恋をしていると、自分で知らず知らず打ち明けているわけですよ。
甘ったれておりますね。
甘え上手な辰雄さんでした。
By妻
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 前日光さん 2023/07/21 16:29:47
- 軽井沢の風
- しにあさん&by妻さん、昨日今日は、なんとかやり過ごせる暑さでしたが、
明日からは恐ろしいことになりそうですね。
やっぱり輝く太陽と白い歯は苦手です。
軽井沢の夏、片山広子の別荘に招かれた堀。
結核という致命傷はありながら、高等遊民の生活ですねぇ。
オルガンロックまでの細道を数度辿った堀、さすがに岩に上りはしなかったようで。
しにあさんたちが上らなかったのだから、堀も当然見上げるだけで登りはしなかったのでしょうね。
当時は、本当に熊が出てきてもおかしくなかったでしょうね。
熊除けの鈴、猫のおもちゃになったようで(=^・^=)
猫さんのいるソファは、引っ越し前の家のものですか?
引っ越しが5月ごろでしたから、この家は前の家ですよね?
とすると、猫たちは一緒に引っ越したのですか?
実はけっこう気になっていました。
こういうカラカラという音に、熊は逃げて行くのかな?
広子さまは、ミステリーが好き?
しかもクリスティーですか?
いいですねぇ、避暑地の別荘でクリスティーに読み耽る令夫人。
それだけで絵になりますねぇ。
by妻さんの後ろ姿に「かわゆい」という夫。
似たもの夫婦ですねぇ(^_-)-☆
ま、人のことは言えませんが"(-""-)"
オルガンロックなんて、いかにも軽井沢に相応しい感じ。
今、我が家のちかくで蜩が鳴いています。
今日は風も涼しいです。
ひと時の軽井沢の涼風みたい。
ちょっと「風立ちぬ」の気分になっています。
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2023/07/23 20:04:03
- Re: 軽井沢の風
- 信濃追分にも熊注意の立て看がありましたから、いまでも本当に出るのでしょう。別荘地に隣接ですから、住民はこわくないのかしら。
ネコ鈴の撮影は投稿直前で、新しい家です。
ネコはつれて引っ越しました。
家ネコにしたので、責任上ネコOKのマンションを探しました。
トシですから手間のかからないマンションを狙いました。
ねらった地域のマンションを検索すると40件くらいぞろっと出てきます。これにペットOKとなると、2件残ればいいほうです。
で、結局一軒家と言うことになりました。結果的には大変気に入っておりまして、ネコの恩返しだろうということになっています。
堀辰雄軽井沢は第一稿は書き上げて、By妻さまの気が向くのをまっております。
そのあとはいよいよ北関東です。妄説、奇説、怪説盛りだくさんにする予定。下調べは終わっているので、10月からピンポイントで字コンテに行きます。そのうち下野にもおうかがいする予定です。
-
- kummingさん 2023/07/21 12:01:19
- 聖地巡礼♪
- オルガンロック、方状摂理の一種なのですね、堀辰雄氏の作品に何度か登場するので訪問された、という事は、いわゆる聖地巡礼?に相当するのでしょう。映画の撮影現場は訪れても、小説の舞台を訪問したこと、あるかな~?
関係ないけど、
多恵子さんが借りた片山広子さんのアガサクリスティー、私もほぼ全巻攻略しています(自慢ではありませんよ)。なぜかというと、父が大のミステリー好きで、エラリークイン、ロスマクドナルド、デイックフランシスとか、がびっしりのミステリー専用の本棚がありました。そこにあったから読んだ、ってだけですが。しかも、同じ本が2~3冊とか、読んだ事を忘れて、同じ本を買って来る?という、晩年でした(笑)
熊よけの鈴、1000円(*_*) ぼったくられても猫ちゃんのお土産になさったので、まあ良しとしましょ。動画を見る限り、あまり歓迎されたとも思えませんが、ご愛嬌♪ この猫ちゃん、いつぞや勝手に住みついて、餌をあげていらした、あの2人組みの猫ちゃんですか?一緒にお引越しなさったのですね、犬は人に、猫は家につく、と申しますが、よもや旧宅まで彷徨い歩くこともないでしょう。
トイレ問題はヨーロッパだけではなかった、軽井沢で発生⁈ の巻
大事な時に、いつも置いてきぼりにされるのがしにあさんちのトレッキングポールの宿命かも。
by妻さんの華麗なる勇姿♪ バッグはVUITTONの一点豪華主義、良いですね~♪
私の父も、晩年床屋に行くのが億劫で、丸刈りにしてしまい、家族には大不評、不興をかいました。白くても、薄くても、残しておいて欲しかった(TT)(←by娘)
何やらかわゆい後ろ姿♪ 撮影by夫、写真から『愛』がだだ漏れしていますよ~^o^
- しにあの旅人さん からの返信 2023/07/23 09:36:01
- Re: 聖地巡礼♪
- ミステリーが好きというお父様は、たしか、バイクに家族5人乗りで、当時の西鉄ライオンズの応援に行ったのですよね。
同じ本が何冊というのは、あるあるで、私の本棚にも現代語訳風土記が2冊、そのほかにもあります。
ネコ鈴は、本ネコは興味なし。最初はちょっかい出しましたが、2度目以降は「うるせいな」だけ。
地域ネコが住み着いた、あの2匹です。1月半ばから徹底的な家ネコ化作戦を行いまして、住み着いております。
白黒のほうは、広い庭を縦横に楽しんでいた昔が懐かしいらしく、新しい家のネコ額庭を見て切なそうに泣きますが、絶対出さない。
坊主頭はBy妻にも不評です。刈ってもらうときに、不正防止でバリカンの刃の長さを自分でチェックします。
汗かいてもすぐ乾くし、大変気にいっております。
あいかわらず暑い夏です。8月の軽井沢、追分がなつかしい。
By妻の下山姿、あんよを一歩一歩踏みしめて、けなげに歩いております。
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