2023/03/23 - 2023/03/26
171位(同エリア2647件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/23
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アフォンソ・デ・アルブケルケ広場
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この旅行記スケジュールを元に
3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
6日目はリスボンを起点にして4月25日橋、ボカデインフエルノ、ロカ岬に足をのばしてみます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ホテル内にはレストランがないので向かいにあるマンテイガリア(Manteigaria-Fábrica de Pastéis de Nata)でナタ、エスプレエッソ、カプチーノ、オレンジジュースの朝食。。
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アフォンソ・デ・アルブケルケ広場:
ホテルに帰ってフロントのマネージャーに4月25日橋の写真を撮りたいのだが。。と相談するとベストスポットはクリスト-レイ展望台だという。公共の交通機関はあることはあるが、ちょっと面倒なのでタクシーが簡単でいいとのおすすめ。通りを挟んだ銅像が立ってる広場(アフォンソ・デ・アルブケルケ広場)にタクシー乗り場があるからそこからタクシーで行けば30分くらいでいけるよ。料金の目安は片道約25~30ユーロ。とテキパキと情報のインプット。で、言われた通り公園の方に歩いていくと、ちょうど乗客が降りて空車になったばかりのタクシーがあった。ラッキー!! -
行き先を告げると初老のドライバー氏は手慣れたものでビュ~ンと4月25日橋を渡り、対岸のアルマダ地区(Almada)に入っていく。狭い通りを抜けて坂道をグルグル回って丘の上の展望台についた。なるほどここなら橋がよく見える。生憎曇天なのだけど。。
サンフランシスコのGGB(ゴールデンゲートB)にそっくり。wikipediaによれば橋梁設計施工は米国のAmerican Bridge Companyとなっている。この会社はGGBには関わっていないようだが、サンフランシスコ―オークランドベイブリッジのほうを設計施工している。4月25日橋 建造物
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1966年8月6日に開通。当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールにちなみ、サラザール橋と呼ばれていたが、1974年4月25日のカーネーション革命のすぐ後、革命が起こった日から名前をとって改称されたーWiki。ヨーロッパで最も長い吊り橋の1つ, 全長2,280m(7,480 ft)、スパン1,013m(3,323 ft)であり大陸のどの橋よりも深い基礎を持っている。
*カーネーション革命:1974年4月25日の早朝にポルトガル軍の兵士達がリスボン要所を占拠し、当時の首相は抗う事なく降伏したという。それによりほぼ無血革命となり、独裁政権を倒した兵士達を祝ってリスボン市民達はカーネーションを兵士にプレゼントした。兵士たちがそれらのカーネーションを銃口に挿した光景が強く印象に残り、カーネーション革命と呼ばれるようになった。-殆どwikipediaのうけ売り。
銃口に花を挿すなんて粋なことをする人たちだこと!! -
サンフランシスコのGGB(シングルデッカー)と違う点はこちらはダブルデッカー。で、上段が片道3車線の双方向で計6車線の道路、下段が複線の鉄道用となっている。深い基礎になっているのは列車の大きな荷重を支える必要性と同時に耐震対策もあるのかもしれない。
それとサンフランシスコのGGBは人道があるので歩いて渡ることができるがこちらはそれがないことである。
それと吊り橋の主塔部分のオープニングのデザイン。GGBはスクエアになっているのに対し、こちらの4月25日橋の方はケーブル線をx印に交差させている。
*タホ川/テージョ川下流部は活断層線上にあり、断層のずれは過去に数多くの地震を起こしている。もっともよく知られたリスボン地震は1309年、1531年、そして1755年に起きたものである。ーwikipedia -
この位置に立つと対岸にある’発見のモニュメント’や最近できた’MAAT’(Museum of Art, Architecture, and Technology)の斬新な建物が見える。
(*画像をクリックすると画面が大きくなります!) -
クリスト.レイ像のタクシー乗り場の近くにあるこの建物はイエスキリストの聖心教会が所有するSantuario de Cristo Rei(王キリストの聖域)のレセプションビル。あとで知ったのだがフェリーでここに来ることも出来るらしく、テージョ川を渡り、坂を上るとこのビルの裏側(正面?)入口に到達するようだ。
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クリスト-レイ像(Cristo-Rei)。イエス像の高さ28m,コンクリートの台座82m での総高110m。この下には聖マルコと聖ルカの像に守られた小さな教会, クリストレイ教会(Cristo Rei Church)がある。
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展望台は小公園のようになっており数点の彫刻が常設展示されている。右はクリスト-レイを仰ぎ見る聖母マリアの像。長いロザリオを両手に持っているのは1917年の聖地ファティマでのご出現時、神秘的な予言*とともに平和のためのロザリオの祈りを毎日唱えるようにと言われたことを象徴している。右はリスボンのファティマ大聖堂から贈られたクルス.アルタ(Cruz Alta)。銘板に
’目の前にあるクルス.アルタはファティマの聖母教会から来たものです。 この十字架は、1951 年 10月 13 日から聖トリニティ教会の建設のため旧聖母教会が撤去されるまで、コヴァ. ダ. イリアの祭壇にあったものです。2007 年 2 月 13 日にクリスト レイ聖域に寄贈され、同年 5 月 17 日の聖域記念日に落成式が行われました。’とある。
*第1次世界大戦が間もなく終結し、次の大戦が起きることが予言された。実際、第1次大戦はこのご出現の翌年(1918年)に終わり、1941年に第2次大戦が始まった。 -
30分後、待ててくれたタクシードライバー氏の車でもと来た道を戻る。橋を渡ってベレンの方角に向かうタクシーの中から。
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アフォンソ・デ・アルブケルケ広場に戻ってきた。
凛々しくテージョ川を見つめているこの方はアルブケルケ卿。ポルトガルの第2代インド総督(インド副王)。1510年、海軍を率いてインドのゴアを襲撃し占領、インドにおける最初の植民地を建設した。そこを拠点にインド及び東南アジアへの進出を推し進め、1511年にはマラッカ王国からマラッカを奪い拠点を築いた。さらに香料諸島といわれたモルッカ諸島に進出、、、ポルトガルを海上帝国に押し上げるために大活躍した方なのである。
※引用:ここでポルトガル史上最大の英雄が初めて東洋にその姿を現すことになる。ダ・ガマやカブラルの如き、どちらかと言えば青年といってよい人々とは対照的に、1503年に従弟フランシスコと共に東方へ向けて船出した時のアフォンソ・デ・アルブケルケは、アフリカでの殊勲に輝く、既に髪に霜を置いた五十歳の老雄であった。ペンローズ『大航海時代』荒尾克己訳。
さあ、これからカスカイスに向かうのだ。行って来ます、アルブケルケ卿。 -
跨道橋を渡ってCP(ポルトガル国鉄)ベレン駅に向かう。この橋は歩く部分がメッシュになっていて下の道路が隙間から見えるので若干足がすくむ。
*CPはComboios De Portugalの略。 -
CP(ポルトガル国鉄)ベレン駅。
Belemの駅は無人駅。カスカイスまでの所要時間は32分で20分間隔で走っている。時間には正確なようだ。ベレン駅 駅
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20分ぐらい待っていると、おもちゃの電車みたいなレトロな雰囲気のCPのカスカイス行がやって来た。
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時間帯のせいもあるだろうが、車内はさほど混んでいない。メンテもちゃんとされてるようでゴミ等も落ちてない。回って来た検札のおじさんにリスボンカードを見せる。
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車内の停車駅の掲示板。
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カスカイス駅に到着。
カスカイス駅 駅
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出口をでて地下道を渡り道路反対側にあるバスターミナルに向かう。
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グラフィティだらけの地下道入口や壁。去年行ったアテネもそうだったがこのカスカイスもひどい(後で訪問したリスボンのアルファマ地区も)。このレベルの落書きをまさかアートだと言う人はいないだろう。単なるバンダリズム(破壊行為)であり犯罪である。除去や防止対策にはそれなりの予算もいるだろうが、是非やるべきだと思う。このままではイメージダウンも甚だしい。観光都市としての体面もあるだろうに。。
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M27の路線バス。チケットは乗る時ドライバーから買う。観光客が多いせいかドライバー氏は見事なバイリンガルだ。2ユーロ。
バス (カスカイス) バス系
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そのチケット。
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ホテルのマネージャー氏が教えてくれたM27のバス#だが、いくつ目のバスストップで下車するかRome2Rioのサイトで確認してみた。さらにバスの中で若手のオニイサンが立っていたので、直感的に英語通じる人だと思って、iPhoneの画面を見せて聞いてみた。(こういうことはダブル、あるいはトリプルチェックしたほうがいいというのは過去の経験から私が学んだことでもあるし。。。)’ボカデインフエルノに行くんだけど、どれくらい時間かかるかしら?’’20分くらいかな。僕もその近くに行くから下車するとこ教えてあげるよ。。’やっぱり、通じた。よかった。
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そして日本語のステンシルのジャ-ジーを着てたので素敵だねと言ったら、これどういう意味?と聞いてきた。
日本の人気アニメなんだけど、ストローハットルフィーっていうニックネームの海賊団の船長が冒険する話だったと思う。’と答えると’フ~ン、面白そうだね。’と言っていた。アメリカからカスカイスまでやって来て日本のアニメのことを聞かれるとは思ってもいなかった。
*シカゴに帰って私もDIYでT-シャツにステンシル!と出来心を起こしてAmazonのサイトでステンシルキットを見たら、イブサンローランとかシャネルのロゴのステンシルなんかがあって笑ってしまった。 -
と、そんな会話をしているうちにボカデインフエルノについた。お兄さんは大学生か大学出たてのような感じでとても感じがよくて親切だった。カスカイスの駅に戻るときはあの向こうのバスストップのサインがあるとこから乗ればいいからね、とか30分おきにバスはあるよとか、きめ細かく教えてくれた。どうもありがとう!!ほんと大助かり!!バスドライバーも親切な英語つかいの人だったけれど、このお兄さんも右も左もわからない旅行者に丁寧に説明してくれて。。神に感謝!この二人のおかげで私のカスカイスの印象はすンごくよくなったのである。
地獄の口 洞穴・鍾乳洞
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ボカ.デ.インフエルノの西端にあるギア灯台(Farol da Guia)。このずっと向こうはロカ岬だ。
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遊歩道を展望台に向かって歩いていく。今来た道を振り返る。
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周囲には高層アパートなども建っていてリゾートタウンのような雰囲気。
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予期せぬ高い波しぶき!多分、崖の手前にある大きな岩に波同士がぶつかっているのだろう。でもここはまだ地獄の口ではない。もう少し歩かなくては!!
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この水平線のはるか向こうは北米大陸だ。
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地獄の口周辺。中央部に見える遊歩道をあるいて地獄の口の展望台に向かう。
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これは裏側になるのだろうか?左が大西洋である。
この海蝕洞の形成に興味があったので調べてみたらなかなか詳しく書かれた参考資料がみつかった。https://www.geocaching.com/geocache/GC28JGQ_boca-do-inferno-dp-ec55
簡単にいうと、まずサンゴ礁で出来た脆い石灰岩のベッドロックが年月とともに酸性雨に侵食され亀裂が生じる(侵食礫)。同時に打ち寄せる海水の圧力で脆くなった天井部分が徐々に、あるいは急激に崩壊した(いつそうなったかはどのサイトにも書いてなかった。おそらく何千年も前だろう)。というのが私の調べたところなのだが間違っていないことを祈る。ミロス島のクレフティコビーチにも海蝕洞があったがこれもそうだ。なんと興味深い!!。 -
展望台から。これは大西洋側。海蝕洞の天井部分が崩落して残ったところがアーチになったのが地獄の口と言われる部分。生憎、この日はそれほど大きな波は見られなかった。冬とか嵐の日にくるといいのかもしれない。でもそういう日をめがけて旅程を組むというのもなあ。。。
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展望台から遊歩道に向かってあるくとM27のバス停がある。この周りに有料トイレやお土産物屋さんがある。
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バスのスケジュール!斜めになっててもちっとも気にしないもンね。と言ってるみたいだ。^ー^
一緒に乗車したコロンビアから来た二人連れの女子と同席。カスカイスの街の観光をすでに済ましたそうだ。陽気で明るい南米の人というイメージがぴったりだった。 -
きれいな石畳と穏やかな海辺の広がるカスカイスの街に到着。
バス (カスカイス) バス系
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カスカイスの街中。
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喉が渇いたのでバス停の近くのカフェで一休み。
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半地下になっていて静かな店内。
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アイスカプチーノを注文すると、カプチーノマシンの前で先輩が後輩に’こうして作るのさ’みたいに指導しながら作ってくれた。甘さ控えめ。
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カフェを出て1624ラインのバス停に向かう。黄色い大型バスは、ロカ岬循環の1253と同じバス会社Scotturb(スコターブ社)が運行していて、カスカイス、ロカ岬、ポルテーラ・デ・シントラ駅間を走っている。*1624は循環ではない。
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狭いバスステーションの中を今にも壁をこするそうにしながら入って来た1624のバス。
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車内でバスドライバー氏がチケットを販売。2.6ユーロ。お釣りもちゃんとくれた。
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シントラ連山の西側が海に向かって低くなっていく。そのやや低い地形のところに作られた車道をグングン上っていくバス。途中、民家が立ち並ぶ区域もあり(車がないと住めないと思われるようなところ)バス停で住人を乗せたり下ろしたり。このバス路線は地域の人々の貴重な足でもあるのだなと思う。。
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ロカ岬に到着。
ロカ岬 海岸・海
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帰りのバスの時刻表を見ておこう。
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バス停からちょっと歩けばロカ岬(Cabo da Roca) のシンボル’十字架の塔’が見える。*Cabo da Roca とは「岩の岬」という意味。
ここはユーラシア大陸最西端として知られているだけではなく、’ロカ岬の海戦’がたたかわれた場所としても知られている。18世紀初め、スペイン王位継承者を巡り、フランス海軍とオランダ海軍が戦を交えたところでフランスの勝利で幕を閉じた。 -
ユーラシア大陸最西端の灯台(Farol do Cabo da Roca)。1772年から火をともし続けている。ポルトガル国防省・国家海洋局 (Autoridade Marítima Nacional) の所管。ランタンとバルコニー、それに付属の建物より成る。
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海に向かって立つ白い’十字架の塔’。水面から144mの断崖の上に立つ。
皆がここに立って記念撮影をしたがるので長蛇の列。すきを狙ってのワンショット! -
銘板に刻まれた最西端を示す位置情報(38°47′N、 9°30′W)。銘板上部にはポルトガルを代表する16世紀の詩人、ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luís Vaz de Camões)の’ウズ・ルジアダス’の一節 Onde a terra acaba e o mar comeca(ここに地終わり、海始まる)が遠慮がちに小さく刻まれている。
ルイス・ヴァス・デ・カモンイス(Luís Vaz de Camões)のイメージ:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portuguese_Poet_Luiz_Vaz_de_Cam%C3%B5es_%28c.1524_-_1580%29_-_Bust_Sculpture_%2849039031416%29.jpg
右目を瞑っているが, これは1549年に初の海外軍役としてアフリカ北西部の植民都市セウタに赴いた時、ムーア人との戦闘で右眼の視力を失ったため。 -
この先、アメリカ大陸まで途中小さなアゾレス諸島があるだけで、ただただ茫洋と大西洋が広がっている。
大航海時代が始まる頃、この先に何があるのか当時の人々は恐れながらもこの未知の大海原に乗り出したのだろう。羅針盤、快速帆船、緯度航法などの遠洋航海術の発達がそれを可能にした。ルネッサンスや宗教改革と同時代の出来事である。そして中世は終わりを告げ、近世がスタートする。ポルトガルの演じた役割は大きいと思う。 -
ユーラシア大陸最西端から見る春の大西洋と遠くの水平線。
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ここを38.5度Nとして地図上で大西洋を西に直進するとワシントンDCの東にあるチェサピーク湾に達する。
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柵を乗り越えて降りて行ってる人もいた。大胆!ここから落ちたら、大西洋の藻屑かはたまた栄養分になるかしかないだろう。
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崖沿いの未舗装の遊歩道。このロカ岬は国立公園であるシントラ・カスカイス自然公園内にあり、自然の景観を保つために敢えてコンクリートの歩道は作らないのだろう。
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歩いていくと先ほどのボカ.デ.インフェルノにも繁殖していたアイスプラント(Ice plant)。南アフリカ原産の侵略的外来種(アメリカでも、ここポルトガルでもそういう位置づけにされている。実際カリフォルニアのモントレー海岸沿いにはこの花の一大コロニーがある。)学名はカルポブルトゥス・エドゥリス(Carpobrotus edulis)。ギリシャ語でカルポス=果物、ブルトゥス=食用という意味。南部アフリカではいまも実を食用にするらしくそのため、俗名ではHottentot figとも呼ばれている。これは南部アフリカに住むホッテントット族の名前とfigイチジクに似た実ができるところからそう呼ばれている。乾燥に強く低く地を這うように広がるので(塩分を含んだ)強風に常時さらされるこの環境でも強く逞しく繁殖しているのだろう。
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現実にもどって!!そろそろ、帰る時間だ。その前にお昼をスキップしたので何か食べておかないと。。と言ってもこの地の果て、そんなにチョイスがあるわけではないのでロカ岬レストランに向かう。
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アズレージョの腰壁が美しい階段を下りて、この先にあるオーダーカウンターで注文する。ロカ岬バーガーとレモネード。これがまた出来上がるまですごく時間がかかって、ハンバーグをこねるところからやっているのではないかと思われるほど。。
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ついに時間切れ。急ぐから to-goにしてバッグに入れてと言うと、’そんなに早くできないんだ’とちょっと剣悪な眼差し。一歩日本の外にでたら、サービスは有料なんだとか、日本的な要領よさなんて毛頭期待できないというのには慣れっこだけど、君たちちょっと度が過ぎるんじゃない?面と向かって言わないけどね。それになあんだ、ロカ岬バーガーってバーガーキングのNo1.ミールとそっくり、違いは早いか遅いかだけで値段も観光地価格という極めて主観的評価をする私。しかしバス停の前の石をベンチにしてユーラシア大陸最西端のバーガーを食すのはこれまた忘れがたいものであった。
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さ、あとは1624のバスにのってカスカイスに帰る。途中のバス停で乗降客が2.3人、バスの窓ごしのワンショット・
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’あちらシントラ、こちらカスカイスね’。の標識。
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カスカイス駅前に到着。我々をここまで運んでくれたScotturbのバスとそのドライバー氏に感謝。
バス (カスカイス) バス系
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ここが降りたバストップ。さっきアイスカプチーノを頂いたカフェ31から100mほど下ったところ。
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ベランダ風の建物の下に地下へ下りる階段があってバスターミナルに連結している。
この大きな通りを右に進むとCPのカスカイス駅がすぐに見える。 -
到着。リスボアカードを入口の機械にタッチして乗車。ホームに2車両が止まっていて、乗客らしき2人の人に別々に’これ、ベレンに止まりますか?’と聞くと’ウン’と言う。2人ともそういうので安心して乗ったのだが。。。。
カスカイス駅 駅
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乗車して念のため、google mapで確認。ややや。。この列車、Algesまで8ストップでそこからベレンへは歩いて13分と言っているではないか!!!
さては、これは区間急行というやつでベレンを通過するタイプだったのかと気付く。乗る時に確認した人たちは何でそう言ってくれなかったんだろう。では仕方ない、通路の向かいに座っている若手の黒人オニイサンに聞くとAlgesで各停に乗り換えるといいよと言う。そうだね、Take it easy!! なんとかなるよ、人生。 -
Algesで各停の汽車にめでたく乗り換えてベレンの駅に到着。跨道橋の上に金星が瞬いていた。長い1日の終わり。
ベレン駅 駅
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