2023/03/23 - 2023/03/26
145位(同エリア2647件中)
Noraさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/23
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電車での移動
メトロのテレイロ ド パソ(Terreiro do Paço)駅からジャルディン ズロジコ駅駅へ。
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この旅行記スケジュールを元に
3/18~4/3にかけてまだ寒いシカゴを抜け出し、大西洋を越えてポルトガル~スペインに行って来ました。スペインの表玄関は何といってもマドリード。ただしUAのアワードマイルを使ってシカゴからマドリード間を単純往復というのも芸がないので、エクスカーショニスト・パークの特典を活用してワンストップ=イスタンブール経由でマドリードに行きます。マドリードからはイベリア航空でリスボン。何故にイスタンブール?12年前にイスタンブールに行った時、どう頑張っても時間がなくて諦めたエフェスの遺跡(割と古いものに惹かれるタチで)それと旅行者を疲労困憊させる新スタンブール空港も見ておいていいかな。。と、割と単純な理由です。
蛇足ですが今度の旅で空路、陸路合わせると14000マイルくらいで、今までで一番の長旅、しかも一人旅と。。。家人はアンダルシアの高原で行き倒れになった時のこと等余計な心配をしてくれるのですが、深く考えずに出発することにしました。
8日目はいよいよリスボン旧市街を歩きますが今夜、夜行バスでセビリアへ移動するので心と体の準備をしておかなくてはいけません。それにしてもリスボンは坂の街ですね。坂の中に街がかろうじてあるみたいです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ホテルを出て今夜の夜行バスのターミナルであるセッテリオス駅を事前調査。この陸橋を超えて左折して300mくらい歩いたところに駅があるはずだ。
ホテル メルキュール リスボア ホテル
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。。。とグーグルマップは言っている。どれどれ、歩いてみよう。。。
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まもなく右手に出てきたのはメトロのブルーラインのジャルデイン.ズーロジコ駅。旧市街から帰る時にメトロを使うつもりなのでここが出口だなと一人納得。
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派手な入口が見えてくる。
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Rede Expressos のサインボード。ポルトガルには長距離バスを運行している会社は数社あるが、Rede Expressos がメジャーな会社のようだ。
因みに今回の旅でアレンジしたリスボン~セビリアまでの2国間長距離バスもスペイン国内の長距離バスもすべてALSAバスのサイトでオンライン購入できた。Rede Expressosはポルトガル、ALSAはスペイン長距離バス会社なので国境を超えるポルトガル~スペイン間のバス路線は共同運航をしているのだろう。初めてALSAのウェブサイトでバスチケットを購入したのだが、構築がよくできていてとても使いやすかった。 -
階段/エスカレータを上がるとちょっとプレハブっぽいカフェテリアがある。右横には売店があって盛沢山の出来たてホヤホヤのサンドイッチやマフィンを売っていた。
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その先が長距離バスが整列する広場。
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ここを横切ってターミナルの中に入ると左手に発券窓口がある。オンラインでチケット購入した場合、スマホに送られてきた確認番号その他をここの窓口係員に提示し、ペーパーチケットを発行してもらわないといけない。乗車の際それをバスドライバー員に見せるというシステムになっているようだ。
*ここではパスポート提示は必要ない。なぜならALSA websiteでチケットを購入した場合、私のパスポート#の記入は必須項目に入っていて、彼らのデータベース上でそれを確認できるからだ。この窓口ではそれらの情報を確認して発券するだけ。
*それにスペインとポルトガルは共にシェンゲン協定加盟国なので、2国間の国境移動でパスポートチェックなどはない。 -
向かいにあるインフォメーションデスクのオネエサンにバスの出発ゲートを訊くと19番のラインから出ると。(我々の目には14に見えるが19なのです。)ここに30分前(つまり22:00発なので21:30分)に必ず来るべしと手書きで書いてくれた。
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この奥が各バスの出発ライン。
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機械化した有料トイレ。1ユーロ。5ユーロ札しかない場合はちゃんとお釣りもでる。右のグリーンのシャツを着た方が管理人。
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用事と確認が済んだのでさっきの売店で出来立てのパポセコスのサンドイッチを買う。中身はプロシュート,モッツアレラチーズ、レタス。青空の下でベンチに掛けてリスボンの春風を感じながらの朝食!!!リスボン最後の朝食だゾ。
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ターミナルの外に出るとタクシーが並ぶ通りに出る。人の好さそうなオジサンドライバーにサン・ジョルジェ城に行きたい旨伝える。昨夜https://www.rome2rio.com/でチェックしたところ、所要時間6~7分、6ユーロ程度と出た。高くても10ユーロ位だろう。出発!!
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タクシーはくねくねとした細い坂道を登ってこのサン・ジョルジェ城に到着。この門(Arco de Castelo) は1846年に造られたもので中央にはポルトガル共和国の紋章。この門を入って右手の坂道を上ると入場口に到達する。(ここまでのタクシー代はチップも含め確か10ユーロ?で事足りたと思う。)
サン ジョルジェ城 城・宮殿
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サン・ジョルジェ城の城下町兼土産物屋さん。日本と違ってサン・ジョルジェ煎餅とかサン・ジョルジェ団子みたいな気の利いたお土産はない!
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入場口(出口)のすぐ前にある干しだらのフリッター屋さん。この左に階段があって入場料を徴収する入口がある。
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チケットオフィス。リスボンカード無効。大人15ユーロ。2019年頃の旅行記には10ユーロとあったのに数年の間に50%も値上げしてる。インフレが原因?ちなみにリスボンのインフレ率は8.3%-https://jp.reuters.com/article/portugal-protests-inflation-idJPKBN2V101Iより。
日本は2.73%、米国は4.52%(2023年現在)
西ヨーロッパでは最も物価が安いと言われるポルトガルだが、観光スポットの入場料に関して言えばそれは当てはまらないようで。。。 -
IC リーダーにチケットを当てて入場。
サン・ジョルジェ城はリスボン最古の建造物。城郭内が城址公園となっている。 -
入口を入るとすぐにアルマス広場がある、ディスプレイされている古い大砲がかつてこの場所が要塞であったことを物語る。
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この広場を睥睨するように立つ勇ましい王様、アフォンソ1世(征服王)(1109年? - 1185年)のブロンズ像。1147年、第2回十字軍の支援を受けてこの地に築かれていたムーア人の城塞を征服。初代ポルトガル王。このブロンズ像は、ギマリャンイス城(アフォンソ1世の誕生場所)にある19世紀の作品のコピーである。(ロマン派の彫刻家ソアレス・ドス・レイス作)
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展望台からは赤い屋根、白壁の家々といった典型的なリスボンの街並みが見える。遠くに見えるのはテージョ川にかかる4月25日橋。
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テージョ川とその向こうにクリストレイ。左手前に白く見えるのはバイシャ地区のコメルシオ広場。
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かつてのロイヤルパレス(アルカソヴァ城Alcáçovaの名前で呼ばれた)の遺構。1755年のリスボン大地震で城壁の一部が残るのみ。
リスボン征服後は、ポルトガル国王の居城となったサンジョルジョ城だが歴史を通じて増改築が繰り返された。16世紀に入ると、王の居城としての役割はリベイラ宮殿に移り、スペイン統治下では軍事要塞となった。1755年のリスボン地震で大きな被害を受けても再建されることはなく、長い間、放置されたまま。20世紀になってやっと歴史的価値が再認識され国の史跡に指定され、修復も始まった。 -
サン・ジョルジェ城(もちろん当時はそう呼ばれていなかった)の歴史は古く、BC7世紀頃にはこの場所に住宅などの構造物があった痕跡がある。ー>城内に考古学遺跡がある。
川沿いの高台にあり、テージョ川を見下ろせる要所だったため、BC48年頃から様々な民族が行き交う場所となり、古代ケルト人、ギリシャ人、フェニキア人、後のローマ人と支配者を変えながら地理的重要性を高めていった。小さい城砦が造られたのは5世紀頃だが、9~11世紀半ばに、当時この地を支配していたムーア人(北アフリカのイスラム教徒)によって増築、補強が行われた。やがてレコンキスタがイベリア半島全土を覆い、ついに1147年、十字軍の支援を受けたドン・アフォンソ・エンリケス(アフォンソ一世)によって、この城塞がポルトガル王国の所有となる。しかし現在我々が目にしているものの殆どは、ムーア人によって建造された当時の城砦部分を補修し再構築したものである。 -
この城の名前は14世紀に当時ポルトガル国王のジョアン1世が、この城をフィリパ王妃の出身地であるイングランドの守護聖人“聖ゲオルギオス(Georgios)”に捧げたことに由来する。聖ゲオルギオスは英語読みだと”聖ジョージ(George)”となり、イングランドやモスクワの守護聖人となっている。またこれらの国以外でも兵士や農民や旅行者のため、国境をこえて活躍するグローバル聖人でもある。
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地図のディスプレイ。
アルマス広場を過ぎ①ミュージアム②ギャラリーをすぎたところ。 -
左に向かって進むと城の主要門と石造りの橋が見えてくる。橋の向こうに見えるのはトーレ.デ.メナ―ジェン(Torre. de. Managehm, 英語ではTower of Keepとも呼ばれる)。城壁の内側に高くそびえる防備堅固な主塔で(壁厚が2m以上のこともある)日本の城で対応する建造物はなく、あえていうなら天守閣だろうがそれもぴったりしない。
その前にある低い壁はバービカン(Barbicans)と呼ばれる防御壁である。
橋の左に見える一番手前の大きな塔はユリシスタワー(Ulisses TowerまたはTorre. de. Ulisses)。王宮があった時代、王室の公文書、国税関係の書類、宝物等が保管されていた。
The Barbican and Moat:
https://castelodesaojorge.pt/en/castle/national-monument/the-castelo-de-sao-jorge/
語源:https://www.etymonline.com/jp/word/barbican
城の用語説明:https://lordofcastle.jimdofree.com/%E5%9F%8E%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E8%AA%AC%E6%98%8E/ -
塔の名称、ロケーション、側壁の配置図。
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羽を広げるクジャク。オスの求愛行為だとか。
これらのクジャクは15世紀の大航海時代に本人たちの意思とは関係なく珍鳥としてインドから持ち込まれた数羽の子孫らしい。誰かの旅行記に’野良クジャクがいる’と書いてあって笑ってしまったが、この方たちはそういう背景で持ち込まれた鳥の子孫なんですよ。 -
第1の中庭への入り口。
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水場と井戸のある第2の中庭。この右手前の奥の壁(北側)にDoor of Treasonがある。
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見取り図の#7にあるDoor of Treasonと呼ばれる小さなドア。 第2の中庭の北側にある。本来の意味のDoor of Treason は反逆者がこれらのドアから脱出したとたん、断崖、絶壁から転落するように作られたものであったと思う。なのでFake Doorとも呼ばれた。しかし St.George Castle に関するいろいろなwebsiteをくまなく見ても、このドアについては’メッセンジャーが密かに出入りしたドア’ということしか書いていない。ということは単にsecret door という意味だと理解すればいいのだろうか?このドアの向こうに秘密の通路があるのだろうか?ドアは何も答えてくれない。
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塔の一つから撮った一枚。
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屋根付きのロンダは2塔あり、4方に窓が穿たれていて360度の視界が広がる。これは一つ目のロンダから別のロンダを半分いれてリスボン市内を撮ったもの。
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同じロンダから180度向きをかえるとトーレ.ダ.システィーナ(Torre. da. Cisterna, 井戸の塔)がみえる。雨水を集め、飲料水や生活用水に供するため装置を設置したところであろう。
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リスボンの街並み。
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サンタエングレシア教会と手前に見えるのはサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院 (Igreja ou Mosteiro de São Vicente de Fora)。
サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院 はアルファマ地区にある17世紀に建てられた修道院と教会。『デ・フォーラ』とは城壁の外側、という意味である。ポルトガル国内で最も重要なマニエリスムの建築物の一つであり、ブラガンサ家のポルトガル王たちの菩提寺である。-wikipedia -
ユリシスタワー(Ulisses Tower)。
屋根の上にみえる煙突状のものはこの塔の内部にあるカメラ.オブスキュラ(ピンホールカメラの原理)の装置の一部。ここには光を90度屈折させるperiscope lens(潜望鏡レンズ)が取り付けてあり、採り込んだ光を下方に設置したレンズセット(凸と凹)を透過させ、パラボラスクリーンに投影させている。
このショー自体は15分位なのだが、ポルトガル語、スペイン語、英語と実施する時間帯が決まっており、時間がないので断念した。
*因みに米国西海岸のサンフランシスコのクリフハウスにもカメラ.オブスキュラの装置がある。 -
ユリシスタワー(Ulisses TowerまたはTorre.de.Ulises)からロンダの方に向かって歩くと見えるアーチ。
Ulissesとはオデッセウスのラテン語読みで智将として知られた神様であり、カメラ.オブスキュラのように科学的装置を用いて知的楽しみを提供するタワーに相応しい名と思える。
そのほか、この塔はTorre do Tombo(Tumbling Tower)とも呼ばれる。 -
翩翻と翻るポルトガル国旗。狭い急な階段をカメラを持ちながら上り下りするのは楽ではない。手すりのついてないところもあるので気を付けないと。。。幸い転落することもなく、もとの中庭に到着。
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橋を渡って城の出口にあるベンチで一休み。撮った画像をカメラのモニターで確認しているといつの間にか近づいてきたこのクジャク君。カメラバッグのファスナーを咥えてオープンしようとしている。幸いクッキーが入っていたので細かくして差し上げると(?)瞬く間に食べてしまって次を待っている。そんなことを繰り返して、’No more! That's it.' と言ってたらそばを通りかかった人が笑ってた。でもクジャク君はなぜそんなことを言われるか理解できなかったと思うが。。異文化交流??!
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アルマス広場の片隅でテージョ川を眺めるマニュエル一世に ’お邪魔しました。失礼します。’のご挨拶。
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サンジョルジョ城をでてR. de. Santa Cruz do Castelo通りを下っていく。アルファマ地区は小さな路地が入り組んでいるので、迷いそうだ。グーグルマップとにらめっこしながら進むと、こんなブルーの建物が出てきた。通りも少し広くなってきたのでこのまま右に進めば大丈夫だろう。
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この階段を下るとミラドール広場や28番トラムのストップがあるはずだ。それにしても何とまあ、下手くそな落書きだこと!!街の美観を損ねること甚だしい。
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Lg.das Porta do Solに到着。停車駅名がかろうじて読める程度の小さい字で書いてある。目の不自由な人や観光客にも親切なサイズにしてほしいものだが。。。ここから前方にポルタス・ド・ソル広場が見えている。
ポルタス ド ソル広場 広場・公園
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ポルタス・ド・ソル広場、展望台(Miradouro das Portas do Sol) 。
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ポルタス・ド・ソル広場にたつ聖ビンセンテ。リスボンの守護聖人。ここからミラドール・デ・サンタルイザは歩いてすぐだ。聖ビンセンテのお顔、磨く時期かも?!!
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サンタルジア教会(Igreja de Santa Luzia)。
元々は初代ポルトガル国王アフォンソ1世時代に建てられたバロック様式のキュートな教会。テージョ川方向に設けられた展望台が隣接する。度重なる地震の影響で損傷し、今見られる建物は18世紀に再建されたものらしい。サンタルジア展望台 散歩・街歩き
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外壁のアズレージョはシラクサの聖ルチア(イ語: Santa Lucia, ポ語:Santa Luzia, 英語: Saint Lucy. 伝承による生没年:283年-304年)を描いたもの。聖ルチア(ポ語ではサンタルジア)はキリスト教がローマの国教となる以前に生きた聖女。両目を抉られるという拷問を受けるが信仰を守り通し奇跡により目がなくとも見ることが出来たという。が、最終的に異教徒の手にかかり殉教する。視覚障害者の守護聖人として祀られるだけでなく、生誕地シラクサの守護聖人でもある。余談であるが、有名なナポリ民謡のサンタ.ルチアはこの聖人の名に因むナポリ湾に面した美しい波止場地区、ボルゴ・サンタ・ルチアを称えた曲で天国に行ってしまった世紀のテナー、R.パヴァロッティが軽々と歌唱していたのを思い出す。
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教会の壁面を飾るアズレージョ。
(向かって左側)は1755年の大地震前のプラザコメルシオ広場、つまりテレイロ・ド・パソ(Terreiro do Paço、宮殿広場)と呼ばれた時代のパノラマ図。
(向かって右側)は1147年、サンジョルジョ城にてアフォンソ1世が十字軍の騎士らとともにムーア人と戦った歴史的場面を描いたもの。(そしてポルトガル王国が始まった。)
これらのアズレージョはいずれもViúva de Lamego factory(ヴィウヴァ・デ・ラメゴ陶器工場)製である。https://www.viuvalamego.com/en/handmade/history/ -
サンタルジア展望台(Miradouro de Santa Luzia)より。
サンタ.エングレシア教会のキューポラ。別名“パンテオン”とも呼ばれる教会で、多くの著名人が眠る霊廟としても使われている所。建築は1684年に始まったとされているが、資金不足のため建設が放置された期間があり、最終的な完成には300年を要したと言われている。そろそろ28番のトラムに乗るとしよう。 -
リスボンカードで乗ってサンタ.カタリナ(Santa Catarina) のストップで下車。中が木製で作られており、レトロな感じとか色々言われているトラムだが、人気路線で混みあっており、ゆっくり観察する暇がなかったのは残念。幸いスリには出会わなかったが。。。
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こちらは坂を上ってくるトラム。小さい体でも力持ち。外見はレトロでもおそらくメカニカルな部分は相当アップデートしているのだろう。サンフランシスコのケーブルカーもそうであるように。。
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狭~い入り組んだ通りをすスイスイと進むトラム!!驚くほどの細い道もすり抜けていく・・ リスボンの路面電車の真骨頂!!!アルファマ地区は1755年のリスボン大地震であまり被害を受けなかったために、イスラム時代の街並みが今なお残る地域という。アルはアラビア語の定冠詞、ファマは泉の意味で、泉の街という意味だそうである。。元々は漁師や貧困層が暮らしていた地域で、今でも現地の人々の下町の暮らしが垣間見えると。。。そういえば窓から洗濯物を沢山並べて干してたが、アメリカでは殆ど見ることがない光景である。
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サンタ.カタリナのトラム28のストップからビッカ線のケーブルまでは一駅程度なので再びトラムに乗車。乗り過ごしたら戻ればいい。トラムの車掌さん、気が利く人で、’ケーブルカー、フニクラのえきぃ~~~~~’なんてそこに近ずくと叫んでくれる。さすが観光客が多く利用する路線。皆、’Ohh~~ありがと!’なんて言いながらゾロゾロと下車。
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ケーブルカー(ビッカ線上り)
周知のようにリスボンのケーブルカーは3路線ある。各々若干の違いがあるようだ。
ビッカのケーブルカーは路面の傾斜(12度くらい)に合わせた車体で、車内の床は階段状になっている。この仕様が最も新しいという。
グロリア線:車体の床は水平に作られているので、上側と下側で車両の高さに大きな差ができている。このため、坂の傾斜(18度くらい)に合わせて台車前方を上げ底にしてスカートまたはエプロン?様のものでカバーしたユニークな仕様になっている。
ラヴラ線:グロリア線の車体構造と同じで平らな床に勾配にあわせて斜めになった台車が設置されている。このケーブルの沿線には殆ど観光客は来ないらしいので、かえってリスボンの下町の風景を楽しめるかも。
28番トラムもそうだがこれらのケーブルカーの利用者の大半は観光客のようだ。サンフランシスコのケーブルカーはずいぶん昔から観光客とかお上りさん用で地元の人は殆ど乗らないのだけど。。ケーブルカー その他の交通機関
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大聖堂(Santa Maria Maior de Lisboa)に到着したのが不覚にも6:40pm。扉はすでに6:00pmで閉まっていた。リスボンで一番古い教会(1147年建築スタート)であるし、美しい内陣天井やユニークなバロックスタイルのパイプオルガンを見たかったのだけど、次の機会にするとしよう。
華やかなバラ窓を正面に持つロマネスク様式だが、要塞教会として建設されたため、非常に重厚感がある。天辺が鋸壁になっている側防塔―Fortified Tower―>鐘楼を特に巨大化させて天守の役割を持たせている。防御のために入口や窓の設置も採光を犠牲にしても極限まで抑えてある。色と材質が異なる正面石壁は度重なる地震のあと、修復、強化された部分であることを物語っている。この教会が体験してきた歴史を目の当たりにするようだ。リスボン大聖堂 寺院・教会
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歩いてバイシャ地区へ。コメルシオ広場(Praca do Comercio,『貿易広場』という意味)。1755年のリスボン地震で崩壊したリベイラ宮殿があった場所のため、元の名前テレイロ・ド・パソ(Terreiro do Paço、宮殿広場)の名でも呼ばれている。自転車の集い?広い広場でティーンエイジャーの一団が(競技に備え?)練習していた。
コメルシオ広場 広場・公園
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約200㎡ある広場は勝利の門を中心にテージョ川へ向けてコの字型に建物が配置されている。ボンパル侯爵の意を受けたエウジェーニオ・ドス・サントス(ポルトガルの軍事技術者、建築家・都市プランナー)によるデザイン。彼は地震後のバイシャ・ポンバリーナの計画と再建の主担当であった。
1階に小売店舗やギャラリー、そして上層部を市庁舎、貿易関係の空間として構築した。これは機能主義的なアーバンデザインの先駆けと考えられている。 -
勝利のアーチ(Triumphal Arch)、広場、そしてドン・ジョゼ1世(Dom José I )の騎馬像。
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コメルシオ広場とアウグスタ通りの境にある勝利のアーチ。アーチの頂上には勝利の女神像が立ち、その下にはポルトガル王室の紋章が彫られている。紋章の左右にはインド航路を開いたヴァスコ・ダ・ガマとリスボン大地震後の復興の立役者、ポンバル伯爵(Marquis de Pombal)の像が飾られている。
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テージョ川に向って立つ「ドン・ジョゼ1世の騎馬像」。「改革王」と呼ばれた王様ではあるが、彼自身は音楽と狩猟を好み国政にはあまり関心がなかったようである。実際に改革をすすめ、啓蒙的な専制政治を行ったのは彼の信任の厚かったポンバル侯爵である。
1755年のリスボン大震災”で多くの人々が亡くなった時にカトリックの教会は「それは神が与えた、人間への罰である」と言ったが、「リスボン市民にはそんな殺される罪は無い」と考えた当時の宰相ポンバル侯爵はその後起こった王族暗殺未遂事件に関係のあった貴族を一掃する際に、彼らに関与したとしてイエズス会もリスボンから追放するのである。
大震災後に始まる改革は、産業の育成、教育体系の見直し、市場と農業の保護、奴隷の廃止、ポルトガルにおけるイエズス会の排斥など多岐にわたり、ポルトガルの近代史がここから始まったとも言われる。 -
カイス・ダス・コルナス(Cais das Colunas)。2本の円柱が建つ埠頭。この広場の設計、建築を担当したエウジェーニオ・ドス・サントスの作品。聖書にでてくるソロモンの神殿の柱にインスピレーションを得てデザインしたと言われている。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Solomon%27s_Temple_based_on_the_Biblical_Code_of_1.6666666%E2%88%9E_%28Research_by_Amir_Tuchman%29.jpg -
ギャラリーや飲食店が並ぶ一角。広場を長めながら遅い昼食とする。
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イカ墨のパスタのシーフード仕立。ちょっとバターを使いすぎだったけれど美味。あとレモンティー。
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レストランを外から眺む。
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回廊部分。
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再び歩きメトロのテレイロ ド パソ(Terreiro do Paço)に到着。
地下鉄、フェリーターミナルが合体した複合ターミナルである。 -
電光掲示板の出発案内。
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リスボンカードで改札をくぐり、メトロのプラットフォームに降りる。
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ここからメトロ・ブルーライン (Reboleira-Santa Apolónia)にのって
ジャルディン・ズーロジコ(Jardim Zoológico)は8つ目のストップだ。 -
社内の掲示ボードに次の駅が電光される。このオニイサン、自分の写真撮ってるのかと勘違いしたようだ。
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ジャルディン・ズーロジコ(Jardim Zoológico)に到着。ホテルに帰ってしばしロビーで撮った画像のチェック。フロントに預けたラゲージをピックアップする。9時45分にタクシーを呼んでもらった。近すぎるのでダメかなと思って聞いてみると、フロントスタッフ曰く、荷物のある宿泊客が多いので近くてもタクシーを利用するケースが多いそうだ。
ジャルディン ズロジコ駅 駅
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オンタイムに来てくれた初老のタクシードライバー氏は気のいい人で近距離でもいやな顔をせず、10分ほどででセッテ.リオス.ターミナルに車をつけてくれた。トランクから荷物を出してくれてると、すぐに’この車空いてる?”と聞いてきた女性。今到着したばかりのようだった。ドライバー氏はもちろん、’どうぞ’と言って彼女を後部シートに座らせる。’グッドタイミング!!!’と私が言うと、笑って’いい旅をね’。’あなたも’ 。。お互い一人旅。その何でもない一言が心強く感じる。電光掲示板でセビリア行のバスが20分位遅れていることを知る。しかもターミナルが変更になっている(14番線らしい)。アップデートをチェックするため、掲示版をしっかり見ておかなくてはいけない。ほかのバスも遅れているようだ。所在なさそうに遅れているバスを待つ乗客。
ホテル メルキュール リスボア ホテル
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しばらくして14番線にセビリア行のALSAバスが登場。約15分の遅れだ。
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ドライバー氏がプリントアウトした用紙を持って乗客名とシート#を確認し始める(この点ではデジタル化が遅れている。)各自のラゲージはバスの下側にあるストレージスペースに自分たちで積む。あとはアサインされたシートに座っていれば彼がセビリアまで我々を運んでくれる。ちょっと気が緩む。
因みにリスボン~セビリア間を結ぶ長距離バス会社はこのALSA(スペインの会社)と もう1社、FlixBus(ドイツ系)とがあるようだ。今回のバス旅は一貫管理するため、ずっとALSAを使ったのだが、オンライン予約、変更、確認の手続きがスムースで出発前日にはリマインドのメールをくれたりと非常に優秀な会社だった。ただし後で述べるダブルブッキングはいけないが命に別状はないので大した問題ではない。セッテ リオス バスターミナル バス系
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リスボン~セビリアへ。距離は約527km、所要時間は約7時間。途中、アルブフェイラ(Albfeila)で約30分の休憩。アルブフェイラを過ぎるとポルトガルとスペインの国境を画するグアディアナ川を渡ってセビリアに到達する。この川を渡るところを見たかったのだが、夜なので無理だろう。それと両国のあいだには時差が1時間あることも覚えておこう。
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座席番号。USB ポートもついているのでiPhoneのチャージをする。あとで判明したのだがこの席、ダブルブッキングだった。ドライバーのオニイサンに言うと空いてる席に座ってていいよ。と。でも途中から乗車してくる人もいるので乗客同士で譲歩妥協して空席に座る。こういうことはめずらしくないようだ。
それと最新のバスを投入している路線ではエアラインのように映画などのエンタメのオプションが座席についているようだがこのバスにはそういったものはついていなかった。どっちみち夜行バスなので寝ていればいいし必要ないものだけど。 -
アルブフェイラ(Albfeila)到着。30分休憩したサービスエリア。簡単なペイストリーとかコーヒー、ポテトチップくらいしかない。
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休憩後、再び車中の人に。。。ドライバーのお兄さん、いくら仕事とはいえ30分の休憩のみでほぼ一晩運転し続けるのは大変だろう。彼のプロフェッショナリズムに感謝。
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サービスエリアをでてインファンテ.デサグレス通り(Via do Infante de Sagres)に戻る。全体の行程の約半分まで来た。2時41分。
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アルブフェイラを過ぎファロにさしかかる。2:44分。まだポルトガル時間だ。もう少しすると国境のグアディアナ川(Guadiana River)を渡るだろう。
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約4時間後、セビリアのプラザ.デ.アルマス バスターミナルに約1時間遅れで到着!!!(6:00到着予定、実際は7:08am到着)。でも国境を越えたと言う実感は皆無でまるで隣街に来たような感じだ。
ドライバーのオニイサンは途中30分の休憩のみで7時間近くをぶっ飛ばしてくれた。いくらお仕事とは言え疲れただろう。感謝の気持ちを込めて私なりのチップを差し上げたら受け取ってもらえた。よかった!! -
前方のエスカレーターを上がると地上に出る。ここのトイレは有料ではないのだが、悲惨な状態であった。3つのブースがあるうち2つは壊れていた。1つしか使えないのでお決まりの行列。その一つもトイレットペーパーが床に散らかっている、狭い、床が汚れている等。設備やメンテをちゃんとするのは人件費高騰の折、難しいのだろうか?
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グラウンドレベルにカフェテリアがあったのでカプチーノとクロワッサンで簡単な朝食。ターミナルをでてBooking.comで予約しておいたPetit Palace Vargasホテルに向かう。通りの向こう、目の前に見えるのがそうだろう。前もってメッセージを送り、早朝につくので正規のチェックインの時間までラゲージを預かってくれるか訊いておいた。OKとのことだったので、市内を徘徊する前に荷物をフロントデスクに預けよう。
プラザ デ アルマス バスターミナル バス系
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