
2023/05/06 - 2023/05/06
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かつのすけさん
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ゴールデンウィークも終盤となり、とりあえず大磯へ出かけてみました
【表紙の写真】吉田茂像
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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本日も小田急線での出発となりました
小田急小田原線 乗り物
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お隣に停車しているのは東急の電車 横浜行ですが、こちらの電車は相鉄の横浜行で東急線内には入りません
乗入始まってかなり複雑
電車と行先を見ると東急(東横線)の横浜行のように思える -
ということで、海老名に到着
本日はこちらで乗換ます海老名駅 駅
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ロマンスカーミュージアムの前を通って
ロマンスカーミュージアム 美術館・博物館
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ちょっと離れたJR相模線の海老名駅へ
相模鉄道の海老名駅ではありませんので、念のため -
茅ヶ崎行の相模線に乗車
JR相模線 乗り物
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海老名から続いていたお隣の線路は相鉄厚木線の線路
JR厚木駅のお隣にある相鉄線の操車場に続いていて、相模線とも厚木駅付近で線路が繋がっています相鉄厚木線 乗り物
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社家駅の近くには海老名JCT
社家駅 駅
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宮山駅は寒川神社の最寄駅です
宮山駅 駅
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終点茅ヶ崎に到着
東海道線に乗換ます茅ケ崎駅 駅
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熱海行の電車に乗り
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平塚のお隣大磯で下車して
大磯駅 駅
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駅を出発します
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駅前の観光案内所で貰った
大磯駅前観光案内所 名所・史跡
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このマップを参考に歩きます
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案内所のすぐ目の前にあったこちらの洋館は旧木下家別邸
貿易商木下建平氏が大正元年に別荘として建築したもの大磯迎賓館 (旧木下家別邸) グルメ・レストラン
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地福寺にやって来ました
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お賽銭箱にはこんなのが…
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昭和16年に大磯に転居した島崎藤村は、昭和18年その大磯の自邸で亡くなり、この地福寺に葬られました
お隣には妻静子さんも眠っています地福寺 島崎藤村の墓 名所・史跡
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海まで来ました
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1階は地元の農水産物が販売されていて、2階は魚介類をベースとしたフュージョン料理のお店
OISO CONNECT CAFE grill and pancake グルメ・レストラン
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漁港の入口には灯台
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早くもプールで泳いでる人がいます
まぁ、この日は暑かったけどポートハウスてるがさき テーマパーク
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ドイツ人医師ベルツにより紹介されていた海水浴を普及させるための適地を探していた陸軍軍医総監松本順により海水浴場として開かれたとして松本順の謝恩碑が建っています
照ヶ崎海岸 自然・景勝地
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原敬大磯別荘跡地 現在は普通の民家が建っています
ここ大磯にはこの他に吉田茂、伊藤博文、山縣有朋,西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光や三井、岩崎、安田、古河といった政財界要人の別荘が立ち並び、「政界の奥座敷」とも云われていたそうです -
国道に出たところには問屋場跡
大磯宿は東海道五十三次の8番目の宿場町
平塚宿と小田原宿の間にありました大磯宿 名所・史跡
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さきほどの島崎藤村もこの大磯で亡くなっていますが、同志社創設者の新島襄もこの地で亡くなっているそう
新島襄は心臓疾患の療養のためここ大磯に滞在していました新島襄終焉の地 名所・史跡
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こちらは高札場跡
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「湘南発祥之地 大磯」の碑
湘南の語源はかつて中国にあった長沙国湘南県の湖南省を流れる湘江の南部のことを指していたそうで、小田原に住んだ中国からの渡来した子孫が鴫立庵の敷地にある石碑に「著盡湘南清絶」と刻んだことが起源と云われているそうです -
京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並んで日本三大俳諧道場の一つ鴫立庵
鴫立庵 名所・史跡
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この細~い道を進んで行きます
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春の陽気で花満開
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さて、さきほど地福寺にお墓があった島崎藤村ですが、大磯ではこちらの家に住んでいました
旧島崎藤村邸 名所・史跡
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こちらはその中
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「東方の門」序章の文章を赤と黒のペーパーで切り抜いた衝立だそうです
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三間の平屋建ての民家 で外壁には杉の皮、引き戸には大正ガラスが使われています
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統監道を通って国道へ
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再び国道へ戻ってきました
正月の駅伝でもよく見る松並木を過ぎると旧東海道松並木 名所・史跡
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明治記念大磯庭園
嘗て多くの別荘がこの大磯に建てられましたが、ここでは旧大隈重信別邸・旧古河別邸及び陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸及び庭園が公開されています
現在でもお隣には古河倶楽部(古河電工の保養施設)がありました
そのお隣にある中学校も、元々山形有朋の別荘があったところだそうです明治記念大磯邸園 公園・植物園
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旧大隈重信別邸
現在耐震改修工事中でした
大隈重信邸は竣工から4年で古河市兵衛に譲渡され、古河電工の所有となった -
中を見学できないので、パネルの写真から
こちらは大広間「富士の間」 -
応接間
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神代の間は大隈重信が書斎として使用していた部屋
貴重な神代杉をふんだんに使用していたため「神代の間」と呼ばれているそう -
鉛ガラス
透明度は現在のガラスよりも上で、現在では再現できないものだそうです -
そばには吉田茂愛用の五右衛門風呂
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庭園は自由に散策できます
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旧大隈邸はお隣にある旧陸奥邸とともに後に古河市兵衛所有となったので、両邸の庭が繋がっていて庭園はかなり広い
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古河緑地と呼ばれる庭園からは西湘バイパスの向こう側に相模灘を望むことができます
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しばし庭園を散策
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石灯籠の手前にある石は大観腰掛岩と云われています
横山大観が座ったと言われる石 -
こちらも耐震改修中
こちらの陸奥宗光邸は陸奥が明治27年に土地を取得し、死後に陸奥の次男潤吉を養子としていた古河市兵衛が譲り受けた
現在の建物は昭和5年に古河家3代目虎之助により建築されたもの -
お庭からの外観
耐震工事をしてなければ多分こんな感じ -
玄関
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応接室兼主人室
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脱衣室
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庭園にあるバラ園へ
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訪れたのはゴールデンウィーク後半
バラの花もかなり咲いていて見ごろに近かった -
色々な色のバラが咲いています
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お隣には伊藤博文邸跡・旧李王家別邸 滄浪閣があった
明治29年に伊藤が大磯に建てた別邸を翌年本邸とした
伊藤没後は李王家に譲渡され別当として使用されていたが、関東大震災で倒壊し再建 -
西園寺公望別邸跡・旧池田成彬邸は非公開ですが、国道から建物が見えます
現存の建物は西園寺公望から建物を譲り受けた池田成彬の東京本邸が関東大震災で倒壊したため、旧建物を建て替えたもの -
ここで日本橋から70km
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途中川を渡りますが、その川の名前が「血洗川」
以前「血洗島」には行ったことがありますが…
https://4travel.jp/travelogue/11720882
どちらにしてもちょっと怖い名前ですね
源頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際に狼藉をはたらいた者がおり、梶原景時の子悪太郎景義が疑いをかけられ、この地蔵に帰依していた悪太郎はお参りに来た際に畠山重忠によって討たれたが、悪太郎の身体には傷はなく、代わりにこの地蔵が血を流し、その腕も刀傷を受けたかのようで、その時に地蔵が流した血を洗ったことによりこの名がついたと言われているそうです -
大磯城山公園に到着
駅から2kmちょっと 結構距離ありました
こちらは旧三井別邸地区
であいの広場から散策を始めます県立大磯城山公園 公園・植物園
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階段を登って奥へ
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嘗てはこの上に橋が架かっていたそうです
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崖には横穴
園内には20か所ほど、この一角には12か所あるそうで、古墳時代のお墓だそうです -
郷土資料館に
大磯町郷土資料館 美術館・博物館
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郷土の歴史
大磯の特徴としてはやはり高位高官らの別荘があった点でしょう -
展望台 標高42m
さきほどのであいの広場の標高が14mなので、そこよりも28mほど高い場所にあります -
展望台からは相模湾View
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遠くには富士山も・・・見えたかな?
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国府橋
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小淘綾ノ滝(こゆるぎのたき)
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茶室「城山庵」
三井別荘時代にあった国宝茶室「如庵」を模した建物 -
さきほどの小淘綾ノ滝から水が流れ込んだ不動池
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西門の前を通って
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続いては旧吉田茂邸地区へ
ここは明治17年に吉田茂の養父吉田健三が土地を購入して別荘を建てたことに始まり、昭和20年ころから本邸として使用してきた邸宅です旧吉田茂邸 美術館・博物館
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中門(兜門)を入ります
この兜門はサンフランシスコ講和条約を記念して昭和29年に造られたもの
モデルは京都裏千家今日庵の兜門 -
中に入って行くと庭園が広がります
邸宅は観覧料が510円ですが、庭園には無料で入ることができます -
昭和36年に完成した庭園は中島健氏による作庭で、昭和36年頃に完成したそうです
心字池を本邸の西側に配した池泉回遊式庭園で、池の中央に吉田邸に向かう亀の姿をイメージした亀島があり、背中に石造十三重塔を背負っています -
十三重塔の向こうに見えるのが旧吉田茂邸の建物
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敷地内にお墓?
誰も注目をしていないのか、後でネットで調べてみたけど結局誰のお墓なのかわからず仕舞 -
海の近くには吉田茂像が立っています
昭和58年に建てられたもので、太平洋の向こうにあるサンフランシスコと首都ワシントンに視線が向いているそうです -
七賢堂に来ました
伊藤博文が滄浪閣に建てた四賢堂が起源で、伊藤博文没後に伊藤を合祀した五賢堂がここに移築され、これに西園寺公望と吉田茂没後に吉田を合祀して七賢堂となりました
扁額の「七賢堂」の文字は佐藤栄作が揮毫したそうですが、佐藤栄作は祀られていないよう -
中池の畔には大正天皇行幸碑が建っています
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中池の脇を通って邸宅へ
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こちら旧吉田茂邸は昭和54年の大平首相・米カーター大統領の日米首脳会談等も行われた場所ですが、平成21年3月22日火災により焼失してしまい、平成29年に再建工事が落成し一般公開されています
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その焼失の際に邸の中ではこのサンルーフだけが焼失を免れたそうです
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それでは中へ
観覧料は510円です -
1階 楓の間(応接間)
日差しも入り、広々とした明るい部屋です
広さは40畳あるそうです -
吉田茂の写真と言えばステッキを手にしている印象があります
※ステッキは複製品です -
展示されていた衝立
吉田茂と岳父・牧野伸顕宛の書簡を表装としています(複製) -
昭和天皇 香淳皇后 竹内滝(実母) 竹内綱(実父) 吉田健三(養父) 牧野伸顕・峰子夫妻(義親)
アレキサンドラ英王女夫妻 ロバート・クレイギー 吉田茂・雪子夫妻 蒋介石 蒋介石と吉田茂
コンラート・アデナウアー ウィンストン・チャーチル ジョン・フォスター・ダレス ダグラス・マッカーサー -
楓の間の大きな窓から外を見る
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2階へ
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階段を登ると正面に浴室があります
浴槽は舟形 -
書斎
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この掘りごたつがある4.5畳
晩年の吉田はここを書斎としていたそうです -
このダイヤルのない黒電話は首相官邸への直通電話なんだそう
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掛け軸
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エレベーターで再び2階へ
先ほどの応接間棟の2階とは別で食堂の上にあるので、同じ2階でも先ほどの書斎からは直接来れないみたいです
こちらは金の間(居間) -
窓からは相模灘が見えたり
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富士山も見えます(この日もうっすらとではありましたが、富士山が見えました!)
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日露戦争時、満州軍総司令官であった大山巌に対して伊藤博文が激励のため送った自作の漢詩(複製)
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金の間のお隣にあるのが銀の間(寝室)
天井も一面銀色になっています -
こちらにもお風呂
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階段で1階へ下りてローズルーム(食堂)へ
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大きな窓から見える庭園
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吉田茂元首相の肖像画
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邸宅内の見学を終えて、ばら園へ
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こちらのばら園もカラフルなバラが咲き乱れていました
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バラの花
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たくさん咲いています
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大磯町のマンホール
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駅まで行く途中で寄ったのは
妙大寺 寺・神社・教会
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妙大寺
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こちらにあるのが先ほど書いた日本初の海水浴場を大磯に開いた松本順のお墓
念のため書いておきますが、「松本潤」ではないですよぉ
松本順もここ大磯に邸宅があったそうで、明治40年にこの大磯の邸宅で心臓病のため亡くなっています -
駅に戻ってきました
大磯駅 駅
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駅前で13時39分発の熱海行の電車が行ってしまったけど、小田原までならそんなに待たなくてもすぐに電車来るだろうって
この時は思っていました
そしたら何と次の13時53分発の小田原行(上野東京ライン経由)は東神奈川駅付近の京浜東北線内の線路上の支障物のため30分ほど遅れているとのこと
ということで、本来大磯を通過するはずの特別快速(湘南新宿ライン経由)の小田原行を臨時停車させて遅延に対応するとのこと
推定14時03分ころ通過予定の特別快速ですが、各駅に停車して10分ほど遅れて -
ようやく来た特別快速(結局各駅停車)の小田原行
さっきの熱海行に乗れなかったのが非常に悔やまれますが、これに乗って小田原へ向かいます
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