2021/11/06 - 2021/11/06
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かつのすけさん
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渋沢栄一が一万円札の肖像に決まり、大河ドラマの主人公にもなったことから、深谷は今最大の注目を浴びています
なので、大河ドラマが放映されている間に深谷に行ってみました!
これで新一万円札にも肖(あやか)れるかも?
【表紙の写真】JR深谷駅舎
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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本日は埼玉県の深谷です
現在放映されている大河ドラマ「青天を衝け」(主演:吉沢亮)の主人公や新1万円札の肖像画に決定した渋沢栄一の出身地として、注目を浴びている街です深谷駅 駅
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駅舎は明治に深谷産の煉瓦が東京駅の建築に使用されたことから、東京駅をモチーフにしています
平成8年に改築されて、関東の駅100選にも選ばれている駅なんですよ! -
市内散策のアイテムをゲットしにここへ立ち寄り
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まだバスの時間まであるので、駅の南口(静かな方)へ
こちら側も煉瓦の駅舎のフォルムが美しい -
駅からすぐの場所には瀧宮神社があります
瀧宮神社 寺・神社・教会
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この日は七五三で賑わっていました(とまでは行きませんでした)
御祭神は天照大御神・豊受大御神・彦火火出見尊の三柱です
創建は太古、この地に住みついた先祖が湧き出る真清水の恵みを称えて祀ったのが始まりで、深谷城が康正2年上杉房顕により築かれると、その方角から裏鬼門の守護神として伝えられました -
参道脇には神池があります
紅葉も少し始まってきました -
駅前にふっかちゃん発見!
深谷市のご当地キャラです -
駅前を再び通過して南口へ
きれいな煉瓦の装いですが、実際にはコンクリート製駅舎に煉瓦風タイルを張ってあるそうです -
こちらにもふっかちゃんがいました
からくり時計のイメージは渋沢栄一が作った第一国立銀行です -
階段アートにもいます
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こちらは駅前の青淵広場に見つけた栄一さん(作・田中昭 平成8年)
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駅前通りにあったふっかちゃん横丁
「深谷宿屋台村」とも書かれています -
渋沢栄一ふるさと館OAK
日替わりでオーナーが変わるシェアカフェと深谷市の物産品などを販売する物産館が併設する”街の駅”的なお店だということです -
仲町のバス乗り場に来ました
次のバスは11時11分発 -
渋沢栄一論語の里循環バスは論語の里(尾高惇忠生家~中の家)の循環バスですが、1時間に1本くらい駅の近くから論語の里へ行くバスがあります
始めは乗客があまりいませんでしたが、大河ドラマ館で沢山人が乗ってきました
一応緊急事態宣言は解除されたけど、隣に座って大声で喋るなら、マスクを顎にかけないでちゃんと鼻と口を覆ってもらいたい -
バスは途中、大河ドラマ館、北部運動公園(誠之堂・清風亭)、尾高惇忠生家、渋沢栄一記念館といった渋沢栄一ゆかりの場所を経由して
深谷大河ドラマ館 美術館・博物館
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渋沢栄一の生地「中の家(なかんち)」へ
無料で見学できます
血洗島には渋沢姓が17軒あったそうで、区別をするために「中の家」という屋号を用いていました
渋沢家のルーツは甲斐国巨摩郡渋沢村(山梨県北杜市)で、甲斐源氏の一族ともいわれ、戦国時代に血洗島に帰農し、分家を繰り返したそう(諸説あります)
栄一の父市郎右衛門(元助)の実家「東の家」が一番栄え、名主となって名字帯刀も許され、「中の家」は元助の時代に養蚕や愛玉で傾いていた家運を再興し、名字帯刀を許された豪農でした渋沢栄一生地 (中の家) 名所・史跡
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門を入ると若き日の渋沢栄一翁がお出迎えしてくれます
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こちらの母屋は明治28年に妹てい夫婦により建てられたものなので、栄一さんはこちらには住んでいませんでしたが、毎年近くの諏訪神社の祭礼に合わせて帰郷していたそうで、栄一さんが使った部屋も残っています
栄一さんが生まれたときの家は明治25年に火事で焼失してしまったそうです(だから生家ではなく生地です)
コロナの影響か、耐震工事のためか、建物内には入れませんでしたが・・・
栄一さんに男兄弟はいなかったので、妹のていさんが親戚の須永家から市郎さんを婿養子にしました -
なので、お庭から建物の中を拝見
こちらはザシキ(座敷)、襖の向こう側の奥の部屋はネマ(寝間)になっています -
まだプレ公開の渋沢栄一アンドロイドが上座敷に座っています
このお部屋は渋沢栄一が里帰りした際に泊まった部屋なんだそうで、このアンドロイドは深谷市出身のドトールコーヒーの会長さんからの寄付で造られたそう -
母屋を囲むようにして土蔵がいっぱいあります
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土蔵Ⅲは道具蔵、土蔵Ⅳ(写真)は1階を奥座敷、2階を宝蔵に使ったと考えられています
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裏庭は結構広く、竹林も見られます
川を挟んで向こう側に広大な青淵公園が見えます -
裏庭には竈がありました
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右側が晩香渋沢翁(父・渋沢市郎右衛門)招魂碑、左側が先妣渋沢氏(母・えい)招魂碑
谷中墓地から平成26年に移葬されたそうです -
渋沢平九郎追懐碑
尾高惇忠の弟(栄一の従兄)で、栄一がパリに向かう時に急遽栄一の見立て養子となりましたが、戊辰戦争で黒山(越生町)で自刃して亡くなりました -
こちらも土蔵
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養蚕農家の特徴である屋根の上に「煙出し」と呼ばれる天窓があります
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東門を出たところにあったお食事処です
ちょうどお昼になったので、こちらで昼食にしようと思いましたが、1時間くらい待ちそうだったのでやめました
コロナ明けだからか、新札効果なのか、大河効果なのかわからないけど、結構見学客多かった~麺屋 忠兵衛 煮ぼうとう店 グルメ・レストラン
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中の家に隣接して稲荷神社があります
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その前には渋沢家のお墓もありました
この地域の特徴なのか、お墓はお寺ではなく(そもそも神社はあったけどお寺があまりなかった) 、家の敷地や道端に家ごとに建っている感じです -
中の家から歩いて5分くらいの場所にある血洗島の鎮守 諏訪神社です
「青天を衝け」でも舞われた獅子舞はこの諏訪神社で元亀2年に始まったとされ、五穀豊穣を祈って奉納されているものです -
こちらの拝殿は大正5年 栄一さんによる寄進造営なんです
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境内にある大正5年に建てられた渋沢青淵翁鬼呪碑
徳川慶久(徳川慶喜の長男)題額だそう -
交差点の角にあるフードショップ渋沢
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こちらの庭先に建っていました
「天皇皇后両陛下来村 平成二十九年十月二十一日
渋沢市郎右衛門・喜作 宗助 東の家(ひがしんち)跡地」
ここが東の家(栄一の父宗助の生家)のあったところのようですね -
この地域の地名は「血洗島」
ちょっと不気味なこの地名の由来は、平安時代に八幡太郎義家の奥州遠征の途中で家臣の一人が切り落とされた片手を洗ったことによると言われています
やっぱりちょっと怖い由来ですよね
江戸時代は岡部藩安部家
https://4travel.jp/travelogue/11650727
の領地でした -
中の家からは論語の里を繋ぐ一本道
さきほどバスで通ってきました -
沿道では名産の深谷ネギを生産
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諏訪神社から歩いて10分ほどで渋沢栄一記念館に到着
こちらも無料で見学できますが、基本的に撮影はNGです渋沢栄一記念館 八基公民館 美術館・博物館
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こちらにもあった渋沢栄一アンドロイド
世界初の渋沢栄一アンドロイドだそうです(渋沢栄一のアンドロイドが世界でどれだけあるんでしょうか…?とも思いますが)
見学には予約が必要と書かれていたけど、予約なしでも見ることできました -
外には栄一さんの石像があります
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論語の道を進み、鹿島神社です
こちらは血洗島のお隣下手計(てばか)村の鎮守 -
御神木の欅の木の下には渋沢栄一がいたころは神水が湧いていたそうです
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大きな藍香尾高翁頌徳碑は栄一さんらが建てた尾高惇忠の人となりや業績を伝えるもので、徳川慶喜篆額だそうです
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創立年代は不明ですが、天慶年代に平将門追討の際に六孫王源経基の臣・竹幌太郎がこの地に陣して祀ったと伝えられています
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記念館から15分くらい(途中鹿島神社に寄ったので、普通に歩いたら10分くらい)で尾高惇忠生家に到着
栄一の学問の師で、従兄弟であり、妻千代の兄(義兄)でもあり、明治には初代富岡製糸場長や第一国立銀行の森岡支店長・仙台支店長等を務めた人物です尾高惇忠生家 名所・史跡
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中に入り、土間をスルー
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建物の中を見られるのはこれだけなんですね
非公開ですが、2階に高崎城乗っ取りや、横浜外国商館の焼き討ちの謀議をした部屋があるんだとか -
庭に建つ土蔵は煉瓦造り
使われた煉瓦は日本煉瓦製造株式会社製のものだということが分かっています
ちょうどガイドさんによる説明が始まりましたので、特に意図していたわけではありませんが説明を一緒に受けました -
尾高惇忠生家から更に歩いて10分ほど
北部運動公園にある誠之堂と清風亭
まずは誠之堂を見学誠之堂 清風亭 名所・史跡
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こちらは玄関のハーフティンバー
柱や梁などの木組みが壁から外に現れ、装飾も兼ねている北欧にみられる木造建築構造
誠之堂は大正5年栄一の喜寿を記念して第一銀行の行員の出資により建てられ、平成11年に世田谷区瀬田の第一銀行の保養・スポーツ施設清和園に建てられたものが移築されました -
中の大広間はこんな感じ
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中国風の珍しい題材で、漢代の貴人と侍者、それを饗応する歌舞奏者と厨房の人物たちの像は、渋沢栄一を貴人に見立て喜寿を祝う情景と考えられているそうです
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暖炉の上の渋沢栄一の肖像レリーフ
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控室の網代天井
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続いてお隣にある清風亭へ
こちらの建物は大正15年に当時第一銀行頭取だった佐々木勇之助の古希を記念して誠之堂と並べて建築されたもの
なので、直接渋沢栄一には関係ないと思われますが、誠之堂と一緒に移築されています -
こちらも洋風の大広間
天井は漆喰で壁サラサラ(砂壁)
梁型の両側には唐草模様の彫刻が施されています -
暖炉もあります
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途中の高畑にあった鷲宮神社
御由緒は不明とのことです
鳥居から拝殿までロープが張られていました -
遠くに高い煙突が見えました
多分次の目的地はあのあたり -
備前梁用水にかかる新井橋にも煉瓦が使われていました
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日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設まで来ました
この日本煉瓦製造も栄一が設立にかかわった会社です日本煉瓦製造旧煉瓦製造施設 名所・史跡
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旧事務所の建物は明治21年にドイツ人煉瓦技師チーゼの居宅兼事務所として建設された建物
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旧事務所の模型も展示されていました
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ふっかちゃんと煉瓦
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廊下
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展示品です
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製造された煉瓦も展示
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外に出て裏側に回りました
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建物の裏には創業周年を記念する煉瓦製の碑が建っています
渋沢栄一の手により設立された日本煉瓦製造ですが、後に太平洋セメントの子会社となり、2006年に自主廃業となって清算されました
同時にこの施設は深谷市に移転して保存公開されています -
旧変電所は明治39年に蒸気機関から電動機に切り替えるために建設されたものです
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明治40年建造のホフマン輪窯6号窯
先ほどの高い煙突の建物みたい -
ですが、現在は見学中止になっています
先ほどの写真は展示されていた写真です -
駅の方へと歩き、横山神社
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割れて無残な姿になった鬼瓦が置かれていました
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神社の境内を通って城址公園へ
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深谷城址公園では何かのイベントでしょうか?
深谷城址公園 公園・植物園
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深谷城は康正2年深谷上杉家の上杉房顕が築いた平城
深谷上杉氏家紋碑が建っています -
城址公園の前にある深谷大河ドラマ館に来ました
今年の大河ドラマ「青天に衝け」は深谷出身の渋沢栄一が主人公
ということで、2022年1月10まで生涯学習センターに大河ドラマ館があります深谷大河ドラマ館 美術館・博物館
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入館料800円を払い中へ
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随所に出演者のパネル
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セットの前にも
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セットを忠実に再現しています
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セットの中にも
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囲炉裏で記念撮影していた人もいました
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井戸
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市郎右衛門の白衣と前掛
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藍玉と乾燥藍葉
渋沢家の主業となっていのが藍玉の販売でした -
渋沢ゑい(栄一の母・左=演・和久井映見)と市郎(栄一の父・右=演・小林薫)の衣装
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こちらはドラマで実際に使用された小道具です
左にあるのは血判状 -
吉沢亮さんと記念撮影もできますよ
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ドラマ撮影の様子が流れています
こちらは先ほどの諏訪神社での獅子舞ロケの風景だそうです -
ドラマで実際に使われた衣装
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渋沢栄一ゆかりの地
今回はこの中の多くの地を巡りました -
こちらは大河ドラマ館を出た後に展示されたクラシックカー
ドラマとは関係ありません! -
出口を出たら深谷物産館
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エントランスには井戸のセットで撮影するシーン
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外では万札をばらまく栄一さんと深谷市のご当地キャラふっかちゃんのコラボ
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トイレの壁には新一万円札です
金ウンが出そうなトイレ(失礼しました) -
陽も随分落ちてきました
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旧中山道を進み
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結局昼食をぬく羽目になったけど、本日のコースはほぼ田園風景の中を歩いてきたので、途中殆ど食べる場所がなかった
お腹すいたけど駅前にもあまりお店が見つからないので駅の近くのビッグロフトへ -
とりあえずは何か食べたかったので、ココイチで
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メンチカツカレーいただきました
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食事をしている間にだいぶ暗くなってしまいました
17時ごろ深谷駅に到着
暗くなるのが随分早くなったと思ったら、もう11月なんですよね深谷駅 駅
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東京上野ラインで帰ります
JR高崎線 乗り物
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