摩周・弟子屈旅行記(ブログ) 一覧に戻る
最高の天気の下での「おーろら1」のクルーズが続きます。このままロシアまで行ってしまうのではないかと思うほど流氷の奥へと進んでいます。約30分が過ぎたところでUターンして網走港へと戻り始めます。しばらく戻ったところで後方のデッキへ出てみると、流氷の中を進む航跡も楽しむことが出来ました。1時間のクルーズが終わり、道の駅での自由昼食になります。2階にフードコートもありましたが、混雑しているので1階の売店でザンギと網走バーガーと地ビールで軽い昼食にしました。食事した後は絵葉書を買って、2枚ほど書き上げましたがポストがありません。道の駅の方に聞くと近くに郵便局があるというので1人で散歩に出かけました。この日の釧路空港からのフライトは遅い時間で、予定の観光では時間が余ってしまうので予定外の「天都山展望台」に行くことになりました。ここは27年前に弟家族と一緒に来た懐かしい場所でしたが、実際に行ってみると建物も変わっていて面影はありませんでした。ただ展望台からの景色は素晴らしく、知床連山から流氷へ向かい「おーろら1」が見えました。これでオホーツク海ともお別れで、バスは美幌町を経由して「美幌峠」に向かいます。残念ながら峠では休憩もしないで「屈斜路湖」へ向かったバスは下っていきます。「屈斜路湖」から弟子屈町を通過して「摩周湖」の展望台で休憩とフリータイムになります。ツアーでは「摩周湖第1展望台」に出来た「カムイテラス」が売りになっていますが、特に大したことはありませんでした。内陸部に入ってからはずっと曇っていましたが、「摩周湖」に到着すると晴れ渡り、湖面がきれいに見えました。フリータイムが終わってバスが出発する頃には一面が霧に覆われ、雨まで降ってくる始末です。釧路空港へは午後5時前に到着し、ツアーは終了します。荷物を預けて身軽になり、空港のレストランで最後の食事にします。妻がどうしてももう一度食べたいというスパカツ」をいただきました。これは釧路の街中にある「泉屋」という洋食屋のメニューですが、2年前に食べて衝撃を受けました。これを最後にいただいて妻も大満足のようです。羽田まで楽しく話をしながら戻り、空港で友人ともお別れです。次はどこへ一緒に行こうか思案中です。

クラブツーリズム 流氷ダブルクルーズオホーツク流氷絶景ハイライト3日間(5)天都山で絶景を眺め、美幌峠を超えて摩周湖を見て釧路空港へ向かう。

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2023/03/03 - 2023/03/03

262位(同エリア372件中)

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kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

最高の天気の下での「おーろら1」のクルーズが続きます。このままロシアまで行ってしまうのではないかと思うほど流氷の奥へと進んでいます。約30分が過ぎたところでUターンして網走港へと戻り始めます。しばらく戻ったところで後方のデッキへ出てみると、流氷の中を進む航跡も楽しむことが出来ました。1時間のクルーズが終わり、道の駅での自由昼食になります。2階にフードコートもありましたが、混雑しているので1階の売店でザンギと網走バーガーと地ビールで軽い昼食にしました。食事した後は絵葉書を買って、2枚ほど書き上げましたがポストがありません。道の駅の方に聞くと近くに郵便局があるというので1人で散歩に出かけました。この日の釧路空港からのフライトは遅い時間で、予定の観光では時間が余ってしまうので予定外の「天都山展望台」に行くことになりました。ここは27年前に弟家族と一緒に来た懐かしい場所でしたが、実際に行ってみると建物も変わっていて面影はありませんでした。ただ展望台からの景色は素晴らしく、知床連山から流氷へ向かい「おーろら1」が見えました。これでオホーツク海ともお別れで、バスは美幌町を経由して「美幌峠」に向かいます。残念ながら峠では休憩もしないで「屈斜路湖」へ向かったバスは下っていきます。「屈斜路湖」から弟子屈町を通過して「摩周湖」の展望台で休憩とフリータイムになります。ツアーでは「摩周湖第1展望台」に出来た「カムイテラス」が売りになっていますが、特に大したことはありませんでした。内陸部に入ってからはずっと曇っていましたが、「摩周湖」に到着すると晴れ渡り、湖面がきれいに見えました。フリータイムが終わってバスが出発する頃には一面が霧に覆われ、雨まで降ってくる始末です。釧路空港へは午後5時前に到着し、ツアーは終了します。荷物を預けて身軽になり、空港のレストランで最後の食事にします。妻がどうしてももう一度食べたいというスパカツ」をいただきました。これは釧路の街中にある「泉屋」という洋食屋のメニューですが、2年前に食べて衝撃を受けました。これを最後にいただいて妻も大満足のようです。羽田まで楽しく話をしながら戻り、空港で友人ともお別れです。次はどこへ一緒に行こうか思案中です。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
グルメ
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • このまま流氷を進んだらロシアまで行けそうな気になってきます。思えばコロナ禍が始まった2020年の3月に予定していた旅はウラジオストクでした。出発する10日前にビザの発給が止まり、出発を断念したことも思い出しました。

    このまま流氷を進んだらロシアまで行けそうな気になってきます。思えばコロナ禍が始まった2020年の3月に予定していた旅はウラジオストクでした。出発する10日前にビザの発給が止まり、出発を断念したことも思い出しました。

  • 「おーろら3」の乗客が手を振ってくれています。こちらも手を振り返します。

    「おーろら3」の乗客が手を振ってくれています。こちらも手を振り返します。

  • 残念ながらクルーズ船はロシアへは向かわず、網走港へ舵を切りました。

    残念ながらクルーズ船はロシアへは向かわず、網走港へ舵を切りました。

  • 3月にもなると流氷の厚さもそれほどではないようで、「おーろら1」はゴンゴンと氷の中を進んでいきます。何か野生動物は見えないかと目を凝らしますが何も見えません。

    3月にもなると流氷の厚さもそれほどではないようで、「おーろら1」はゴンゴンと氷の中を進んでいきます。何か野生動物は見えないかと目を凝らしますが何も見えません。

  • 次に知床半島へ来るときは知床五胡を歩くことと、ウトロから知床半島の先端までを往復するクルーズ船に乗ることです。地図で見ると遠く感じますが、この「おーろら1」が網走からウトロへ出向いてクルーズをします。これだけの大型船であれば安心です。

    次に知床半島へ来るときは知床五胡を歩くことと、ウトロから知床半島の先端までを往復するクルーズ船に乗ることです。地図で見ると遠く感じますが、この「おーろら1」が網走からウトロへ出向いてクルーズをします。これだけの大型船であれば安心です。

  • 再び「おーろら3」とすれ違います。

    再び「おーろら3」とすれ違います。

  • 「能取岬」の向こう側はまだ流氷に覆われていることでしょう。

    「能取岬」の向こう側はまだ流氷に覆われていることでしょう。

  • 流氷帯を超えてしまうとデッキの先頭にいる意味も無くなるので後方へ場所を移動します。さっさと風の来ない中に入ってしまった妻たちを探さなければなりません。

    流氷帯を超えてしまうとデッキの先頭にいる意味も無くなるので後方へ場所を移動します。さっさと風の来ない中に入ってしまった妻たちを探さなければなりません。

  • 紫外線と風が強いので写真を撮るときもマスクとサングラスは外しません。今となっては本当に妻だったかも分かりません。

    紫外線と風が強いので写真を撮るときもマスクとサングラスは外しません。今となっては本当に妻だったかも分かりません。

  • 「タイタニック」ごっこのようです。普段の妻ならお腹に手を回したら怒りますが、高校生からの友人だと無防備です。

    「タイタニック」ごっこのようです。普段の妻ならお腹に手を回したら怒りますが、高校生からの友人だと無防備です。

  • 湾内に戻ってくると薄い氷の中を進みます。船体に押された氷が簡単に割れていくさまも面白いです。

    湾内に戻ってくると薄い氷の中を進みます。船体に押された氷が簡単に割れていくさまも面白いです。

  • それをスクリューがかき混ぜていきます。何となくおいしそうに見えてきます。

    それをスクリューがかき混ぜていきます。何となくおいしそうに見えてきます。

  • いろいろな船に乗っていますが、こんな航跡は初めてです。

    いろいろな船に乗っていますが、こんな航跡は初めてです。

  • かき混ぜられて気泡が混ざった海水はエメラルドグリーンに色が変わります。

    かき混ぜられて気泡が混ざった海水はエメラルドグリーンに色が変わります。

  • 帽子岩が見えてくるとクルーズも終わりです。帽子岩は古いアイヌ語で「チパ・シリ」(幣場〈ぬさば〉のある場所)と呼ばれました。この地方のアイヌ民族は流氷明けの沖へ海獣猟に出る前にこの岩に登って、御幣のような木製のイナウを立て、祈りを捧げたそうです。それが転じて「アパシリ」になり、網走と呼ばれるようになりました。「カムイ・ワタラ(神の岩)」とも呼ばれ、現在も「渡良岩(わたらいわ)」という名前も残っています。

    帽子岩が見えてくるとクルーズも終わりです。帽子岩は古いアイヌ語で「チパ・シリ」(幣場〈ぬさば〉のある場所)と呼ばれました。この地方のアイヌ民族は流氷明けの沖へ海獣猟に出る前にこの岩に登って、御幣のような木製のイナウを立て、祈りを捧げたそうです。それが転じて「アパシリ」になり、網走と呼ばれるようになりました。「カムイ・ワタラ(神の岩)」とも呼ばれ、現在も「渡良岩(わたらいわ)」という名前も残っています。

  • 2つ目のクルーズも終わり、今回の旅の目的はほぼ達成できました。お疲れさまでした。

    2つ目のクルーズも終わり、今回の旅の目的はほぼ達成できました。お疲れさまでした。

    流氷観光砕氷船「おーろら」 乗り物

  • 船を降りる前にこの煙突の写真を撮りながら、後になってなんで撮ったのだろうと不思議に思っていました。それは古い写真のデータを見て理由が分かりました。

    船を降りる前にこの煙突の写真を撮りながら、後になってなんで撮ったのだろうと不思議に思っていました。それは古い写真のデータを見て理由が分かりました。

  • 27年前にここに姪を座らせて写真を撮っていたからでした。これでこの船に乗るのは2回目だと確信しました。

    27年前にここに姪を座らせて写真を撮っていたからでした。これでこの船に乗るのは2回目だと確信しました。

  • クルーズの後はフリータイムの食事時間になります。「道の駅」周辺には食事が出来るところはないので、2階のフードコートレストランに行ってみましたが、混雑しているので諦めました。

    クルーズの後はフリータイムの食事時間になります。「道の駅」周辺には食事が出来るところはないので、2階のフードコートレストランに行ってみましたが、混雑しているので諦めました。

    道の駅 流氷街道網走 道の駅

  • ということで1階の売店で軽い食事をすることにします。いきなりソフトクリームを持って戻ってきました。

    ということで1階の売店で軽い食事をすることにします。いきなりソフトクリームを持って戻ってきました。

  • 妻がソフトクリームを食べると必ず晴れるのですが、すでに晴れているので今回はそのご利益は享受できません。

    妻がソフトクリームを食べると必ず晴れるのですが、すでに晴れているので今回はそのご利益は享受できません。

  • 網走の地ビールの飲み比べです。缶ビールのままだと流氷ドラフトの青い色が分からないのが残念です。これは以前飲んでいるので妻の友人に飲んでもらいます。

    網走の地ビールの飲み比べです。缶ビールのままだと流氷ドラフトの青い色が分からないのが残念です。これは以前飲んでいるので妻の友人に飲んでもらいます。

  • ここのザンギは最高においしかったです。釧路の「鳥松」というザンギ発祥の店を思い出します。あまりのおいしさに滞在中に2回も食べに行ったほどです。そしてコロッケと網走バーガーです。網走バーガーはカラフトマスのミンチのフライが挟まれていますが、こちらも美味しかったです。

    ここのザンギは最高においしかったです。釧路の「鳥松」というザンギ発祥の店を思い出します。あまりのおいしさに滞在中に2回も食べに行ったほどです。そしてコロッケと網走バーガーです。網走バーガーはカラフトマスのミンチのフライが挟まれていますが、こちらも美味しかったです。

  • 網走港を眺めながらの優雅な?ランチでした。食べ終えても時間があったので絵葉書を買って、2枚書き上げて表に出ましたがポストがありません。案内所で聞いてみると近くの郵便局にしかないとのことです。

    網走港を眺めながらの優雅な?ランチでした。食べ終えても時間があったので絵葉書を買って、2枚書き上げて表に出ましたがポストがありません。案内所で聞いてみると近くの郵便局にしかないとのことです。

  • 途中道が分からなくなり、歩いていた女性に尋ねると親切に道を教えてくださいました。そこは網走の本局で大きな建物でした。入り口前の通りの奥には「網走神社」の大きな石の鳥居が見えました。社殿は背後の森の中のようなので、参拝するほどの時間はありません。通りの真ん中で柏手を打ってお参りしました。

    途中道が分からなくなり、歩いていた女性に尋ねると親切に道を教えてくださいました。そこは網走の本局で大きな建物でした。入り口前の通りの奥には「網走神社」の大きな石の鳥居が見えました。社殿は背後の森の中のようなので、参拝するほどの時間はありません。通りの真ん中で柏手を打ってお参りしました。

    網走神社 寺・神社・教会

  • 戻る道は網走川沿いを通る道にしました。タグボートと退役した「おーろら2」が停泊しています。

    戻る道は網走川沿いを通る道にしました。タグボートと退役した「おーろら2」が停泊しています。

  • 「おーろら3」が出港していきます。この船は団体ツアーは利用しないようで、先ほど見たときも空いていました。今回のクルーズはさらに空いているようです。

    「おーろら3」が出港していきます。この船は団体ツアーは利用しないようで、先ほど見たときも空いていました。今回のクルーズはさらに空いているようです。

  • なかなか進まないと思ったら戻ってきた「おーろら1」をやり過ごすようです。

    なかなか進まないと思ったら戻ってきた「おーろら1」をやり過ごすようです。

  • 「おーろら1」は1990年に就航して、この「おーろら2」が1995年で新しいのですが、理由は分かりませんが先に引退したようです。

    「おーろら1」は1990年に就航して、この「おーろら2」が1995年で新しいのですが、理由は分かりませんが先に引退したようです。

  • バスに戻って出発します。右側の座席なので網走駅の古い駅表示の写真は撮れませんでした。でも有名な網走川に架かる「鏡橋」の写真は撮れました。「鏡橋」の名には「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」との思いが込められています。この橋の向こうには「網走刑務所」しかありません。

    バスに戻って出発します。右側の座席なので網走駅の古い駅表示の写真は撮れませんでした。でも有名な網走川に架かる「鏡橋」の写真は撮れました。「鏡橋」の名には「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」との思いが込められています。この橋の向こうには「網走刑務所」しかありません。

    網走刑務所 名所・史跡

  • 以前来たときはここが博物館かと勘違いしましたが、この塀の向こうは本物の刑務所です。レンガの塀は1919年ころから5年の歳月をかけて、受刑者らがコツコツと積み上げて延長1080メートルの刑務所の赤煉瓦塀全体を完成させました。

    以前来たときはここが博物館かと勘違いしましたが、この塀の向こうは本物の刑務所です。レンガの塀は1919年ころから5年の歳月をかけて、受刑者らがコツコツと積み上げて延長1080メートルの刑務所の赤煉瓦塀全体を完成させました。

  • 網走刑務所を過ぎてしまうと網走川の対岸は手つかずの自然のままです。

    網走刑務所を過ぎてしまうと網走川の対岸は手つかずの自然のままです。

  • 網走駅から先は釧網本線は石北本線と名前を変えます。新旭川駅から北見市の北見駅を経て、網走市の網走駅を結ぶ路線です。27年前に札幌から乗った列車は北見駅で進行方向を変え、長旅にうんざりしたころに留辺蘂駅に着きました。夜遅いのに4歳の姪が迎えに来てくれて、「おじちゃん!」と叫びながら駆け寄ってきた姿は忘れられません。

    網走駅から先は釧網本線は石北本線と名前を変えます。新旭川駅から北見市の北見駅を経て、網走市の網走駅を結ぶ路線です。27年前に札幌から乗った列車は北見駅で進行方向を変え、長旅にうんざりしたころに留辺蘂駅に着きました。夜遅いのに4歳の姪が迎えに来てくれて、「おじちゃん!」と叫びながら駆け寄ってきた姿は忘れられません。

  • 「天都山展望台」へ向かう途中に「網走監獄」という博物館があります。本当はここへ来たかったのですが、目の前を通過するだけです。札幌の「北海道開拓の村」へ行ってからはまった「ゴールデンカムイ」を見る中でここは外せない場所でもあります。

    「天都山展望台」へ向かう途中に「網走監獄」という博物館があります。本当はここへ来たかったのですが、目の前を通過するだけです。札幌の「北海道開拓の村」へ行ってからはまった「ゴールデンカムイ」を見る中でここは外せない場所でもあります。

    博物館網走監獄 名所・史跡

  • バスは天都山にある「オホーツク流氷館」の駐車場で停車します。ここでトイレ休憩もかねてフリータイムになります。これは最終地の釧路空港からのフライトが最終便なので、このペースで進むと空港で4時間近く待たなければならなくなります。そのための時間調整でもあり、当初の予定には無い観光地です。

    バスは天都山にある「オホーツク流氷館」の駐車場で停車します。ここでトイレ休憩もかねてフリータイムになります。これは最終地の釧路空港からのフライトが最終便なので、このペースで進むと空港で4時間近く待たなければならなくなります。そのための時間調整でもあり、当初の予定には無い観光地です。

    天都山展望台 名所・史跡

  • まずは展望デッキで記念写真を撮ります。ポカポカ陽気なので寒さは感じません。

    まずは展望デッキで記念写真を撮ります。ポカポカ陽気なので寒さは感じません。

  • ここへも27年前に弟家族と来たことがありました。当然こんな展望台もなく、景色だけが記憶に残っています。

    ここへも27年前に弟家族と来たことがありました。当然こんな展望台もなく、景色だけが記憶に残っています。

  • 眼下には網走港のシンボルの帽子岩が見えます。先ほどクルーズ船で走ってきたルートが手に取るようにわかります。

    眼下には網走港のシンボルの帽子岩が見えます。先ほどクルーズ船で走ってきたルートが手に取るようにわかります。

  • はるか遠くには知床連山の山々が見えます。この季節のウトロの港は流氷で埋もれているのだと思います。

    はるか遠くには知床連山の山々が見えます。この季節のウトロの港は流氷で埋もれているのだと思います。

  • 標高1,515メートルの斜里岳はまだ雲を頭に乗せています。

    標高1,515メートルの斜里岳はまだ雲を頭に乗せています。

  • 標高1,419メートルの別海岳は斜里のホテルの部屋からきれいに見えました。

    標高1,419メートルの別海岳は斜里のホテルの部屋からきれいに見えました。

  • その奥には標高1,661メートルの知床連山の最高峰の羅臼岳が見えます。

    その奥には標高1,661メートルの知床連山の最高峰の羅臼岳が見えます。

  • 「おーろら1」が流氷に突っ込んでいきます。こうやって見ると限りなく流氷で埋め尽くされたオホーツク海です。先ほどはほんのさわりだけをガリガリやってきただけだと実感します。

    「おーろら1」が流氷に突っ込んでいきます。こうやって見ると限りなく流氷で埋め尽くされたオホーツク海です。先ほどはほんのさわりだけをガリガリやってきただけだと実感します。

  • 展望台の反対側は「網走湖」が見えます。昨年11月の旅では湖の対岸を北見市に向かって走りました。雪原になっているのが「呼人半島」でなので湖の東端にいることが分かります。この湖は標高0メートルなので、潮が満ちると下流部から海水が逆流し、湖底には塩分濃度の高い水が滞留するそうです。

    展望台の反対側は「網走湖」が見えます。昨年11月の旅では湖の対岸を北見市に向かって走りました。雪原になっているのが「呼人半島」でなので湖の東端にいることが分かります。この湖は標高0メートルなので、潮が満ちると下流部から海水が逆流し、湖底には塩分濃度の高い水が滞留するそうです。

    天都山 自然・景勝地

  • 「網走刑務所」の中までも見渡せました。明治のころは思想犯などが収監されて、囚人は道路や鉄道の敷設に使われましたが、現在は比較的刑期の軽い人が収監されているそうです。

    「網走刑務所」の中までも見渡せました。明治のころは思想犯などが収監されて、囚人は道路や鉄道の敷設に使われましたが、現在は比較的刑期の軽い人が収監されているそうです。

  • 「おーろら1」が流氷に突入しました。

    「おーろら1」が流氷に突入しました。

  • 広大な自然から見ると人間のやっていることはちっぽけに見えてしまいます。先ほどあの先端でキャーキャー言っていたのが恥ずかしいくらいです。

    広大な自然から見ると人間のやっていることはちっぽけに見えてしまいます。先ほどあの先端でキャーキャー言っていたのが恥ずかしいくらいです。

  • コロナかになってからのこの2年の間に北海道へは6回来て、延べ40日近く滞在しています。ここまでハマるとは思いませんでしたが、何度来ても大自然の景色には癒されます。もちろん開拓の歴史やアイヌの文化にも惹かれています。

    コロナかになってからのこの2年の間に北海道へは6回来て、延べ40日近く滞在しています。ここまでハマるとは思いませんでしたが、何度来ても大自然の景色には癒されます。もちろん開拓の歴史やアイヌの文化にも惹かれています。

  • 展望台の中の巨大なクリオネの写真も癒されますが、捕食するときは「天使」が「悪魔」に一瞬で変身します。そのシーンを見たときは衝撃的でした。「天都山展望台」を出発すると「摩周湖」までノンストップで走り抜けます。

    展望台の中の巨大なクリオネの写真も癒されますが、捕食するときは「天使」が「悪魔」に一瞬で変身します。そのシーンを見たときは衝撃的でした。「天都山展望台」を出発すると「摩周湖」までノンストップで走り抜けます。

  • 網走を出た後はずっと移動なので車窓の景色を切り取って遊んでいました。

    網走を出た後はずっと移動なので車窓の景色を切り取って遊んでいました。

  • 人の手の入った景色の美しさを楽しんだ後は延々とトドマツやカラマツの中を走ります。高度も上がってきているのでバスの窓も曇ってきます。

    人の手の入った景色の美しさを楽しんだ後は延々とトドマツやカラマツの中を走ります。高度も上がってきているのでバスの窓も曇ってきます。

  • 「美幌峠」のレストハウスを通過しました。冬季は閉鎖しているのが分かりました。

    「美幌峠」のレストハウスを通過しました。冬季は閉鎖しているのが分かりました。

    美幌峠レストハウス グルメ・レストラン

  • 以前歩いた峠の柵が見えます。巨大な岩がごろごろしているのでこの雪では先端までで歩くことは難しいかもしれません。

    以前歩いた峠の柵が見えます。巨大な岩がごろごろしているのでこの雪では先端までで歩くことは難しいかもしれません。

    美幌峠 自然・景勝地

  • 頑張って歩いた先端が見えました。ここからの「屈斜路湖」の眺めは最高に美しかったです。「美幌峠」には美空ひばりの記念碑があり、ボタンを押すと歌が流れます。https://www.youtube.com/watch?v=FC0_R_fSydw

    頑張って歩いた先端が見えました。ここからの「屈斜路湖」の眺めは最高に美しかったです。「美幌峠」には美空ひばりの記念碑があり、ボタンを押すと歌が流れます。https://www.youtube.com/watch?v=FC0_R_fSydw

  • 氷結した「屈斜路湖」の姿は初めて見ました。こんな景色の場所を素通りしてしまうのですからもったいない話です。

    氷結した「屈斜路湖」の姿は初めて見ました。こんな景色の場所を素通りしてしまうのですからもったいない話です。

  • 中島もきれいに見えます。島の向こう側の湖畔には「砂湯」があり、そこだけは氷結していないはずです。まだ白鳥もいるかもしれません。そう考えて今頃の季節に弟家族と一緒に来たことを思い出しました。

    中島もきれいに見えます。島の向こう側の湖畔には「砂湯」があり、そこだけは氷結していないはずです。まだ白鳥もいるかもしれません。そう考えて今頃の季節に弟家族と一緒に来たことを思い出しました。

    屈斜路湖 自然・景勝地

  • バスは「屈斜路湖」を過ぎて「摩周湖」への山道に差し掛かります。

    バスは「屈斜路湖」を過ぎて「摩周湖」への山道に差し掛かります。

  • 新しく出来てツアーの売りにもなっている「カムイテラス」です。前からある展望台の一部がきれいになったような印象しか受けません。

    新しく出来てツアーの売りにもなっている「カムイテラス」です。前からある展望台の一部がきれいになったような印象しか受けません。

    摩周湖カムイテラス 名所・史跡

  • 冬の摩周湖はこれで2回目ですが、2回とも晴れていました。トータルで6戦5勝1分けといったスコアです。霧の摩周湖は負けというよりは引き分けでしょうね。

    冬の摩周湖はこれで2回目ですが、2回とも晴れていました。トータルで6戦5勝1分けといったスコアです。霧の摩周湖は負けというよりは引き分けでしょうね。

    摩周湖 自然・景勝地

  • カムイヌプリもきれいに見えます。神秘的な摩周湖と共にカムイヌプリ「神の山」として奉られ、アイヌ語のマシウには諸説があるそうですが「鍋のような湖に影が泳ぐように見える」という意味だそうです。摩周岳は摩周火山を構成する火山の1つで大きな火口を持ち、摩周カルデラを形成しています。

    カムイヌプリもきれいに見えます。神秘的な摩周湖と共にカムイヌプリ「神の山」として奉られ、アイヌ語のマシウには諸説があるそうですが「鍋のような湖に影が泳ぐように見える」という意味だそうです。摩周岳は摩周火山を構成する火山の1つで大きな火口を持ち、摩周カルデラを形成しています。

  • カルデラ状の火山である摩周湖のほぼ中央部には、カムイシュ島(中島)と呼ばれる小島があります。「カムイシュ」とはアイヌ語のカムイ(神、または神のような崇高な霊的存在)+シュ(老婆)の意といわれ、その名はアイヌの口承文学であるユーカラによりアイヌが名づけたものだそうです。

    カルデラ状の火山である摩周湖のほぼ中央部には、カムイシュ島(中島)と呼ばれる小島があります。「カムイシュ」とはアイヌ語のカムイ(神、または神のような崇高な霊的存在)+シュ(老婆)の意といわれ、その名はアイヌの口承文学であるユーカラによりアイヌが名づけたものだそうです。

  • 以前のツアーのバスガイドさんお話では宗谷のコタン(アイヌの集落)同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方のコタンは敗れてほとんどが殺されてしまいます。敗れたコタンの老婆とその孫は命からがら逃げますが、途中で孫がはぐれてしまいます。老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着きます。老婆はカムイヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い許されますが、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとうカムイシュ島になってしまいました。

    以前のツアーのバスガイドさんお話では宗谷のコタン(アイヌの集落)同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方のコタンは敗れてほとんどが殺されてしまいます。敗れたコタンの老婆とその孫は命からがら逃げますが、途中で孫がはぐれてしまいます。老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着きます。老婆はカムイヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い許されますが、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとうカムイシュ島になってしまいました。

  • 「釧路空港」には午後5時過ぎに到着しました。出発までは時間がありますが、まずは荷物を預けて身軽になります。最後のお土産を物色した後は晩御飯です。

    「釧路空港」には午後5時過ぎに到着しました。出発までは時間がありますが、まずは荷物を預けて身軽になります。最後のお土産を物色した後は晩御飯です。

    釧路空港(たんちょう釧路空港) 空港

  • ターミナル内のレストラン「たんちょう」で乾杯です。3日間お疲れさまでした。飲みたいものがみんなバラバラです。

    ターミナル内のレストラン「たんちょう」で乾杯です。3日間お疲れさまでした。飲みたいものがみんなバラバラです。

  • 妻は早々に紙エプロンをしてスタンバイしています。どうしても食べたかった「スパカツ」に再会することが出来ました。北海道に来る前から最後はスパカツと言い続けていました。

    妻は早々に紙エプロンをしてスタンバイしています。どうしても食べたかった「スパカツ」に再会することが出来ました。北海道に来る前から最後はスパカツと言い続けていました。

  • 鉄板にスパゲティが乗って、その上にとんかつとミートソースが乗っています。この料理は釧路市内の「泉屋」という洋食屋さんの看板メニューで、初めて食べたときは衝撃を受けました。ものすごいボリュームなのは知っていましたが、2つ注文するほど食べたかったようです。

    鉄板にスパゲティが乗って、その上にとんかつとミートソースが乗っています。この料理は釧路市内の「泉屋」という洋食屋さんの看板メニューで、初めて食べたときは衝撃を受けました。ものすごいボリュームなのは知っていましたが、2つ注文するほど食べたかったようです。

  • 友人は焼きそばですが、北海道の「あんかけ焼きそば」は侮れません。今まで生きてきて一番美味しかったのは丸駒温泉のホテルの1階のレストランのものでした。いまだに忘れることの出来ない料理です。

    友人は焼きそばですが、北海道の「あんかけ焼きそば」は侮れません。今まで生きてきて一番美味しかったのは丸駒温泉のホテルの1階のレストランのものでした。いまだに忘れることの出来ない料理です。

  • 午後7時50分のJAL544で羽田空港へ戻りました。空港で妻の友人とはお別れして、リムジンバスに乗り込みます。楽しかった3人旅ですが、次回は娘さんも合わせて4人でどこかへ行きたいと思っています。

    午後7時50分のJAL544で羽田空港へ戻りました。空港で妻の友人とはお別れして、リムジンバスに乗り込みます。楽しかった3人旅ですが、次回は娘さんも合わせて4人でどこかへ行きたいと思っています。

  • 東京へ戻ってかかりつけの病院を数日かけて周り、確定申告を済ませた後は熊本と天草の旅に突入します。

    東京へ戻ってかかりつけの病院を数日かけて周り、確定申告を済ませた後は熊本と天草の旅に突入します。

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