2023/03/17 - 2023/03/17
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hijunoさん
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ひさびさに京都を歩きました。
三条から四条に向かって、高瀬川の風景を眺めながら歩きます。学生時代にも歴史の史跡を探して歩いた記憶がありますが、もうすっかり街並みが変わっていました。このあたりは土佐藩邸、長州藩邸も近く、幕末の志士たちも往来していた場所。混乱期の暗殺も相次いで行われ、物騒な場所でもあったとおもいますが、いまはすっかり明るく、そんな時代を感じることもありません。所々の遭難の碑、駒札がその当時の歴史を伝えているのみです。
フランソア喫茶室も行きたかったところです。中に入ると、レトロで高貴な雰囲気が漂っています。学生時代にはこのような喫茶店がいくつかあって、恩師が同級生とともに、よく連れていってくれたところがありました。クラッシックが流れる素敵な喫茶店でしたが、もう今はありません。フランソアのような喫茶店ももう少なくなっています。
高瀬川は桜はまだ蕾でしたが、それも趣のある風景でした。桜が満開のころも楽しみです。角倉了以とその息子の素庵が開拓した高瀬川、京都の物流を支え経済を推し進めた場所でもあります。角倉了以の偉業を改めて感じます。
コロナ禍も完全に収束とはいきませんが、それでも、だんだん活気を取り戻している街並みは明るく、足取りも軽いです。このまま明るい時間を取り戻すことができますように!!
今回の散歩も歴史好きなおばあの記録です。マニアックな場所も多いです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
春が来ました。
もうすぐ、咲きそう。
高瀬川べりの桜たちです。
小さな蕾、、、本当にかわいいです。 -
高瀬川の川べりを歩き、
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イチオシ
ずっと来たかったフランソア喫茶室へやってきました。
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周囲も町家の家並みも見えます。
この喫茶室ももとは町屋だったところ。 -
イチオシ
外見は洋館風。
窓もステンドグラス。
こじんまりとした1934年にできた喫茶店です。
文化人も多く集まり、また戦時中は反戦の新聞を発行、支援し、創業者の立野正一などの関係者が逮捕されています。 -
どこにも小さな装飾。。
バルコニーも見えます。 -
店内の写真を撮りたかったのですが、開店間もなく、直ぐに満席。
人を映さないように、場所を探す。
白い天井や柱もとても高貴な雰囲気です。
フェリメールの複製画も見えます。 -
そして、椅子もビロード。
ちょっと色あせていますが、レトロなものが満載の家具たち。
ちらりと見えるスタッフの制服もとても可愛いです。
昭和の時代にもどったみたい。
女優の音羽信子と新藤兼人監督がデートしていたことは有名です。 -
落ち着ける雰囲気です。
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人が映るのを避けて、ちらりとステンドグラスの様子。
こちらもシンプルだけれど、素敵でした。 -
ウィンナーコーヒーも美味しかったそうです。(こちらは、夫)
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高瀬川に沿って、四条に向かって歩きます。
高瀬川はこのあたりはすっかり小さな川のようですけれど、
もともとは江戸時代に角倉了以とその息子素庵によって開拓された運河。
京都中心と伏見を結ぶ川です。物流は300年に渡り大活躍します。 -
学生時代、このあたりも遺蹟を探して歩いたものですが、すっかり綺麗に整備されて歩きやすくなっていました。
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名前の八之船が残るように、このあたりは舟が入ったり、船を回転する場所が沢山あったようです。
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このあたりは、遭難の地と呼ばれる場所が多いです。
幕末の混乱期に多くの暗殺が行われた場所でもあります。
本間精一郎もそのひとり。
越後の人で、文武とも優れた弁の立つ人だったようですが、どの藩にも属さず、また急進的な過激な発言の勤王の志士でしたが、周囲の人々からの反感、誤解があり、このあたりで暗殺されています。 -
このあたりの桜はもうチラチラと咲いていました。
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少し上に歩いて、こんな駒札もあります。
日本の映画発祥の地もこのあたり。
1897年 明治30年に実業家の稲畑勝太郎氏が映画の試写実験に成功した場所です。
このあたりは、もともとは江戸時代の土佐藩邸や明治には京都電燈社屋があり、昭和初期になって立誠小学校になりました。
その後は学校は廃校となり、旧校舎は地域の行事やイベントの会場として、また立誠ガーデンヒューリック京都がオープンしてホテルや飲食店などにも利用される複合施設になっています。 -
こちらは角倉了以の顕彰碑。
高瀬川の運河を切り開き、物流の発展にも尽くした人です。 -
イチオシ
立誠小学校の文字が残っています。
入口。 -
とても素敵な建物です。
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運河と学校と桜。
開花のころも来てみたい。 -
このあたりは土佐藩邸のあったところ。
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駒札があります。
幕末にはこのあたりを坂本龍馬や中岡慎太郎、後藤象二郎らが行き来をしていたのだなぁ~と感慨深く。 -
高瀬川七之船入址。
今ではこんな小さな穏やかな川です。 -
高瀬川には舟入と呼ばれる、船に荷物を積んだり、本校転換をする場所が多く、二条から四条までは9カ所もあった、、、と駒札にあります。
現在現存するのは一カ所、一之船入のみです。
高瀬川という名前も、水深の浅い時に使う高瀬舟を用いたところからきているようです。
また、木材も運んだことから木屋町という名前もできています。
最盛期には百数十槽も船が行き来していたといいますから、京都の経済を
支えた運河であったことは確かです。 -
こちらは土佐稲荷。岬神社です。
土佐藩邸の領内にありますが、一般の人が参拝には行き来できるように通路を造ったといいます。
農業や様々な商売や火難除けなどに御利益があるといわれています。 -
駒札の説明によると、室町時代の初期に由来をたどれます。
江戸時代には土佐藩の屋敷内にあり、土佐藩士、先斗町や木屋町などの町衆からも信仰を集めていたそうです。坂本龍馬や中岡慎太郎も参拝していたそう。
地元の人々からも大切に守られた神社です。 -
境内には坂本龍馬像。
どこかで見たことがある、、と思ってましたら、高校時代の教室によく似た像が。
担任が敬愛していたのだろうか~。 -
丁寧に守られてきた神社でした。
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後藤象二郎のギャラリーがあるというので目指して歩いていますと、
バンクシーの画らしきものがさりげに。。
もちろん、複製、あるいは違う画家のものでしょうか。 -
いったん、高瀬川付近から離れて、河原町へ。
にぎやか。
大きなビル、新しいビルが立ち並ぶ。
学生時代には授業をさぼってよくプラプラと遊んでました。
あの頃の雰囲気はほぼないです。。懐かしい気持ちはありますが。 -
後藤象二郎ギャラリー、ホテルの中にあるようです。
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坂本龍馬とともに活躍した後藤象二郎が住んでいた場所がこちらのあたり。
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後藤象二郎は志士の多くが明治維新をみることなく命を落としている中で、明治維新後も活躍した人。
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ホテルの入り口横に小さな資料館。
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後藤象二郎について。
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坂本龍馬との関係の説明があります。
土佐藩でも要職につき、海外貿易についても坂本龍馬の考えに共鳴、龍馬の船中八策にも賛同し、山内容堂に大政奉還の進言も行っています。
自筆の字をみると、のびのびとして、堂々とした書体でした。 -
後藤象二郎と坂本龍馬が同時のころに京都に滞在しています。
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後藤象二郎が京都に滞在していたのは、壺屋というお醤油の問屋さんのお宅です。
壺屋は兵庫県竜野のお醤油を高瀬舟に乗せて京都へ運び、商売としていました。その後、明治以降は醤油屋から紙屋、そして文具店として商売を続けていましたが、2014年には廃業となりました。 -
後藤象二郎と土佐藩に関しての史跡のマップ。
時間があれば、回ってみたいです。 -
明治の自筆の手紙。
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食事に呼ばれたものの、体調を崩して出席できないことへのお詫びのお手紙。まめな人だったのですね。
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当時は高瀬川と家々がこのようになっていたのですね。ジオラマ。
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後藤象二郎の銅像の写真と
山内容堂への建白書、老中と連署で、その詳細な内容が記されたもの。
その複製。 -
こちらも複製ですが、
英国女王から贈られた刀。
イギリス人パークス襲撃から護衛したお礼の刀。 -
大政奉還に奔走、尽力を尽くした後藤象二郎。
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パークスの暗殺を食い止めた功績としてイギリスのヴィクトリア女王から刀を贈られています。
その時に一緒に襲撃を阻止した中井弘の娘は原敬の最初の奥さんだったのですね。中井弘は維新後も京都府知事など要職についています。 -
人名に動物などの勇ましい漢字を入れることがよくあったそうですが、
後藤象二郎も象という字を山内容堂より拝領して、おじの吉田東洋が命名したそうです。 -
かっこういい台がありました。
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説明によると、後藤象二郎と坂本龍馬が長崎の上野彦馬の写真館にあった
撮影台の復元したものだそうです。 -
イチオシ
写真にしっかり同じものが映っていました。
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ざいもく橋。
木材も高瀬舟で運んでいましたから、このような名前がついたのでしょうか。 -
京都といえば、先斗町。
その花街の一つとして、「鴨川をどり」などの催しが行われる施設の説明。 -
橋本佐内の訪問の地の石碑と江戸時代後期の外交でも活躍した岩瀬忠震が宿泊した跡の碑もあります。
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岩瀬忠震の説明がありました。
水野忠徳や小栗忠順らと「幕末三像」といわれている人です。 -
そして、瑞泉寺というお寺があります。
豊臣秀次とその一族の菩提を弔うお寺です。 -
瑞泉寺。
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門をくぐります。
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お寺の説明の駒札。
豊臣秀次とその一族の悲しい歴史について。 -
入口には豊臣秀次を演じた写真。
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境内にあるとても上品な梅の樹と
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イチオシ
この椿がなんとも気品あふれていて、美しかった。
五色八重という品種だそうです。 -
ここにも説明板。
豊臣秀吉に秀頼が誕生してから、養子の豊臣秀次は疎んじられるようになり、最期は高野山にて切腹、一族はこの地で最期を迎えることになります。
秀次失脚の理由は様々言われていますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵に異を唱えたことや石田三成や淀殿との関連などがあります。いずれにせよ、謀反や悪名の疑いから
秀次をはじめ、一族の罪のない人々が命を落とすことになります。
塚がこの地に建てられますが、鴨川が幾たびと氾濫を起こし、その塚も荒廃していたことに胸を痛めた角倉了以がお寺を建立します。
角倉了以の弟も豊臣秀次の医師だったそうですが、連座は免れ、その後亡くなりますが、その1周忌ということもあってお寺を建立したこともあります。 -
豊臣秀次のお墓。
角倉了以は真ん中に見える石櫃に書かれていた悪逆塚という文字を消して供養したとのこと。 -
お墓の配列の説明があります。
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説明。
周りの五輪塔も後に建てられています。 -
駒姫の塔。
駒姫はまだ正式な側室になっていないところを命を絶たれることになります。父 最上義光や多くの嘆願がなされ、鎌倉の尼寺へ、、という豊臣秀吉の意向を伝えるのも間に合いませんでした。 -
お寺の説明にもありますが、秀次の事件のあと4年後には大阪夏の陣で豊臣秀頼と淀殿もなくなり、豊臣家も滅びます。
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こちらにはお地蔵さんと犠牲になった一族の小さな像が安置されていました。
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説明板にもありますが、大雲院の貞安上人が極楽へ導かれるように命の絶たれる場所に立ち会って、こちらのお地蔵さんを連れてきたそうです。
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地蔵堂の像の説明です。
松下幸之助らの「豊公会」が1941年に修復した地蔵堂、秀次と一族、家臣の像を祀っています。 -
掲示には資料が展示されています。
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宝篋印塔。
豊臣秀次一族の供養のために建立されたのではないか、といわれています。
「伏して祈る、、、」と
力強い文字が刻まれています。
意味は、この世のすべての人々が苦しみから平等に救われますようにということだそうです。 -
小さな休憩室があり、そこには資料が展示されていました。
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秀次事件についての記事など。
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一門の辞世の和歌も。
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昔、豊臣秀次は謀反を起こして自刃に追い込まれた、、と習った記憶がありますが、いまや、どんどん新しい歴史の真相が明らかになっています。
本当に謀反があったか、疑問ですし、近江八幡を治めていたときは
とてもよい領主として人々から慕われていたとも聞きます。
一時は豊臣秀吉の養子ともなったひと。
そんなに簡単にばっさりと、しかもそれは一族にも及びますが、非情な時代で、このようなことは日本のあちこちで行われてきたことですが、、、。
歴史の評価はどんどん変わっていきますね。 -
菊の模様の瓦ですが、セメントで塗りつぶされています。
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明治期に天皇家に恐れ多いと、菊の文様は塗りつぶされています。
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秀次事件のあと、もう4年という短い時間で豊臣家が滅びてしまいます。
この時代も栄華を極めたと思われる人々が、因果応報か、瞬く間に世を去っていくことに、無常を感じました。
それにしても、人々の菩提を弔うためにお寺を建立した角倉了以に再び
尊敬の念です。 -
昔の木屋町三条の写真がありました。
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三条大橋に来ました。
懐かしい、五色豆のお店とホウキやタワシ、昔ながらのお店もそのまま。 -
昔の旅人風の像。
そして、新選組による刀傷が残る擬宝珠の説明。 -
池田屋騒動の際についた刀傷といわれています。
-
イチオシ
ありました。
こちらの黒い部分。すぐ見つかりました。 -
なまなましいです。
-
擬宝珠は決して大きなものではないのですが。
-
現在は橋の工事中。
-
大がかりな工事のようでした。
他にも一カ所、刀傷があるようでしたが、そちらは小さな傷のようです。 -
高札場のあったところでもあります。
そして、橋の石柱の説明もありました。反対側、工事中でここまで。 -
五色豆屋さんも昔のように。
でも、お隣にスタバができていて、びっくりしました。 -
ホウキやタワシ、手作りです。
あまりの精巧さ、綺麗さにうっとりします。
昔は普通に使われていた生活道具でした。
まだまだ三条から四条への散歩が続きます。
長い旅行記、さいごまでお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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