2023/03/12 - 2023/03/12
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かつのすけさん
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茨城県にある大宝八幡宮を参拝してから結城市内を散策しました
結城は鎌倉時代から基礎ができ始めた城下町で、関東でも有数の古い城下町なんだそうです
まぁ、鎌倉時代から建っている店舗などはもちろんありませんが、市街地には江戸時代から昭和初期辺りに建てられた古い建物も沢山あります
【表紙の写真】奥順店舗
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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本日は日暮里から常磐線で出発します
日暮里駅 駅
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07時12分発の常磐線取手行に乗って取手へ
JR常磐線 乗り物
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07時50分終点取手駅に到着
取手駅 駅
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続いて関東鉄道常総線に乗換
07時55分発水海道行
改札入ったら出発まで1分だったので急いで飛び乗ったら行先確認するの忘れてた関東鉄道常総線 乗り物
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本日のお供はJRのときわ路パスです
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08時27分 終点の水海道に到着ですが、次の下館行は08時47分発
取手で乗る列車、次の列車でも間に合った~ -
駅の外に出て、駅前の地図で20分で戻ってこれそうなところ探していってみることに
水海道駅 駅
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「愛宕神社」に行ってみるが、こんな小さな神社だった
そろそろ戻らなくては・・・ -
駅へ戻る途中古い映画の看板がズラリと並ぶ
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で、駅まで戻ってきました
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08時47分 下館から来た折返しの下館行に乗って再び出発します
こちらの車両は昭和40年代~60年代頃に運行していた2色塗装を施した車両の復刻塗装車両だそうです -
09時19分 大宝駅に到着
おぉ、なんとお金持ちになりそうな駅名大宝駅 駅
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駅から2、3分のところにある大宝八幡宮に来ました
「大宝」という地名ですが、この大宝八幡宮が藤原時忠によって宇佐八幡宮を勧請して大宝元年に創建されたからみたい
元号だったんですね -
で、この周辺一帯は大宝城の跡のよう
平安末期から南北朝時代の平城だそうです
1232年(寛喜4年/貞永元年)に下妻長政が築き、1341年(南朝:興国2年/北朝:暦応4年)に春日顕国が興良親王を奉じて大宝城にしました大宝城跡 名所・史跡
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鳥居を進み神門に辿り着く
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仁王像に睨まれた!
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神門から更に進んで左手にあるのが宝物殿
閉まっていたので中は見ませんでしたが、神職に声をかければ拝観できるそう(拝観料200円)
中には瑞花雙鳥八陵鏡・丸木舟・撞鐘・徳川家朱印状の桐箱、朱印状などがあるそうです -
手水は花手水になっていました
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境内には変わった形の石
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神楽殿のお隣にさざれ石
この石は国歌発祥の地といわれる岐阜県揖斐郡春日村の山中にあったものなんだそうです -
拝殿でお参り
大宝八幡宮本殿 寺・神社・教会
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柱には和傘が飾られていました
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祖霊殿
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本殿脇の一番奥には下妻政泰公忠死之地碑が建っています
下妻政泰は大宝城最後の城主
南北朝時代、南朝方に付いた政泰公は大宝城を北朝の軍勢に包囲され、食料不足と城内不和により敗北し、興國四年(康永二年)11月12日、政泰公は討死し大宝城は落城しました -
更にその奥にはあじさい神苑が広がっていますが、当然この時期は咲いてない
なので、単なる散策路に見えます
国指定の史跡である大宝城跡の土塁保全のためにあじさいを植えたことに始まるそうです -
こちらは重軽石と言います
参拝の前と後とでは、重さが違って感じられるという不思議な石
実際には重さが変わるわけではないんですけど -
一の鳥居前にあるゑびすやさん
明治元年創業のお店だそうです
厄除け団子が名物だそうですが、そろそろ次の列車時刻も気になるころなのでゑびすや グルメ・レストラン
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ということで大宝駅に戻ってきました
大宝駅 駅
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列車は凡そ30分毎
10時04分発下館行に乗って下館へ向かいます
上りの列車と交換
さきほど乗ってきた車両です -
間もなく下館
おっ、電車が来ている!
って思い -
10時21分 下館駅に到着し、JRのホームまで急いで行きましたが
下館駅 駅
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列車交換のため暫く停車
ゆっくりとホームに来ても余裕で間に合った
ということで、10分ほど停車していて10時32分に出発したJR水戸線 乗り物
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真岡鐡道のホームにはSLが停車してました
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10:45 結城駅に到着
結城駅 駅
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あそこの観光案内所で散策マップをいただいて出発します
結城市観光案内所 名所・史跡
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同じ建物には物産センターもあります
結城市観光物産センター 名所・史跡
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観光案内所でいただいたマップに描かれていた雪光稲荷神社
もっと大きな神社かと思ったけど・・・ -
雷稲荷神社もしかり
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そのお隣に釈迦堂
釈迦堂 名所・史跡
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その先には浦町まちかどパーク
交差点に設けられたちょっとした広場です浦町まちかどパーク 名所・史跡
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櫻井長太郎商店
明治後期建築 二階建・切妻平入
この結城にはこのような古い建物が多く残っていて、レトロな街並みです -
健田須賀神社
子役から活躍しているあの俳優を思い出してしまいますが、あちらは健「太」
ちなみにこちらは「たけだすが」神社と読みます
明治時代に健田神社と須賀神社を合祀したものだそうです -
健田神社は創建の由緒は不詳で、結城国造の竹田臣が祖神の武渟川別命を祀ったと伝えられる
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須賀神社(祭神は須佐之男命)は結城氏が仁治3年に尾張国津島神社より勧請を受けて「天王社」として創建したもので、明治元年に神仏分離令により天王社から須賀神社に改称
健田須賀神社 寺・神社・教会
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境内にある大黒天
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宝くじでも良いそうなので、偶々持っていた宝くじを置いて小槌を振る
この小槌、結構ずっしりとしていて重い -
小西商店(見世蔵)は明治初期の建築
もと金物店で南を正面にするし、間口6間奥行3間半の土蔵造2階建 平入の町屋
切妻屋根を桟瓦葺として表に瓦葺庇が付く
外壁は黒漆喰塗で正面1階に出窓、2階は額縁付きの格子窓とした重厚な外観である
1階は事務所と店舗、2階は座敷と物置とする
銅鉄店を経て、現在は建材関係事務所兼住宅として利用されているそうです小西見世蔵 名所・史跡
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街中の古い建物はこのように重要文化財に指定されているものが多くありますが、多くが個人所有で、現在も人が住んでいる建物も多くありました(表札がかかってたりします)
なので、基本的には外観のみ見ることができます -
大輪寺
結城家初代朝光より寺領を給わり、以後結城家の祈願所となった真言宗の寺院
もとは常陸国河内郡に在り大輪坊と称しましたが、鎌倉時代の1227年に現在地に移され、開基を元観として大輪寺と改称されたと伝えられます大輪寺 寺・神社・教会
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観音堂には人手観音立像が安置されています
1356年に結城氏第8代当主・直光の発願により立てられた歴史ある仏像なんだそうですよ -
境内には七福神の像もあります
こちらは布袋様 -
木村紺屋
こちらは嘗ての染物屋
表札もかかっていて、現在も人が住んでいます木村紺屋 名所・史跡
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大日堂
お堂があるだけですが、本尊は鎌倉後期の作とされる木造の大日如来坐像です大日堂 寺・神社・教会
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御幸通りを進んで行きます
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突き当りにあったのが結城大本営跡です
明治40年11月14日から20日までの7日間、明治天皇や内閣総理大臣以下高官が結城に滞在した際に執務を執られた場所結城大本営跡 名所・史跡
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小学校の脇を進んで行きます
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水辺公園を通り
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城跡に近づいてきました
多分ここはお濠の跡 -
三日月橋を渡り、城内へと進んで行きます
この橋には埋蔵金伝説があるそう三日月橋 名所・史跡
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城跡歴史公園
梅が満開でした城跡歴史公園 名所・史跡
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結城城は結城氏の居城で、室町時代には結城合戦が行われた場所
小田原の役後に結城氏は徳川家康の次男秀康を養子として迎えましたが、関ケ原の戦いの後に秀康が越前に移封となったため、廃城となったものの、元禄13年に能登より1万8,000石で封じられた水野勝長によって結城城は再興されて結城藩の藩庁が置かれました結城城址公園 公園・植物園
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公園の中にある聡敏神社です
聡敏神社 寺・神社・教会
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文化13年福山聡敏神社から分霊勧請し、旧結城藩水野家の初代の水野勝成公を祀っています
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場所を移動してこちらの細い通路を入ったところに
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源翁和尚のお墓があります
1326年越後国に生まれ、殺生石(九尾の狐の化身)を2つに割り、悪霊を成仏させたとされているそうです源翁和尚の墓 名所・史跡
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旧市庁舎もちょっと味がある
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住吉神社
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結城家7代直朝が南北朝時代の戦にあたり、七曜星(北斗七星)に祈願して建立勧請した結城七社のひとつとなる神社
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鈴木紡績見世蔵
明治39年に奥の座敷(住居部分)とともに建設されたもの
穀物・紡績商を経て、現在は主に住宅として利用されて
木造平屋建、瓦葺鈴木紡績見世蔵 名所・史跡
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増田書店
明治20年築ということで、既に建設から140年以上が経っているので、かなりガタが来ていますね -
山中石材店は明治28年建築の平屋建・切妻平入の建物
石材店・金物商を経て、現在は石材店舗兼住宅として利用されています -
つむぎの館に来ました
ここ結城は「結城つむぎ」で有名
ということで、結城紬を紹介する施設だと思われますつむぎの館 美術館・博物館
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つむぎ体験などもできるようですが、、、
こちらは重要無形文化財の地機織 -
一部施設はこの日は団体さんの予約で一般客は入館できなかった
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突き当りにある結城蔵美館
結城蔵美館 美術館・博物館
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街中の小さな美術館
この日は矢野洋一氏の作品を展示していました -
キヌヤ薬舗
1階は店舗、2階は蔵座敷の建物で、現在の建物は昭和後期に新築したものだそうですが、創建は奥順見世蔵(明治19年竣工)よりも古いとされているそうでキヌヤ薬舗見世蔵 名所・史跡
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その奥順壱の蔵
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奥順
先ほどのつむぎの里の裏側になります
つむぎの里は奥順の敷地の中に造られた体験型ミュージアムだったんです
明治19年の建築です奧順 名所・史跡
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須関商店
明治26年頃建築 平屋・寄棟妻入 -
鈴木屋呉服店
明治20年頃に建築されて、代々呉服屋店舗兼住宅として利用 -
鈴木新平商店
明治16年建築 二階建・切妻平入鈴木新平商店見世蔵 名所・史跡
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ふじの蔵
明治20年頃に建てられて代々呉服屋店舗でしたが、現在はお休み処ふじの蔵 名所・史跡
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結真紬見世蔵
明治40年頃の建築
呉服店を経て、現在は結城紬の問屋店舗兼住宅として利用結真紬見世蔵 名所・史跡
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大和屋結城店
日用雑貨関係の店舗ですが、現在は主に住宅として利用されている江戸時代末期の建築物 -
中澤商店
肥料商・紬問屋を経て、現在は主に住宅として利用
明治末期建築 土蔵造・瓦葺中澤商店見世蔵 名所・史跡
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中澤邸の建築年代は不詳らしい
当時は店舗 現在は住宅となっています -
河野商店
代々、結城紬の問屋店舗兼住宅として利用されているそうですが、あの看板は不動産屋さんじゃん・・・
明治25年建築 切妻平入 -
安穏寺 曹洞宗のお寺です
こちらの山門は江戸時代に建てられたもの
店舗や住宅だけでなく、ここにも古い建築物発見~安穏寺 寺・神社・教会
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広い境内
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山門近くのエドヒガンは、ソメイヨシノが多い現代において県内でも貴重な例なんだそう
すっかり桜の季節になりました(東京のソメイヨシノの開花はこの1週間ほど後ですけど) -
妙国寺は日蓮宗のお寺
妙国寺 寺・神社・教会
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与謝蕪村が詠んだ北寿老仙を悼む碑
君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に 何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ をかのべ何ぞかくかなしき
蒲公の黄に薺のしろう咲たる 見る人ぞなき
雉子のあるかひたなきに鳴を聞ば 友ありき河をへだてゝ住にき
へげのけぶりのはと打ちれば西吹風の はげしくて小竹原眞すげはら
のがるべきかたぞなき
友ありき河をへだてゝ住にきけふは ほろゝともなかぬ
君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に 何ぞはるかなる
我庵のあみだ仏ともし火もものせず 花もまいらせずすごすごと彳める今宵は
ことにたうとき 釋蕪村百拜書 -
御本堂
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早見普我(北寿老仙)のお墓
与謝蕪村が悼んだ方です -
秋葉喬庸商店 明治末期建築
農業資材関係の店舗ですが、現在は主に住宅として利用されています -
光福寺 真言宗
境内墓地には,結城家家老水野甚四郎や戊辰戦争時の新政府軍の上田楠次の墓があります光福寺 寺・神社・教会
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御本堂
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墓地の裏に御朱印堀跡があります
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金福寺は時宗のお寺になります
金福寺 寺・神社・教会
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御本堂
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弘経寺は浄土宗
結城家18代の城主 秀康公(徳川家康の子)がその息女・松姫追善供養のため飯沼(水海道)の弘経寺の住職 檀誉上人を招いて建立したと伝えられています
表門を通りその奥にはさらに弘経寺 寺・神社・教会
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山門
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山門を入ってすぐの鐘楼の手前に涅槃像があります
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俳人「砂岡雁宕」の句碑
墓の他、滞在時に書いた襖絵なども残されています -
御本堂
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勢至丸さま(浄土宗開祖の法然上人の若かりし頃)の像
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本堂の前には佛脚跡
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もしかしたらこちらが正面だったのかも
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毘沙門堂
結城七福神の毘沙門天がある毘沙門堂 寺・神社・教会
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毘沙門天立像は市指定文化財になっています
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武勇は慶応年間に創業した造り酒屋で、現在もお酒を造り続けています
武勇旧釜蔵 土蔵造平屋建 明治41年建築武勇 グルメ・レストラン
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孝顕寺 曹洞宗のお寺です
開基は結城家15代政朝で、15代政朝・16代晴朝、結城水野家10代勝知の菩提所にもなっています
慶長4年結城秀康(徳川家康の次男)により現在地へ移転して孝顕寺と改称孝顕寺 寺・神社・教会
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境内の桜がきれいに咲いていました
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手水は花手水
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朱塗三門
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ご本堂
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水野家 松平家墓所
とは言いますが、水野家歴代藩主の墓は東京三田の常林寺にあって、ここにあるのは幕末の10代藩主水野勝知の墓のみなんだそうです -
こちらにも御朱印堀の跡が残されています
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称名寺
親鸞聖人の高弟であった真仏が開基の寺で、結城家初代朝光は親鸞の教えに帰依したそうで、そんなこともあって称名寺 寺・神社・教会
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境内には結城朝光の墓があります
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寺号の『称名』は、朝光の法名「称名寺殿日阿」からとったそうです
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こちらの中門は結城氏の初代朝光から四代時広までの墓所入口の御霊屋の門だったことから御霊屋門と呼ばれています
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会津屋呉服店本店は昭和5年建築
昭和の建築は街中の建物の中では新しい方になるんでしょうかね
荒物商・紬問屋を経て、現在は呉服屋店舗兼住宅として利用会津屋本店 名所・史跡
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赤荻本店
明治20年頃に建築された見世蔵
土蔵造2階建、瓦葺赤荻本店見世蔵 名所・史跡
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秋葉麹味噌醸造
大正13年建築で、代々味噌屋店舗兼住宅及び醸造蔵として利用 -
喫茶カヂノキ
明治13年建築のいわゆる古民家カフェ
当時は穀物商店舗だったそうです梁島邸 名所・史跡
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常光寺の門前には西方極楽浄土の教主たる阿弥陀如来の座像があります
常光寺 寺・神社・教会
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「巨大」と言うほどではないですが、これでも一応「大仏」のようですね
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奥にある御本堂
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磯田邸
明治中期建築の二階建て・切妻平入建物
当時は乾物屋店舗でしたが、現在は住宅として利用磯田邸 名所・史跡
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ということで、街中を一周して結城駅に到着
結城駅 駅
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水戸線は凡そ1時間に1本
次に移動します
https://4travel.jp/travelogue/11815359JR水戸線 乗り物
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