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    古河散策・七福神・城探訪   茨城県古河市  全行程6時間43分  古河駅~(4分)諏訪八幡神社・浄園寺・西光寺(8分)~(31分・本陣跡・高札場跡・日光道中道標・古河街角美術館)妙光寺・宗願寺)~(5分)正定寺・福寿稲荷神社・隆岩寺(29分)~(16分)下宮八幡宮・雀神社(13分)~(19分)永井寺・頼政神社・昼食(50分)~(37分・古河城本丸跡碑・松月院御所塚)~(7分)古河公方公園・古河公方館・虚空蔵堂・浅間神社(1時間21分)~ (8分)香取神社・一向寺・子の権現神社・長谷観音(28分)~(24分) 福法寺・蛭子神社・大聖院・秋葉神社(25分)~(4分)古河駅<br />「日時」2022年3月20日 	<br />「アクセス」JR宇都宮線古河駅下車<br />

古河散策・七福神・城探訪

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2022/03/20 - 2022/03/20

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zenkyou01さん

この旅行記のスケジュール

2022/03/20

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    古河散策・七福神・城探訪   茨城県古河市  全行程6時間43分  古河駅~(4分)諏訪八幡神社・浄園寺・西光寺(8分)~(31分・本陣跡・高札場跡・日光道中道標・古河街角美術館)妙光寺・宗願寺)~(5分)正定寺・福寿稲荷神社・隆岩寺(29分)~(16分)下宮八幡宮・雀神社(13分)~(19分)永井寺・頼政神社・昼食(50分)~(37分・古河城本丸跡碑・松月院御所塚)~(7分)古河公方公園・古河公方館・虚空蔵堂・浅間神社(1時間21分)~ (8分)香取神社・一向寺・子の権現神社・長谷観音(28分)~(24分) 福法寺・蛭子神社・大聖院・秋葉神社(25分)~(4分)古河駅
「日時」2022年3月20日 
「アクセス」JR宇都宮線古河駅下車

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 諏訪八幡神社社殿 創建は1455年、初代足利公方足利成氏が鶴岡八幡宮を勧請し創建したのが始まりです。御祭神八幡様です。鳥を潜ると正面に社殿と十九夜塔があります。十九夜は月待行事に一つで、旧暦の19日に講中と称する仲間が集まり飲食をした後、経など唱えて月を拝み、悪霊を追い払う宗教行事で、供養の記念として建てられた塔です。7000歩で歩ける古河七福神の一つで布袋孫が祀られている

    諏訪八幡神社社殿 創建は1455年、初代足利公方足利成氏が鶴岡八幡宮を勧請し創建したのが始まりです。御祭神八幡様です。鳥を潜ると正面に社殿と十九夜塔があります。十九夜は月待行事に一つで、旧暦の19日に講中と称する仲間が集まり飲食をした後、経など唱えて月を拝み、悪霊を追い払う宗教行事で、供養の記念として建てられた塔です。7000歩で歩ける古河七福神の一つで布袋孫が祀られている

  • 浄園寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は不詳、鎌倉時代、開基は性信上人(親鸞聖人の弟子)です。山門を潜ると本堂と聖徳殿があります

    浄園寺本堂 浄土真宗大谷派の一寺、創建は不詳、鎌倉時代、開基は性信上人(親鸞聖人の弟子)です。山門を潜ると本堂と聖徳殿があります

  • 西光寺本堂 浄土宗の一寺、創建は不詳です。山門の手前に飛梅天満宮、山門を潜ると正面に本堂、本堂手前に古河大仏があります。その他地蔵尊があります。像高さ約2Mの大仏は1697年に造立されましたが、第二次大戦中の金属回収により供出、1979年に再興される

    西光寺本堂 浄土宗の一寺、創建は不詳です。山門の手前に飛梅天満宮、山門を潜ると正面に本堂、本堂手前に古河大仏があります。その他地蔵尊があります。像高さ約2Mの大仏は1697年に造立されましたが、第二次大戦中の金属回収により供出、1979年に再興される

  • 古河宿本陣跡碑 古河駅西口前の道(県道312号)を西に進み、旧日光街道(県道261号)に突き当り、その正面に碑は建っています。本陣は勅使、大名、旗本、公用の幕府役人等が宿泊する施設です

    古河宿本陣跡碑 古河駅西口前の道(県道312号)を西に進み、旧日光街道(県道261号)に突き当り、その正面に碑は建っています。本陣は勅使、大名、旗本、公用の幕府役人等が宿泊する施設です

  • 日光道中古河宿道標 旧日光街道と鍛冶町通の交差点の東北角に建っています。本道標は市指定有形文化財で1861年に建てられたものです。江戸より日光街道を北に向かい、この分岐点で右行けば筑波道、左に行けば日光道となります

    日光道中古河宿道標 旧日光街道と鍛冶町通の交差点の東北角に建っています。本道標は市指定有形文化財で1861年に建てられたものです。江戸より日光街道を北に向かい、この分岐点で右行けば筑波道、左に行けば日光道となります

  • 篆刻美術館表蔵棟 1920年に建てられた酒類卸業を営んでいた旧平野家表蔵棟で国登録有形文化財に指定されています。改修工事を経て今は篆刻美術館として保存・活用が図られています

    篆刻美術館表蔵棟 1920年に建てられた酒類卸業を営んでいた旧平野家表蔵棟で国登録有形文化財に指定されています。改修工事を経て今は篆刻美術館として保存・活用が図られています

  • 古河街角美術館 市営の美術館で古河市在住・出身・在勤の絵画制作活動を続けられている人々の作品が紹介されていました

    古河街角美術館 市営の美術館で古河市在住・出身・在勤の絵画制作活動を続けられている人々の作品が紹介されていました

  • 永井路子旧宅 直木賞作家永井路子氏が結婚するまでの20年間住まわれた家屋です。3月20日まで市民以外は見学中止でした

    永井路子旧宅 直木賞作家永井路子氏が結婚するまでの20年間住まわれた家屋です。3月20日まで市民以外は見学中止でした

  •  妙光寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1228年、開基は千葉阿闍梨日胤です。山門の手前に市指定文化財の馬頭観音、山門を潜ると正面に本堂、本堂手前に日蓮上人像があります。その他、市名木イチョウ、徳川家康側室お万の方(紀州徳川頼宣、水戸頼房の生母)の墓があります

     妙光寺本堂 日蓮宗の一寺、創建は1228年、開基は千葉阿闍梨日胤です。山門の手前に市指定文化財の馬頭観音、山門を潜ると正面に本堂、本堂手前に日蓮上人像があります。その他、市名木イチョウ、徳川家康側室お万の方(紀州徳川頼宣、水戸頼房の生母)の墓があります

  • 宗願寺本堂 浄土真宗本願寺派の一寺、創建は1217年、開基は西念坊道祐、本尊は阿弥陀如来像です。1601年、再建。山門を入ると正面に本堂があります。その他、市名木椿があります

    宗願寺本堂 浄土真宗本願寺派の一寺、創建は1217年、開基は西念坊道祐、本尊は阿弥陀如来像です。1601年、再建。山門を入ると正面に本堂があります。その他、市名木椿があります

  • 正定寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1633年、開基は土井利勝、開山は当誉玄哲和尚、本尊は阿弥陀如来像です。土井家歴代の菩提寺です。赤門の山門を潜ると右手に鐘楼、正面に本堂があります。その他、ときはかねなり地蔵、境内社(身替地尊、三河稲荷、唐津稲荷)、古河七福神弁女天が祀られた弁天堂、石像弁財天像、黒門、お楽の方の墓(第四代徳川家綱生母)、土井利勝夫婦の墓、侍従もみ碑等があります。侍従もみ碑には土井利勝は徳川家康の御子と刻まれています

    正定寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1633年、開基は土井利勝、開山は当誉玄哲和尚、本尊は阿弥陀如来像です。土井家歴代の菩提寺です。赤門の山門を潜ると右手に鐘楼、正面に本堂があります。その他、ときはかねなり地蔵、境内社(身替地尊、三河稲荷、唐津稲荷)、古河七福神弁女天が祀られた弁天堂、石像弁財天像、黒門、お楽の方の墓(第四代徳川家綱生母)、土井利勝夫婦の墓、侍従もみ碑等があります。侍従もみ碑には土井利勝は徳川家康の御子と刻まれています

  • 正定寺土井利勝夫婦の墓 墓所の中央に土井利勝夫婦の二基の宝篋印塔、その他歴代土井家当主を供養した宝篋印塔があります

    正定寺土井利勝夫婦の墓 墓所の中央に土井利勝夫婦の二基の宝篋印塔、その他歴代土井家当主を供養した宝篋印塔があります

  • 福寿稲荷神社拝殿 創建は1573~1592年、御祭神は宇迦之御魂神です。鳥を潜ると正面に拝殿、その奥に流造がきれいな本殿があります。その他、境内社、大国神社、厳島神社、淡島神社等があります。7000歩で歩ける古河七福神の一つで寿老人像が祀られています

    福寿稲荷神社拝殿 創建は1573~1592年、御祭神は宇迦之御魂神です。鳥を潜ると正面に拝殿、その奥に流造がきれいな本殿があります。その他、境内社、大国神社、厳島神社、淡島神社等があります。7000歩で歩ける古河七福神の一つで寿老人像が祀られています

  • 隆岩寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1598年、初代古河藩主小笠原秀政が妻の父岡崎三郎信康(徳川家康長男)を弔うために建てたのが始まりです。開山は岌道上人、ご本尊は阿弥陀如来像です。堂宇は山門、本堂、呑龍堂、油掛け地蔵、信康供養塔、小笠原貞慶の供養塔があります

    隆岩寺本堂 浄土宗の一寺、創建は1598年、初代古河藩主小笠原秀政が妻の父岡崎三郎信康(徳川家康長男)を弔うために建てたのが始まりです。開山は岌道上人、ご本尊は阿弥陀如来像です。堂宇は山門、本堂、呑龍堂、油掛け地蔵、信康供養塔、小笠原貞慶の供養塔があります

  • 下宮八幡宮社殿 創建は1532~1554年鎌倉八幡宮から勧請されたと伝えられる。御祭神は誉田別神(八幡様)です。鳥を潜ると正面に拝殿、その他、境内社牛頭天王と正一位稲荷大明神があります

    下宮八幡宮社殿 創建は1532~1554年鎌倉八幡宮から勧請されたと伝えられる。御祭神は誉田別神(八幡様)です。鳥を潜ると正面に拝殿、その他、境内社牛頭天王と正一位稲荷大明神があります

  • 雀神社拝殿 創建は859~877年、出雲大社の分霊を祀ったことにはじまる。主祭神は大己貴命、他に、少彦名命、事代主命が配祀されています。入口に御神木大ケヤキ、鳥居、拝殿・幣殿・本殿、境内社三峰神社、神輿蔵、神楽殿がある

    雀神社拝殿 創建は859~877年、出雲大社の分霊を祀ったことにはじまる。主祭神は大己貴命、他に、少彦名命、事代主命が配祀されています。入口に御神木大ケヤキ、鳥居、拝殿・幣殿・本殿、境内社三峰神社、神輿蔵、神楽殿がある

  • 永井寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1626年、開基は古河藩主永井直勝、ご本尊は釈迦如来像です。古河藩主永井家の墓所で、初代直勝の立派な宝篋印塔に二代、3代の供養塔もある。その他、本堂、六地蔵、江戸時代後期の書家小山霞外の墓・附梧岡・遜堂墓の墓、江戸時代後期の藩校教授小高益卿の墓がある

    永井寺本堂 曹洞宗の一寺、創建は1626年、開基は古河藩主永井直勝、ご本尊は釈迦如来像です。古河藩主永井家の墓所で、初代直勝の立派な宝篋印塔に二代、3代の供養塔もある。その他、本堂、六地蔵、江戸時代後期の書家小山霞外の墓・附梧岡・遜堂墓の墓、江戸時代後期の藩校教授小高益卿の墓がある

  • 頼政神社社殿 創建は1677または1696年、御祭神は源三位頼政(宇治で平家と戦いで敗れ、自刃した源頼政)です。現在の社殿は観音寺郭の土塁上に建っています(元は六世紀後半の竪穴式円墳である)。一の鳥居、二の鳥居、拝殿、本殿(覆い殿、内部は?)、境内社3社、古河城址土塁、庚申塔手水等が見られる

    頼政神社社殿 創建は1677または1696年、御祭神は源三位頼政(宇治で平家と戦いで敗れ、自刃した源頼政)です。現在の社殿は観音寺郭の土塁上に建っています(元は六世紀後半の竪穴式円墳である)。一の鳥居、二の鳥居、拝殿、本殿(覆い殿、内部は?)、境内社3社、古河城址土塁、庚申塔手水等が見られる

  • 古河城本丸跡碑 築城主は下河辺行平、その後の城主足利成氏、土井氏、築城年は平安時代末、1871年廃城。渡良瀬川東岸にあった城で、明治6年の廃城令により廃城となり、その後、渡良瀬川の洪水対策で、郭は削平され、堀は埋められ、河川敷や土手に変わる。遺構は移築された二の丸乾門(現福法寺山門)のみで、他は古河歴史博物館付近の諏訪郭跡の水堀と土塁、頼政神社の土塁等が見られる。渡良瀬川堤防に建つ本丸跡石碑、博物館入口に建つ諏訪郭址碑、頼政神社の東にある追手門阯碑等、施設跡碑が見られる

    古河城本丸跡碑 築城主は下河辺行平、その後の城主足利成氏、土井氏、築城年は平安時代末、1871年廃城。渡良瀬川東岸にあった城で、明治6年の廃城令により廃城となり、その後、渡良瀬川の洪水対策で、郭は削平され、堀は埋められ、河川敷や土手に変わる。遺構は移築された二の丸乾門(現福法寺山門)のみで、他は古河歴史博物館付近の諏訪郭跡の水堀と土塁、頼政神社の土塁等が見られる。渡良瀬川堤防に建つ本丸跡石碑、博物館入口に建つ諏訪郭址碑、頼政神社の東にある追手門阯碑等、施設跡碑が見られる

  • 松月院御所塚に建つ宝篋印塔 塚は古河公方の墓と思われるが特定できない。塚の上には宝篋印塔二基と庚申供養塔が建っている。宝篋印塔一基は古河公方第五代義氏の孫義親の妻(榊原康政の娘)松月院殿真晃瑞公大禅定尼の墓塔と推定される

    松月院御所塚に建つ宝篋印塔 塚は古河公方の墓と思われるが特定できない。塚の上には宝篋印塔二基と庚申供養塔が建っている。宝篋印塔一基は古河公方第五代義氏の孫義親の妻(榊原康政の娘)松月院殿真晃瑞公大禅定尼の墓塔と推定される

  • 史跡古河公方館阯碑 築城主は鎌倉公方足利持氏の四男初代古河公方足利成氏、築城年は1455年築城。1457年、古河城(渡良瀬川沿い)を改修して移った後は別邸として使用。遺構は堀、土塁、郭、天然の堀(御所沼)、堀切。鴻巣館とも呼ばれる 公園内の北にある徳源院跡に古河公方足利義氏の墓所がある

    史跡古河公方館阯碑 築城主は鎌倉公方足利持氏の四男初代古河公方足利成氏、築城年は1455年築城。1457年、古河城(渡良瀬川沿い)を改修して移った後は別邸として使用。遺構は堀、土塁、郭、天然の堀(御所沼)、堀切。鴻巣館とも呼ばれる 公園内の北にある徳源院跡に古河公方足利義氏の墓所がある

  • 古河公方館の堀切 城址碑が建つ郭と一の郭(公方様の森)の間にある堀切です。堀切とは尾根をスパッと断ち切る堀のことです

    古河公方館の堀切 城址碑が建つ郭と一の郭(公方様の森)の間にある堀切です。堀切とは尾根をスパッと断ち切る堀のことです

  • 古河公方公園旧飛田家住宅 公園にある二軒の古民家の内の一軒、十八世紀前半に建てられた農家住宅で常陸太田市にあったものを公園内に移築。茨城県にある曲屋形式の住宅で最も古いもので国重重要文化財に指定されています。コロナ禍の折、見学中止でした

    古河公方公園旧飛田家住宅 公園にある二軒の古民家の内の一軒、十八世紀前半に建てられた農家住宅で常陸太田市にあったものを公園内に移築。茨城県にある曲屋形式の住宅で最も古いもので国重重要文化財に指定されています。コロナ禍の折、見学中止でした

  • 古河公方公園桃 25万ヘクタールの広大な土地に草木、花(桃、蓮等)、池、森林、史跡(城址、寺跡)、芝生広場、遊具広場、古民家等がある市立公園です。今数種類の桃の花が満開です

    古河公方公園桃 25万ヘクタールの広大な土地に草木、花(桃、蓮等)、池、森林、史跡(城址、寺跡)、芝生広場、遊具広場、古民家等がある市立公園です。今数種類の桃の花が満開です

  • 古河公方足利義氏墓所 古河公方第五代足利義氏墳墓の標石(写真正面奥)と土塚がある

    古河公方足利義氏墓所 古河公方第五代足利義氏墳墓の標石(写真正面奥)と土塚がある

  • 虚空蔵堂本堂 創建は不詳、足利義満が信仰されていた尊像で、1449~1455年初代古河公方足利成氏の代に尊像を公方館から現在地に移したと伝えられる。山門を潜ると直ぐ右手上に浅間神社、正面に本堂、伏せ牛、地蔵菩薩があります。虚空蔵菩薩像は丑寅生まれの人の守り本尊で、且つ、十三歳詣りで知られるように子供育成にご利益があります

    虚空蔵堂本堂 創建は不詳、足利義満が信仰されていた尊像で、1449~1455年初代古河公方足利成氏の代に尊像を公方館から現在地に移したと伝えられる。山門を潜ると直ぐ右手上に浅間神社、正面に本堂、伏せ牛、地蔵菩薩があります。虚空蔵菩薩像は丑寅生まれの人の守り本尊で、且つ、十三歳詣りで知られるように子供育成にご利益があります

  • 浅間神社拝殿 創建は1830年、鴻巣村の小森谷家が広く浄財を集め、富士塚を構造、富士本宮浅間大社のご祭神を勧請したのが始まりですと説明版にあります。鳥居を潜ると左手に境内社、第二鳥居の先に社殿(富士塚の山頂に建つ)、右奥に模擬富士山があります

    浅間神社拝殿 創建は1830年、鴻巣村の小森谷家が広く浄財を集め、富士塚を構造、富士本宮浅間大社のご祭神を勧請したのが始まりですと説明版にあります。鳥居を潜ると左手に境内社、第二鳥居の先に社殿(富士塚の山頂に建つ)、右奥に模擬富士山があります

  • 香取神社鳥居と拝殿 1751~1764年、牧野の名主が香取神宮分霊を勧請したのが始まりです。御祭神は経津主神です。古河市には香取神社という名の神社は数社あり、この神社は牧野町(古河公方公園のすぐ北にある)にある香取神社です。鳥居の手前に境内社(八坂神社)鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に本殿があります

    香取神社鳥居と拝殿 1751~1764年、牧野の名主が香取神宮分霊を勧請したのが始まりです。御祭神は経津主神です。古河市には香取神社という名の神社は数社あり、この神社は牧野町(古河公方公園のすぐ北にある)にある香取神社です。鳥居の手前に境内社(八坂神社)鳥居を潜ると正面に拝殿、その奥に本殿があります

  • 一向寺本堂 時宗の一寺、創建は1276年、開山は一向上人俊性、ご本尊は阿弥陀如来像です。入口を通り、少し長い参道を進むと右手に六地蔵、山門を潜ると正面に本堂、本堂前三喜翁石像が安置されている六角堂があります。本堂内には古河公方侍医田代三喜の木像がある

    一向寺本堂 時宗の一寺、創建は1276年、開山は一向上人俊性、ご本尊は阿弥陀如来像です。入口を通り、少し長い参道を進むと右手に六地蔵、山門を潜ると正面に本堂、本堂前三喜翁石像が安置されている六角堂があります。本堂内には古河公方侍医田代三喜の木像がある

  • 子の権現神社本殿 ご祭神は大国主命です。鳥居と拝殿と本殿のこじんまりした神社です。草鞋が奉納されています。子の権現は足腰守護の神様で、足腰が何時までも丈夫なようにと草鞋が奉納して祈願するそうです。狛犬像は顔つきがはっきりしないほど摩耗し、歴史の古さをかんじさせます

    子の権現神社本殿 ご祭神は大国主命です。鳥居と拝殿と本殿のこじんまりした神社です。草鞋が奉納されています。子の権現は足腰守護の神様で、足腰が何時までも丈夫なようにと草鞋が奉納して祈願するそうです。狛犬像は顔つきがはっきりしないほど摩耗し、歴史の古さをかんじさせます

  • 鷹見泉石記念館 十九世紀前半に古河藩土井家の家老を務めた鷹見泉石が晩年を送った家と伝わります。今は改修して武家屋敷跡として開放されています。是非見たかったのですが残念ながら、ここも3月20日まで市民以外は見学中止でした

    鷹見泉石記念館 十九世紀前半に古河藩土井家の家老を務めた鷹見泉石が晩年を送った家と伝わります。今は改修して武家屋敷跡として開放されています。是非見たかったのですが残念ながら、ここも3月20日まで市民以外は見学中止でした

  • 古河歴史博物館横にある水堀と土塁 古河城の出城の諏訪郭の水堀と土塁です

    古河歴史博物館横にある水堀と土塁 古河城の出城の諏訪郭の水堀と土塁です

  • 長谷観音本堂 真言宗豊山派の一寺、創建は1493年、初代古河公方足利成氏が鎌倉長谷寺から観世音菩薩像を勧請したのが始まりと言われています。1868年に廃寺となるが、1914年再興。ご本尊は十一面観世音菩薩立像です。長谷観音という名は通称です。日本三大長谷観音様(鎌倉、大和、古河)の一つです。山門を通ると右正面に本堂があります。その他石造長谷観世音像があります

    長谷観音本堂 真言宗豊山派の一寺、創建は1493年、初代古河公方足利成氏が鎌倉長谷寺から観世音菩薩像を勧請したのが始まりと言われています。1868年に廃寺となるが、1914年再興。ご本尊は十一面観世音菩薩立像です。長谷観音という名は通称です。日本三大長谷観音様(鎌倉、大和、古河)の一つです。山門を通ると右正面に本堂があります。その他石造長谷観世音像があります

  • 福法寺山門 浄土真宗の一寺、創建は1275~1277年、開山は正順坊(親鸞聖人の弟子)、ご本尊は阿弥陀如来像です。山門(旧古河城二の丸の乾門)を通ると正面に本堂、右に庫裏があります

    福法寺山門 浄土真宗の一寺、創建は1275~1277年、開山は正順坊(親鸞聖人の弟子)、ご本尊は阿弥陀如来像です。山門(旧古河城二の丸の乾門)を通ると正面に本堂、右に庫裏があります

  • 蛭子神社拝殿 創建は1814年、ご祭神は蛭子命です。鳥居と拝殿と恵比寿像のこじんまりした神社です。古河七福神の恵比寿天が祀られています

    蛭子神社拝殿 創建は1814年、ご祭神は蛭子命です。鳥居と拝殿と恵比寿像のこじんまりした神社です。古河七福神の恵比寿天が祀られています

  • 大聖院本堂 曹洞宗の一寺、1523年、開基は古河公方第二代足利政氏、開山は大朝宗賀和尚、ご本尊は釈迦牟尼仏像です。寺号は永昌寺という。山門の手前にある三王宮には古河七福神の弁財天が祀られている。山門を潜ると、鐘楼、石造十三重塔、名木ニレの木、聖観世音菩薩像、道元禅師尊像等があります

    大聖院本堂 曹洞宗の一寺、1523年、開基は古河公方第二代足利政氏、開山は大朝宗賀和尚、ご本尊は釈迦牟尼仏像です。寺号は永昌寺という。山門の手前にある三王宮には古河七福神の弁財天が祀られている。山門を潜ると、鐘楼、石造十三重塔、名木ニレの木、聖観世音菩薩像、道元禅師尊像等があります

  • 秋葉神社拝殿 古河城主土井利位が駿河秋葉神社の分霊を祀ったものです。ご祭神は火之迦具土神です。鳥居と拝殿と古河七福人毘沙門天像があるこじんまりした神社です

    秋葉神社拝殿 古河城主土井利位が駿河秋葉神社の分霊を祀ったものです。ご祭神は火之迦具土神です。鳥居と拝殿と古河七福人毘沙門天像があるこじんまりした神社です

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