2007/09/23 - 2015/07/06
61位(同エリア129件中)
偏西風さん
行ったことのないハンブルクの魚市場は、地元の人や旅行者で賑わっているようです。海の幸の恩恵に浴しています。
一方、海の幸ならぬ川の幸である川魚はどうでしょう。レストランではマス料理などが提供されるとはいえ、
一般家庭の食卓に川魚が出ることはあるのでしょうか。ドイツの家庭料理を知らずに言うのもいけないけれど、家庭で川魚が食されることはないように思います。それもずっと以前から。
ところがドイツの町を歩いていて、かつてはドイツでも川で漁がおこなわれ、川魚がよく食べられていたことを示すいくつかのものが目にとまりました。気がついて撮った写真は少ないのですが、むしろ盛んだったように思えるくらい。
ドナウヴェルトでは、駅を出て市内に入るリーダー門の手前に、重たくなった投網?を抱える二人の漁師の像があったのに、写真に撮っていなかった。
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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エアフルトの駅から歩いているときれいに飾られた川に遭遇。これが
ゲーラ川かどうかは分かりません。 -
たしかにエアフルトだという証しの一枚。
左が大聖堂。右がセヴェリ教会。 -
トラムの停車場の名前が「魚市場」でした。左手の広場ではかつて魚市場が開かれていたことになります。
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ネッカーシュタイナハの民家の壁には、ネッカー川で漁をする絵が描かれていました。
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ネッカー河畔のエーバーバッハには、大漁の投網?を引き上げる漁師の像がありました。いかにも川の幸に感謝するような様子。
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エーバーバッハの郷土博物館にはいくつもの漁具が展示されていた。
下に置いてあるのは投網? -
ドナウ河畔のパッサウ。旧の市庁舎塔はネットを掛けられて修復中。
積雪で白い広場がかつての魚市場。 -
市庁舎塔のふもとに、ドナウ川の氾濫でここまで水がきたという記録が書き込まれています。そして、その右側にあるのが、
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この広場がかつて魚市場であったことを示すプレート。
1000年頃から1842年まで、ここが魚市場だったと書かれています。
写真に撮ったのはこれだけです。パッサウではドナウ川での漁は19世紀の半ばで終わったことになります。ドナウ川に限らず、川での漁がなくなったのはなぜなのか。河川の汚染が考えられますが、どんな汚染だったのでしょう。
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