2022/11/10 - 2022/11/19
1965位(同エリア6773件中)
広島れもんさん
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- 旅行記15冊
- クチコミ5件
- Q&A回答0件
- 14,523アクセス
- フォロワー7人
ローマ4日目はボルゲーゼ美術館へ行った後、ポポロ広場からスペイン広場、トレヴィの泉、パンテオンとローマの主だったスポットを巡りながら、素敵な絵のある教会へ入ったりジェラートやカフェも楽しみました!時間がなかったらここだけでも大丈夫という王道の歩き方です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ホテルの部屋は中庭に面していたのでお天気はよくわからなかったのですがテレビによると晴れ予報で、ボルゲーゼ美術館へ行くより先に早朝のマッジョーレ教会へ行くためにホテルを出ました。☆3つですが立派なエントランス、ロビーも広くて大満足のホテルです。
ホテル ノード ヌオヴァ ローマ ホテル
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思った通りマッジョーレ教会の中は朝日が入って光り輝いています。
サンタ マリア マッジョーレ大聖堂 寺院・教会
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システィーナ礼拝堂の入り口。今日も中には入れませんでした…。
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天蓋と格天井もキラキラ
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主祭壇の右側、ちょうど天蓋の写真を撮ったあたりにベルニーニのお墓があります。ロープで囲ってはあるけど、床に墓石があり初めて見た時はびっくりしました。今日はベルニーニの素晴らしい作品があるボルゲーゼ美術館へ行くので、その前にお参りしました。
教会を出たところでお腹が痛くなり向かいのバールへ入りました。このように街中にトイレのないローマでは、バールでカフェをいただいてトイレを借りるのです(笑) -
バス乗り場にはこのようにバスの番号と停留所、終点を書いた看板があるので、事前にGooglemapの経路検索で路線を調べてバス番号を決め(複数ある場合もあります)、乗り場を探します。ボルゲーゼ美術館へ行く910番はテルミニ駅から一番遠いところに乗り場があるので、がんばって探しましょう。
500人広場 広場・公園
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テルミニ駅から10分余り、北に向かっていたバスが右折して最初の停留所 Pinciana/Museo Borghese が美術館の最寄り駅になります。
ボルゲーゼ美術館は完全予約制で、前はローマパスを使って入っていたので電話予約していましたが、今回は普通にネット予約しました(https://www.tosc.it/artist/galleria-borghese)。朝いちばんが9時からなのでホテルで朝食をとってもじゅうぶん間に合います。また鑑賞時間は2時間と決まっているので、事前に展示されている作品を調べて行かれるのがいいと思います。
この美術館は多くの芸術家のパトロンだったシビオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が夏の別荘として建てたもので1616年に完成しました。しかし19世紀初頭、ナポレオンがボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーブル美術館に移してしまいます。当時ボルゲーゼ家は経済的危機にあって美術品を手放しつつあったのです。それでもなおここにはルネサンス・バロック期のイタリア美術の優れた作品が多く残っていて、静かで優雅な時間が過ごせる場所となっています。
建物に入るとまず荷物を預けます。ポシェット程度の大きさのものと指示され、なければビニール製の手提げを下さいます。冬場はみんな厚着をしているので、コートも預けましょう。電話予約した時は受付に行きましたが、オンライン予約の場合バウチャーは入場の際に見せるだけでした。
お手洗いは受付のある地下と1Fから2Fへ上がるらせん階段の途中にあります。私は階段の途中のお手洗いで知り合いに会いました!最初気づかなかったのですが、ホテルのエレベーターで一緒になった美しい母娘さん。娘さんが可愛くて”何才?”って聞いたんです。それで覚えていてくださったみたいで、別人みたいにドレスアップしておられたので声をかけなければわかりませんでした。いい思い出です。ボルゲーゼ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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1F 彫刻館 (イタリアの1Fは2階にあたります)
順路的には2Fの絵画館から行くようですが、前の人につられて入ってしまいました。
4室 ベルニーニ ”プロセルピナの略奪”
古代ローマの詩人オウィディウスの”変身物語”から。春の女神プロセルピナを連れ去ろうとする冥界の神プルートーを描いたもので、ベルニーニがボルゲーゼ卿の注文によって最初に作った作品で、ベルニーニは23才だったそうです。23才…。
”変身物語”はギリシャ・ローマ神話の登場人物が様々なもの(動物、植物、鉱物)に変身して行くエピソードを集めたもので、オウィディウスによる神話原典のひとつだそうです。 -
逃げようとする女性の表情、その足に食い込む男の指。成熟した彫刻にしか見えません。
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”エジプトの間” のきれいな天井画。集めた絵画といい彫刻といい、ボルゲーゼ卿のセンスは他に類を見ないものだったと想像できます。
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8室 カラヴァッジョの部屋
本来、絵画は2Fなのですが、カラヴァッジョ作品だけ1Fにあります。 -
ここには左右の壁に6点のカラヴァッジョ作品が展示されています。
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”聖アンナと聖母子”
聖母マリアが罪の象徴である蛇を踏みつけ、幼子イエスにも踏ませとうとしています。残虐とまではいきませんがちょっとショックな絵…。この絵はバチカンの馬丁組合からの注文だったが断られ、ボルゲーゼ卿へ払い下げられたものだそうです。 -
”洗礼者ヨハネ”
ヨハネが持つ十字架の杖や子羊がただの杖や角の生えた牡羊と言った不完全な表現を用い、カラヴァッジョが救世主を待っていたことを伝えている。カラヴァッジョは自ら犯した罪から逃れるため、ナポリ、シチリアと逃走しますがナポリに戻って恩赦を受けローマへ帰る途中で病死してしまいます。そのナポリでボルゲーゼ卿への贈答用に描いた絵で、彼が最後に持っていた3枚のうちの1枚だそうです…。 -
”聖ヒエロニムス”
この絵はカラヴァッジョが公証人に斬りつけた事件を調停したボルゲーゼ卿へのお礼で描かれたそうです。聖書をラテン語に翻訳したことでも知られる哲学者ヒエロニムスと骸骨、表現したかったことが分かるようです。
来館者が増えてくると次の部屋に移動します。ここはバチカン美術館と違って何度でも戻ってくることができるからです。 -
イチオシ
1室 カノーヴァ ”パオリーナ・ボルゲーゼ像”
モデルとなったパオリーナ・ボルゲーゼはナポレオンの妹さんでボルゲーゼ家へ嫁いで来られたのだそうです。お顔に気品があって、ナポレオンに似てなくもない。彼女の横たわるソファーの皺とか装飾にも品があって、飾りたくなるのもうなずける作品、大好きです! -
このポーズ、部屋の中央で圧倒しています。
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2室 ベルニーニ ”ダヴィデ”
ダヴィデは旧約聖書に出てくる英雄で、ゴリテアと闘おうとしないイスラエル兵の前に出て戦いを挑んだ若い羊飼い。ゴリテアに石を投げようとしている瞬間を表現したもので、フィレンツェのアカデミア美術館にある
”ダヴィデ”より逞しく、今にも石を投げそうです。 -
3室 ベルニーニ ”アポロンとダプネ”
ベルニーニ25才の時の作品。”プロセルピナの略奪”と同じくオウィディウスの”変身物語”から題材をとっている。アポロンは弓矢で遊んでいたエロスを揶揄したがこれに激怒したエロスは相手に恋する金の矢をアポロンに、逆に相手を疎む鉛の矢を近くで川遊びしていたダプネに放った。アポロンはダプネに求愛し続けたがダプネは拒み、力尽きたダプネは父親に自分の姿を変えてくれるように頼んだところ、ダプネの体は月桂樹となり、アポロンはひどく悲しんだ。それでも”私の聖樹になって欲しい”とアポロンが願ったところ、ダプネが月桂樹の葉をアポロンの頭に落とし、アポロンはそれで冠を作り肌身から離すことはなかったそうです…。
この作品はこの角度で鑑賞されることを前提に作られたそうですが、裏手に回るとダプネがほぼ月桂樹になって驚きます。指の先から足の先から樹に変わっていくダプネ、二人とも美男美女だし、もしかしたら本当は好きだったのかもしれないと思ったら泣けてきます。 -
イチオシ
逃げよう逃げようとしています。
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この部屋の照明は黄色がかっていてそのため作品もそう見えますが、角度によっては本来の大理石の色がわかります。
ちなみにアポロンの頭部はバチカンのベルヴェデーレの中庭にある”ベルヴェデーレのアポロン”を参考にしたそうです。なるほど、私が好きなわけです。 -
2Fに上がってすぐの広い部屋の真ん中に、ベルニーニの肖像画3枚と下にはボルゲーゼ枢機卿の胸像があります。ベルニーニはハンサム。芸術家のパトロンになり、これだけのコレクションをしたボルゲーゼ枢機卿、いったいどんな方だったのでしょう?
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19室 ドメニキーノ ”狩りをするダイアナ”
ある少女(ニンフ?)の表情がとても面白くて、ここに来るといつも笑ってしまいます。 -
この右側の子、応援しているんでしょうね!下の方で水浴びしている女の子もなかなかの表情、見ていて楽しくなる絵です。
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イチオシ
20室 ティツィアーノ ”聖愛と俗愛”
ここプシュケの間にはベネチア派の作品が飾られています。盛期ルネサンス・ヴェネチア派の巨匠ティツィアーノはたくさんの美しい作品を残していますが、この絵もほんとうに美しい…。湖の向こうに教会、丘の上には城塞らしきものが描かれていて、背景もとても美しくいつまでもあきない作品です。 -
同じくティツィアーノの作品 "キューピットに目隠しするヴィーナス”
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ヴェネチア派のジョヴァンニ・ベリーニの ”聖母子”は優しい絵です。
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9室 ラファエロの師であるペルジーノの ”聖母子”
はかないやさしさに魅力があります。この絵はラファエロと同じ部屋に飾ってあります。 -
イチオシ
ラファエロ ”キリスト降架”
9室を大きく占めるラファエロの作品。ウルビーノからフィレンツェへ移ったラファエロはダ・ヴィンチの影響を受け数多くの聖母子を描いたが、その後ミケランジェロの影響も受け、古典主義への興味が薄れていきます。その頃に描いたのがこの作品で、キリストの重みやキリストを運ぶ人々の力が生々しく描かれていて、ユリウス2世がラファエロをローマに呼ぶきっかけになったと言われています。
2017年に初めてボルゲーゼ美術館へ行った時、3月だったのですが2018年のカレンダーを見つけました。翌年も同じもので、とにかく素晴らしい絵ばかりで今でも飾っています。この人々の苦悩の表情はカレンダーからでも伝わってきます。 -
ラファエロ ”一角獣を持つ貴婦人”
一角獣は純潔の象徴とされ、貴族の女性がお見合いのために描いてもらったものだそうです。同じ部屋にはラファエロが描いた恋人のフォルラリーナの絵もコピーですがあります(高いところに飾ってあります) -
ピントゥリッキオ ”磔刑”
大きく写していますが部屋の入り口にある小さな絵です。私はピントゥリッキオの描く背景も好きなので、大きく撮ってしまいました。 -
ボッティチェリ ”聖母子と聖ジョヴァンニ―ノと天使たち”
この絵は壁の上の方にあるんです、そのためアップで撮ったらぶれていました…。ウフィツイ美術館の2つの絵と違って、色彩がかなりはっきりしています。 -
2018年に撮影したもの
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1F のカラヴァッジョの部屋へ戻りました。1時間くらいで回れるのであとは好きな作品を見て回ります。ガイド付きのグループの方が鑑賞しておられるとなかなか正面では見れないので、他の部屋に行った方が効率がいいんです。
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”病めるバッカス”
ミラノ生まれのカラヴァッジョのローマ時代の初期の作品で最初の自画像と言われています。血色の悪いバッカス、果物の描写もまた拙くウフィツイ美術館のバッカスとはずいぶん違いますが、両性具有のような少年はどこか物悲しいです。 -
左側がカラヴァッジョの最後の自画像と言われている ”ゴリテアの首を持つサロメ”。ダヴィデが巨人ゴリテアを倒し、生首を持っている。焦点の合わないうつろなまなざしは破天荒な生活を送って投獄された自己断罪を表しているそうですが、ショッキングな絵です。この絵は恩赦を嘆願するために描いたもので、亡くなった時に持っていた3枚の絵のうちの1枚だそうです。
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”果物籠を持つ少年”
この絵もローマに来たばかりの20才の頃に描いた作品で、初期のカラヴァッジョは花と果物を描いて有名になりました。この絵に描かれている果物のみずみずしさはずっと見ていたいほど。そして枯れている葉を描いているのは無常感を表しているのだそうです。この少年の表情からもそれがうかがい知れます。
カラヴァッジョ作品がある市内の教会、たぶんフランチャージ教会だったと思うのですが、カラヴァッジョ作品のカレンダーが販売されていました。30㎝×30㎝くらいの大きなものでたったの5ユーロ、それの表紙がこの作品で果物のツヤまで伝わってきます。街歩きには重たいけど私はその日、ボルゲーゼ、カラヴァッジョ、ラファエロと3冊持って歩きました(笑)(ラファエロのカレンダーはバルベリーニ宮殿のローマ国立美術館にありました)
帰り際ブックショップで素敵なものを見つけました。ボッティチェリの”春”をイメージしたスカーフです。4色ぐらいあり自分用と娘へのお土産に購入~、いいものを見つてそんなに高くなかったら迷わず買います。戻ることはできないので。 -
1時間半で美術館を後にしました。広大な公園を歩いて気持ちを静めながらバス停に向かいますが、常緑樹が多いのか紅葉していません。
公園を出てすぐの Brasile から61か160のバスで Washington へ向かう予定が、なかなか来ない…。バス停におられた方に聞いたら日曜日だから150Fだと教えてもらいました。それでも不安だったのですがバスが来て促されて乗り、着いたよと降りる所まで教えてもらいました。疑ってすみませんでした…。 -
バスを降りると地下鉄フラミニオ駅の前のポポロ門へ向かいます。その名前の通り、フラミニア街道はここを起点にしてアドリア海まで続く道で、古代ローマ時代にはアウレリアヌス城塞を通過する門が建てられていたそうです。その後荒れ果て15世紀後半まで河川の堆積物で埋まっていたのを、16世紀に建て替えたもの。市外側のファサードはティトスの凱旋門から着想を得たミケランジェロによる設計で、正面の4組の円柱は建て替え中だった旧サンピエトロ聖堂のものを用い、門の上には”ピウス4世がこの門を嵩上げてて街道の再舗装をした”とあるそうです。ピウス4世はメディチ家に関連した家柄のため、メディチ家の紋章がついています。
市内側のファサードはシンプルに見えますがベルニーニによるもので、スウェーデン女王のローマ訪問にあわせて作られたため、門の上には”迎い入れることは幸福である”と書いてあるそうです。こちらはキージ家のアレクサンドル7世が改修させたため、キージの6つの山の紋章がついています。ポポロ門 建造物
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映画”天使と悪魔”で一躍有名になったサンタ・マリア・デル・ポポロ教会。ポポロ門をくぐってすぐ左にある大きな教会です。写真ではわかりませんが、この左手がポポロ門です。一緒に撮っておけばよかった…。
もともとネロ皇帝のお墓があった場所で、ここに生えていたくるみの木に悪霊が住みついていると恐れられていた。教皇バカリヌス2世は夢に現れたマリアのお告げのとおりに、くるみの木を切り倒しネロの遺体を焼いて遺灰をテヴェレ川に流したところ、悪霊は現れなくなった。そこで教皇は1099年に聖母マリアに捧げる教会を建てたが、建設資金を市民(ポポロ)が負担したためポポロ教会と名付けたそうです。
その後13世紀に再建され、さらに1472年にローヴェル家出身のシスクトゥス4世が再度再建し、簡潔なファサードと内部も装飾の少ないルネサンス様式の教会になったが、のちに内部はベルニーニによってバロックの装飾が付け加えられています。
この日は日曜で、11時過ぎていたのにもかかわらずミサが行われていましたが、右側廊の礼拝堂へは拝観できました。サンタ マリア デル ポポロ教会 寺院・教会
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ピントゥリッキオ ”キリストの生誕と聖ヒエロニムス”
右側廊1番目の ”ローヴェル家 上の礼拝堂”にあるのがこの絵。ピントゥリッキオのやさしい色使い、静かな時が伝わってくるような絵です。ルネッタ部分にも”聖ヒエロニムスの生涯”のフレスコ画が残っています。 -
同じく3番目の ”ローヴェレ家 下の礼拝堂” にはピントゥリッキオの弟子たちによって描かれた ”玉座の聖母子と諸聖人”。かなりはっきりとした彩色になっていますが、修復されたのでしょうね…。
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左側の壁面には ”聖母被昇天”
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丸天井とルネッタには ”聖母の生涯”が描かれています。
この後カラヴァッジョの絵のある ”チェザーレ家の礼拝堂” へ行こうと思ったのですが、左側廊へは入れなくなっていました。たくさんの人が入るとミサに影響するから? -
”ローマの神々とピンチョの麓の噴水”
これはポポロ広場からピンチョの丘を臨んだもので、広場の東側には見上げるほどに大きな噴水があります。また広場の中央にはエジプトから運ばれてきたラムセス2世のオベリスクを囲んで ”ライオンの噴水”もあります。
この広場では双子教会も人気がありますが、双子教会のほうからポポロ門、ポポロ教会、オベリスクの噴水を撮るのが好きで何枚か撮ったのですが、選ぶ段階で削除していました…。奥行きのあるいい写真が撮れるのでぜひ!またポポロ広場はものすごく広くて、目的なしに歩いていたら物売りに声をかけられますので気をつけてください。
このあと近くの”Gelateria del Gracchi”で休憩する予定だったのですが、行ってみると午後からみたいでまだ開いていない…。30分待つのはきついのでコルソ通りをブラブラ。いつもの”KIKO”に寄ってお土産用のリップペンシルを何本か買ったところ、店員さんがショップの袋を見せて”日本語ではなんて言うの?”と聞いてきました。FUKUROって教えてあげたら、FUKURO、FUKUROって何度も繰り返していました(笑)ピンチョの丘 広場・公園
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イチオシ
コルソ通りからコンドッティ通りに入って”Gucci”の前を通ってスペイン広場へ。新婚旅行でここに来た時、ローマ1の目抜き通りは思ったより狭いのに驚いたことを覚えていますが、あの頃より観光客は格段に増えている気がします。スペイン広場もトレヴィの泉も人がいてこそ素晴らしくいい写真が撮れる。そして快晴~、トリニタ・ディ・モンティ教会がまぶしい!
もともと坂道だったここに教会と広場をつなぐため階段がつけられたのは1725年のことで、サンクティスという無名の建築家のデザインによるものです。フランスの援助によって造られたものの、近くにスペイン大使館があったためこの名前になったそうで、当時イギリスの貴族の子息たちが修学旅行で訪れていたため、この近くにはおしゃれなティールームも残っています。昨年秋、NHKでローマから生放送された番組でも、オードリー・ヘプバーンの息子さんがこのそばにあるティールームを紹介していました。
”ローマの休日”で一躍有名になったスペイン広場ですが、左右の建物を挟んで教会へ向かってのびる階段のデザインも素敵で、オベリスクを前に立つ教会や棕櫚の木もほんとうに美しいです。上に建つトリニタ・ディ・モンティ教会は16世紀にルイ12世により建てられたゴシック風の教会で、現在もフランス人の神父によるミサが行われているそうです。正面のオベリスクは巡礼の道しるべとして建てられたもので、古代ローマ時代のものではないかと言われています。スペイン広場 広場・公園
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スペイン広場でもう一つ忘れてはならないのがこの”バルカッチャの噴水”、ベルニーニ親子の作品です。この噴水はウルバヌス8世の依頼により作られましたが、テヴェレ川からこの広場に小舟が流れ着いたという言い伝えをもとにしていて、また噴水のための十分な水圧を得るために地面を掘り下げているそうです。水庭が明るい水色をしているため、よけいに美しく見えます。少女が立っている舳先にはバルベリーニ家の紋章がありますが、ローマの噴水の水は巡礼者のために飲むことができる水を引いているため、ペットボトルに入れている人もよく見かけます。
バルカッチャの噴水 モニュメント・記念碑
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”Terazza del Belvedere"
今回どうしても行きたかったところのひとつがここです。10月に封切られた”耳をすませば”実写版で松阪桃李さんが立たれていた場所。予告を見た時その景色の素晴らしさに感動して、どこだろうと調べてスペイン広場から行けるところだとわかりました。舞台挨拶でロケに行けなかったと話しておられたので実際には立たれておられないでしょうが、松阪桃李ファンとしては行くしかない!快晴のなかスペイン階段を上がって左手に10分で着きました。
映画ではドローンで撮影していたのでもっと上から写していましたが、眼下にバブイーノ通りの瀟洒な建物、教会、そして遠くにはサン・ピエトロ寺院のクーポラまで見えて感動でした。
帰りは日陰を歩きたかったので下の道に降りて、広場に着いたら北側にある公衆トイレでインナーを1枚脱ぎました。石畳のローマの街では朝はものすごく冷えるけど、日中は春のように暖かくなることがけっこうあるからです。このトイレは係の女性がいて1ユーロ払うのですが、小さな男の子がガマンできないようででも個室の数が限られているので大変。ぎりぎりセーフでしたがなるべく早めに行くようにしたいですね。 -
今回の旅行ではこれまで気になっていて実現できなかったことをやる!という目標をたてましたが、2つ目がこれ”Sermoneta”で手袋を買う、とういうものでした。自分の手を差し出してサイズを見てもらうのが恥ずかしいと思っていたのですが、実際は入口におられるご主人にどういうのが欲しいと聞かれ、裏地が暖かいもの伝えたらすぐ2階でフィッティングでした。2階の女性は私の手を見たらすぐに手袋の束を出してこられ、何色にする?と。ダークレッドと決めていたので物の1分で決まり、後はつけやすいように金属の棒で少し柔らかくしていただいてつけたらほんとぴったり!会計に降りたらご主人が日本には5回行ったことがある、広島の三越にも行ったよと話してくださいました。
円安でもあり決して安い買い物ではなかったですが、日本製のものでも結構高いのでいい買い物をしたと思っています。お店はスペイン広場のすぐ先にあります。みんな通ったことがあると思いますよ! -
フラッテ教会へ向かう途中、ミニカーみたいな車がいっぱい並んでいて道行く人の目をひきつけていました。目の前にお巡りさんがいるんですよ、公認なんでしょうね。
そしてサンタンジェロ橋のベルニーニの彫刻2体があるサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会は日曜のミサのためか閉まっていました…。 -
ここ”トレヴィの泉”は古代ローマ時代にアウグストゥス帝がアグリッパにヴェルジネ水源の終点として人口の泉を作るように命じて、樋から落ちる水を3つの水盤に受けるために作った泉がはじまりでした。現在の泉はクレメンス12世の命により二コラ・サルヴィの設計で改造を始め1762年に完成したもので、背景のポーリ宮殿を利用し、壁面には中央には馬に引かれたネプチューン、足元には半魚人のトリトン(ネプチューンの息子)がほら貝を拭いていて、ネプチューンとトリトンが海の上を進んでいるような演出になっています。
ネプチューンの両側にいるのは左に豊穣の女神(ワインがこぼれている)と右に健康の女神(医療のシンボルである蛇があしらわれている)。壁のいちばん上にはクレメンス12世の出身家であるコルシーニ家の紋章とその下には四季を表す4つの寓意像が並び、その間にラテン語で”AQVAN VIRGIMEN”(ヴェルジネ水道)と記されています。またその下右には少女が湧き水を教えた時のエピソードの彫刻も見ることができ、ローマ滞在中何度も来たくなる泉です。トレヴィの泉 建造物
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”トレヴィの泉”からは何本もの道が伸びていて方向を間違えるととんでもない所へ出たりしますが、コルソ通りへ出ると見えてくるのが”コロンナ広場”です。
中央に立つ”マルクス・アウレリウスの記念柱”はヴェネチア広場にあるトラヤヌスの記念柱を模して193年に作られ、古代ローマの公共広場であったこの地に立っていたそうです。表面は戦いのエピソードが彫られた27個の大理石のブロックで構成され、内側にはらせん階段がついているそうですが近くで見てもよくわかりませんでした。北側にあるのはイタリア政府の内閣府であるキージ宮(首相官邸)、その西に少し見えているのはベルニーニも関わった現在は下院議事堂として使われている”モンテチトーリオ宮殿”です。
モンテチトーリオ宮殿の前の広場にはわりと小さなオベリスクが立っていますが、これはれっきとしたエジプトから運ばれてきたものです。(写真がなくてすみません、次を急いでいたんです)コロンナ広場 広場・公園
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”Giolitti”
ローマ1の老舗ジェラテリアはこんなひっそりとした路地にありますが、店構えは立派!そして内部は広くジェラート売り場を中央に、焼き菓子や生菓子も売ってありカフェを楽しめる素敵なテーブル席もあるお店です。注文はまず何種類のジェラートを選ぶかで値段が決まってそれをレジで払い、レシートを持ってショーケースへ行きます。
私が入ったのは12時半頃でしたが、中には20人近くの人がいて混雑していました。混雑の訳はレジで注文の仕方がわからない方がおられたからです。レジがおじさまだったら、イタリア語かコーンの大きさを指で差して注文した方がスムーズでしょう。ちなみに私は2種類で3ユーロのコーンを選びました。
レジに並んでいる時にもショーケースの種類を見れるので、1つは季節のPera(ピンクの梨のCMをテレビでで見たので)とあと一つおすすめをお願いしたら、ここもピスタッキオ!そしてコンパンナもお願いしてスプーンももらって記念撮影~、ぶれてました(笑)Peraはほのかにピンクで梨の味、そしてピスタッキオは王道の味で、そのままで食べたりホイップクリームと混ぜたりいろいろ楽しめるのがローマのジェラートのいいところではないでしょうか? -
イチオシ
”パンテオン”は紀元前27年にアウグストゥスの娘婿だったアグリッパがオリンポスの神々を祀るために建てた大神殿で、80年に火災で焼失したため118年に建て直しました。その後霊廟、教会と変わっていきましたが1900年以上ローマの象徴としてそびえ続け、ミケランジェロなどルネサンスの建築家に大きな影響を与えたそうです。
建物は深さ4.5mのロマンコンクリートの土台の上に直径43.2mの円堂と半円球のドームをのせたもので、正面には花崗岩のコリント式円柱が16本並び三角の屋根を支えています。床からドーム頂部までの高さも43.2mで、壁は厚いところで6.2m、クーポラを軽くするため上に行くほどくぼみを作って薄くしているそうです。またドームのてっぺんには直径9mのオクルスがあり、それだけで内部を照らしています。床と扉は創建当時のオリジナルのもの、後ろ側に回ると土台を見ることもできます。
ローマで好きな場所はたくさんありますが、初めて見て最も感動したのがこのパンテオンでした。建造当時からほぼ同じ形で立っているのは当時ロマンコンクリートを使う高度な技術があったからと以前テレビ番組で見たことがありますが、すごいとしか言えません。この広場に着いてパンテオンが変わりなく立っている姿を見た時、突然涙が出てきました。これからも地球が続く限り、パンテオンは訪れる人たちに感動を与えてくれるはずです。
パンテオン前のロトンダ広場にはオベリスクの立つ噴水があります。このオベリスクはエジプトのラムセス2世のものでカリギュラ帝がローマに運んできましたが、ここに建てられたのは1711年のことだったそうです。噴水もユニークなデザインですのでちらっと見てくださいね。パンテオン 建造物
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それなのになんとパンテオン、休日は予約した人しか入場できなくなっていました…。Googlemapから詳しく見てみると、週末と祝日は公式サイトから予約してくださいとのこと。これまでも日曜の午後など外に長蛇の列ができていたので、コロナの昨今仕方ないですね、甘かった…。
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ちなみに内部はこんな風になっています。(2018年3月撮影)
内部の装飾はあとから付け加えられたもので、イタリアを建国したヴィットリオ・エマヌエーレ2世のお墓や私の大好きなラファエロのお墓もあります。彼の命日である4月6日に偶然訪れたことがあったのですが、お墓にはバラの花束がいくつか供えてありました。棺は1833年に移されたようですが、その時の枢機卿の言葉”ラファエロここに横たわる。彼の生きし時、天は凌駕されることを恐れ、彼の死せる時、己自身の死を恐れた”が書かれています。棺の上に立っているのはロレンツォ・ロットの”石の聖母子”で、一緒に葬ってほしいと遺言があったそうです…。 -
メロッツォ・ダ・フォルリ ”受胎告知”
入って右の礼拝堂にひっそりとたたずんでいます。バチカン美術館の”奏楽の天使”の作者のものです。(同じく2018年撮影) -
パンテオンは北向きに立っているので裏側に回り南へ下がっていくと、ヴィットリオ・エマヌエーレ通りにぶつかります。左手にはアルジェンティーナ広場も見えますが、そのまま右折して通りを渡り、その前の教会が開いていたので入りました。お昼過ぎには閉まっていることもあるからです。
サンタンドレア デッラ ヴァッレ教会 寺院・教会
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ここは17世紀初頭に創建されたバロック様式の教会で、内部に入ると金色の装飾のせいか全体が黄色に光って見えます。ローマで2番目に高いクーポラはカルロ・マデルノ作で、クーポラのらせん状に昇天しているフレスコ画はランフランコの”天国の栄光”(ノートを忘れたため、写真すらない…)。空まで続いているようなだまし絵は、イタリア美術史上初めてのものだったそうです。
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後陣 ドメニキーノ ”聖アンドレア伝”
この絵はかなりの迫力です。兄ペトロとガリラヤ湖で漁師をしていたアンドレは、キリストに声をかけられ弟子になりました。そののち各地で伝道しましたが、ギリシャでX字型の十字架にかけられ殉教してしまいます。彼が歩いたロシアやルーマニア、ギリシャやスコットランドでは守護聖人になっているそうで、激しさのあるドメニキーノの絵が聖アンドレアの生涯を表しています。 -
”Antico Forno Roscioli"
以前ヴァッレ教会からカンポ・ディ・フィオーリ市場へ行こうと歩いている時に見つけたパン屋さん、その時も昼下がりで店の外まですごい人の列ができていたんです。看板を見れば、すぐ近くにあるカルボナーラで有名な”Roscioli”と同じ名前。これは美味しいはずと列に並んで、ちょうど前におられた日本人のカップルのおすすめの切り売りピザを購入しました。当時は中で食べることができましたが、店内は改修されていてわずかに外にテーブルがあるのみになっていました。
他にも変わったところがあって、大半を占めていた切り売りピザの種類が少なくなっていてパニーニやフォカッチャの上に生ハムなどをのせたものなどが並んでいました…。 -
その中で私が選んだのは赤玉ねぎとアンチョビの赤いピザとホウレン草の白いピザです。先に選んでレシートをもらい、レジで支払いするシステムです。店の外に出るとちょうど前に並んでいた長身のカップルがテーブルについていて、もう一人若い男の子も席をずらして座れるようにしてくれました。長身の二人はアジア系なのでどこから?と聞くとワシントンという答え。お国はと聞いて台湾という答えにようやく納得。台湾の方はいつもにこにこされているんです(笑)。
ところが立って食べておられた彼に近くの人が上を指差し、注意をうながしている。見るとなんと真上に鳩が止まっているではありませんか!二人は大きな箱に入れてもらっていたのですぐにフタを閉め私も紙で包みましたが、すでに彼の肩には白い点々が…。手では触れないので持っていた除菌シートをたくさん渡してなんとか落とすことができました。
味も悪くなかったのですが、その日が日曜でたくさんのお客さんをさばくためか焼き立てではなかったのが残念。鳩のエピソードと隣の男の子も日本が好きと言っていたのでいい思い出にはなりました。あとお店の外にあるテーブルと足の高い椅子は、石畳のせいでガタガタしています。特に椅子の安定性がよくないので、心して座って下さいね! -
パンテオンへ戻る道、今度はヴァッレ教会からまっすぐ北へ向かいました。ナヴォーナ広場の東側にあたるコルソ・リナシメント通りを歩いていたところ、”まあ、あなた!”(なんて言われたかはわからない)な感じでイタリア人のご夫婦に声を掛けられました。とっさに誰だかわからなくて不審な顔をしていたら、お二人がマスクを外して”私よ、Colline Emiliane でお隣だったじゃない!”と。まさしくお隣だった方でした。
お店ではお話はしなかったんですが、斜め前に座っておられたご主人がアジア人が珍しいのかずっと私を見てらして、奥様とはパスタ美味しいね、みたいなアイコンタクトはとっていたのですが、先に席を立つときに言った”Bouna notte”がよかったのか、まさかこんな所でお会いするとは…。お互い言葉は通じないので再会を喜び合って別れました。
この通りにボッロミーニが設計したサンティーヴォ・デッラ・サビエンツァ教会があり閉まっていても門から建物が見えていたのですが、この騒ぎで通り過ぎてしまい戻ったんですが完全に塀でおおわれて見えませんでした(クーポラだけは先の通りから見えます)
その先を右に折れたらスタデラリ通り、まず右手に見えるのが”本の噴水”です。さきほどの教会が建っている場所にはかつて大学”ラ・サビエンツァ”があったからです。ちょうど中学生くらいの男の子が二人遊んでいて、写真を撮りたかったのですが一人は照れて逃げてしまいました(笑)ちなみにこの先にもネロ浴場のバスタブを使った噴水があります。 -
通りを行ってちょっとした広場にあるカフェ。テレビでも紹介されたことのあるカフェでいつも混みあっています。2017年に初めて行った時は店内も昔ながらといった感じでしたが、翌年にはすっかりリニュアルされていました。ここの名物グランカフェはずいぶん値上がりしていたので今回はスルー…。この広場を左に進んだS.エウスタキオ通りには”ネロ浴場の円柱”も残っているので、遺跡好きなかたはぜひ!何でもネロ浴場はここを東端にしてナヴォーナ広場の方まであったそうです。
サンテウスタキオ イル カフェ カフェ
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”サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会”
ローマでもベスト3に入れたいくらいの教会なのに、なんと内部が改修中で入口は開いていたもののロープが張られた堂内はがれきの山のようになっていました…。唯一残っていた”ミネルヴァのひよこ”の前でパンテオンをバックに記念撮影。この写真を撮ってくれたのは韓国から来た大学4年生の男の子でした。卒業、就職も決まってヨーロッパを3週間周遊しているそうで、ローマには着いたばかりであまり下調べはしてない様子…。パンテオンの周辺にはカラヴァッジョの絵のある教会が2つあるから、そこは行った方がいいよと教えてあげました。
この”ミネルヴァのひよこ”はベルニーニの作品で、背中に背負っているのはこの近くの修道院の庭で見つかった紀元前6世紀のエジプトのオべリスクで、もともと知性の神ミネルヴァ神殿があった場所に知性と教養の象徴である象の彫刻を建てたものだそうです。
ミネルヴァ教会はローマで唯一のゴシック様式の教会で、内部はコズマティー模様の床や青い交差ヴォールトの天井などで美しく飾られていますが、それ以上に驚くのはたくさんの芸術作品があることです。
右側廊 アントニアッツイ・ロマーノ ”受胎告知”
右一番奥 フィリピーノ・リッピ ”カラファ礼拝堂”
主祭壇左 ミケランジェロ ”あがないの主イエス・キリスト”
内陣左 フラ・アンジェリコのお墓
他にも見逃がしていましたが左側廊にはペルジーノの ”主イエス・キリスト”もあるそうです。あの様子では改修にはかなりかかると思いますのでいつか美しくなったミネルヴァ教会へ行きたいです。ミネルヴァ広場 広場・公園
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カラヴァッジョの絵のあるフランチャージ教会が15時まで開かないので、ロトンダ広場の北側にあるカフェに入りました。ここも老舗として有名で気になっていたのです。
ラ カーサ デル タッツァ ドーロ カフェ
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店内はとても広く、テーブルも少しありますがカウンターでいただきました。選んだのはカフェ・マキアート。お砂糖を入れぐるぐるよく混ぜていただきます。イタリアに来るようになって、食後のエスプレッソというより街歩きの途中の疲れをとるためにカフェをいただくことが多くなりました。このお店も1.2ユーロとほんとうにリーズナブルなお値段でリフレッシュできて、カフェ文化も体験できておすすめです!
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15時になったのでさっそくフランチャージ教会へ向かいます。この教会は16世紀に建てられたローマ在住フランス人のための教会で,当時すぐそばのデルモンテ枢機卿の屋敷に住んでいたカラヴァッジョが、初めて宗教画を世に送り出した教会なのです。
サン ルイージ デイ フランチェージ教会 寺院・教会
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内部はフランス人の教会らしく華やかな品があります。半分しか写っていませんが天井画はドメニキーノが描いたもので、今回見るのを忘れましたが右側廊にもドメニキーノの”聖チェチェリアの殉教”が描かれた礼拝堂があります。
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イチオシ
左側廊5番目 コンタレッリ礼拝堂 ”マタイ3部作”
真ん中の”マタイと天使”の左に”マタイの召命”。最初に描いた”マタイと天使”は描きなおしを命じられ2年後に描きなおしたもので、福音書を書くマタイに霊感を与える天使が描かれています。天使の飛び方がかわいい! -
右の壁には ”マタイの殉教”
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”マタイの召命”は税の取立人だったマタイがキリストに”私について来なさい”と声をかけられたシーンを描いています。光の方向を見る人たちの表情、まさにシーンを切り取るカラヴァッジョの特徴があらわれた作品といえます。私はこの絵の持っているやわらかな印象が好きで、人が少ない時間に行った時はずっと見ています。午後3時はどうしても人が多くなるので、ゆっくり見たい方はずらすのもいいでしょう。
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布教活動をしていたマタイがエチオピアの教会で殺害されてしまったシーンを描いています。ドラマティックなカラヴァッジョの始まりともいえる絵です。”マタイの召命”に比べて画面が明るいので表情がよくわかります。
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フランチャージ教会の北にある”サンタゴスティーノ聖堂”。初期ルネサンス様式のバジリカで、巡礼者がポポロ門からサンタンジェロ城へ向かう時に曲がる場所に立っています。
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カラヴァッジョ ”ロレートの聖母”
入ってすぐ左の礼拝堂にあるこの絵はフランチャージ、ポポロに次いで描かれた宗教画で、長い旅をしてきた農民の親子の前に聖母マリアがあらわれたところ。どんな貧しい者の前にも聖母は分け隔てなく救いの手を差し伸べてくれるという希望を表しています。 -
イチオシ
農民の親子を見つめる聖母の慈悲にみちた表情、これほどの絵を描けるカラヴァッジョがこのあと波乱の人生を送り、最後は非業の死を遂げるなんてほんとうに悲しい…。
他にも左手の柱にラファエロの ”預言者イザヤ”があります。暗くてよく写らなかったのですが、ミケランジェロの影響を受け力強く描かれています。 -
ロトンダ広場からコルソ通りに抜ける道は2本あるのですが、タッツア・ドーロから入るとこのアドリアーノ神殿跡の円柱に出くわします。初めてここを通った時は下調べしていなかったので、突然の景色にびっくりしました。ここにあったハドリアヌス帝の神殿のコリント式の列柱で、後ろの建物はローマ証券取引所だそうです。
アドリアーノ神殿 史跡・遺跡
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お土産の追加に”VENCHI”に寄りました。いつ行っても人が多いけど、ジェラートとチョコ売り場は会計が別なのでゆっくり買い物できます。
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”Pane e Salami"
2017年に来た時に店の外まで人が並んでいるのを見て始めはテイクアウトでポルケッタのパニーニを注文し、翌年はお店でカッティング・ボードをいただきました。当時はまだボローニャに行ったことがなかったので、様々なコールドカットに加えチーズやソテーした野菜などが美味しくて、ワインも高くないのでお財布にやさしい夕食がとれたんです。
ところが今回行ってみるとお店の前が寂しい…。店員さんはたくさんいるのですが、5時過ぎだからかお客さんも少なくてでも足も疲れていたので入りました。注文したのはカッティングボードのスモールサイズと赤ワインです。見た目は4年前と変わらない感じでしたが、ハム類が薄くなっているいるのか食べ応えがありません。それに付け合わせのお野菜も冷たくてちょっと残念でした。お値段は変わっていなかったので、値上げしてもいいからもう少し充実させてほしいなあ…。
このお店の隣には”POMPI”がありピスタッキオ味を買いたかったのですが、翌日は朝早くホテルを出てアッシジに向かうため、食べ残しができないと諦めました。でも次にいつローマに行けるかわからないので買えばよかった(涙)。みなさん悔いの残らないように…。 -
夕暮れ時の”トレヴィの泉”まだ西の空は青く泉の色も水色で素敵な瞬間です。今回の旅でここに来るのは最後になるので、上から後ろ向きにコインを投げました。
この日も半日以上歩いた私は20000歩くらいはいってるでしょうか?もう足が限界…。地下鉄のバルベリーニ駅まではゆるい坂道なので、北に出て Largo Chigi から492番のバスに乗りアルジェンティーナ広場で駅行きのバスに乗り換える、という手を考えつきました。ローマ市内を走るバスはさながら観光バスの様で、特に夜乗ると街がとてもきれいなんです。おかげでとても素敵な時間が過ごせました。トレヴィの泉 建造物
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