2021/12/19 - 2021/12/19
34位(同エリア386件中)
万歩計さん
帰省先で墓参りの帰り、かねてより見たかった筑後川昇開橋に行った。筑後川昇開橋は1987年に廃線になった国鉄佐賀線の筑後川に架かる可動橋で、国の重要文化財の他に機械遺産にも認定されている。鮮やかな朱色の橋は今は観光名所として9時~16時30分まで見学者に合わせて上下し、夜間にはライトアップされる。
高校の校舎の窓から遠望できた国鉄佐賀線を走るディーゼルカー。何時か懐かしい風景の中で廃線ウォークをしてみたい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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帰省を利用して大川市にある寺に墓参り。この機会を利用してかねてから見たかった筑後川昇開橋に行ってきました。
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筑後川の堤防に車を停めて、筑後川昇開橋の全景をズームで収めます。
筑後川昇開橋 名所・史跡
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昇開橋近くに三潴銀行記念館。明治42年(1909年)に旧三潴銀行の本店として建築された洋風建築です。
三潴銀行記念館 美術館・博物館
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併設された九州貨幣博物館には貴重な貨幣1500点が展示されているそうです。この日はコロナで閉館でした。
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筑後川昇開橋展望公園の駐車場に車を入れました。片隅に若山牧水の歌碑。
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「大川に われは来にけり おほかわの 流るごとく 酒わける里に」
旅と酒をこよなく愛した牧水らしい歌。筑後地方は酒どころです。 -
筑後川昇開橋展望公園の石段を登ると線路跡を示す敷石や踏切の遺構。
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ここにはかって国鉄佐賀線の筑後若津駅がありました。
佐賀線は佐賀県佐賀市の佐賀駅と、福岡県山門郡瀬高町の瀬高駅を結んでいた全長24.1kmの国鉄ローカル線。昭和62年に廃線になりましたが、万歩計の高校時代は校舎の窓からごとごと走るディーゼルカーを遠望することが出来ました。筑後若津駅 名所・史跡
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開閉橋は昭和10年 の国鉄佐賀線開通に合わせて建設されました。
潮の干満差が大きい有明海の河口近くに架けられたため、大型汽船が通過するときは中央の可動橋が巻き上げられる構造になっています。 -
イチオシ
筑後川昇開橋は国の重要文化財、及び機械遺産に認定されています。川が夕日に染まる時に見たら、さぞ感動するだろう。
筑後川昇開橋 名所・史跡
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堤防に筑後川若津港近代化遺産の説明板。今は何もない河岸ですが、明治から大正にかけては若津港として大いに賑わいました。
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ここには地方財閥である深川家によって創設された深川汽船株式会社と造船所がありました。深川汽船株式会社は最盛期には15隻の大型船舶を保有し、東京や関西のほか中国や東南アジアへの国際航路も運航していたそうです。
写真は明治30年の若津~東京線就航式の様子。 -
これから昇開橋を渡ります。昇開橋の全長は約507メートル。干満差が大きい有明海の河口近くでの建設工事は困難を極めたそうです。
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イチオシ
可動橋の手前にやって来ました。現巻き上げられた橋がゆっくり下降中です。
24メートルの可動橋が約23メートルの高さまで上るようになっています。鉄塔の高さ約30メートル、可動橋の自重約48トン、約20トンのウェイトが両側の鉄塔に下がっています。筑後川昇開橋 名所・史跡
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下降の様子を間近で観察。橋の通行は無料ですが維持管理のための募金箱が置かれていました。
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橋が下りて通行できるようになりました。募金箱に500円を入れ、これから佐賀県側に歩いていきます。
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稼働時間は9時~16時30分の間で随時。日没から22時までライトアップされます。
筑後川昇開橋 名所・史跡
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佐賀県側から下流方向を見ると有明海沿岸道路の鉄橋。5km先は有明海です。
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上流方向には中州。ここで引き返します。
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最後に佐賀県側を遠望。小さな漁船が引き潮の干潟に乗り上げている風景は柳川の沖の端漁港と同じ。
懐かしの国鉄佐賀線。何時か機会があれば24kmの廃線跡を歩いてみたい。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 横浜臨海公園さん 2022/12/23 12:23:53
- 急行列車で
- 万歩計さま、こんにちは。
旅行記を篤と拝見させて頂きました。
小生、当該の路線に急行ちくご号で熊本→長崎間乗車の際に通過した体験がございます。
それまで順調に走っていた列車が橋梁直前に大幅に減速し、ソロリソロリと通過しておりました。
当時は高速バスも完備しておらず、列車はおぼ満席状態でした。
今から思えば、本当に夢のような時代だったです。
横浜臨海公園
- 万歩計さん からの返信 2022/12/23 20:28:11
- Re: 急行列車で
- 横浜臨海公園さん、こんばんわ。
いいね!とコメントを頂き、ありがとうございました。
こんなローカル線にも乗ったご経験があるとは流石です。急行列車も走っていたのですか。きっとベージュで窓の位置に赤い帯を巻いたディーゼルカーだったんでしょうね。
幼い頃、家にあった時刻表を見て駅名を覚えることに夢中になった時期がありました。鹿児島本線の門司港駅から熊本駅まで覚え、今でも大方は諳んじています。実際に乗車した区間はその中の数分の一でしたが、子供心に駅名を見ながら知らない土地を旅した気分になっていたのでしょう。
万歩計
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- Decoさん 2022/12/19 14:54:11
- 待ってました!
- 万歩計さん、こんにちは。
筑後川昇開橋の旅行記、昨年私の旅行記にコメントをいただいて以来…いつか旅行記にされるのだろうと楽しみにしていました。
私は子供の頃東京に転居したりして、昇開橋の現役当時は知らないのですが、万歩計さんの回想と共に写真を見ると、往時の姿を想像したり…一度見てみたかったです。
筑後若津駅跡付近、線路の跡がレンガで示されていたのですね。私は気が付かなかった…。近代化遺産案内の説明板も。地図を見て思ったのですが、営業終了になった温泉は造船所跡に造られたように思いました。
有明海沿岸道路も延伸され、中洲の島に道の駅もできるらしいです。大川も変わっていきますね。
Deco
- 万歩計さん からの返信 2022/12/19 21:33:07
- Re: 待ってました!
- Decoさん、こんばんわ。何時もありがとうございます。
今年は「東京単身赴任時代の思い出」シリーズをアップしたため、最近の旅行記は1年遅れになっています。
以前にもコメントさせていただきましたが、筑後川昇開橋へ行こうと思ったきっかけは、1年前に拝見したDecoさんの旅行記です。佐賀線には乗ったことがなく、高校の校舎の窓からごとごと走るディーゼルカーを遠望していただけです。昇開橋があることは知っていましたが見たことはありませんでした。
今回旅行記を作成しながら昇開橋や若津の歴史をいろいろ調べました。その中で興味深かったのは、若津港の発展に大きく係わった深川財閥の栄枯盛衰でした。ご指摘の通り廃業した温泉施設は、深川造船所の跡地に建てられたものでした。
深川財閥の祖深川嘉一郎は明治時代初期に佐賀藩から払い下げられた船舶を使った海運業からスタートしました。彼は有明海から長崎を経由して大阪に至る航路を確立、引き続いて有明海に面した大川町の若津港を母港とする新規航路を次々に開拓しました。技術面での進取の気風は船舶を修理を造船所の建設、更には小型溶鉱炉を持ち蒸気機関車や電車を製造するなど、船舶・機関車などの一大生産拠点に発展しました。
深川財閥の最盛期は第一次世界大戦による船運の好況の恩恵を受けた時期。しかし1918年の大戦終結とともに事業は急激に悪化し、1925年には工場が競売に付され創業家である深川の名前は消えたそうです。この時期は他にも多くの地方財閥が没落しています。
今は何にもない若津の河岸にこんなドラマがあったことに少し感激しました。こんなことを簡単に調べることのできるネットは偉大です。
万歩計
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