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栃木県佐野市の「唐沢山」へ、紅葉を見に行きました。一部の木では色付きが進んでいましたが、全体的には未だ緑が多く、グラデーションの綺麗な部分もありましたが、まだ”見頃直前”の印象でした。<br /><br />唐沢山は、佐野市の市街地から北へ、5kmほどのところにあり、戦国時代には佐野氏の「唐沢山城」がありました。城跡には石垣が残っており、現在は「唐沢山神社」があります。山上には駐車場があり、南からは県道141号線、西からは県道115号線で上がることが出来ます。

「唐沢山」の紅葉_2022_色付きは進んでましたが、まだ緑も多く、見頃直前でした(栃木県・佐野市)

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2022/11/22 - 2022/11/22

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旅行記グループ 「唐沢山城跡」の紅葉

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minaMicaze

minaMicazeさん

栃木県佐野市の「唐沢山」へ、紅葉を見に行きました。一部の木では色付きが進んでいましたが、全体的には未だ緑が多く、グラデーションの綺麗な部分もありましたが、まだ”見頃直前”の印象でした。

唐沢山は、佐野市の市街地から北へ、5kmほどのところにあり、戦国時代には佐野氏の「唐沢山城」がありました。城跡には石垣が残っており、現在は「唐沢山神社」があります。山上には駐車場があり、南からは県道141号線、西からは県道115号線で上がることが出来ます。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 佐野市田沼から県道115号線で、西から唐沢山に上ります。麓には鳥居があり、道路の右には駐車場があります。山歩きする人達が、ここに駐めるようです。

    佐野市田沼から県道115号線で、西から唐沢山に上ります。麓には鳥居があり、道路の右には駐車場があります。山歩きする人達が、ここに駐めるようです。

  • 木々の色付きが進んでいて、落葉も始まっています。

    木々の色付きが進んでいて、落葉も始まっています。

  • 山上の駐車場から、「唐沢山神社」へ歩きます。

    山上の駐車場から、「唐沢山神社」へ歩きます。

  • 駐車場の東側は、山城の石垣が残る「くい違い虎口」です。

    駐車場の東側は、山城の石垣が残る「くい違い虎口」です。

  • クランク状に通り抜けると、左側(東側)に広場があります。”縄張図”には「ます形」と書かれています。

    クランク状に通り抜けると、左側(東側)に広場があります。”縄張図”には「ます形」と書かれています。

  • まずは、南側の「天狗岩」に上ります。足元には紅葉が散り始めていますが、階段の上は、まだ緑の葉が覆っています。

    まずは、南側の「天狗岩」に上ります。足元には紅葉が散り始めていますが、階段の上は、まだ緑の葉が覆っています。

  • 最盛期には綺麗に色付くのですが、まだ緑です。

    最盛期には綺麗に色付くのですが、まだ緑です。

  • 天狗岩の上には祠があります。

    天狗岩の上には祠があります。

  • 天狗岩の上から、西方向の景色です。下界には、今朝の濃い霧が、まだ残っています。<br />中央付近に少しだけ見えている「北関東横断道路」は、この「唐沢山」の中をトンネルで抜けています。

    天狗岩の上から、西方向の景色です。下界には、今朝の濃い霧が、まだ残っています。
    中央付近に少しだけ見えている「北関東横断道路」は、この「唐沢山」の中をトンネルで抜けています。

  • 左下の”扇形”は、「唐沢山天狗岩展望案内」と刻まれたプレートで、眺望できる山の図と名前が書かれています。

    左下の”扇形”は、「唐沢山天狗岩展望案内」と刻まれたプレートで、眺望できる山の図と名前が書かれています。

  • 南方向の景色です。条件が良ければ、東京の高層ビルやスカイツリーが見えるのですが、この日は見えませんでした。

    南方向の景色です。条件が良ければ、東京の高層ビルやスカイツリーが見えるのですが、この日は見えませんでした。

  • この「天狗岩」は、北側の「避来矢山」とともに、見張り台として使われていたようです。

    この「天狗岩」は、北側の「避来矢山」とともに、見張り台として使われていたようです。

  • 「天狗岩」から下りるときに、階段の上を見ると、枝先が色付き始めていました。

    「天狗岩」から下りるときに、階段の上を見ると、枝先が色付き始めていました。

  • 「天狗岩」から下りると、その先は「ます形」です。

    「天狗岩」から下りると、その先は「ます形」です。

  • 「ます形」は、城の出入口に囲われた広場を設けて、守り易くする構造だそうです。

    「ます形」は、城の出入口に囲われた広場を設けて、守り易くする構造だそうです。

  • その”広場”は、今では”ネコと遊べる広場”になっています。地域ネコが何匹か居るので、ネコ目当てで訪れる人もいるようです。

    イチオシ

    その”広場”は、今では”ネコと遊べる広場”になっています。地域ネコが何匹か居るので、ネコ目当てで訪れる人もいるようです。

  • 「ます形」から、更に奥、「本丸」の方へ行ってみます。右の鳥居を潜って、嘗ての大手道(今では神社があるので参道ですね)を進みます。

    「ます形」から、更に奥、「本丸」の方へ行ってみます。右の鳥居を潜って、嘗ての大手道(今では神社があるので参道ですね)を進みます。

  • 左側に井戸、「大炊の井」があります。

    左側に井戸、「大炊の井」があります。

  • パンフレットによれば、口径は9m、深さは8m以上、とのことです。

    パンフレットによれば、口径は9m、深さは8m以上、とのことです。

  • 「神橋」を渡って、さらに先へ進みます。この先も緑が多くて、色付きはあまり進んでいません。

    「神橋」を渡って、さらに先へ進みます。この先も緑が多くて、色付きはあまり進んでいません。

  • 「神橋」を渡った先、左上に、色付きが進んだ木が見えます。この上に広場(三の丸跡)があり、その南端の紅葉です。

    イチオシ

    「神橋」を渡った先、左上に、色付きが進んだ木が見えます。この上に広場(三の丸跡)があり、その南端の紅葉です。

  • 参道を更に歩きます。

    参道を更に歩きます。

  • 紅葉が進んだ木もあります。

    紅葉が進んだ木もあります。

  • でも、ほとんどの木は”色付き初め”です。

    でも、ほとんどの木は”色付き初め”です。

  • 上を見ても、まだまだ、この程度の状態です。

    上を見ても、まだまだ、この程度の状態です。

  • 右の谷間も、ほとんど緑です。

    右の谷間も、ほとんど緑です。

  • 多少赤くなったところもありますが、見頃と云うには早過ぎます。

    多少赤くなったところもありますが、見頃と云うには早過ぎます。

  • 視界が開けたところで振り返って見ると、木の上の方、陽当たりが良いところでは色付きが進んでいます。

    視界が開けたところで振り返って見ると、木の上の方、陽当たりが良いところでは色付きが進んでいます。

  • 社務所の下の石垣の前では、枯れ始め、散り進んでいる紅葉がありました。

    社務所の下の石垣の前では、枯れ始め、散り進んでいる紅葉がありました。

  • 社務所があるところまで上がってきました。お城の時代には「南城」と呼ばれる場所でした。

    社務所があるところまで上がってきました。お城の時代には「南城」と呼ばれる場所でした。

  • 社務所の前(南城跡)からは、関東平野が見えます。天候に恵まれれば、東京の高層ビル群やスカイツリーが見えるのですが、この日は、見えませんでした。

    社務所の前(南城跡)からは、関東平野が見えます。天候に恵まれれば、東京の高層ビル群やスカイツリーが見えるのですが、この日は、見えませんでした。

  • 条件が良ければ富士山も見えるそうですが、やはり、見えませんでした。

    条件が良ければ富士山も見えるそうですが、やはり、見えませんでした。

  • 右に写っている建物が社務所です。奥に見える階段を上がります。

    右に写っている建物が社務所です。奥に見える階段を上がります。

  • 階段を上がった先に、もう一つ階段があります。

    階段を上がった先に、もう一つ階段があります。

  • その階段の右、石垣の下から見上げた紅葉です。

    その階段の右、石垣の下から見上げた紅葉です。

  • 色付きは、まだ進行中ですね。

    色付きは、まだ進行中ですね。

  • 「唐沢山神社」の拝殿です。 この場所が、お城時代の「本丸跡」です。

    「唐沢山神社」の拝殿です。 この場所が、お城時代の「本丸跡」です。

  • 拝殿の右には、顔ハメパネル(顔出し看板?)が置かれています。 ん? ”顔”って、”ハメる”ものですか、”出す”ものですか。

    イチオシ

    拝殿の右には、顔ハメパネル(顔出し看板?)が置かれています。 ん? ”顔”って、”ハメる”ものですか、”出す”ものですか。

  • 顔ハメパネルの画題は「俵藤太の百足退治」だと思います。<br /><br />俵藤太は藤原秀郷の別名、下野(栃木県)出身、平将門追悼の功によって貴族になり、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられた、とのこと。墓所は伊勢崎市(宝珠寺)と佐野市(東明寺跡)にある、とウィキペディア情報です。

    顔ハメパネルの画題は「俵藤太の百足退治」だと思います。

    俵藤太は藤原秀郷の別名、下野(栃木県)出身、平将門追悼の功によって貴族になり、下野・武蔵二ヶ国の国司と鎮守府将軍に叙せられた、とのこと。墓所は伊勢崎市(宝珠寺)と佐野市(東明寺跡)にある、とウィキペディア情報です。

  • 「唐沢山神社」は、この藤原秀郷をお祀りしています。

    「唐沢山神社」は、この藤原秀郷をお祀りしています。

  • 西側の広場(二の丸跡)から見た「唐沢山神社」です。「唐沢城本丸」の正面は、こちら側だったようです。

    西側の広場(二の丸跡)から見た「唐沢山神社」です。「唐沢城本丸」の正面は、こちら側だったようです。

  • 「二の丸跡」の北側、少し残った石垣の横に、綺麗に色付いた紅葉がありました。

    「二の丸跡」の北側、少し残った石垣の横に、綺麗に色付いた紅葉がありました。

  • 「二の丸跡」の西側の広場「三の丸跡」です。

    「二の丸跡」の西側の広場「三の丸跡」です。

  • 柱と屋根だけになった、廃墟のような休憩所があります。かつては売店とかカフェとかだった、ような造りです。

    柱と屋根だけになった、廃墟のような休憩所があります。かつては売店とかカフェとかだった、ような造りです。

  • 「三の丸跡」の北には「人形供養塔」が立っています。隣の説明板によると、平成20年(2008)に、佐野人形協会により建立されたそうです。

    「三の丸跡」の北には「人形供養塔」が立っています。隣の説明板によると、平成20年(2008)に、佐野人形協会により建立されたそうです。

  • あ! ヒコーキ雲

    あ! ヒコーキ雲

  • 南から北へ、飛んでいきました。

    イチオシ

    南から北へ、飛んでいきました。

  • 「三の丸跡」の南端では、色付きが進んでいました。

    「三の丸跡」の南端では、色付きが進んでいました。

  • もう少し色付くと、もっと綺麗になると思います。

    もう少し色付くと、もっと綺麗になると思います。

  • 「三の丸跡」から、下の道(参道)に下ります。

    「三の丸跡」から、下の道(参道)に下ります。

  • 下から見上げた、「三の丸跡」の紅葉です。右下に休憩所の屋根が見えています。

    下から見上げた、「三の丸跡」の紅葉です。右下に休憩所の屋根が見えています。

  • 駐車場へ向けて、下ります。

    駐車場へ向けて、下ります。

  • 唐沢山の地域ネコ達です。4~5匹いるようですが、同じネコばかり写ります。

    唐沢山の地域ネコ達です。4~5匹いるようですが、同じネコばかり写ります。

  • 紅葉には少し早めでしたが、色付きが進んだ木もありました。紅葉が散る前に冬晴れになれば、再訪したいと思いました。<br /><br />( おしまい )

    紅葉には少し早めでしたが、色付きが進んだ木もありました。紅葉が散る前に冬晴れになれば、再訪したいと思いました。

    ( おしまい )

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