2022/10/20 - 2022/10/23
21位(同エリア58件中)
ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん
- ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さんTOP
- 旅行記107冊
- クチコミ66件
- Q&A回答1件
- 194,834アクセス
- フォロワー25人
この旅行記スケジュールを元に
最上川水系の橋梁等を巡る旅は河口の酒田まで行きましたが、次は南下して荒川に沿って走る米坂線の橋梁等を中心に観て廻ります。荒川水系の橋梁等を巡る旅というタイトルでも良かったのですが、荒川というと関東の方が圧倒的に有名なので、避けました。
米坂線といえば何と言ってもシュヴェードラートラスの第四荒川橋梁。他にも赤川水系の蛾眉橋や三島通庸県令が造らせた小国新道の旧橋など、見処盛り沢山です。
参考文献:「羽越災害による橋梁被害について」佐武正雄
「三島通庸が残した土木遺産」山形県
古の道標ーいにしえのみちしるべ
河北新報(昭和15年3月7日)
◆最上川水系の橋梁等を巡る旅◆その1 はこちら⇒https://4travel.jp/travelogue/11792580
◆名取川水系の橋梁等を巡る旅◆ はこちら⇒https://4travel.jp/travelogue/11789477
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
-
【蛾眉橋】(がびきょう)
1938年(昭和13年)竣工、下路ポニートラス橋他
鶴岡から、米坂線のある荒川水系へ向かいます。こちらは赤川水系。
端柱を切り詰めた素敵な曲弦ワーレントラスです。 -
濁音が連続する「蛾眉」は初めて聞く言葉ですが、『蛾の触角のように細く弧を描いた美しいまゆ(をした美人)』との意味。木橋だった初代の橋がそれ程美しかったのでしょうか、それともこの橋を中心にS字のカーブを描く赤川の流れを美人さんの眉に例えたのかな。
-
【大寶館】
1915年(大正4年)築
大正天皇の即位を記念して建てられた擬洋風建築。ルネッサンス風のドームをのせた赤い尖塔屋根が目を引きます。大宝館 美術館・博物館
-
イチオシ
【旧鶴岡警察署】
1884年(明治17年)築
こちらも擬洋風建築。初代県令三島通庸の令により馬場町に建てられ、1957年(昭和32年)に保存の為こちらへ移築されました。
【重要文化財】旧鶴岡警察署 名所・史跡
-
【旧西田川郡役所】
1881年(明治14年)築
こちらも三島通庸により建てられたもの。三島通庸は萬世大路の整備に着手する等、道路整備に力を入れ、最上川を使った舟運の時代から道路を使う陸運の時代への変化に対応。「土木県令」ともあだ名されていました。
【重要文化財】旧西田川郡役所 名所・史跡
-
羽越本線【大川橋梁】
1924年(大正13年)開通、1976年(昭和51年)複線化、上路プレートガーダー橋他
下り線のプレートガーダーは1966年(昭和41年)櫻田機械工業の製造。今回の東北旅は櫻田さんの橋によく出会いました。 -
イチオシ
【八幡橋】
2002年(平成14年)竣工、下路タイドアーチ橋
木製としては珍しい車道橋。支間長は19.6m。橋脚上にはバルコニーも!
PC製の床版を受ける横桁や吊材等に鋼材を使用していますが、それらを木材で覆って鋼材をうまく隠しています。
林業の町、山北のシンボルと言える橋ですね。 -
羽越本線【勝木川橋梁】
1924年(大正13年)開通、1968年(昭和43年)複線化、下路プレートガーダー橋
村上~鼠ヶ関間は羽越本線最後の開通区間。山裾が海に近い難所を縫うように走っていた旧線から、より長いトンネルを使った新線へ切替られた区間も多く、その遺構も巡るのも楽しそうです。 -
羽越本線【勝木隧道】(下り線)
1924年(大正13年)開通
コンクリートブロック積みのように見えます。 -
府屋第二トンネル
海側にもトンネルが2つ! -
【間の内隧道】
1955年(昭和30年)頃竣工
1977年(昭和52年)に現道のトンネルが出来るまで使われていた旧道のトンネルが残っていました。 -
南側坑門右側には『一級国道7号線』左には延長・幅員が刻まれていました。
-
羽越本線旧線 【間の内隧道】
1982年(昭和57年)廃止
更に海側には羽越本線旧線の遺構も残存!少し南には岬峠隧道等も残っているようです。旧線跡巡りも楽しそうですね。 -
【中津原洞門】
1987年(昭和62年)竣工
谷側柱がトラスのシェッド!洞門の名はタイルで文字を作っていました。 -
【丸山大橋】
1991年(平成3年)竣工、固定アーチ橋
支間長118mは、市町村道のコンクリートアーチ橋としては日本一とのこと。 -
日本一をアピールするモニュメントもありました。
ここからは荒川水系、米坂線に沿って今泉を目指します。 -
【八ッ口大橋】
1972年(昭和47年)竣工、下路トラストランガー橋 -
米坂線【第一荒川橋梁】
1933年(昭和8年)竣工、上路ワーレントラス橋+上路プレートガーダー橋
1967年(昭和42年)の水害、通称『羽越水害』にも耐え残った開業時の上路トラスです。 -
トラスの銘板が見えました。
鐵道省
活荷重 KS12-でと246-1
東京石川島造船所製作
昭和八年(申契橋1577)※以下略 -
【金丸大橋】
1973年(昭和48年)竣工、中路アーチ橋 -
米坂線【第二荒川橋梁】
1933年(昭和8年)開通、下路ワーレントラス橋+上路プレートガーダー橋
トラスは1967年(昭和42年)の通称『羽越水害』と呼ばれる水害で流失し架替られました。旧トラスは上路ワーレントラスだったようです。 -
【八ッ口橋】
1969年(昭和44年)竣工、下路ランガー橋 -
第二荒川橋梁と金丸大橋の並びが見えました。
-
米坂線【越後金丸駅】
1933年(昭和8年)開業
レール間に溝があり滞水しています。井戸水を流して融雪する設備と思われます。越後金丸駅 駅
-
【玉川スノーシェッド】
1977年(昭和52年)竣工
この近辺のシェッドは端部の上に板が付いていました。抗口付近に積もった雪が風下側に向かって大きくなり雪の庇になるようで、この雪庇の落下による事故等を防ぐ『雪庇防止板』だそうです。 -
米坂線【玉川橋梁】
1936年(昭和11年)開通、上路プレートガーダー橋
隣の曲線箱桁は玉川橋。小国~越後金丸間は米坂線最後の開業区間、この先徐々に険しくなっていきます。 -
【中野橋】(中の橋)
1969年(昭和44年)竣工、下路ワーレントラス橋 -
米坂線【第三荒川橋梁】
1936年(昭和11年)開通、下路ワーレントラス橋+上路プレートガーダー橋
旧橋は中の橋と共に羽越水害で流失したようです。 -
国交省に流失した第三荒川橋梁と中の橋の写真がありました。
中の橋はプレートガーダー2連だったようです。 -
【向大沢橋】
1968年(昭和43年)竣工、下路ランガー橋
この橋やその先の横根トンネルができるまでは、川沿いの道を通っていたようです。
三島通庸氏の小国新道を元に整備した旧国道です。 -
米坂線【第四荒川橋梁】
1936年(昭和11年)開通、下路プラットトラス橋+上路プレートガーダー橋
今回の東北旅の主役の一つです♪ -
イチオシ
こちらも第二・第三と同様、羽越水害で流失。150ft上路ワーレントラスだったそうです。東海道本線大井川橋梁上り線で使われなくなり廃線敷に残置されていたシュヴェードラートラスを移設しました。
この200ft下路トラスは明治期にクーパーらが設計した標準トラスの中でも最も多い92連が架設され、クーパートラスの代表的なトラスです。 -
ピン結合のトラスは列車の通過により振動しやすく、格点部が磨耗し斜材のアイバーが弛緩しやすいという欠点があります。この緩みを解消する為のターンバックルの付いている斜材もあるのですが、これの無い斜材の緩みは加熱や切断により短縮する補修を受けることになります。
-
【米坂線雪崩直撃事故慰霊碑】
1940年(昭和15年)3月、雪崩により橋桁が落橋。そこへトンネルを抜けて来た下り列車が川底へ墜落し、18名が死亡29名が重軽傷を負ったそうです(人数については諸説あり)。合掌。
慰霊碑は今年の水害で折れ、倒れていました。 -
当時の新聞(河北新報)に載っていた事故の概略図を元に作図してみました。
2連目のプレートガーダーを雪崩が直撃し落橋、列車は第二橋脚にもたれ掛かったプレートガーダーに当たった後、上流側から川へ突っ込み、貨車に積まれていた硫黄合材が客車のストーブで引火、貨車・客車が燃焼した事も被害を大きくしたようです。
雪崩と水害、2度も被災し落橋した橋というのも中々見掛けません。
※実際に被害に遭った車輌は、機関車データベース様の情報によると、48639+ト6635+ツコワ2690+ホハユニ3551+ナハユニ15505+ナハフ14165+ナロハフ11811 だそうです。 -
イチオシ
米坂線【横根山隧道】
1936年(昭和11年)開通
事故を受けて隧道が橋梁を覆って延伸され、スノーシェッドになった
のかと思っていましたが、事故時の写真を見ると、事故以前からこのシェッドはあったようです。隧道上部の防雪柵は新しそうです。 -
米沢方の坑門。こちらもシェッドがプレートガーダー上まで伸びています。
-
米坂線【第五荒川橋梁】
1936年(昭和11年)開通、下路プレートガーダー橋+上路プレートガーダー橋
羽越水害で全ての桁が流失、架替られました。写真右は旧道。 -
道路を跨ぐプレートガーダーの銘板は『昭和五年』らしき文字。架替に際し、どこかから転用したようです。
-
【赤芝峡】
紅葉の名所。左下に赤芝橋の旧橋橋脚が残っているのが見えます。こちらも羽越水害で流失したそうです。 -
【横根スノーシェッド】
1971年(昭和46年)竣工 -
【横根片桟橋】
1971年(昭和46年)竣工
途中には谷側柱がアーチの所も!路面の谷側半分は橋になっているので、谷側柱も橋脚間を飛ばしたようです。 -
米坂線【小国駅転車台】
18m級上路バランスト形
草茫々で全く見えませんでした。 -
【タサ1形】
3軸20噸積タンク車 -
以前三重県伊賀市で観たのと同形のタンク車。こちらは『架線注意』の文字も残っています。末永く使ってほしいですね。
-
イチオシ
【旧綱取橋】(眼鏡橋)
1883年(明治16年)竣工、石積アーチ橋
三島通庸県令の指示で造られた小国新道の橋。小国新道の中でも難所だったそうです。設計は三島通庸氏が故郷薩摩から呼び寄せた奥野忠蔵氏。 -
米坂線【眼鏡橋梁】
1935年(昭和10年)開通、RC充腹アーチ橋
メラン式のアーチ。隣の旧綱取橋の愛称の眼鏡橋が影響を与えたのか、眼鏡橋梁という名称。坂町側の隧道も眼鏡隧道。 -
土木学会に古写真がありました。小国新道や米沢線の踏切も写っています。踏切のあった場所は今はスノーシェッドが設置され、軌道への落雪を防止しています。
-
【片洞門】
1883年(明治16年)開通
三島通庸県令の指示で開削した小国新道の一部。現綱取橋ができるまではバスやトラックも通っていたそうです。ガードレールの支柱が残っています。この小国新道にはもっと本格的な片洞門の子子見片洞門や綱取片洞門もあるようです。 -
【綱取橋】
1958年(昭和33年)竣工、上路ワーレントラス橋
1973年(昭和48年)頃、南側に拡幅されています。 -
イチオシ
【旧下杉橋】
1932年(昭和7年)竣工、上路プラットトラス橋他
レール製のプラットトラス!!こちらもこの旅の主役の一つです。1974年(昭和49年)新橋が架設され廃橋に。 -
橋脚柱もレールを組み合わせて加工したものです。
-
腐食が激しく、しかも暗くて刻印は見つけられませんでしたが、取り敢えず撮っておいた写真に『UNION』らしき文字が読み取れました。
-
今回の旅行記は以上です。
雪や自然との壮絶な闘いを感じさせる旅でした。特に第四荒川橋梁や旧下杉橋が印象深く、充実した旅になりました。紅葉の名所もあるので、普通の方は紅葉狩りもいいですね。
トータル 橋21、トンネル4、洞門4、建築3、他5 を巡る旅でした。
この後は小国から最上川を北上し、◆最上川水系(と阿武隈川水系)の橋梁等を巡る旅◆その2 に続きます。⇒https://4travel.jp/travelogue/11787880
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
飯豊・小国(山形) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ◆山形県の橋梁等を巡る旅◆
0
54