
2022/10/20 - 2022/10/23
63位(同エリア150件中)
ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん
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名取川水系の後は作並街道・関山街道を抜け、北上して最上川水系の橋を観て廻りました。
山形県は南西部や日本海沿いを除くと殆どが最上川水系の流域で、舟運の航路としても重要な河川でした。特に江戸時代に最上義光の三難所開削、西廻り航路の整備等により舟運が発達し、酒田と大石田は特に栄えたそうです。明治になると「土木県令」ともあだ名された三島通庸氏により、関山街道や刈安新道・羽州街道等が整備され、道路や奥羽本線が開通した鉄道が交通の主役となっていきます。
この最上川舟運や三島通庸氏の活躍についても随時触れていきたいと思います。
参考文献:「鉄道橋梁における欠陥とその対策」友永和夫
最上川電子大辞典
趣味人Tの伝言 様HP
Nicht eilen 様HP
◆名取川水系の橋梁等を巡る旅◆はこちら→https://4travel.jp/travelogue/11789477
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
PR
-
【最上川水管橋】
1987年(昭和62年)竣工、下路3径間連続トラス橋 -
バスケットハンドル型ローゼ等と同様、下に広がるトラス。地元住民の要望を受けたのか、通行することができます。
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【大橋】(大石田大橋)
1930年(昭和5年)竣工、下路カンチレバートラス橋 -
吊桁端部の柱が4面ダブルレーシング!しかも中にも柱が仕込まれています。
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この内側の端柱は下端で吊桁とピン接合なら二重構造にする必要はないはずなので、剛接合されているのでしょうか。吊桁の端柱を突桁の端柱に内包した複雑な構造になっているようです。
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反対側の端柱は一般的な構造、床版の伸縮装置もありません。機械メーカーだった櫻田機械製造所ならではの、とても興味深い構造の橋です。
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【大石田塀蔵】
大石田は徳川幕府が管理する舟役所が置かれ、酒田を経て直接上方と交易する最上川舟運の中枢として明治時代まで栄えたそうです。1965年(昭和40年)以降、最上川の洪水から街を守る為堤防が整備されましたが、舟運で栄えた街と最上川との繋がりを再生すべく、堤防を白壁の塀蔵風に整備する修景工事が実施されました。 -
【堀内橋】
1956年(昭和31年)竣工、下路カンチレバートラス橋 -
こちらは瀧上工業の製作。一番背の高い柱だけがダブルレーシングでした。
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吊り桁端部はこんな感じ。大橋は吊桁のヒンジが下弦にありましたが、こちらは上弦のようです。
幅員が狭く、上流側で新橋架設工事が着工していました。 -
【防雪柵】
雪国ならではの設備。色々種類があるようで、こちらは吹払式防雪柵(景観対応型)かと思われます。 -
こちらは折畳式の吹払式防雪柵と思われます。
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こちらは吹止式防雪柵(高機能防雪柵)でしょうか。
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【ワム80000形】ハワム87459
日本の鉄道史上最多、26,000両以上も製造された15 t 積み二軸有蓋貨車。
堀内橋架替工事で使われていました。 -
【新庄駅機関庫】
1903年(明治36年)築
新庄駅開業時に作られたレンガ積みの機関庫、前後は木造で延伸。控壁や窓上下等に焼過煉瓦を使った意匠が素敵です。旧国鉄新庄駅機関庫 名所・史跡
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【新庄駅転車台】
20m級上路バランスト型
いつも転車台でお世話になっている『趣味人Tの伝言』様のHP写真によると、銘板があるようで、その内容は
大正十四年
汽車製造株式會社製作
LIVELOAD COOPER'S E40.
鐵道省
MATERIALS
ANGLE:SEITETSUSYO.
PLATE: 〃 〃
RIVET:ASANOOGURASEIKOSYO.
CHANNEL:SEITETSUSYO. -
【C58 304】
1941年(昭和16年)川崎車両製
プレート等が復元されましたが、ガラス類や窓枠さえなく、保存状態は良くありません。 -
陸羽西線【界川橋梁】
1913年(大正2年)開通、上路プレートガーダー橋
フィンク補強されています! -
イチオシ
D50形機関車の登場による荷重の増加に伴い、架替だけでなく多くの橋桁が補強されました。フィンク補強では40%~150%の強度増が見込まれていたようです。JR三角線波多第四橋梁等約700連が補強されましたが、現存している桁は殆どありません。
-
この橋桁がフィンク補強されたのは1948年(昭和23年)、戦後の貨物増加に対応を迫られたようです。1957年(昭和32年)には補強材取付鋲の弛緩や横振動の発生等の問題点が指摘される等して、徐々に舟底補強(溶接補強)が主流になり、フィンク補強は消えていきました。
この桁は補強部材腐食の為、2003年(平成15年)に部材交換を実施し、同じフィンク補強のまま補修・補強されています。荷重増に対応し鉄道輸送を支えた貴重なフィンク補強を残そうという意図があったのかもしれませんね。 -
補強された桁は「作錬式」とも言われる英国人技師シャービントン設計の20ft錬鉄製鈑桁とか、真偽の程や如何に。
図面出典:土木学会 -
陸羽西線【第一最上川橋梁】
1914年(大正3年)開通、1973年(昭和48年)トラス架替、下路ワーレントラス橋他
古そうなレンガ/石積みの橋脚です。旧橋はアメリカンブリッジ製のシュヴェードラートラスでした。 -
プレートガーダーは銘板が一つ残らず脱落して残っていませんでしたが、Nicht eilen様の写真によると、以前は以下の内容の銘板があったようです。
明治四十五年
横河橋梁製作所製作
LIVE LOAD:COOPER'S E33
鐡道院
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MATERIALS
DORMAN.LONG&CO.
D.COLVILLE&SONS.
ドーマンロングにデイヴィッドコルヴィル、観たかったー…orz -
陸羽西線【角川橋梁】
1914年(大正3年)開通、上路プレートガーダー橋 -
陸羽西線【有田橋梁】
1914年(大正3年)開通、上路プレートガーダー橋 -
陸羽西線【第一高屋隧道】
1914年(大正3年)開通
6層巻のレンガ積み。内部も補修箇所以外はレンガのままです。 -
陸羽西線【第二高屋隧道】
1914年(大正3年)開通
こちらはアーチ部も側壁もRCで補強しています。 -
国道47号の冬期安全性確保等を目的とした高規格道路整備に伴い、高屋駅付近に建設する仮称高屋トンネルがこのトンネルと近接、その離隔が上下3mしかなく施工中の安全確保を図るため今年5月から全線運休しています。米坂線も水害で運休しており、山形県内陸部から日本海側に鉄道で出るには、北は奥羽本線、南は磐越西線まで迂回しなければなりません。
図面出典:国交省 -
陸羽西線【立谷沢川橋梁】
1914年(大正3年)開通、上路プレートガーダー橋 -
陸羽西線【腹巻山隧道】
1914年(大正3年)開通
こちらも6層巻き。 -
道の駅しょうない
道の駅 しょうない 市場・商店街
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前の日に泊まった宿が全国旅行支援の対象で、クーポンを貰ったのでここと山居倉庫でお土産を買いました。
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【余目駅跨線橋】
レール製の大きな跨線橋 -
刻印が読めました。
37 ○s 1935 IIIIIIIIII OH
海外製のレールを見つけたかったのですが… ホーム等で探せばあるのかもしれません。 -
羽越本線 【榎木架道橋】
1914年(大正3年)開通、1960年(昭和35年)複線化、上路プレートガーダー橋
桁の製作は2016年(平成28年)に東骨と経営統合した片山鉄工所。あまり見かけないメーカーです♪ -
【羽越本線脱線事故慰霊碑】
2005年(平成17年)、上り特急「いなほ14号」が第二最上川橋梁付近で竜巻による突風に煽られ脱線、5人が死亡、32人が重軽傷という大事故に。
ご冥福をお祈りします。 -
イチオシ
羽越本線【第二最上川橋梁】
1914年(大正3年)開通、下路ワーレントラス橋他
建設時は酒田線(現:陸羽西線)だった為、通算して『第二』とナンバーが振られています。殆どのトラスは1960年(昭和35年)に新桁に架替られましたが、北端のポニートラスだけはどこかから転用した1920年(大正9年)製造の100ftトラス。 -
上り線には1連だけ1951年(昭和26年)架設の桁も残存。前年製造のようなので、水害を受けてプレートガーダーから架替られたものと推測。
問題はこの曲弦トラス北側の橋脚。この橋脚だけハの字になっています。歴史的鋼橋集覧の一般図でもこの形状が確認できます。まるで何かを避けているかのようです。 -
トラスの海側には風速計だけでなく防風柵も。前述の脱線事故を受けての突風対策と思われます。風荷重の増加に伴うトラスの補強は確認できませんでした。
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【JR東日本ドップラーレーダー】
2016年(平成28年)設置
羽越本線脱線事故を受けて2007年に余目駅屋上にドップラーレーダーを設置し、気象庁気象研究所と共同で突風探知について研究していましたが、より高性能なレーダーを海に近く高い位置に設置、2017年(平成29年)からドップラーレーダーを用いた突風に対する列車運転規制を実施しています。 -
イチオシ
羽越本線【砂越駅跨線橋】
1904年(明治37年)製造、1914年(大正3年)開通
半田駅の旧跨線橋と同様、鋳鉄の柱を橋脚に使った跨線橋。階段等は後年に改修されたようです。ホーム側の柱には階段用のブラケットが両側に付いていますが、階段は片方のみ。電化前の設計なので橋脚が短く、基礎で嵩上げし桁下高を稼いでいます。
柱は全てに銘板に相当する文字が鋳込まれ、『明三十七 鐵作新橋』と読めます。「鐵作新橋」は鐵道作業局新橋工場の略で、碓氷鉄道文化むらにも横川駅に設置されていた物が保存されていますが、あちらは「明四十」。 -
駅前に保存されている柱は、短さや形状から階段出入口の端柱と分かり、こちらははっきりと文字が読み取れます。
-
開業年が製作年より10年も後なので、どこかから移設された物であることはほぼ確実ですし、階段等は更新されて原形を留めていませんが、跨線橋定規が制定される以前の、日本の鉄骨構造黎明期における貴重な鉄道遺産として大切に残してほしいです。
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【酒田みらい橋】
2002年(平成14年)竣工、PC箱桁橋(外ケーブル)
圧縮強度が通常のコンクリートの5倍(200N/m㎡)もある超高強度コンクリート系新素材「ダクタル」を用いた日本初の橋。
【土木学会田中賞受賞】 -
上床版厚5cmウェブ厚8cmという薄さで、大幅な軽量化(約1/5)とコスト削減(10%)を実現しています。
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【山居倉庫】
1893年(明治26年)築
米の積出港として賑わった酒田に、旧藩主酒井家によって建てられた米保管倉庫。
【国指定史跡】山居倉庫 名所・史跡
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イチオシ
倉庫裏のケヤキ並木は、日本海からの強い西風と夏の直射日光をさえぎり、倉庫内の温度を一定に保つ目的との事。
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庄内交通湯野浜線【旧善宝寺駅】
1929年(昭和4年)開業、1975年(昭和50年)廃止
善宝寺を模した駅本屋は1978年(昭和53年)から善宝寺鉄道記念館としてオープンし、1993年(平成5年)に閉館。その後は放置され荒廃して傷みが激しくなり、ついに今年解体されてしまいました。駅本屋の向かいにあるホームの上屋等は残存していました。 -
【庄内鉄道モハ3】(モハ1形)
1930年(昭和5年)日本車両製
湯野浜線は鶴岡と湯野浜温泉間を結んでいました。駅本屋は解体されましたが、この車両やホーム等については未定との事。 -
イチオシ
長くなるので2つに分けますが、この後は◆米坂線(荒川水系)の橋梁等を巡る旅◆につづく予定です。最上川のその2はその後になります。
◆米坂線(荒川水系)の橋梁等を巡る旅◆はこちら⇒https://4travel.jp/travelogue/11794080
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