2022/10/04 - 2022/10/04
607位(同エリア4639件中)
くわさん
京都に野暮用があったので、ついでに私の生まれ育った周辺を歩いてきました。
私が生まれ育ったのは右京区嵯峨野千代ノ道町。行政の地域名は「嵯峨野」ですが、嵯峨野と言っても皆さんがイメージされる嵯峨野とは全く異なります。
今は生家はとりこわされ、平地になっています。
その後、太秦方面へぶらぶらと歩きました。大映通り、太秦広隆寺、蚕ノ社へと巡ります。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
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旅の出発は嵐電、西大路三条駅。私が高校へ通学するときに使っていた懐かしい駅です。当時は三条口という駅名でした。
嵐電はここからしばらく路面を走ります。西大路三条駅 駅
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駅にはこんなポスターが。見てましたよ、カムカムエヴリバデイ。知るも知らぬも死んでも忘れませんよ。
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電車が来ました。
私が高校生の頃の嵐電はこんな色ではなく、下が濃い緑、上がベージュのような色合いでした。そしてパンタグラフがこんな形ではなく、ポール型と言って一本の棒の先にくるくると回る滑車のようなものが付いていたタイプでした。 -
車内もかなり変わりました。
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太秦広隆寺駅。以前は太秦駅。中学校の学区は太秦は勿論、隣の蚕ノ社も含まれていて、今から思えばかなり広いものでした。
太秦広隆寺駅 駅
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ここにもカムカムのポスターが。毎日のように嵐電が写っていましたからね。
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到着したのは実家の最寄り駅である「有栖川駅」
昔は「嵯峨野駅」でしたが、あの観光地の嵯峨野と間違えて降りる人が多発したため、私が高校生の頃、いまの有栖川駅に駅名が変わりました。有栖川駅 駅
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有栖川駅から西へ。昔ながらの路地を歩きます。
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そしてここ、カムカムで何度も出てきたカーブではないでしょうか。後ろは愛宕山。
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カムカムには嵐電からの車窓が写っていましたが、大体どの辺を走っているかわかるくらいでした。ま、毎日通学で乗っていましたからね。
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その踏切から南へ行くと、斎宮神社。小学生時代、この近所に友達がいてここでよく遊んでいたものでした。
斎宮神社 寺・神社・教会
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ネット上には「さいぐうじんじゃ」と書かれていますが、私たちは「さいのみやじんじゃ」と呼んでいました。
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斎宮神社からてくてくあるくと、私が生まれ育った右京区嵯峨野千代ノ道町に入ります。
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千代ノ道町の町境に流れる西高瀬川。
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西高瀬川は嵐山で大堰川から分岐され天神川まで流れる運河です。
この運河で運ばれていたものは木材。丹波の山から切り出された木材は保津川を下り、嵐山でこの西高瀬川に分岐されここまで運ばれていました。
なのでこの辺りは製材所がたくさんありました。
先に写っている山が嵐山。 -
この通りは千代の古道。
子供の頃は両端に製材所が並び、木の香りと海の香りが漂っていました。
なんで海の香りかって? 以前は西高瀬川で運ばれていた木材は流通経路が変わり、海上で養生されたのちトラックでここまで運ばれていたからです。
積み上げられた木材にはフジツボなどがくっついていました。 -
ここが私が生まれ育ったところ。後ろには愛宕山が見えています。
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実家があった場所は平地になってしまいました。
借地というのもありましたが、接道規定にひっかかって増築改築ができません。 -
実家の前は子供の頃田んぼでしたが、今は貸農園になっています。
その先のアパートは私が高校生の頃建ちました。 -
実家の玄関があったところ。
道が広がれば新しく家が建つのでしょう。 -
田んぼは二面ありましたが、もう一面の田んぼは健在のようです。
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まだ家が健在だったころ。家の前は田んぼで、初夏、田植え直後は田んぼに満たされた水面に星がきらめいていました。
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京都の夏の風物詩、地蔵盆。
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この頃はよかった。
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家が取り壊されるきっかけは台風。
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ボロ家でしたからね。
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樹木に囲まれた庭。
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実家跡をあとにやって来たのは餃子の王将太秦店。
京都の味と言えば京料理でもなく懐石料理でもなく、やはり餃子の王将です。 -
注文したのは餃子と天津飯。もちろんビールも。
千葉の王将でも同じメニューが注文できますが、味がかなり異なります。やはり王将は太秦店が一番うまい。ビールも安い。 -
ああ、うまかった。王将近くの嵐電帷子ノ辻駅。
何と読むかわかりますか? かたびらのつじ、です。
小学生の頃駅の様子ががらりと変わり、駅の上にスーパーがあります。帷子ノ辻駅 駅
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肉の品川亭は昔から全く変わっていません。
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帷子ノ辻駅前から大映通り商店街が始まります。
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柱の上にカメラ。今はやりの防犯カメラではありません。
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この辺りには大映、東映、松竹と撮影所が3カ所ありました。
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今は大映は無くなり、松竹、東映が残っています。
東映はカムカムでも出ていましたね。
子供の頃この商店街のパチンコ屋に撮影途中のサムライがその衣装のままパチンコを打っている姿を見かけたものです。今はこの通りからパチンコ屋は消えてしまいました。 -
ニッサンスーパー。嵯峨野学区で初めてできたスーパーで、わざわざここまで買い物に来、「ああ、これがスーパーマーケットというものか」、と感心したものです。
なぜか大魔神。映画関係? -
更に太秦方面に歩きます。
子供の頃、毎月5のつく日、5、15、26日はこの通りで夜店が出ていました。
なぜ20だけ26日なのかって? 北野の天神さんが25日にあるからです。 -
ああ、懐かしの本屋、たぬき堂。ここで出会った本が私の人生を決定づけたと言っても過言ではありません。
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この近くに眼科があり通っていましたが、今は閉院されたようです。目がギョロッとした女医さんで、いかにも「眼医者」という方でした。
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ああ、ここ、中学校の吹奏楽部のあの方の実家です。
高級な時計や宝石でキラキラしていたお店でした。 -
太秦マーケットは健在。
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さっきのスーパーができる前はこのなマーケットが主流でしたね。
有栖川駅(当時嵯峨野駅)前にも嵯峨野マーケットがありましたが、ここまで買い物に来た記憶があります。 -
太秦マーケットを過ぎると見通しが良くなります。
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この通りの北側が東映の撮影所。
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あっ、こんなのができています。
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撮影機材がたくさん展示されています。
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カムカムエヴリバディに出てきたような映画のポスター。裏にトランペットのサインがあったりして。
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銭湯、太秦湯も健在。姿は変わりましたが。
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この辺りから商店は減ってきます。
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三吉稲荷神社(映画神社)
毎5日開催の夜店はこの辺りまで屋台が並んでいました。
近くの和菓子店でみたらし団子を買い、この神社の境内で食べたものです。 -
伴淳三郎
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大河内傳次郎
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名だたる俳優さんの石碑があったのですね。この時まで知りませんでした。
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牧野省三先生の碑。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E7%9C%81%E4%B8%89 -
神社の由来。
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再び太秦へ歩きます。
ま、この辺りも行政地区名は太秦ですが。 -
大映通りもあと少し。あの坂を上がったら終点です。
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ここが大映通りの終点。
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このあたりも中学校の学区内でした。
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大映通りの終点から見えるのは、あの広隆寺。
広隆寺 寺・神社・教会
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嵐電のレールを渡ります。
カムカムでは設定当時にあるはずのなかったプリウスが写っていたのはこの右手の道を少し行ったところの右京警察署あたりでした。 -
灯台下暗しとよく申しますが、子供の頃入ったことが無かった広隆寺を今回は参拝します。人生でも2度目の参拝。
仁王門をくぐりましょう。 -
仁王門からは嵐電の太秦広隆寺駅が見えます。
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仁王門から嵐電が見えました。
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嵐電側からは毎日見ていたこの門、内側からは新鮮です。
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薬師堂
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上宮王院太子殿
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聖徳太子像が祀られています。
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内部は撮影禁止。
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江戸時代に建立されたらしい。
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最近ウッドデッキのメンテをして不思議に思ったのが、ウッドデッキの木材は2年ほどで腐ってきているのですが、このような建物の木材はなぜ腐らないのでしょうか。江戸時代に防腐剤があったわけでもないでしょうに。
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太子殿の舞台から
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この広隆寺の目玉、弥勒菩薩を拝みに行きます。
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太子殿側面。江戸時代によくぞこんな建物を建てたものです。
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太子殿側面。しかも全部手作業だっせ。
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拝観料を払い、弥勒菩薩が安置されている新霊宝殿へ。
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ここに弥勒菩薩が安置されています。
弥勒菩薩だけではなく、そのほか、国宝や重要文化財が惜しげもなく安置されていました。
静かな空間で拝む弥勒菩薩。近くにこんなところがあったのですね。 -
数々の仏像を拝んだのち新霊宝殿を出ます。そのまえは庭園。
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苔むした日本庭園。
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トイレを済ませておきましょう。
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庭園の片隅にたたずむ弁天社。
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秋の気配。
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そしてこれが弥勒菩薩像。
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太秦広隆寺駅に立ち寄ります。
昔はここは太秦駅でした。この駅の裏手に中学校の部活で同じだった友が住んでいました。今でもいるのか? ちょっと寄ってみたらよかった。太秦広隆寺駅 駅
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その友達の家がある側のホームから上りのホームを見ると・・・
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カムカムのポスター。
映画村はこの駅が最寄りです。 -
下りホームから広隆寺。
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広隆寺楼門。
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広隆寺前を走る嵐電。
ここも100メートルほど路面を走ります。ちょっと複雑な交差点で、電車泣かせです。 -
さて、本日の最終目的地、蚕ノ社へ。
電車で蚕ノ社駅へ行ってもいいのですが、徒歩だと太秦から行くのと距離が変わらなそうだったので三条通を歩きます。 -
で、やってきました蚕ノ社。
実は人生、初めての蚕ノ社です。正式名称、木島坐天照御魂神社木嶋神社 寺・神社・教会
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こんなに奥行きがあったのですか。
実は、ここも中学校の学区内で、この付近から通っている同級生もいました。ここからだと流石に遠いので、嵐電で通学していました。マンモス校だっのたです。 -
この先へ行くと・・・
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この神社にある珍しいものがあります。
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なんと三本足の鳥居。近くにいた人の話によると、普段はこの鳥居の下は水が満たされていて、池の中に鳥居が建っているのだとか。
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神殿へお参り。
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厳かな蚕ノ社でした。
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参道を歩き、三条通へ。
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帰りは京都駅へ行くので嵐電はパス。
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京都駅行きのバスが来ました。
今度京都に来るのはいつの日でしょうか。
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この旅行記へのコメント (2)
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- nikoさん 2022/11/25 12:24:45
- 修学旅行を思い出しました♪
- くわさん、こんにちは。
中学校の修学旅行で太秦映画村に行きました。
ちょうど撮影をしていて、里見浩太朗さんをお見かけしたのですが、顔がほぼオレンジ色(ドーランですね。笑)でびっくりしたことを思い出しました~。
niko
- くわさん からの返信 2022/11/26 21:02:11
- Re: 修学旅行を思い出しました♪
- nikoさん、こんにちは。
修学旅行で映画村に来られていたのですか。
あの映画村、私が中学生の頃はボーリング場で、その向かいが太秦郵便局。集配局で、土曜日でも郵便の窓口が空いていたので、自転車でちょくちょく通っていました。その郵便局もその後嵐山の近くに移転してしまいました。
そうそう、ドーラン。パチンコ屋さんで見かけた「サムライ」もドーランをしたままでした。刀も差していましたよ。とにかく時代劇の姿そのものなんです。今では考えられないですね。
水戸黄門の撮影現場にも出会ったことがあります。小学生の頃で「きゃーぎゃー」騒いでいたらスタッフから注意されたことがあります。五山の送り火の鳥居の山の奥の方でした。何もかもが懐かしいです。
くわ
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