2022/10/14 - 2022/10/17
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ちゃっぴぃ♪さん
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今年の夏頃、Twitterで【関ケ原2022】なるものを発見し、「え、関ケ原の戦いってまだ続いてるの?」と、あまりの面白さにド嵌りしまして、彦根・関ケ原方面への旅を勢いで予約し勢いで行ってきました。
勢いで行ったので下調べをする時間はあまりありませんでしたが、とりあえず、石田三成と戦国絡みで行きたいと思ったところに行ってみました。
こちらの旅行記は関ケ原の戦い関連の史跡巡りの記録です。
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今回の史跡巡り、行きたいところを事前にピックアップしてみたところ、10㎞以上の距離になりそうだったので、4時間だけレンタサイクルを借りることにしました。
地味に坂が多い地域だったので電動を選択。
午前9時、駅前の観光交流館から出発!関ヶ原駅前観光交流館 名所・史跡
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まずは徒歩では行けなさそうな大谷吉継関連の史跡を目指します。
こちらはその道中にある【西首塚】
当時の領主・竹中重門が、家康の命を受け亡くなった兵士たちを埋葬した地。
気付かずに通り過ぎてしまわないかと心配でしたが、史跡の前には幟旗が立っているので大丈夫でした。西首塚 名所・史跡
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狭いのにガンガントラックが通る地味な坂道を漕いで大谷さんのところにやってきました。
ここは関ケ原に来た目的の一つなので外すわけにはいかない場所でした。
天気が良くて本当に良かった… -
自転車を駐車場の隅っこに停めて徒歩で出発
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大谷さんのところは関ケ原駅からそこそこ遠いし、ちょっとした山を歩く感じの道なので歩きやすい靴推奨。
蚊もめっちゃ多いです。 -
【大谷吉継陣跡】
小早川を疑っていた大谷さんは、誰よりも早くこの地に陣を築いたといわれています。大谷吉継陣跡 名所・史跡
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陣跡から右手に進んだところにある眺望地からは小早川が陣を張った松尾山が見えます。
実際よーく見ると幟旗が見えるのですよ。ちょっと鳥肌ポイントでした。 -
陣跡に戻り左手に進みます。
何度か小早川隊を押し返した大谷さん達でしたが、小早川の裏切りに呼応するように続々と背反するものを防ぎきれず、とうとう最後の地へと向かうことになります。
感情移入してしまってなかなか辛い道です。
あと蚊が多い。 -
大谷吉継と湯淺五助の墓。
病を押して参戦した関ケ原の戦いでしたが、大谷さんはここで自刃されました。
関ケ原の戦いに参戦した有名な武将で自刃したのって大谷吉継だけのような気がします。義のために戦い武士として死ねたことは本望だったのかもしれない。大谷吉継の墓 湯淺五助の墓 名所・史跡
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ちなみに大谷さんとはこのペットボトルの方です。
大谷さんの墓を建てたのは東軍の藤堂高虎。
大谷さんの自刃後、介錯を務めた側近の湯淺五助は大谷さんの首を敵に渡すまいと隠しましたが戦いの中、藤堂高刑に捕らわれてしまいました。
五助は首を埋めた場所を正直に話した上で「供養してほしい」と頼み、討たれました。
これに感銘を受けた藤堂高刑とその主君・藤堂高虎は、五助の願いを叶え、本来であれば家康に届けるべき首の在処を隠して埋葬し墓を建てたそうです。
まじ泣ける。
しばらく感傷に浸って山を下ります。。。 -
【平塚為広陣跡】
大谷さんの陣の山を下りた東側にあります。
大谷さんと盟友関係だったこともあり、病気で目も見えない大谷さんに代わって両軍を指揮していたとも伝えられています。
辞世の句『君がため すつる命は惜しからじ 終にとまらぬ浮世と思へば』
これは大谷吉継の辞世の句『契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも』と対になっているそうです。
また泣ける。
関ケ原の西軍陣跡巡るの結構精神的に辛いかも。平塚為広碑 名所・史跡
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【宇喜多秀家陣跡】
開戦時五大老の一人で、関ケ原の戦い後、薩摩まで逃げて、数年後に出頭し、史上初の八丈島への流人となった宇喜多さんの陣跡。 -
大名復帰の申し出も「徳川の家臣になるつもりはない」と断り、四代将軍家綱の時代まで八丈島で生き抜いた逞しいお方。
どんな気持ちで八丈島での生活を受け入れ天寿を全うしたのか、考えると涙出ます。
なお、最後は友人に会いに行く道中で倒れて亡くなったそうです。
宇喜多さんは島人に読み書きを教え、代わりに田畑の耕し方を教わっていたと伝わっています。
元五大老という高貴な身分なのに、鍬を握り島で友人が作れてしまう適応能力ってすごいと思う。もうほんと、泣ける。宇喜多秀家陣跡 南天満山 名所・史跡
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関ケ原の戦いの【開戦地】
関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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【小西行長陣跡】
キリシタン大名のイメージが強いですが、船舶を監督する水軍の大将「舟奉行」で九州平定で活躍された方。
敗戦後は三成と共に六条河原で斬首されました。小西行長陣跡 北天満山 名所・史跡
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次の陣跡に向かう途中の景色
コスモスきれい -
【島津義弘陣跡】
開戦しても自ら攻撃に出ることはなく、近付く者は東西問わず打ち払っていたと書いてあります。
なんでやねん。島津義弘陣跡 <島津の退き口ゆかりの地> 名所・史跡
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決戦地に向かいます
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【決戦地】
最も戦いが激しかった場所といわれています。
島左近と三成の陣跡も見えます。関ケ原古戦場 決戦地 名所・史跡
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【島左近陣跡】
三成に破格の条件で召し抱えられた武将で、三成に対し他の人は言いにくいようなことも言えていたとか…
最後は三成を戦場から逃がそうと敵軍に突撃。銃弾を浴びて亡くなったと言われています。島左近陣跡 名所・史跡
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島左近陣跡から少し登ったところに
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【石田三成陣跡】
ここはやはり人気スポットなのか、人が多い石田三成陣跡 名所・史跡
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人がなるべく写り込まないように撮った写真がこちら。
関ケ原が広く見渡せる位置。 -
こんなかんじ。
見方が当たり前に動いてくれてたら負けなかったと思う。
今までとは違う意味で泣ける。 -
休憩がてら笹尾山交流館へ。
鎧などちょっとした展示スペースがあり飲み物買えます関ケ原笹尾山交流館 名所・史跡
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うらぎりサイダー(笑)
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うらぎりサイダーを飲みながら島左近と三成の陣跡方向を眺める。
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東軍陣跡も一部行ってみました。
【細川忠興陣跡】
戦国DQN四天王の一角ですが文化人でもあった忠興さん。
びっくりするようなエピソード盛りだくさんな方ですが、とっても愛妻家でした。
玉子さんが洗礼を受けてガラシャさんになったときは激怒し棄教させようとしましたが、亡くなったガラシャさんのためにキリスト教式の葬儀を行ない、豊前小倉藩ではキリスト教を保護して、ガラシャさんの菩提を弔ったといわれています。細川忠興陣跡 名所・史跡
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ちょっと早いけど自転車で回りたいところは大体回ったのでレンタサイクルを返却しここからは歩いて散策します。
観光交流館のコインロッカー家は紋入りです。
オサレ~関ヶ原駅前観光交流館 名所・史跡
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【松平忠吉・井伊直政陣跡】
東軍の先鋒に決まっていた福島隊の制止を振り切って宇喜多隊にフライング発砲した人達松平忠吉 井伊直政陣跡 名所・史跡
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【東首塚】
西首塚同様、竹中重門が、家康の命を受け亡くなった兵士たちを埋葬した地東首塚 名所・史跡
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お祭りの雰囲気が漂って来ました
この日は「関ケ原合戦祭り」岐阜関ケ原古戦場記念館 美術館・博物館
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家康十人いても大丈夫、ってw
グッズがいろいろあって楽しい! -
ワクワクしながら会場内を歩いていると見覚えのある家紋の陣羽織!!
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小早川金吾ぉぉぉぉっ!!!!!
おもてなし武将隊関ケ原組の小早川秀秋に遭遇!
裏切り者のイメージが中和されるくらい爽やか親切好青年!
快く撮影に応じてくれるだけでなく、「そちらだと人が入るゆえ」とわざわざ移動して壁を背に立ってくださった!神対応!
ありがとう!金吾! -
古戦場記念館の裏手
幟旗が美しい -
史跡巡り中、飲食店は1件も見当たらず、古戦場記念館の別館にあるカフェで昼食
岐阜関ケ原古戦場記念館 別館レストラン グルメ・レストラン
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ランチ休憩後外にでたら今度は刑部殿に遭遇!
お美しい…
刑部殿もそっと移動して壁を背に立ってくれた!おまけに関ケ原組のステッカーも下さるという神っぷり。
「この後我らの演武がある故、時間があったら見に来てくだされ」とのこと。
ハイ、いきます! -
こちらがその演武。
扇や刀、旗を用いたもの。関ケ原合戦祭り 祭り・イベント
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この演武では金吾は裏切りませんでした(ホッ)
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最後は揃って決めポーズ!
ちなみにMCは島左近でした -
別館のショップにて
関ケ原合戦投票2022は西軍が勝ったらしいです(笑)
投票したかったなぁ~ -
こちらのショップ、魅力的なグッズたくさんです!
各史跡で写真を撮ってこちらで提示すると「合戦印」が購入できます。
治部殿グッズもあります(笑)
※駅前の交流館で購入した物も混ざってます -
古戦場記念館を見学
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家紋って美しいですよね
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新しくてきれいな施設
戦国ファンは来た方が良い -
触ってOK写真OKのコーナーにて
刀や火縄銃など触れます。
こちらの大筒、見た目以上に重くてびっくりしました。 -
この日はお祭りだったので遅くまで賑わっていました。
宿に帰るのが名残惜しくて、予定していた時間よりも関ケ原に長居してしまいました。
422年前、国のため、義のために、多くの人が戦い、散った場所。
誰もが知っている関ケ原は実際に来てみると想像以上に感情が揺さぶられる土地でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Decoさん 2022/11/22 16:24:56
- 関ヶ原の面々
- やっぱりちゃっぴい♪さん、こんにちは。
関ヶ原の戦い、日本人で知らない人はほとんどいないと思いますが、歩いて見て廻ると、実感が全然違うでしょうね。
あの戦い、裏切りがなければ、西軍が勝っていたとはよく言われますが、実際に陣地を見ても、やっぱりそうなのですね。
様々な人間模様があって、それぞれの人物に心魅かれるものがありますが、やっぱり友情の人、大谷吉継と、戦の後も島流しの境遇で生き抜いた宇喜田秀家にとりわけ惹かれます。
吉継は、十分に理性的で合理的な考え方ができる人で、その上で友情に殉じて…なかなかこのような人はいないと思います。
秀家は、大名復帰を断ったことは知りませんでした。生まれや育ちだけでなく、人としても高貴な人物だったのでしょうね。ちょっと調べてみたら、自分の子の方が先に亡くなっていたりして(早死にではなかったけど、秀家が長命だったから)、晩年は寂しかったかも知れません。こんな人物だったから、豪姫も心から愛していたのでは、と思ったりします。
私は昔、関ヶ原の正月長編ドラマ(原作司馬遼太郎)を見て、いたく感動した覚えがあり、DVDも購入しました。家康が森繁久彌、三成が加藤剛、そして島左近が三船敏郎という豪華なキャストで。そんな思い入れもあって、旅行記を興味深く拝見しました。
Deco
- ちゃっぴぃ♪さん からの返信 2022/11/22 21:20:54
- Re: 関ヶ原の面々
- Decoさん、こんばんは!
フォートラにも戦国好きがいて嬉しいです!
豪姫もすごいですよね~、実家使って秀家の助命に奔走し、流刑が決まった時は自分も一緒に八丈島に行くことを望んだそうです。
離れ離れになったあとも再婚せず、死ぬまで…というか死んだ後も八丈島の秀家に援助物資を送り続けたらしいです。
秀家は秀家で、八丈島の代官の所でおにぎりを振る舞われた時、一つ食べて残りを息子達に持ち帰ったとか…
良くない記録もありますが、戦国時代ってけっこう感動するエピソードありますよね。
いつか宇喜多秀家主役で大河やってほしいです。
(15話くらいで八丈島編に突入)
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