南天満山 宇喜多秀家陣跡
名所・史跡
3.30
南天満山 宇喜多秀家陣跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
関ヶ原・垂井 観光 満足度ランキング 32位
西軍の副総帥。 杉の木立がうっそうとした南天満山の麓に天満神社があります。関ケ原合戦時には、この付近に兵約1万7千という西軍の主力部隊を布陣し、副総帥として参戦した宇喜多秀家。開戦の烽火と共に東軍・福島隊に攻め込まれた史実から、この辺りは大変に激しい戦いが繰り広げられた場所だと考えられます。秀家は、敗走し山中をさまよった後、揖斐でかくまわれ、密かに島津氏を頼って薩摩へ下り、死罪は免れましたが八丈島へ流され、余生を遠島で過ごすこととなりました。その後秀家は84歳で亡くなり、このときすでに江戸幕府第4代将軍徳川家綱の治世で、関ヶ原に参戦した大名としては最も長く生きた武将でした。
クチコミ・評判
1~11件(全11件中)
-
宇喜多秀家の陣跡
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
-
森の中にあります
- 4.5
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
- 0
-
西軍の副将・宇喜多秀家
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
西軍の副将・宇喜多秀家は1万7千の兵力で南天満山に陣取った。合戦の朝、東軍の井伊・松平隊の宇喜多陣への発砲で合戦が始まった... 続きを読むことは有名な話。最終的に小早川の裏切りで宇喜多隊も敗走。秀家はなんとか島津を頼って薩摩に逃げたが最終的に捕らえられる。諸藩からの嘆願により斬首は逃れ、八丈島への流刑となった。
宇喜多陣跡があるのは、南天満山麓です。開戦地からもう少し進むと、右手に「天満神社」の碑があり、その参道を登って行けば宇喜多陣跡(天満神社境内)に着きます。車が入れない参道ですが、自転車は入れますので、私は境内まで自転車で行けました。ただし、昇りです。
境内には神社本殿と宇喜多陣跡碑があるだけ。本殿の横に「宇喜多」ではなく「浮田秀家陣跡」と書かれた碑もあります。秀家は八丈島に流刑の後、「浮田」に改名したと言われていますが定かではありません。 閉じる投稿日:2021/12/01
-
-
林の中にあります。
- 3.0
- 旅行時期:2019/02(約7年前)
- 0
-
天満神社の境内
- 3.0
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
- 0
-
大きな敷地
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 0
-
宇喜多秀家陣跡:鬱蒼と
- 1.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
- 0
-
-
山の中にひっそりと・・・
- 3.0
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 0
-
西軍の副総帥
- 4.0
- 旅行時期:2016/08(約9年前)
- 0
-
実質的に西軍の主力部隊です
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約10年前)
- 2
-
島流しに
- 3.5
- 旅行時期:2014/05(約12年前)
- 0
1件目~11件目を表示(全11件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
南天満山 宇喜多秀家陣跡について質問してみよう!
関ヶ原・垂井に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
ちゃっぴぃ♪さん
-
みかんさんさん
-
カブト虫さん
-
cielさん
-
ミロヒさん
-
teraさん
- …他