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東武線で北上を続け、栃木に到着。<br />事前にあまり調べてはいなかったので、佐野厄よけ大師に参拝して、<br />昼食は佐野ラーメンを食べる目標のみ想定。<br />目に付いた場所をふらふらと寄り道しながら、佐野市内を散策しました。

栃木訪問2022①(佐野市内散策・佐野市:佐野厄よけ大師、ラーメン大金、朝日森天満宮他)

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2022/01/22 - 2022/01/22

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旅行記グループ 栃木訪問

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赤い彗星

赤い彗星さん

この旅行記のスケジュール

2022/01/22

この旅行記スケジュールを元に

東武線で北上を続け、栃木に到着。
事前にあまり調べてはいなかったので、佐野厄よけ大師に参拝して、
昼食は佐野ラーメンを食べる目標のみ想定。
目に付いた場所をふらふらと寄り道しながら、佐野市内を散策しました。

旅行の満足度
3.5
  • 東武線の佐野市駅に到着。<br />新しい駅舎だなと思っていたら、近年リニューアル改装されているようです。

    東武線の佐野市駅に到着。
    新しい駅舎だなと思っていたら、近年リニューアル改装されているようです。

    佐野市駅

  • 佐野市駅のマーク。<br />中央に佐野市の鳥であるオシドリ、下部の桜のようにも見えるマークは、佐野市の木である松が描かれているそうです。

    佐野市駅のマーク。
    中央に佐野市の鳥であるオシドリ、下部の桜のようにも見えるマークは、佐野市の木である松が描かれているそうです。

  • 歩いて佐野厄よけ大師に向かう途中、駅近くでお寺を見つけたので寄り道してみます。

    歩いて佐野厄よけ大師に向かう途中、駅近くでお寺を見つけたので寄り道してみます。

  • 宝龍寺の山門は、解体修理中のようですね。<br />山門で使用されていたと思われる古い木材と、新しい礎石が並んでいます。

    宝龍寺の山門は、解体修理中のようですね。
    山門で使用されていたと思われる古い木材と、新しい礎石が並んでいます。

  • 銅製の阿弥陀如来坐像が、屋外に安置されています。<br />元禄7年(1694年)に丸山孫右衛門尉藤原信次により、鋳造されたそうです。<br />関東大震災で首の部分が破損し、少し傾いてしまっています。

    銅製の阿弥陀如来坐像が、屋外に安置されています。
    元禄7年(1694年)に丸山孫右衛門尉藤原信次により、鋳造されたそうです。
    関東大震災で首の部分が破損し、少し傾いてしまっています。

  • 浄土宗寺院である宝龍寺の本堂。<br />安土桃山時代の浄土宗僧侶:呑龍上人が住職をされていたお寺だそうです。呑龍上人は、貧しい子供たちを弟子として引き取り、教育に力を入れていたことから、「子育て呑龍様」と呼ばれて慕われていたそうです。

    浄土宗寺院である宝龍寺の本堂。
    安土桃山時代の浄土宗僧侶:呑龍上人が住職をされていたお寺だそうです。呑龍上人は、貧しい子供たちを弟子として引き取り、教育に力を入れていたことから、「子育て呑龍様」と呼ばれて慕われていたそうです。

    宝龍寺 寺・神社・教会

    佐野市駅近くの古刹 by 赤い彗星さん
  • 佐野厄よけ大師に向けて進んでいる途中、今度は金山神社を見かけて寄り道。

    佐野厄よけ大師に向けて進んでいる途中、今度は金山神社を見かけて寄り道。

  • 小さな社殿ですが、江戸時代の寛保2年(1742年)に創建された神社です。<br />御祭神は、金山彦命、金山姫命の2柱で総称して金山大明神。地域の人々からは、「かねがみさま」と呼ばれて、大切にされているようです。

    小さな社殿ですが、江戸時代の寛保2年(1742年)に創建された神社です。
    御祭神は、金山彦命、金山姫命の2柱で総称して金山大明神。地域の人々からは、「かねがみさま」と呼ばれて、大切にされているようです。

    金山神社 (佐野市) 寺・神社・教会

    地域に大切にされている小さな神社 by 赤い彗星さん
  • かなり年季の入った扉の彫刻。創建当時から残っている彫刻かもしれないですね。

    かなり年季の入った扉の彫刻。創建当時から残っている彫刻かもしれないですね。

  • 扁額に書かれた文字は正直読めないけど、金山大明神で間違っていない気がする。

    扁額に書かれた文字は正直読めないけど、金山大明神で間違っていない気がする。

  • 佐野厄除け大師に到着。佐野厄除け大師という名称しか知らなかったけど、正規の寺号は、「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」という名前なんですね。

    佐野厄除け大師に到着。佐野厄除け大師という名称しか知らなかったけど、正規の寺号は、「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」という名前なんですね。

    惣宗寺(佐野厄よけ大師) 寺・神社・教会

    システマチックに参拝出来るお寺 by 赤い彗星さん
  • 金色の釣り鐘は、初めて見たかも。

    金色の釣り鐘は、初めて見たかも。

  • 佐野市のブランドキャラクターさのまるくん。<br />頭にはラーメンどんぶり、前髪は麺、腰には佐野名物のいもフライを2本差している侍をイメージしているそうです。<br />第3回ゆるキャラグランプリでグランプリを獲得しているんですね。

    佐野市のブランドキャラクターさのまるくん。
    頭にはラーメンどんぶり、前髪は麺、腰には佐野名物のいもフライを2本差している侍をイメージしているそうです。
    第3回ゆるキャラグランプリでグランプリを獲得しているんですね。

  • 佐野厄除け大師は、天慶7年(944年)に藤原秀郷により、平将門討伐祈願のために建立されました。元々は、現JR佐野駅裏の佐野城址が残る春日岡山に建てられたそうですが、領主の佐野氏による佐野城築城に際して、現在の場所に移転されました。寺号には春日岡山が残ったままですね。<br />初詣の時期はとっくに終わっているので空いているかと思っていましたが、多くの参拝客で賑わっていました。人混みを避けるように早々に退散。

    佐野厄除け大師は、天慶7年(944年)に藤原秀郷により、平将門討伐祈願のために建立されました。元々は、現JR佐野駅裏の佐野城址が残る春日岡山に建てられたそうですが、領主の佐野氏による佐野城築城に際して、現在の場所に移転されました。寺号には春日岡山が残ったままですね。
    初詣の時期はとっくに終わっているので空いているかと思っていましたが、多くの参拝客で賑わっていました。人混みを避けるように早々に退散。

  • 佐野厄除け大師の隣で見かけた佐野大仏の幟に惹かれ、観音寺を訪れてみました。

    佐野厄除け大師の隣で見かけた佐野大仏の幟に惹かれ、観音寺を訪れてみました。

  • 本堂前には、佐野大仏(銅造阿弥陀如来坐像)が安置されています。<br />江戸時代の寛文9年(1669年)に、平安時代から続く佐野市の伝統工芸である天明鋳物で建立されました。天明鋳物師3名の合作で高さ313cmの大仏です。

    本堂前には、佐野大仏(銅造阿弥陀如来坐像)が安置されています。
    江戸時代の寛文9年(1669年)に、平安時代から続く佐野市の伝統工芸である天明鋳物で建立されました。天明鋳物師3名の合作で高さ313cmの大仏です。

  • 観音寺の本堂。<br />佐野大仏は江戸時代建立ですが、境内の建物群は近代に建てられたもので占められていました。

    観音寺の本堂。
    佐野大仏は江戸時代建立ですが、境内の建物群は近代に建てられたもので占められていました。

    観音寺 寺・神社・教会

    佐野大仏が安置された小さな寺院 by 赤い彗星さん
  • 佐野に来たら佐野ラーメンでしょということで、お昼は佐野市郊外にあるラーメン大金で食事するためにやってきました。

    佐野に来たら佐野ラーメンでしょということで、お昼は佐野市郊外にあるラーメン大金で食事するためにやってきました。

  • 入口前にある整理券発券機で整理券を取得し、入店を待ちます。<br />店内は結構広いのですが、それでも1時間近く待ちました。

    入口前にある整理券発券機で整理券を取得し、入店を待ちます。
    店内は結構広いのですが、それでも1時間近く待ちました。

  • 注文時に「鶏油増し」も出来ますよと云われたのですが、初訪問だったのでノーマルで注文。出されたラーメンを見た時に、味が薄そうに感じて「鶏油増し」にしとおけば良かったと後悔しましたが、スープを飲んでみると想像に反して、さっぱりしていながらしっかりと濃厚な味が口に拡がりました。麺は、柔らかで太く平たい麺です。<br />餡がぎっしりと詰まった大きな餃子も含めて、どちらも本当に美味しかったです。

    注文時に「鶏油増し」も出来ますよと云われたのですが、初訪問だったのでノーマルで注文。出されたラーメンを見た時に、味が薄そうに感じて「鶏油増し」にしとおけば良かったと後悔しましたが、スープを飲んでみると想像に反して、さっぱりしていながらしっかりと濃厚な味が口に拡がりました。麺は、柔らかで太く平たい麺です。
    餡がぎっしりと詰まった大きな餃子も含めて、どちらも本当に美味しかったです。

    らーめん大金 グルメ・レストラン

  • 市内を流れる秋山川の橋の上からの風景。<br />遠くに冠雪した山々が見えています。

    市内を流れる秋山川の橋の上からの風景。
    遠くに冠雪した山々が見えています。

  • 佐野駅に向かう途中で鳥居を見かけたので、また寄り道することにしました。

    佐野駅に向かう途中で鳥居を見かけたので、また寄り道することにしました。

  • 途中、踏切を超えました。両毛線は単線ですね。<br />1時間に1本ぐらいしか電車がないため、乗る予定の電車が来るまで、まだ十分な時間があります。

    途中、踏切を超えました。両毛線は単線ですね。
    1時間に1本ぐらいしか電車がないため、乗る予定の電車が来るまで、まだ十分な時間があります。

  • 一の鳥居を真っ直ぐにしばらく進むと、天満宮前に建つ二の鳥居に到着しました。

    一の鳥居を真っ直ぐにしばらく進むと、天満宮前に建つ二の鳥居に到着しました。

  • 長い参道には燈籠が立ち並び、並行して梅の木が植えられています。<br />訪問した時期は、1月末なのでまだ枯れ木のままでしたが、2月末から開花して参道を彩ってくれるそうです。

    長い参道には燈籠が立ち並び、並行して梅の木が植えられています。
    訪問した時期は、1月末なのでまだ枯れ木のままでしたが、2月末から開花して参道を彩ってくれるそうです。

  • 初めて訪れたので時期的なものなのかは分かりませんが、神門前に笹でも門が造られていて、神門の全容がよく見えなくなっています。

    初めて訪れたので時期的なものなのかは分かりませんが、神門前に笹でも門が造られていて、神門の全容がよく見えなくなっています。

  • 唐破風を持つ神門には、朝日森と鮮明な色取りで描かれた扁額が掲げられています。

    唐破風を持つ神門には、朝日森と鮮明な色取りで描かれた扁額が掲げられています。

  • 社殿前にも、笹で門が造られていました。<br />朝日森天満宮は、平安時代の治安3年(1023年)に足利家綱により創建されました。家綱が無実の罪に問われた際に、太宰府天満宮に参籠して一心不乱に罪が晴れるよう祈念したところ、見事に冤罪が晴れて所領も安堵されたそうです。<br />神恩への感謝の気持ちを込めて、唐沢山城内の天神沢に天満宮を勧請したのが、朝日森天満宮の始まりだそうです。

    社殿前にも、笹で門が造られていました。
    朝日森天満宮は、平安時代の治安3年(1023年)に足利家綱により創建されました。家綱が無実の罪に問われた際に、太宰府天満宮に参籠して一心不乱に罪が晴れるよう祈念したところ、見事に冤罪が晴れて所領も安堵されたそうです。
    神恩への感謝の気持ちを込めて、唐沢山城内の天神沢に天満宮を勧請したのが、朝日森天満宮の始まりだそうです。

  • 現在の社殿は、昭和12年に建てられたものだそうです。<br />慶長7年(1602年)に徳川家康の命により、唐沢山城が廃城になった際に、朝日森天満宮は現在の場所に移転されました。<br />朝日森天満宮も佐野厄除け大師も移転のきっかけは、唐沢山城廃止に伴うものだったんですね。

    現在の社殿は、昭和12年に建てられたものだそうです。
    慶長7年(1602年)に徳川家康の命により、唐沢山城が廃城になった際に、朝日森天満宮は現在の場所に移転されました。
    朝日森天満宮も佐野厄除け大師も移転のきっかけは、唐沢山城廃止に伴うものだったんですね。

    朝日森天満宮 寺・神社・教会

    平安時代に創建された由緒ある天満宮 by 赤い彗星さん
  • 鷽はウソと読むようですね。実際に存在する喉の赤い鳥のようです。<br />天神様を祀る神社で行われる鷽替神事(前年の凶事をウソとし、新年が吉になるよう祈る神事)を指しているそうです。

    鷽はウソと読むようですね。実際に存在する喉の赤い鳥のようです。
    天神様を祀る神社で行われる鷽替神事(前年の凶事をウソとし、新年が吉になるよう祈る神事)を指しているそうです。

  • 境内には、小ぶりな神楽殿も建っています。

    境内には、小ぶりな神楽殿も建っています。

  • 天神様と云えば、牛と縁が深い神様ですね。<br />体の悪い部分と同じ場所を撫でると、牛に悪い部分が移って、体が治るというご利益があると云われています。

    天神様と云えば、牛と縁が深い神様ですね。
    体の悪い部分と同じ場所を撫でると、牛に悪い部分が移って、体が治るというご利益があると云われています。

  • こちらはかなり古そうな牛の石像。<br />先程のなで牛の前任者かもしれないけど、座高が高いので、なで牛として奉納されたものではないかもしれませんね。

    こちらはかなり古そうな牛の石像。
    先程のなで牛の前任者かもしれないけど、座高が高いので、なで牛として奉納されたものではないかもしれませんね。

  • 境内にひっそりと建つ菅神廟碑。<br />天明7年(1787年)に御祭神の菅原道真公の徳を称えるために建てられました。

    境内にひっそりと建つ菅神廟碑。
    天明7年(1787年)に御祭神の菅原道真公の徳を称えるために建てられました。

  • 佐野市駅で見かけたマークと登場メンバーが一緒のマンホール蓋。<br />中央に市の鳥:オシドリと市の木:松が描かれています。<br />周りは色や形を見るに桜でしょうね。

    佐野市駅で見かけたマークと登場メンバーが一緒のマンホール蓋。
    中央に市の鳥:オシドリと市の木:松が描かれています。
    周りは色や形を見るに桜でしょうね。

  • 佐野駅に到着。JRと東武線が乗り入れています。

    佐野駅に到着。JRと東武線が乗り入れています。

    佐野駅

  • 駅の構内に入ると、入場した南口の反対側が城山公園口になっていたので、城跡でもあるのかと思ってきてみたら、佐野城址の石柱が立っていました。

    駅の構内に入ると、入場した南口の反対側が城山公園口になっていたので、城跡でもあるのかと思ってきてみたら、佐野城址の石柱が立っていました。

    城山公園 公園・植物園

    実働十数年で廃城となった城跡が整備された公園 by 赤い彗星さん
  • 二ノ丸と本丸の間にある堀切。佐野城は、春日岡に築城された平山城で、本丸・二ノ丸・三ノ丸の各郭の間には空堀が設けられていました。<br />徳川家康の命令で、佐野氏の居城:唐沢山城が廃止されて、この地に佐野城が築かれました。但し、築城から十数年、まだ城下町などを整備している段階で佐野氏が改易され、廃城になってしまいました。

    二ノ丸と本丸の間にある堀切。佐野城は、春日岡に築城された平山城で、本丸・二ノ丸・三ノ丸の各郭の間には空堀が設けられていました。
    徳川家康の命令で、佐野氏の居城:唐沢山城が廃止されて、この地に佐野城が築かれました。但し、築城から十数年、まだ城下町などを整備している段階で佐野氏が改易され、廃城になってしまいました。

  • 本丸の風景。一部石垣跡が残るくらいで、建物は残されていません。<br />移転した惣宗官寺(佐野厄除け大師)の本堂などもこの辺りに建っていたんですかね。

    本丸の風景。一部石垣跡が残るくらいで、建物は残されていません。
    移転した惣宗官寺(佐野厄除け大師)の本堂などもこの辺りに建っていたんですかね。

  • 本丸跡からは、市街や遠くの冠雪した山々が良く見えます。

    本丸跡からは、市街や遠くの冠雪した山々が良く見えます。

  • 二ノ丸跡に建てられた「万葉の里・城山記念館」。<br />入場無料で佐野市の歴史に関する常設展示を見る事が出来ます。有料の多目的室・和室などが用意されていて、会議や茶会・俳句会等に利用されているそうです。

    二ノ丸跡に建てられた「万葉の里・城山記念館」。
    入場無料で佐野市の歴史に関する常設展示を見る事が出来ます。有料の多目的室・和室などが用意されていて、会議や茶会・俳句会等に利用されているそうです。

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