2022/09/09 - 2022/09/11
1153位(同エリア1464件中)
RiEさん
旅行2日目、後編。
ランチの後は川の風景が楽しめる“川の駅:新湊”周辺を散歩して、1930年に進水して以降約59年間に106万海里(地球約50周)を航海した商船学校の練習船の“帆船:海王丸”を鑑賞した。
そのあと新湊大橋を通過して、江戸後期から活躍した北前船主であり廻船問屋で岩瀬五大家の筆頭に挙げられ、北陸の五大北前船主として知られる贅を尽くした“旧馬場家住宅”を見学すると、東岩瀬町の中でも最大規模の住宅で長さ30mのトオリニワと呼ばれる屋内通路や、33畳ものオイと呼ばれる広間など、どこを見ても豪奢な造りに息を呑むばかりだった。
最後に立ち寄ったのは馬場家と同じ並びに建っている1878年の建築当時のたたずまいを残す東岩瀬廻船問屋型町家の“旧森家住宅”で、全国各地から取り寄せた材料を使い、屋久杉の板戸・能登産黒松のはり・土蔵のこて絵など、当時の繁栄の面影が随所に散りばめられていた。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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内川沿いに建つ“川の駅:新湊”は、建物右の背の高い倉庫のような場所に新湊曳山まつりの曳山が納められている。
川の駅新湊 名所・史跡
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建物内側はガラス張りになっていて、常設展示されている曳山が鑑賞できた。
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川の駅からそのまま内川に出れるので少し散策してみることにした。
新港・内川には12橋架かっていて、それぞれ異なる素材やデザインが用いられており、この“神楽橋”の高欄には新湊出身の工芸作家:大伴二三弥氏が描いた、新湊市の木である松・市の花ケイトウ・曳山・カモメなど72枚のステンドグラスがはめ込まれていて華やかだった。
虹のかけ橋とも呼ばれていて、光を浴びる時間帯によって虹色に光るそう。神楽橋 名所・史跡
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確か同じ橋の上から内川の街並みを撮ったはずだけど、こちらはどんよりした曇り空なのに…
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反対側は気持ちのいい晴天が広がっていて随分印象が異なる。
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穏やかで静かな内川沿いを歩きながら複数の橋を越えて、神楽橋まで戻ってきた。
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車で移動して、富山新港にある海浜公園“海王丸パーク”へ。
海の貴婦人と呼ばれる帆船・海王丸を展示していて、1930年に進水して以降約59年間に106万海里(地球約50周)を航海し、船に携わる多くの若者を育ててきた商船学校の練習船の優美な姿を鑑賞した。
現在は歴史海洋博物館として、船室や機関室など現役のままの姿を公開している。海王丸パーク 公園・植物園
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右に見える新湊大橋は、富山港と伏木港を結ぶ。
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新湊大橋を通過して…
新湊大橋 名所・史跡
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森家・馬場家共通観覧券大人1人:180円を購入し、2021年1月から公開が始まった“旧馬場家住宅”を見学する。
馬場家は江戸後期から活躍した北前船主・廻船問屋で、岩瀬五大家の筆頭に挙げられ北陸の五大北前船主のひとつにも数えられており、北前船全盛期はこの馬場家が1位・後で訪れる森家が3位だった。
そして北前船事業が衰退傾向になった明治中頃には、汽船経営に舵を切って事業の近代化にも成功している点も興味深い。
動く商社だった北前船は寄港地に着くと、毎回懇意している回船問屋に世話になることが決められており、港に滞在する期間の宿泊先だけじゃなく商品の売買を仲介してもらう役割もあったので、北前船の商売を支える廻船問屋業と北前船主の両方を担っていた馬場家や森家のような家は、全国でもそれほど多くなく豪商だったことがよく分かる。旧馬場家住宅 名所・史跡
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馬場家は1873年に起きた東岩瀬の大火の後、以前の部材を用いて建てられたといわれており、東岩瀬町の中でも最大規模の住宅にあたる。
主屋の他に前蔵・壱番蔵・弐番蔵・米蔵・西門・西塀も現存し、廻船業が盛んであった頃の面影を感じられる貴重な建物。 -
【トオリニワ】
まず最初に驚かされるのは一直線に延びる長さ30m・幅2.7mあるトオリニワと呼ばれる土間通路。
河港に面していた裏門まで見通せるようになっており、かつてこの先にあった米蔵・門・船着き場から積み荷の上げ下ろしをしていた。 -
古い日本家屋なのに明るいのは天窓がガラス張りになっていて、天井と壁2面を白く塗ることにより明るさを取り込む工夫がされている。
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【前蔵】
トオリニワを挟んで入口右側にある前蔵には、立派な金庫と馬場家の年表が展示されていた。 -
靴を脱いで、トオリニワを挟んで入口左側の部屋へ。
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【オイとミセ】
川が流れるような畳の配置をしている広さ33畳ある大広間のオイと、左のガラス扉の先(入口側)がミセになっている。
突き当りには馬場家9代当主:道久の妻の馬場はるの写真が飾られていて、1919年に夫が亡くなった後の馬場家を切り盛りして、33歳の若さで一家を支える立場になったことが記されていた。
旧制富山高等学校(現在の富山大学人文学部・理学部)設立のために、多額の寄附をしたことでも知られている。 -
【マエザシキ】
オイから真っすぐ伸びる続き間で… -
【坪庭】【切抜門】
マエザシキの左にはミセの奥に位置する坪庭があり、その奥にみえる切抜門は道路に面していて、1番の賓客が坪庭を通過し最短距離で座敷に上がれるようになっていた。
旧馬場家住宅では昭和時代の貴重なガラスを多用しているので、どこか懐かしい雰囲気が保たれていた。 -
【ブツマ】【ザシキ】【サヤノマ】
マエザシキから横並びに続くのはブツマで、その奥に切抜門を通り抜けてきた賓客を招き入れるのがザシキで、隣接した細長い部屋がサヤノマになっていて本当に広い。 -
【縁側】
サヤノマは縁側に繋がり、縁側沿いに並ぶヒカエノマを通り過ぎると2つの入口があり、1室は縁側沿いのダイドコロ。 -
【チャノマ】
もう1室は上部のガラス窓から明るい光が差し込む、昭和初期に改修されたとみられるチャノマに繋がる。 -
このチャノマは最初に入ったオイと隣り合った部屋で、馬場はるはこの暖炉裏の西側によく座っていたのだそう。
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贅沢にガラス張りされたL字に曲がる縁側から望む庭園が美しい。
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【シンザシキ】
L字に曲がった先は2間続きのシンザシキになっていて、1930年10代当主の結婚に合わせて増築された部分。 -
【旧台所】
スノコが敷いてあるのでそのままトオリニワを渡ると、シンザシキの向かいにある旧台所があり、昭和初期のポンプは未だ現役で回してみると水が出た。 -
旧台所横には小さな廊下と2階へ上がる階段があり、昔の建物にしてはすれ違える幅があって角度も急すぎることは無かった。
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主屋2階の階段横には大きな窓があり、港側を望むことができる。
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レトロモダンなガラス傘の照明。
空気の粒が模様のように見えて洒落ている。 -
階段前は広縁のような造りになっていて、左右に2間並んでいた。
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2間の間には透かし彫りされた見事な鳳凰の欄間があり、贅沢な造りになっている。
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広いの部屋の奥には3畳ほどの縦に長い部屋があり、瓢箪型にくり抜かれた壁が粋だった。
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1階に戻って靴を履いてからトオリニワを進んでいくと、裏手の駐車場側の入口に繋がる。
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【壱番蔵】【弐番蔵】
トオリニワから繋がったL字に曲がる通路を歩いて行くと、内部非公開の明治時代以降に造られた一番蔵と弐番蔵が並んで建っていた。
華美ではないけど贅を尽くした上品な旧馬場家に翻弄され、ふわふわした気持ちで隣の森家を訪ねた(本当は先に森家を見学した方が順番的に良かったかもしれない)。 -
“北前船廻船問屋「森家」“は3年の歳月をかけて1878年に建築された2階建ての商家で、トオリニワに沿って3列に部屋を配している。
森家は明治時代以前は四十物屋仙右衛門を名乗っていたので、入口屋根上には「仙」の文字が入った灯篭が掲げられており、森という名字を名乗りだしたのは明治時代以降なのだそう。北前船廻船問屋「森家」 名所・史跡
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外壁は出格子は細い竹がびっしりと並んだ簀虫籠と呼ばれる東岩瀬の町並みの特徴的な外観をしており、竹の外皮が家の内側に向くようにしているため外からは建物内が見えないけど、中からは外の様子がよく見えるし風通しも良いという優れた構造をしていた。
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【ミセノマ】
右側のミセノマで受付をして見学開始。 -
【オイ】
オトリニワの右側にオイがあり、馬場家と違って四方が囲まれていて窓などが無いため薄暗く感じる。
畳は馬場家と同じ川が流れているような配置になっていて、馬場家と比べると広さは無いけど… -
風格漂う主屋は、吹き抜けの木組の梁になっていて天井が非常に高く、開放感ある造りになっている。
靴を脱いで見学をしようとしたら、大きな声でウィットに富んだ説明をしていた森家の館長に見つかり「こっちにいらっしゃい」と手招きされ、森家についての館内案内に強制的に合流させられた。
森家は案内を聞いた後じゃないと自由見学出来ない仕組みのようで、見学に来た人が靴を脱いでいると全員呼ばれ、一通り終わった後に最初の聞き逃した部分も教えて貰える。 -
オイに置いてある北前船の模型と、森家の家紋:蔓片喰が入った暖簾。
暖簾の奥はチャノマとダイドコロがあって、オトリニワ越しからも覗けるようになっている。
北前船は行きも帰りも荷を載せていたことから「倍倍」に儲かるので、地元では北前船のことを「バイ船」と呼んでおり、森家は当時の200万両(現在の価値で2000億円)の財産があったそう。 -
【ヒカエノマ】【ザシキ】【マエザシキ】【ブツマ】【サヤノマ】
屋久杉の板戸・能登産黒松の梁など各地の富を集めて造られた室内は贅沢な造りをしていて、当時の佇まいを残していたものの、欄間スペースには写真・書・絵画が飾られていて、整然とした馬場家に比べると雑多な感じがした。 -
【ヒカエノマ】
左にある朱色の大きな盆は北前船の御膳で、右には手鏡も飾られている。 -
【マエザシキ】
マエザシキから土蔵側を見た眺め。
サヤノマまで入れると4間続いているからとても長いのに、板戸があるせいか個々の部屋は狭く感じた。 -
【サヤノマ】
船箪笥・大きな算盤・胡と大黒天の人形が置かれていた。 -
サヤノマの下には土間が走り、ガラス張りの引き戸が屋外とを仕切っていて、サンダルが用意してあったので庭に出られるようになっている。
庭を挟んだ奥にドゾウが2つ見えたけど庭からの入口はなく、蚊もすごかったので直ぐに退散した。 -
サヤノマから室内を眺めるとこんな感じ。
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【坪庭】【切抜門】【チャシツ】
マエザシキはL字型の縁側と隣接していて角に柱がないガラス戸が美しく、道路に面した切抜門から坪庭を通って賓客が最短距離で座敷に上がれるようになっているのは馬場家と同じだった。
オレンジ色の床の間がある部屋はチャシツで、火事でも燃えないように頑丈に造られた金庫も置いてあった。 -
オトリニワを進んでいくと、庭に通じる引き戸が開いていて明るい雰囲気だった。
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【ドゾウ】
先程、庭から見えたドゾウはオトリニワと繋がっていて入口は屋内にある。
扉には左官職人が漆喰をコテで仕上げて作られるレリーフ=鏝絵で描かれていて、見事な虎が待ち構えていた。 -
庭正面に建つ大きなドゾウには家紋と、躍動感たっぷりの龍の鏝絵が見られる。
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“田尻本店”は馬場家や森家と同じ通り沿いにあり、廻船問屋の蔵として利用されていた森家土蔵群をリノベしたそうで、内装も土蔵の雰囲気が感じられて、ガラス張りのワインセラーの中は天井までワインや日本酒が並び圧巻だった。
田尻本店 専門店
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田尻本店でアドバイスを聞きながら選んだ3本は、夫の土産として持ち帰ることに。
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車でHOTELに戻る途中17:00前から小雨が降り始めたけど、観光に影響が出なくて良かった。
HOTELの窓が妙に眩しくて外を見ると、夕日に照らされながら虹がかかっていた。
明日はこのご時世でも通販を行っていない“やまふじぶどう園”に立ち寄った後、境内各所に施された木彫刻が美しい“瑞泉寺”を訪れて門前町の八日町を散策してから、鮎料理専門店“鮎や”で絶品の鮎料理を食べて、名古屋に戻る予定。
続きは04へ。
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