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千葉巡りの第2回目で松戸(本土寺 東漸寺 萬満寺 松戸神社 戸定ケ丘歴史公園 戸定邸)を回り、老舗料理店「関宿」で昼食を戴きます。その後、ピアノ演奏会に行きます。(写真)松戸(本土寺の五重塔・鐘楼と紅葉です。)<br />(本土寺)源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。<br />(東漸寺)1481年、運公上人が根古内に開創し、60年後に現在地に移転した浄土宗のお寺です。関東十八壇林の一つのお寺です。<br />(萬満寺)鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代将軍「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。<br />(松戸神社)1626年、創建で祭神は日本武尊で御嶽大権現と言った。明治15年に松戸神社と改名した。<br />(戸定邸)徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、1)来客と他家の交際に使う区画 2)家族が暮らす区画 3)職員の為の区画と分ける。<br />①2022年11月19日(土)<br />自宅(武蔵野線)8:12新松戸8:19(常磐線)8:21北小金駅で降ります。<br />1)東漸寺(1481年開創の浄土宗 山門 鐘楼 聖観音 本堂)を参拝し、<br />2)本土寺(別名「アジサイ寺」日蓮宗1277年創建)仁王門 梵鐘 五重塔 開山堂 本堂 妙朗堂 瑞峰門 弁財堂 乳出の井戸 像師堂 菖蒲池 宝物殿 紅葉が綺麗。)を参拝します。<br />北小金10:11(常磐線)10:16馬橋駅で降り、<br />3)萬満寺(1256年ノ「大日寺」が起源 楼門 仁王門 本堂) 馬橋王子神社を参拝。<br />馬橋10:42(常磐線)10:46松戸駅で降ります。<br />松戸中央公園(相模台城址)を歩き、<br />4)(昼食)「関宿屋」(11:35-12:10)上天丼1550円を美味しく戴きます。<br />5)松戸神社(御嶽大権現トシテ1626年創建。松戸の総鎮守。拝殿 御神水 秋葉・松尾・水・厳島神社)を参拝し、旧松戸宿本陣跡地 江戸川を見て、<br />6) 戸定ケ丘公園(戸定邸(水戸藩最後の藩主徳川昭武ガ建てた戸定邸。1884年完成。)東屋・書院造庭園 松雲亭 歴史館等)を見学します。<br />松戸14:20(新京成線)14:29常盤平駅で降り、<br />7)オハナホール(ピアノ演奏会を聴きます。)(15:00-17:00)<br />常盤平17:13(新京成電鉄)17:16八柱・新八柱17:20(武蔵野線)自宅に帰ります。<br />{旅程}<br />①11/19(土)<br />自宅(JR)北小金(東禅寺 本土寺)馬橋(萬満寺)松戸(相模台城址 戸定ケ丘公園)常盤平(ピアノ演奏会)(JR)自宅

2022年11月千葉(2)松戸(本土寺 東漸寺 萬満寺 松戸神社 戸定ヶ丘歴史公園(戸定邸 歴史館) 昼食「関宿」) ピアノ演奏会

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2022/11/19 - 2022/11/19

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旅行記グループ 東京・千葉巡り(2)

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愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

千葉巡りの第2回目で松戸(本土寺 東漸寺 萬満寺 松戸神社 戸定ケ丘歴史公園 戸定邸)を回り、老舗料理店「関宿」で昼食を戴きます。その後、ピアノ演奏会に行きます。(写真)松戸(本土寺の五重塔・鐘楼と紅葉です。)
(本土寺)源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。
(東漸寺)1481年、運公上人が根古内に開創し、60年後に現在地に移転した浄土宗のお寺です。関東十八壇林の一つのお寺です。
(萬満寺)鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代将軍「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。
(松戸神社)1626年、創建で祭神は日本武尊で御嶽大権現と言った。明治15年に松戸神社と改名した。
(戸定邸)徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、1)来客と他家の交際に使う区画 2)家族が暮らす区画 3)職員の為の区画と分ける。
①2022年11月19日(土)
自宅(武蔵野線)8:12新松戸8:19(常磐線)8:21北小金駅で降ります。
1)東漸寺(1481年開創の浄土宗 山門 鐘楼 聖観音 本堂)を参拝し、
2)本土寺(別名「アジサイ寺」日蓮宗1277年創建)仁王門 梵鐘 五重塔 開山堂 本堂 妙朗堂 瑞峰門 弁財堂 乳出の井戸 像師堂 菖蒲池 宝物殿 紅葉が綺麗。)を参拝します。
北小金10:11(常磐線)10:16馬橋駅で降り、
3)萬満寺(1256年ノ「大日寺」が起源 楼門 仁王門 本堂) 馬橋王子神社を参拝。
馬橋10:42(常磐線)10:46松戸駅で降ります。
松戸中央公園(相模台城址)を歩き、
4)(昼食)「関宿屋」(11:35-12:10)上天丼1550円を美味しく戴きます。
5)松戸神社(御嶽大権現トシテ1626年創建。松戸の総鎮守。拝殿 御神水 秋葉・松尾・水・厳島神社)を参拝し、旧松戸宿本陣跡地 江戸川を見て、
6) 戸定ケ丘公園(戸定邸(水戸藩最後の藩主徳川昭武ガ建てた戸定邸。1884年完成。)東屋・書院造庭園 松雲亭 歴史館等)を見学します。
松戸14:20(新京成線)14:29常盤平駅で降り、
7)オハナホール(ピアノ演奏会を聴きます。)(15:00-17:00)
常盤平17:13(新京成電鉄)17:16八柱・新八柱17:20(武蔵野線)自宅に帰ります。
{旅程}
①11/19(土)
自宅(JR)北小金(東禅寺 本土寺)馬橋(萬満寺)松戸(相模台城址 戸定ケ丘公園)常盤平(ピアノ演奏会)(JR)自宅

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 新松戸駅で武蔵野線より常磐線に乗り換えます。

    新松戸駅で武蔵野線より常磐線に乗り換えます。

    新松戸駅

  • 北小金駅で降ります。

    北小金駅で降ります。

    北小金駅

  • 小金宿(水戸街道の千住宿より3つ目の宿場宿です。)

    小金宿(水戸街道の千住宿より3つ目の宿場宿です。)

  • 東漸寺(1481年、運公上人が根古内に開創し、60年後に現在地に移転した浄土宗のお寺です。関東十八壇林の一つのお寺です。当時は広大な境内であった。昔は寺子屋としても利用された。)

    東漸寺(1481年、運公上人が根古内に開創し、60年後に現在地に移転した浄土宗のお寺です。関東十八壇林の一つのお寺です。当時は広大な境内であった。昔は寺子屋としても利用された。)

  • 東漸寺(入口)

    東漸寺(入口)

  • 東漸寺(総門)

    東漸寺(総門)

  • 東漸寺(参道には桜・梅・もみじ等があります。)

    東漸寺(参道には桜・梅・もみじ等があります。)

  • 東漸寺(参道の可愛い石仏)

    東漸寺(参道の可愛い石仏)

  • 東漸寺(山門)

    東漸寺(山門)

  • 東漸寺(中雀門)

    東漸寺(中雀門)

  • 東漸寺(本堂)

    東漸寺(本堂)

    東漸寺 寺・神社・教会

  • 東漸寺(本堂)阿弥陀仏

    東漸寺(本堂)阿弥陀仏

  • 東漸寺(鐘楼)

    東漸寺(鐘楼)

  • 東漸寺(観音堂)

    東漸寺(観音堂)

  • 東漸寺(境内-正面に本堂)

    東漸寺(境内-正面に本堂)

  • 東漸寺(多くの石仏等)

    東漸寺(多くの石仏等)

  • 明治維新の志士竹内廉之助(左)哲次郎(右)兄弟の碑(小金宿に生まれた。)

    明治維新の志士竹内廉之助(左)哲次郎(右)兄弟の碑(小金宿に生まれた。)

  • 明治維新の志士竹内廉之助(左)哲次郎(右)兄弟の碑(小金宿に生まれた。)

    明治維新の志士竹内廉之助(左)哲次郎(右)兄弟の碑(小金宿に生まれた。)

  • 東漸寺(鶴亀の松)

    東漸寺(鶴亀の松)

  • 東漸寺(樹齢340年の枝垂桜)

    東漸寺(樹齢340年の枝垂桜)

  • 北小金駅より馬橋駅に向かいます。

    北小金駅より馬橋駅に向かいます。

  • 本土寺(源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の呉生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。)

    本土寺(源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の呉生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。)

  • 本土寺(境内案内図)

    本土寺(境内案内図)

  • 本土寺(長い参道)

    本土寺(長い参道)

  • 本土寺(仁王門)慶安年間に建立され、扁額は「表谷山」

    本土寺(仁王門)慶安年間に建立され、扁額は「表谷山」

  • 本土寺(仁王門)慶安年間に建立され、扁額は「表谷山」

    本土寺(仁王門)慶安年間に建立され、扁額は「表谷山」

  • 本土寺(仏持院)

    本土寺(仏持院)

  • 五重塔と鐘楼とモミジ

    五重塔と鐘楼とモミジ

  • 五重塔(平成3年、建立。インド・ネール首相よりの真仏舎利一粒を納める。千体仏もあります。)

    五重塔(平成3年、建立。インド・ネール首相よりの真仏舎利一粒を納める。千体仏もあります。)

  • 梵鐘は1278年の銘があり、県で第二の古鐘で、実物は宝物殿にあります。

    梵鐘は1278年の銘があり、県で第二の古鐘で、実物は宝物殿にあります。

  • 鐘楼(梵鐘は1278年の銘があり、県で第二の古鐘で、実物は宝物殿にあります。)

    鐘楼(梵鐘は1278年の銘があり、県で第二の古鐘で、実物は宝物殿にあります。)

  • 赤いモミジと黄色いイチョウ

    赤いモミジと黄色いイチョウ

  • 真っ赤なモミジ

    真っ赤なモミジ

  • 開山堂

    開山堂

  • 本土寺(本堂)源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の呉生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。

    本土寺(本堂)源氏の名門平賀屋の屋敷跡に1277年領主宮谷教信公の協力で地蔵堂を移して法華堂としたのが始まりです。長谷山本土寺としました。紅葉は「山もみじ」「大杯」「秋山紅」の3種1500本です。日像・日輪聖人の呉生誕地の霊場です。四季の花が綺麗で「あじさい寺」と言われます。

    本土寺(あじさい寺) 寺・神社・教会

  • 松尾芭蕉の碑

    松尾芭蕉の碑

  • 秋山夫人の墓(徳川家康の側室で第五子は万千代君で後に竹田信吉を名乗り、1590年に小金城主になった。墓石は水戸光圀が建立した。)

    秋山夫人の墓(徳川家康の側室で第五子は万千代君で後に竹田信吉を名乗り、1590年に小金城主になった。墓石は水戸光圀が建立した。)

  • 秋山夫人の墓(徳川家康の側室で第五子は万千代君で後に竹田信吉を名乗り、1590年に小金城主になった。墓石は水戸光圀が建立した。)

    秋山夫人の墓(徳川家康の側室で第五子は万千代君で後に竹田信吉を名乗り、1590年に小金城主になった。墓石は水戸光圀が建立した。)

  • 秋山一族の墓

    秋山一族の墓

  • 奇峰洞(茶室)

    奇峰洞(茶室)

  • 手前はアジサイの木々

    手前はアジサイの木々

  • 黄色いモミジ

    黄色いモミジ

  • 竹林

    竹林

  • 菖蒲池

    菖蒲池

  • 菖蒲池と左は宝物館

    菖蒲池と左は宝物館

  • 日像菩薩誕生水の井戸(日像上人が生まれた頃、清水が湧き出て、産湯に使った。「乳出の御霊水」といいます。)

    日像菩薩誕生水の井戸(日像上人が生まれた頃、清水が湧き出て、産湯に使った。「乳出の御霊水」といいます。)

  • 日像菩薩誕生水の井戸(日像上人が生まれた頃、清水が湧き出て、産湯に使った。「乳出の御霊水」といいます。)

    日像菩薩誕生水の井戸(日像上人が生まれた頃、清水が湧き出て、産湯に使った。「乳出の御霊水」といいます。)

  • 井戸の脇のイチョウ「乳出銀杏」と言います。

    井戸の脇のイチョウ「乳出銀杏」と言います。

  • 像師堂(以前は輪蔵院と言われ、当山に合併された。)

    像師堂(以前は輪蔵院と言われ、当山に合併された。)

  • 像師堂(以前は輪蔵院と言われ、当山に合併された。)

    像師堂(以前は輪蔵院と言われ、当山に合併された。)

  • 像師堂前の大きなイチョウ

    像師堂前の大きなイチョウ

  • 像師堂(仏様)

    像師堂(仏様)

  • 朗像輪廟

    朗像輪廟

  • 稲荷堂

    稲荷堂

  • 日像菩薩像

    日像菩薩像

  • 弁財堂(厨子に弁財天を祀る。)

    弁財堂(厨子に弁財天を祀る。)

  • 弁財堂(厨子に弁財天を祀る。)手前は藤棚

    弁財堂(厨子に弁財天を祀る。)手前は藤棚

  • 銭洗い弁天

    銭洗い弁天

  • 真っ赤なモミジ

    真っ赤なモミジ

  • 瑞峰門(1821年建立で旧輪蔵院の門)

    瑞峰門(1821年建立で旧輪蔵院の門)

  • 妙朗堂(日朗上人の御母を祀る。昭和52年、新築)

    妙朗堂(日朗上人の御母を祀る。昭和52年、新築)

  • 妙朗堂と手前はアジサイ

    妙朗堂と手前はアジサイ

  • 妙朗堂(日朗上人の御母を祀る。昭和52年、新築)

    妙朗堂(日朗上人の御母を祀る。昭和52年、新築)

  • おもうさん像(京都の貴族の言葉で「お父さん」の意味)

    おもうさん像(京都の貴族の言葉で「お父さん」の意味)

  • 朗飾門(開山門)当山最古の建物で1310年建立。日伝上人が建立し、日朗上人以外は出入り出来なかった。奥は宝樹庵

    朗飾門(開山門)当山最古の建物で1310年建立。日伝上人が建立し、日朗上人以外は出入り出来なかった。奥は宝樹庵

  • 馬橋駅で乗ります。

    馬橋駅で乗ります。

  • 馬橋駅で降ります。

    馬橋駅で降ります。

  • 萬満寺(鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代の「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。)

    萬満寺(鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代の「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。)

  • 萬満寺(楼門)

    萬満寺(楼門)

  • 萬満寺(仁王門)

    萬満寺(仁王門)

  • 萬満寺(仁王門)金剛力士像(仁王像は国の重文です。古来、仁王様の股の間をくぐると1年間は無病になります。運慶の作と言われています。)<br />

    萬満寺(仁王門)金剛力士像(仁王像は国の重文です。古来、仁王様の股の間をくぐると1年間は無病になります。運慶の作と言われています。)

  • 萬満寺(鐘楼)

    萬満寺(鐘楼)

  • 義真弁才天(小僧弁天)

    義真弁才天(小僧弁天)

  • 義真弁才天(小僧弁天)

    義真弁才天(小僧弁天)

  • 不動明王石像

    不動明王石像

  • 不動明王石像

    不動明王石像

  • 萬満寺(本堂)鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代の「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。)

    萬満寺(本堂)鎌倉時代の歴代将軍と千葉一門が大日寺を開山したのが始まりで、1379年、室町時代、第3代の「義満」の字をとり萬満寺となり、臨済宗に改宗された。松戸の水戸街道きっての古刹であった。)

  • 本堂より境内を見ます。

    本堂より境内を見ます。

  • 馬橋王子神社(拝殿)

    馬橋王子神社(拝殿)

  • 馬橋王子神社(左は三峰神社・手前は御神木(樹齢推定300年で今は枯れました。))<br />

    馬橋王子神社(左は三峰神社・手前は御神木(樹齢推定300年で今は枯れました。))

  • 松戸駅で降ります。

    松戸駅で降ります。

    松戸駅

  • 相模台の変遷(戦国時代は小田原北条氏と里見氏との国府台の戦いの激戦地。大正以来は陸軍工兵学校が開設された。

    相模台の変遷(戦国時代は小田原北条氏と里見氏との国府台の戦いの激戦地。大正以来は陸軍工兵学校が開設された。

  • 松戸中央公園内は相模台城跡

    松戸中央公園内は相模台城跡

  • 旧陸軍工兵学校跡碑

    旧陸軍工兵学校跡碑

  • 旧陸軍工兵学校跡のに残る正門門柱4基と歩哨哨舎

    旧陸軍工兵学校跡のに残る正門門柱4基と歩哨哨舎

  • 旧陸軍工兵学校跡のに残る正門門柱4基と歩哨哨舎(右隅)

    旧陸軍工兵学校跡のに残る正門門柱4基と歩哨哨舎(右隅)

  • 松戸中央公園

    松戸中央公園

  • 新京成線松戸駅より乗ります。

    新京成線松戸駅より乗ります。

  • 1865年、創業の老舗穴子めし屋「関宿」で昼食を戴きました。

    1865年、創業の老舗穴子めし屋「関宿」で昼食を戴きました。

    関宿屋 グルメ・レストラン

  • 1865年、創業の老舗穴子めし屋「関宿」で昼食を戴きました。前の道は旧水戸街道です。

    1865年、創業の老舗穴子めし屋「関宿」で昼食を戴きました。前の道は旧水戸街道です。

  • メニュー

    メニュー

  • R「関宿」店内

    R「関宿」店内

  • R「関宿」上天丼1550円(美味しく頂きました。)穴子・海老・イカ・ししとう・玉ネギ等が入っています。<br />

    R「関宿」上天丼1550円(美味しく頂きました。)穴子・海老・イカ・ししとう・玉ネギ等が入っています。

  • 坂川と春雨橋

    坂川と春雨橋

  • 松戸神社(参道と鳥居)

    松戸神社(参道と鳥居)

  • 松戸神社(拝殿)1626年、創建で祭神は日本武尊で御嶽大権現と言った。明治1年に松戸神社と改名した。

    松戸神社(拝殿)1626年、創建で祭神は日本武尊で御嶽大権現と言った。明治1年に松戸神社と改名した。

    松戸神社 寺・神社・教会

  • 松戸神社(秋葉神社)

    松戸神社(秋葉神社)

  • 松戸神社(神楽殿)

    松戸神社(神楽殿)

  • 松戸神社(末社)左より三峯神社・疱瘡神社・八幡神社・水神社・離れて松尾神社

    松戸神社(末社)左より三峯神社・疱瘡神社・八幡神社・水神社・離れて松尾神社

  • 松戸神社(浅間神社と富士塚)

    松戸神社(浅間神社と富士塚)

  • 松戸神社(水神社)

    松戸神社(水神社)

  • 松戸神社(御神水)

    松戸神社(御神水)

  • 旧松戸宿本陣跡地(最近まで個人宅で使われていたが、2004年、取り壊された。

    旧松戸宿本陣跡地(最近まで個人宅で使われていたが、2004年、取り壊された。

  • 旧松戸宿本陣跡地(最近まで個人宅で使われていたが、2004年、取り壊された。

    旧松戸宿本陣跡地(最近まで個人宅で使われていたが、2004年、取り壊された。

  • 江戸川(対岸は東京都です。)

    江戸川(対岸は東京都です。)

  • 坂川の松戸河津桜

    坂川の松戸河津桜

  • 戸定ヶ丘歴史公園(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の隠居所で21000坪で現在の公園の3倍でした。)

    戸定ヶ丘歴史公園(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の隠居所で21000坪で現在の公園の3倍でした。)

  • 戸定邸(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成。9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、<br />1)来客と他家の交際に使う区画<br />2)家族が暮らす区画<br />3)職員の為の区画

    戸定邸(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成。9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、
    1)来客と他家の交際に使う区画
    2)家族が暮らす区画
    3)職員の為の区画

  • 萱葦門とイチョウ

    萱葦門とイチョウ

  • 2つの玄関があります。中央は表玄関(徳川家の家族やお客様の入口)左の小さな内玄関は使者の間に通される人の玄関です。<br />戸定邸(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成。9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、<br />1)来客と他家の交際に使う区画<br />2)家族が暮らす区画<br />3)職員の為の区画

    2つの玄関があります。中央は表玄関(徳川家の家族やお客様の入口)左の小さな内玄関は使者の間に通される人の玄関です。
    戸定邸(徳川慶喜の弟・徳川昭武(水戸藩最後の藩主)の建てた戸定邸。1884年4月完成。9棟が廊下で繋がれ、部屋数は23に及ぶ。(明治時代の徳川家の住まいがほぼ、完全に残る唯一の建物)3つに分けられ、
    1)来客と他家の交際に使う区画
    2)家族が暮らす区画
    3)職員の為の区画

    戸定邸 名所・史跡

  • 表座敷棟(お客様を迎える部屋と昭武の居間があります。お客は主に皇族と華族(旧大名・公家等)で、全体で64枚の畳が使われています。丁度、座って庭園を眺めるようになっています。)

    表座敷棟(お客様を迎える部屋と昭武の居間があります。お客は主に皇族と華族(旧大名・公家等)で、全体で64枚の畳が使われています。丁度、座って庭園を眺めるようになっています。)

  • 表座敷棟(欄間は葵の葉を2枚組み合わせています。徳川家の家紋・三葉葵紋では、葵の葉が3枚使われています。又、釘隠しもみられています。)

    表座敷棟(欄間は葵の葉を2枚組み合わせています。徳川家の家紋・三葉葵紋では、葵の葉が3枚使われています。又、釘隠しもみられています。)

  • 表座敷棟よりの旧徳川昭武庭園(パリを始めとした海外を歴訪した昭武のこだわり抜いた庭園です。左にコウヤマキの巨木があります。2016年に復元しました。)

    表座敷棟よりの旧徳川昭武庭園(パリを始めとした海外を歴訪した昭武のこだわり抜いた庭園です。左にコウヤマキの巨木があります。2016年に復元しました。)

  • 表座敷棟よりの庭園(遠くに江戸川と富士山が見えます。白い幹はアオギリの木立に囲まれています。)

    表座敷棟よりの庭園(遠くに江戸川と富士山が見えます。白い幹はアオギリの木立に囲まれています。)

  • 御居間(昭武が暮らす部屋)

    御居間(昭武が暮らす部屋)

  • 御居間(昭武が暮らす部屋)

    御居間(昭武が暮らす部屋)

  • 中座敷棟(3室あり、昭武の子供達の部屋で増築され、その後は衣装部屋や化粧室として使われた。欄間や釘隠しはありません。)

    中座敷棟(3室あり、昭武の子供達の部屋で増築され、その後は衣装部屋や化粧室として使われた。欄間や釘隠しはありません。)

  • 中座敷棟(3室あり、昭武の子供達の部屋で増築され、その後は衣装部屋や化粧室として使われた。欄間や釘隠しはありません。)

    中座敷棟(3室あり、昭武の子供達の部屋で増築され、その後は衣装部屋や化粧室として使われた。欄間や釘隠しはありません。)

  • 奥座敷棟(昭武の妻・八重が使っていた部屋で、昭武は夜、寝る時はこの部屋を使っていた。床の間や丸窓は1991年に復元された。子供は3男3女でした。)

    奥座敷棟(昭武の妻・八重が使っていた部屋で、昭武は夜、寝る時はこの部屋を使っていた。床の間や丸窓は1991年に復元された。子供は3男3女でした。)

  • 奥座敷棟(昭武の妻・八重が使っていた部屋で、昭武は夜、寝る時はこの部屋を使っていた。床の間や丸窓は1991年に復元された。子供は3男3女でした。)

    奥座敷棟(昭武の妻・八重が使っていた部屋で、昭武は夜、寝る時はこの部屋を使っていた。床の間や丸窓は1991年に復元された。子供は3男3女でした。)

  • 湯殿棟(昭武はかけ湯で入浴し、当時は浴槽はありませんでした。手前は脱衣場です。)<br />

    湯殿棟(昭武はかけ湯で入浴し、当時は浴槽はありませんでした。手前は脱衣場です。)

  • 湯殿棟(天井は赤身の1枚ものの杉板が4枚使われていました。)

    湯殿棟(天井は赤身の1枚ものの杉板が4枚使われていました。)

  • 離座敷棟(明治19年に増築された生母・秋庭の為の建物。)

    離座敷棟(明治19年に増築された生母・秋庭の為の建物。)

  • 離座敷棟(物入れの上の丸窓は北に面して筑波山が見えた。)

    離座敷棟(物入れの上の丸窓は北に面して筑波山が見えた。)

  • 離座敷棟(右の物入れは屋久杉が、左の黒い材は黒柿という希少材が使われています。)

    離座敷棟(右の物入れは屋久杉が、左の黒い材は黒柿という希少材が使われています。)

  • 離座敷棟(竹と雀を表しています。生母の秋庭は公家の出で、竹と雀が象徴でした。)

    離座敷棟(竹と雀を表しています。生母の秋庭は公家の出で、竹と雀が象徴でした。)

  • 食事の出し入れをする所

    食事の出し入れをする所

  • 内蔵棟(2階建てで厚さ20cm以上の扉や「三葉葵」のついた長持があります。)

    内蔵棟(2階建てで厚さ20cm以上の扉や「三葉葵」のついた長持があります。)

  • 内蔵棟(内部)2階建てで厚さ20cm以上の扉や「三葉葵」のついた長持があります。

    内蔵棟(内部)2階建てで厚さ20cm以上の扉や「三葉葵」のついた長持があります。

  • 使者の間棟(お客様の使いの間で柱などの具材は最上等材ではありません。)

    使者の間棟(お客様の使いの間で柱などの具材は最上等材ではありません。)

  • 使者の間棟(お客様の使いの間で柱などの具材は最上等材ではありません。)

    使者の間棟(お客様の使いの間で柱などの具材は最上等材ではありません。)

  • 使者の間棟(欄間は幸福を招くという蝙蝠があしらっていた。)

    使者の間棟(欄間は幸福を招くという蝙蝠があしらっていた。)

  • トイレ

    トイレ

  • 職員の棟(左は台所・2Fは女中の住まい)

    職員の棟(左は台所・2Fは女中の住まい)

  • 台所を望む中庭と上の横柱は長い一本杉です。

    台所を望む中庭と上の横柱は長い一本杉です。

  • 外より戸定邸の表座敷を見ます。

    外より戸定邸の表座敷を見ます。

  • 戸定歴史館(昭武を中心とする松戸徳川家や慶喜家の伝来品や1867年のパリ万博の資料展示。慶喜の遺品や戸定邸の文書・調度品の展示があります。)内部は撮影禁止でした。

    戸定歴史館(昭武を中心とする松戸徳川家や慶喜家の伝来品や1867年のパリ万博の資料展示。慶喜の遺品や戸定邸の文書・調度品の展示があります。)内部は撮影禁止でした。

    松戸市戸定歴史館 美術館・博物館

  • 松雲亭(茶室)

    松雲亭(茶室)

  • 東屋庭園(平成28年に当時を復元した庭園です。)

    東屋庭園(平成28年に当時を復元した庭園です。)

  • 東屋庭園(平成28年に当時を復元した庭園です。)

    東屋庭園(平成28年に当時を復元した庭園です。)

  • 梅園

    梅園

  • 新京成線松戸駅

    新京成線松戸駅

  • 常盤平駅で降ります。

    常盤平駅で降ります。

  • Ohanaホールでピアノ・コンサートを聴きます。

    Ohanaホールでピアノ・コンサートを聴きます。

  • ピアノはスタインウェイ&サンズ社です。よい響きがしました。

    ピアノはスタインウェイ&サンズ社です。よい響きがしました。

  • 常盤平駅より乗ります。

    常盤平駅より乗ります。

    常盤平駅

  • 武蔵野線新八柱駅より帰ります。

    武蔵野線新八柱駅より帰ります。

    新八柱駅

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