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ヨーロッパに住んでいて今更、ロンドン観光。いつでも行けると思っていると結局行っていない典型的な例。この旅行記は2020年2月のもので、世界的に、コロナ・パンデミックが始まったころ。まだ、ヨーロッパは自由に旅行できていました。ロンドン滞在4日目は、ロンドン塔、テンプル教会、テート・ブリテンをまわります。<br /><br />この旅行記では、第3部、ロンドン塔を見学した後に、テンプル教会、テート・ブリテンに立ち寄ったものです。<br />テート・ブリテンの展示内容は美術館シリーズで紹介できたらと思っています(最近は全く手掛ける時間がありませんが。。。。)<br /><br />これでロンドンの旅行記はおしまいです。<br /><br />ロンドン塔<br />Tower of London<br /><br />テンプル教会<br />Temple Church<br />https://www.templechurch.com/<br /><br />テート・ブリテン<br />Tate Britain<br />https://www.tate.org.uk/visit/tate-britain<br /><br />タワー・ブリッジ<br />Tower Bridge

ロンドン(London) 4日目(3) テンプル教会、テート・ブリテン

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2020/02/08 - 2020/02/11

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ヨーロッパに住んでいて今更、ロンドン観光。いつでも行けると思っていると結局行っていない典型的な例。この旅行記は2020年2月のもので、世界的に、コロナ・パンデミックが始まったころ。まだ、ヨーロッパは自由に旅行できていました。ロンドン滞在4日目は、ロンドン塔、テンプル教会、テート・ブリテンをまわります。

この旅行記では、第3部、ロンドン塔を見学した後に、テンプル教会、テート・ブリテンに立ち寄ったものです。
テート・ブリテンの展示内容は美術館シリーズで紹介できたらと思っています(最近は全く手掛ける時間がありませんが。。。。)

これでロンドンの旅行記はおしまいです。

ロンドン塔
Tower of London

テンプル教会
Temple Church
https://www.templechurch.com/

テート・ブリテン
Tate Britain
https://www.tate.org.uk/visit/tate-britain

タワー・ブリッジ
Tower Bridge

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • タワーヒル<br />Tower Hill<br /><br />トリニティ ハウス<br />Trinity House

    タワーヒル
    Tower Hill

    トリニティ ハウス
    Trinity House

  • タワーヒル<br />Tower Hill<br /><br />タワーヒルから地下鉄に乗って、昨日、中に入れなかったテンプル教会まで移動。

    タワーヒル
    Tower Hill

    タワーヒルから地下鉄に乗って、昨日、中に入れなかったテンプル教会まで移動。

  • テンプル教会を囲むこのあたりは、厳格な雰囲気のある建物がおおい。<br />(インナー・テンプル、ミドル・テンプル)

    テンプル教会を囲むこのあたりは、厳格な雰囲気のある建物がおおい。
    (インナー・テンプル、ミドル・テンプル)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />敷地の中央に円形の建物。このあたりは大通りの喧騒とは打って変わって、本当に静寂に包まれている。<br /><br />テンプル教会(Temple Church)は、政治の中心ウェストミンスターと経済の中心シティ・オブ・ロンドンの間、テンプルと呼ばれる地区にある教会です。<br />テンプルは12~14世紀の間、十字軍で知られるテンプル騎士団の本部があった場所でした。テンプル騎士団廃止後、テンプル教会に法学校が置かれていたことから、テンプルは古くから&quot;司法の中心地&quot;として機能してきました。<br />ロンドンの4つの法学院のうち「インナー・テンプル」と「ミドル・テンプル」の2つがあり、テンプル教会や17世紀の建物が残るこの一帯は、中世の時間を感じることができる静かなエリアです。1185年に本拠地として作られたのが現在に続くテンプル教会であり、ロンドンでも最も古い建築物の一つです。フリート・ストリートからインナー・テンプル・ゲートウェイをくぐってテンプル内を奥へ進むと、左手に円形のテンプル教会があります。イギリスの教会では珍しい円形のロマネスク様式は、テンプル騎士団発祥の地エルサレムの聖墳墓教会を模して作られたもの。教会内の床に並ぶ騎士団メンバーの肖像墓が特に有名です。(観光用WEBより)

    テンプル教会
    Temple Church

    敷地の中央に円形の建物。このあたりは大通りの喧騒とは打って変わって、本当に静寂に包まれている。

    テンプル教会(Temple Church)は、政治の中心ウェストミンスターと経済の中心シティ・オブ・ロンドンの間、テンプルと呼ばれる地区にある教会です。
    テンプルは12~14世紀の間、十字軍で知られるテンプル騎士団の本部があった場所でした。テンプル騎士団廃止後、テンプル教会に法学校が置かれていたことから、テンプルは古くから"司法の中心地"として機能してきました。
    ロンドンの4つの法学院のうち「インナー・テンプル」と「ミドル・テンプル」の2つがあり、テンプル教会や17世紀の建物が残るこの一帯は、中世の時間を感じることができる静かなエリアです。1185年に本拠地として作られたのが現在に続くテンプル教会であり、ロンドンでも最も古い建築物の一つです。フリート・ストリートからインナー・テンプル・ゲートウェイをくぐってテンプル内を奥へ進むと、左手に円形のテンプル教会があります。イギリスの教会では珍しい円形のロマネスク様式は、テンプル騎士団発祥の地エルサレムの聖墳墓教会を模して作られたもの。教会内の床に並ぶ騎士団メンバーの肖像墓が特に有名です。(観光用WEBより)

    テンプル教会 寺院・教会

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />イギリス・ロンドンにあるイングランド国教会の教会。テンプル教会周辺の一帯はテンプルの名で知られ、近くには、ロンドン地下鉄のディストリクト線とサークル線が乗り入れるテンプル駅がある。<br />12世紀後半にフリート通りとテムズ川の間に、テンプル騎士団イングランド本部として建てられた。現在はイギリスの法曹院4つのうち2つ、インナー・テンプルとミドル・テンプルが教会建物を使用している。教会内に安置されている中世騎士の肖像墓、建物が円形教会であることで有名である。<br /><br />1307年のテンプル騎士団廃止後、イングランド王エドワード2世が教会を王家管理下においた。後に、テンプル教会を借りて弁護士の法学校2校を運営していた聖ヨハネ騎士団に、教会が与えられた(この法学校が現在の法曹院、インナー・テンプルとミドル・テンプルに発展する)。<br />1540年、ヘンリー8世がイングランドにおける聖ヨハネ騎士団の活動を廃止させたことから、再びテンプル教会は王家の資産となった。<br />1608年、ジェームズ1世との合意によって、2つの法曹院には教会の維持運営を条件として、礼拝堂としてのテンプル教会を利用し続ける永久的な権利が授けられた。<br />1666年のロンドン大火では幸い被害はなかった。しかし建築家クリストファー・レンによって建物に手が加えられ、祭壇上スクリーンの追加、またオルガンが初めて教会内に導入された。その後、1841年(ヴィクトリアン・ゴシック様式の壁と天井の追加)と1862年の2度修復工事がなされている。<br />第二次世界大戦中、1941年5月10日のドイツ空軍による空爆で、教会建物はひどく損傷した。(ヴィクトリア朝期の修復工事部分を含む)教会の木造部分とオルガンは破壊され、内陣の大理石製円柱は高熱で砕け散った。円柱は今もヴォールトを支えているが、その多くは複製品に取り替えられるなどして大規模に修復された。<br /><br />2003年に発表されたダン・ブラウンの推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』と、小説の映画版『ダ・ヴィンチ・コード (映画)』(2006年)に取り上げられた。<br />(Wikiより)

    テンプル教会
    Temple Church

    イギリス・ロンドンにあるイングランド国教会の教会。テンプル教会周辺の一帯はテンプルの名で知られ、近くには、ロンドン地下鉄のディストリクト線とサークル線が乗り入れるテンプル駅がある。
    12世紀後半にフリート通りとテムズ川の間に、テンプル騎士団イングランド本部として建てられた。現在はイギリスの法曹院4つのうち2つ、インナー・テンプルとミドル・テンプルが教会建物を使用している。教会内に安置されている中世騎士の肖像墓、建物が円形教会であることで有名である。

    1307年のテンプル騎士団廃止後、イングランド王エドワード2世が教会を王家管理下においた。後に、テンプル教会を借りて弁護士の法学校2校を運営していた聖ヨハネ騎士団に、教会が与えられた(この法学校が現在の法曹院、インナー・テンプルとミドル・テンプルに発展する)。
    1540年、ヘンリー8世がイングランドにおける聖ヨハネ騎士団の活動を廃止させたことから、再びテンプル教会は王家の資産となった。
    1608年、ジェームズ1世との合意によって、2つの法曹院には教会の維持運営を条件として、礼拝堂としてのテンプル教会を利用し続ける永久的な権利が授けられた。
    1666年のロンドン大火では幸い被害はなかった。しかし建築家クリストファー・レンによって建物に手が加えられ、祭壇上スクリーンの追加、またオルガンが初めて教会内に導入された。その後、1841年(ヴィクトリアン・ゴシック様式の壁と天井の追加)と1862年の2度修復工事がなされている。
    第二次世界大戦中、1941年5月10日のドイツ空軍による空爆で、教会建物はひどく損傷した。(ヴィクトリア朝期の修復工事部分を含む)教会の木造部分とオルガンは破壊され、内陣の大理石製円柱は高熱で砕け散った。円柱は今もヴォールトを支えているが、その多くは複製品に取り替えられるなどして大規模に修復された。

    2003年に発表されたダン・ブラウンの推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』と、小説の映画版『ダ・ヴィンチ・コード (映画)』(2006年)に取り上げられた。
    (Wikiより)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />Welcome to the Temple Church<br />Welcome to the prayerful and beautiful Temple Church, steeped in the history of Christendom, this country and the whole Common Law World. 1162: the Round Church was built to be London’s Jerusalem. 1214?19: Magna Carta was negotiated in the Temple, and its greatest hero was buried in the Church. 1584, 1776, 1787: from Raleigh’s expeditions through the colonial constitutions to the American Declaration of Independence and Constitution, the Temple was the birthplace of American Law. And to this day the Church serves the legal colleges Inner and Middle Temple, London’s residents, visiting jurists and travellers from all over the world with some of the most uplifting services, music and discussions in London. <br /><br />How can so ancient a building be equipped to serve the modern age in prayer and praise and engagement with the socio-legal challenges facing Britain and the wider world? Through Restoration &amp; Renewal: Equipping the Temple Church for the next 100 Years, a major programme of refurbishment and repair, energised and supported by The Friends of the Temple Church.<br />(Official HPより)

    テンプル教会
    Temple Church

    Welcome to the Temple Church
    Welcome to the prayerful and beautiful Temple Church, steeped in the history of Christendom, this country and the whole Common Law World. 1162: the Round Church was built to be London’s Jerusalem. 1214?19: Magna Carta was negotiated in the Temple, and its greatest hero was buried in the Church. 1584, 1776, 1787: from Raleigh’s expeditions through the colonial constitutions to the American Declaration of Independence and Constitution, the Temple was the birthplace of American Law. And to this day the Church serves the legal colleges Inner and Middle Temple, London’s residents, visiting jurists and travellers from all over the world with some of the most uplifting services, music and discussions in London.

    How can so ancient a building be equipped to serve the modern age in prayer and praise and engagement with the socio-legal challenges facing Britain and the wider world? Through Restoration & Renewal: Equipping the Temple Church for the next 100 Years, a major programme of refurbishment and repair, energised and supported by The Friends of the Temple Church.
    (Official HPより)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />マグナ・カルタとの関わり<br /><br />※マグナ・カルタまたは大憲章、直訳では「自由の大憲章」は、イギリス(連合王国)の不成典憲法を構成する法律の一つであり、イングランド王国においてジョン王の時代に制定された憲章である。イングランド国王の権限を制限したことで憲法史の草分けとなった。また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化した。成立から800年が経過した21世紀の現在でもイギリスの憲法の最も基本的な部分として有効である。(Wikiより)

    テンプル教会
    Temple Church

    マグナ・カルタとの関わり

    ※マグナ・カルタまたは大憲章、直訳では「自由の大憲章」は、イギリス(連合王国)の不成典憲法を構成する法律の一つであり、イングランド王国においてジョン王の時代に制定された憲章である。イングランド国王の権限を制限したことで憲法史の草分けとなった。また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化した。成立から800年が経過した21世紀の現在でもイギリスの憲法の最も基本的な部分として有効である。(Wikiより)

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />A MEMBER OF THE de ROS FAMILY<br />(14th Century)

    テンプル教会
    Temple Church

    A MEMBER OF THE de ROS FAMILY
    (14th Century)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />左上 ウィリアム・マーシャル(初代ペンブルック伯)(足を延ばしている)<br />右上 ウィリアム・マーシャル(第2代ペンブルック伯)<br />左下 ギルバート・マーシャル(第4代ペンブルック伯)<br />右下 ある騎士の彫像

    テンプル教会
    Temple Church

    左上 ウィリアム・マーシャル(初代ペンブルック伯)(足を延ばしている)
    右上 ウィリアム・マーシャル(第2代ペンブルック伯)
    左下 ギルバート・マーシャル(第4代ペンブルック伯)
    右下 ある騎士の彫像

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />上段、横から<br />ウィリアム・マーシャル親子

    テンプル教会
    Temple Church

    上段、横から
    ウィリアム・マーシャル親子

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />下段、横から。

    テンプル教会
    Temple Church

    下段、横から。

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />ウィリアム・マーシャル(初代ペンブルック伯) ※左側<br /><br />ウィリアム・マーシャル(William Marshall, 1136年頃/1144年頃 - 1219年5月14日)は、プランタジネット朝イングランドの政治家にして騎士。初代ペンブルック伯、ロングヴィル伯、軍務伯(アール・マーシャル)。フランス語名ではギヨーム・ル・マレシャル(Guillaume le Maréchal)。父はジョン・マーシャル、母はウォルター・オブ・ソールズベリーの娘シビル。<br /><br />騎士としての活躍は目覚しいもので、生涯でおそらく500以上の試合をしたと思われるが、1度たりとも負けたことはなかったという伝説を残している。プランタジネット朝の若ヘンリー王、ヘンリー2世、リチャード1世、ジョン王、ヘンリー3世の5人の王に仕え、卑賤の身分からイングランドの摂政、そしてヨーロッパで最も有力な人間の一人となった。<br />ウィリアムの登場以前、マーシャルという言葉はイングランド王の家政機構の中で「厩の長官・警護役」でしかなかったが、彼が死去した時には、単に「マーシャル」と言えばそれでイングランドはもちろん、ヨーロッパ中の人間がウィリアム・マーシャルを連想するほどであった。(wikiより)

    テンプル教会
    Temple Church

    ウィリアム・マーシャル(初代ペンブルック伯) ※左側

    ウィリアム・マーシャル(William Marshall, 1136年頃/1144年頃 - 1219年5月14日)は、プランタジネット朝イングランドの政治家にして騎士。初代ペンブルック伯、ロングヴィル伯、軍務伯(アール・マーシャル)。フランス語名ではギヨーム・ル・マレシャル(Guillaume le Maréchal)。父はジョン・マーシャル、母はウォルター・オブ・ソールズベリーの娘シビル。

    騎士としての活躍は目覚しいもので、生涯でおそらく500以上の試合をしたと思われるが、1度たりとも負けたことはなかったという伝説を残している。プランタジネット朝の若ヘンリー王、ヘンリー2世、リチャード1世、ジョン王、ヘンリー3世の5人の王に仕え、卑賤の身分からイングランドの摂政、そしてヨーロッパで最も有力な人間の一人となった。
    ウィリアムの登場以前、マーシャルという言葉はイングランド王の家政機構の中で「厩の長官・警護役」でしかなかったが、彼が死去した時には、単に「マーシャル」と言えばそれでイングランドはもちろん、ヨーロッパ中の人間がウィリアム・マーシャルを連想するほどであった。(wikiより)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />ウィリアム・マーシャル (第2代ペンブルック伯)

    テンプル教会
    Temple Church

    ウィリアム・マーシャル (第2代ペンブルック伯)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />Cast(鋳造物) of the effigy of William Marshal, 1st Earl of Pembroke(1147-1219), hero of Magna Carta. Marshal remained loyal to King John, negotiated on his behalf and insisted that he seal the Charter in June 1215. After John&#39;s death in 1216 Marshal became Regent to the   young King Henry III. Marshal reissued the Charter under his own seal, 1216 and 1217, and so ensured its survival.<br /><br />Cast taken in c1850, before the damage of 1941 to the effigy itself which lies next to the cast. On loan from the Victoria and Albert Museum.<br />(説明板より)

    テンプル教会
    Temple Church

    Cast(鋳造物) of the effigy of William Marshal, 1st Earl of Pembroke(1147-1219), hero of Magna Carta. Marshal remained loyal to King John, negotiated on his behalf and insisted that he seal the Charter in June 1215. After John's death in 1216 Marshal became Regent to the young King Henry III. Marshal reissued the Charter under his own seal, 1216 and 1217, and so ensured its survival.

    Cast taken in c1850, before the damage of 1941 to the effigy itself which lies next to the cast. On loan from the Victoria and Albert Museum.
    (説明板より)

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />Cast of the effigy(彫像) of William Marshal, 2nd of Pembroke(1190-1231, eldest son of the first Earl)(ウィリアム・マーシャル (第2代ペンブルック伯)), one of the twenty-five Surety Barons at Runnymede who were to oversee the King&#39;s conformity to the Charter. He married the sister of King Henry III.<br /><br />Cast taken in c1850, before the damage of 1941, to the effigy itself which lies next to the effigy of the Earl&#39;s father. On loan from the Victoria and Albert Museum.<br />(説明板より)

    テンプル教会
    Temple Church

    Cast of the effigy(彫像) of William Marshal, 2nd of Pembroke(1190-1231, eldest son of the first Earl)(ウィリアム・マーシャル (第2代ペンブルック伯)), one of the twenty-five Surety Barons at Runnymede who were to oversee the King's conformity to the Charter. He married the sister of King Henry III.

    Cast taken in c1850, before the damage of 1941, to the effigy itself which lies next to the effigy of the Earl's father. On loan from the Victoria and Albert Museum.
    (説明板より)

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />ギルバート・マーシャルGilbert Marshal(第4代ペンブルック伯)

    テンプル教会
    Temple Church

    ギルバート・マーシャルGilbert Marshal(第4代ペンブルック伯)

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />Geoffrey de Mandeville 1st Earl of Essex<br />初代エセックス伯ジェフリー・ド・マンデヴィル

    テンプル教会
    Temple Church

    Geoffrey de Mandeville 1st Earl of Essex
    初代エセックス伯ジェフリー・ド・マンデヴィル

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church<br /><br />2階に上がれます。

    テンプル教会
    Temple Church

    2階に上がれます。

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • テンプル教会<br />Temple Church

    テンプル教会
    Temple Church

  • ストランド通り(Strand)<br /><br />大通りに出てきました。<br />王立裁判所の方向へ歩きます。

    ストランド通り(Strand)

    大通りに出てきました。
    王立裁判所の方向へ歩きます。

  • 王立裁判所<br />Royal Courts of Justice<br /><br />近くに紅茶で有名なトワイニングがある。<br />https://twinings.co.uk/pages/twinings-flagship-store-216-strand

    王立裁判所
    Royal Courts of Justice

    近くに紅茶で有名なトワイニングがある。
    https://twinings.co.uk/pages/twinings-flagship-store-216-strand

  • 王立裁判所<br />Royal Courts of Justice

    王立裁判所
    Royal Courts of Justice

    王立裁判所 建造物

  • ライセウム劇場<br />Lyceum Theatre<br /><br />21 Welling Street, London,<br />WC2E 7RQ<br /><br />ライオンキングやってます。

    ライセウム劇場
    Lyceum Theatre

    21 Welling Street, London,
    WC2E 7RQ

    ライオンキングやってます。

    ライシアム シアター 劇場・ホール・ショー

  • コベント・ガーデン<br />Covent Garden<br /><br />

    コベント・ガーデン
    Covent Garden

  • コベント・ガーデン<br />Covent Garden

    コベント・ガーデン
    Covent Garden

    コヴェント ガーデン 広場・公園

  • コベント・ガーデン<br />Covent Garden

    コベント・ガーデン
    Covent Garden

  • テート・ブリテン<br />Tate Britain<br /><br />https://www.tate.org.uk/visit/tate-britain<br /><br />テート・ブリテンは、1500年代のテューダー朝美術以降、現代に至るまでの、絵画を中心としたイギリス美術を時代順に展示している。ウィリアム・ブレイク、ジョン・コンスタブル、トマス・ゲインズバラ、ウィリアム・ホガース、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティほかラファエル前派の作品が揃っている。テートの所蔵品の中で特に有名な作品は、ジョン・エヴァレット・ミレーによる『オフィーリア』やジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる『シャーロットの女』である。また、ターナーの寄贈した初期から晩年までの充実した作品群は、専用のウイングであるクロア・ギャラリーに常設展示されている。20世紀半ば以降のデイヴィッド・ホックニー、ピーター・ブレイク、フランシス・ベーコンなどや、現代のトレイシー・エミンにいたるまで、幅広い年代のイギリス人美術家の作品もが常設展示されている。(Wikiより)

    テート・ブリテン
    Tate Britain

    https://www.tate.org.uk/visit/tate-britain

    テート・ブリテンは、1500年代のテューダー朝美術以降、現代に至るまでの、絵画を中心としたイギリス美術を時代順に展示している。ウィリアム・ブレイク、ジョン・コンスタブル、トマス・ゲインズバラ、ウィリアム・ホガース、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティほかラファエル前派の作品が揃っている。テートの所蔵品の中で特に有名な作品は、ジョン・エヴァレット・ミレーによる『オフィーリア』やジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる『シャーロットの女』である。また、ターナーの寄贈した初期から晩年までの充実した作品群は、専用のウイングであるクロア・ギャラリーに常設展示されている。20世紀半ば以降のデイヴィッド・ホックニー、ピーター・ブレイク、フランシス・ベーコンなどや、現代のトレイシー・エミンにいたるまで、幅広い年代のイギリス人美術家の作品もが常設展示されている。(Wikiより)

    テート ブリテン 博物館・美術館・ギャラリー

  • テート・ブリテン<br />Tate Britain

    テート・ブリテン
    Tate Britain

  • テート・ブリテン<br />Tate Britain<br /><br />『オフィーリア』<br />ジョン・エヴァレット・ミレー<br /><br />Ophelia 1851-2<br />John Everett Millais 1829-1896<br /><br />初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(英語: Sir John Everett Millais, 1st Baronet, 1829年6月8日 - 1896年8月13日)は、19世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員に数えられる。ミレイと表記されることも多い。<br /><br />ミレー自身及びヴィクトリア朝の最高作と名高いこの作品は、1862年のロイヤル・アカデミー展に出品したもので、シェイクスピアの『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアを題材にしたものである。川の流れに仰向けに浮かぶ少女のモデルは、後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルである。<br />夏目漱石の小説『草枕』にこの絵に言及した箇所がある。 また、日本画家の山本丘人がこの絵画の影響を受けた『水の上のオフェリア』(原題:『美しき屍』)を描いている。(Wikiより)

    テート・ブリテン
    Tate Britain

    『オフィーリア』
    ジョン・エヴァレット・ミレー

    Ophelia 1851-2
    John Everett Millais 1829-1896

    初代准男爵サー・ジョン・エヴァレット・ミレー(英語: Sir John Everett Millais, 1st Baronet, 1829年6月8日 - 1896年8月13日)は、19世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員に数えられる。ミレイと表記されることも多い。

    ミレー自身及びヴィクトリア朝の最高作と名高いこの作品は、1862年のロイヤル・アカデミー展に出品したもので、シェイクスピアの『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアを題材にしたものである。川の流れに仰向けに浮かぶ少女のモデルは、後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルである。
    夏目漱石の小説『草枕』にこの絵に言及した箇所がある。 また、日本画家の山本丘人がこの絵画の影響を受けた『水の上のオフェリア』(原題:『美しき屍』)を描いている。(Wikiより)

  • テート・ブリテン<br />Tate Britain<br /><br />『オフィーリア』<br />ジョン・エヴァレット・ミレー<br /><br />Ophelia 1851-2<br />John Everett Millais 1829-1896

    テート・ブリテン
    Tate Britain

    『オフィーリア』
    ジョン・エヴァレット・ミレー

    Ophelia 1851-2
    John Everett Millais 1829-1896

  • テート・ブリテン<br />Tate Britain<br /><br />さすが本場、ターナーの展示が充実。

    テート・ブリテン
    Tate Britain

    さすが本場、ターナーの展示が充実。

  • 最寄りのPimlico駅にて

    最寄りのPimlico駅にて

  • 地下鉄でホテルに戻り、預けていた荷物を引き取り、帰国します。

    地下鉄でホテルに戻り、預けていた荷物を引き取り、帰国します。

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