2022/09/01 - 2022/09/08
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azianokazeさん
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9月6日(火) イスタンブール
金角湾・ボスポラス海峡をチャーターした船でクルーズを楽しみます。
トルコ名物サバサンドも。
表紙写真は、クルーズ船から眺めるガラタ塔とガラタ橋
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
9月4日 夜の9時半過ぎ パムッカレ・エフェソス観光を終えてイズミールから空路イスタンブールに戻ってきました。
そのままガラタ橋下のレストランで夕食。
(本当は、夜も遅いのでそのままホテルに入りたかった。食事は部屋で食べられるような軽食でいいから。このあたりが、「きちんとしたレストランでの食事」にこだわるツアーのデメリットです。)
写真はガラタ橋からの夜景 -
同上
スマホでも綺麗に夜景が撮れます。
下半分に橋の欄干が大きく映り込んでいるのは私のミス。 -
食事は、ガラタ橋の下に並ぶシーフードレストラン
魚は・・・・忘れました。
メインの魚よりも、1個だけついてきたイカリングの揚げ物が美味しかった。(ツアー参加者がみなそう言っていました) -
頼めば、お望みの魚を料理してくれます。
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ガラタ橋下にはレストランが並んでいます。
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食事を終えて、夜11時頃、ようやくホテルチェックイン
ホテルは「インターコンチネンタルイスタンブール」
立派なホテルですが、(ホテルは寝られればいいと考えている)私的には“無駄に立派”という感じも。もっとリーズナブルなホテルで、その分料金を安くしてもらった方が・・・
このあたりも「ちゃんとしたホテル」にこだわるツアーのデメリットです。 -
イスタンブールはヨーロッパ側の旧市街とベイオール地区(新市街)、アジア側に分かれます。
インターコンチネンタルはヨーロッパ側のベイオール地区(新市街)に位置しています。
アヤソフィアなどの観光スポットの多くはヨーロッパ側・旧市街にあります。
クルーズは、金角湾出口付近の旧市街地側から出航し、ボスポラス海峡のヨーロッパ側に沿って航行、第2ボスポラス大橋あたりで反転してアジア側に沿って戻ってくるというコース。(地図の点線は関係ありません) -
2022年9月6日(火) 朝 ホテルの部屋(11階)からの眺め
正面がボスポラス海峡
左手奥にさかのぼれば黒海、右手はマルマラ海 -
同上
正面に見えるモスクが旧市街のアヤソフィアとブルーモスク 少し左手によったあたりに小さく見える塔がガラタ塔・・・ではないでしょうか。 -
ズームすると・・・。
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朝一番にやってきたのは港
これから海峡クルーズです。
イスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)の歴史を感じられるクルーズになるのではないでしょうか。楽しみ。
****コンスタンティノープルの終焉(14世紀~15世紀)****
14世紀になるとコンスタンティノープルはオスマン帝国軍に度々包囲され、東ローマ帝国の命運も風前の灯火となった。
ただ、文化だけは最後まで栄え、古代ギリシア文化の研究がさらに進み、ビザンティン文化の中心としての地位を維持した。(中略)
1453年4月、コンスタンティノープルの奪取に並々ならぬ意欲を燃やすメフメト2世が、10万のオスマン帝国軍を率いてコンスタンティノープルを包囲した。
オスマン側は大型の大砲(ウルバン砲)を用いたり、艦隊を陸越えさせて金角湾に入れるなど、大規模な攻囲作戦を行なった。
コンスタンティノープルの堅固な防壁は健在であり、東ローマ帝国軍とイタリア人傭兵部隊はわずか7千の兵力だったにもかかわらず2か月に渡って抵抗を続けた。
しかし5月29日未明、オスマン軍は総攻撃を行い、閉め忘れた城門からついに城内へと侵入した。
コンスタンティノープルは陥落し、最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスは乱戦の中で戦死、東ローマ帝国は滅亡した。【ウィキペディア】
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乗船前にガイドのデニズさんがみんなにトルコ名物「サバサンド」をごちそうしてくれました。
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上からの切り出し画像
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野菜に隠れてサバが見えませんが・・・
レモンを絞って食べます。
「ちゃんとしたレストラン」の「ちゃんとした料理」より、露店のサバサンドの方が美味しい
船の上で、風に吹かれながら食べたら、もっと美味しかったかも。
ただ、さっき朝食を食べたばかりなので、「食べ過ぎ」が気になって半分ほどいただきました。 -
でもって、クルーズ出航
正面にガラタ塔が見えます。 -
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イスタンブール新市街のランドマーク的存在である9階建ての塔「ガラタ塔」。ガラタ塔が建設されたのは1348年、丁度、東ローマ帝国の権力に陰りが見えた頃でした。
ガラタ塔は建設以来、様々な用途で利用され、スレイマン1世の時代は「監獄」として、その後は「造船所」「倉庫」「灯台」「火の見櫓」など様々でした。
現在のガラタ塔は最上階からイスタンブールのパノラマビューを楽しめる他、上層階にはカフェやレストランなども営業しており、旅行者だけでなく、イスタンブール市民の間でも非常に人気の高い観光スポットとなっています。【Amazing TRIP】
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時間が許せば行きたかった・・・ -
船は私たちツアー客のみの貸切
もちろん船室もあります。
お天気は雲の多い天気でしたが、雨がぱらついたのは途中ほんの一時でした。 -
アタチュルク橋
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ガラタ塔とガラタ橋
橋の下は昨夜のレストラン街
1453年、オスマントルコ・メフメト2世がコンスタンティノープルを攻めた際、守備側はこの金角湾入り口に鉄の太い鎖を渡し、オスマントルコの艦隊が金角湾に侵入できないように海上封鎖しました。
これに対するオスマントルコ側の「オスマン艦隊の山越え」作戦が凄い!
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オスマン帝国側は膠着状態を打開すべく、金角湾の北側の陸地(ジェノヴァ人居住区があったガラタの外側)に油を塗った木の道を造り、それを使って陸を越え70隻もの船を金角湾に移す作戦に出た。
「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこの奇策は成功し、これによりジェノヴァ船による援助物資の供給は阻止され、東ローマ帝国軍の士気をくじくことになった。
しかし、陸上の城壁を破る助けとはならなかった。
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このあたりの攻防戦は塩野七生著「コンスタンティノープルの陥落」に活写されています。 -
旧市街のアヤソフィア(中央)、トプカプ宮殿(左)
ということは右はブルーモスクかな? -
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あれが何だ、これが・・・といった説明はデニズさんからありましたが、全部忘れました。
覚えているのは、こういうところの住宅は非常に価格が高く、私のような貧乏人には手が出ないということ。 -
ボスポラス海峡沿い(ヨーロッパ側)の「ドルマバフチェ・モスク」
オスマン帝国の31代スルタンであるアブデュルメジト1世の母のベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタンが出資し、1853年から1855年にかけて建設されたもの -
「ドルマバフチェ宮殿」
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イスタンブールを征服したオスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって宮廷に仕えるアルメニア人建築家が設計、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた。
1843年に着工され1856年に完成した。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用された。【ウィキペディア】
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“ヨーロッパから取り入れたバロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハレム)に二分割され、ハレムには多くの侍女や宦官も勤務した。”ということで、19世紀後半になると、オスマンのスルタンは西洋風を好んだようです。あくまでも外観の話ですが。 -
「オルタキョイ・メジディエ・ジャーミィ」
やはりアブドゥルメジド 1 世の委託により、1854 年または 1856 年頃に建設が完了 -
「7月15日殉教者の橋」(第一ボスポラス大橋)
アジアとヨーロッパを結ぶ釣り橋です。 -
高そうなクルーザーが・・・
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左手の要塞は「ルメリヒサル」
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1452年に造られた要塞。オスマン帝国のメフメト2世が、東ローマ帝国の首都コンスタティノープル(現在のイスタンブール)を攻撃する拠点として造営した。その名は、「ローマの城」という意味を持つ。
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右手の橋は第2ボスポラス大橋 船はこのあたりで反転してアジア側に沿って進みます。 -
アジア側
本当のお金持ちはアジア側に家を購入するとか。 -
1時間半あまりのクルーズも終了
昼食に向かいます。
午後はブルーモスク・アヤソフィア・地下宮殿などを観光しますが、それはまた次編で。
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