2022/08/27 - 2022/08/30
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goemonpさん
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この旅行記のスケジュール
2022/08/27
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そろそろ海外旅行にも行けるようになりつつあるとはいえ、まだ帰国前のPCR検査も必要だし、万が一海外で罹患してしまったら、しばらく帰国できないという今の日本の状況ではしがないサラリーマンのgoemonpはおいそれと海外に行くわけにもいきません。
というわけで今年の夏休みはまたしても国内旅行。一度行ってみたかった姫路城と、城崎温泉が候補にあがりましたが、関東在住だとなかなか中国地方を訪れる機会もないので、フォートラの地図穴埋めもかねて、気になる中国地方の観光地を一気巡りしてまいりました。
今回も我が家のマスコット、桜文鳥雛ぬいぐるみのゴエモンと、シンガポールアヒルのコンちゃんが旅の友です。
Part1は姫路城→赤穂→倉敷と山陽道を西へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新幹線のぞみ号で西へ向かいます。
車窓から眺める富士山は今日も美しい。東海道新幹線 乗り物
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新神戸駅に着きました。
レンタカーを借りようとしたところ、なんだか帰るときの道順が難しいらしく、Youtubeのビデオを見て予習するように言われました。ほかにも覚えきれないほど注意事項がいろいろ。
ゴエモン「なんだか不安になるな。無事に帰ってこれるかな。。。」新神戸駅 駅
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最初の目的地は姫路城。
早速天守閣へ、といいたいところですが、お昼時に近かったのでまずは隣の「好古園」にあるレストランでお昼をいただくことにしました。
ちなみに「好古園」はかつての本多家などの武家屋敷跡に作られた、大小9つのテーマの異なる日本庭園の集まりで、一か所でいろいろな日本庭園を楽しむことができます。好古園 名所・史跡
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好古園内のレストラン「活水軒」にお邪魔しました。
活水軒 グルメ・レストラン
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姫路名物あなご丼を注文。
かつて瀬戸内のこの辺の海では死ぬほどあなごが取れたらしく、それで姫路名物になったとか。
そういえば広島の宮島もあなごめしが名物でしたね。
たれの味はちょっと濃いめ。副菜についているてんぷらがなかなか美味しかったです。 -
エネルギーを補充したところでせっかくなので庭園の方も少しご紹介。
こちらは「お屋敷の庭」
姫路藩主の下屋敷跡に作られたお庭で、好古園最大のお庭。
向こうに見えるのは姫路城の西の丸。姫路城が借景とは、なんとも贅沢なお庭です。好古園 名所・史跡
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こちらは「竹の庭」
15種類の竹が配された竹林が見事。
このほかにも「花の庭」「松の庭」など特色あるお庭がいろいろあり、時間があればゆっくり過ごしたいところですが、本日は先が長いのでそろそろ姫路城に向かいます。 -
お堀のわきをぶらぶら歩いて行くと。。。
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美しい姫路城の天守閣が見えてきました。
白鷺城ともいわれる白い漆喰で固められた天守が見事。
ちなみにこの漆喰は汚れたり乾いたりして劣化するため、数十年に一度塗り替えが必要なのだそうで、2015年の大修理では数十億円の費用がかかったとか。
ゴエモン「美しいものを美しく維持するのは大変だね。」姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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姫路城大手門。
なんだかほかの建物とは趣向の違うデザインだと思ったら、昭和13年に再建されたもので江戸時代にあったものとは異なるそうです。 -
大手門をくぐると、そこは広々とした三の丸の向こうに天守閣がそびえたつ、格好の写真スポットになっています。
今は広場ですが、かつてはここには藩主のお屋敷があり、公務以外の日常生活をここで送っていたのでした。 -
菱の門方面から仰ぎ見る天守。
この角度もなかなか格好いいですね。 -
ではいよいよ天守閣に登ってみましょう。
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天守に行くには何層ものつづら折りの道を上っていかなければなりません。いたるところに多くの狭間が設けられており、鉄砲や矢が打ちかけられる中、天守へ攻め寄せるのはほとんど罰ゲームです。姫路城が軍事要塞としても高い機能を有していたことがうかがわれます。
姫路城の完成は1610年。初代城主は築城名人であり、家康の娘婿池田輝政。大阪夏の陣・冬の陣の5年ほど前にあたります。当時は徳川方に牙をむきかねない豊臣方の西国有力大名もまだたくさん残っており、これらの大名に睨みを利かせる必要があったのですね。 -
門なども狭く作られ、多くの兵隊が一度に入れないようにできています。
そして門をくぐると、そこには武者だまりがあり守備側の兵隊からフルボッコにされるシステム。
こんなお城の攻略を命じられた兵隊は気の毒ですね。 -
城内は狭く迷路のように作られている上に、人間心理の虚をつくような仕掛けもたくさん。やっとこさ門までたどり着いてみれば、上から槍や油や熱湯が降ってくる。。。
幸い姫路城が実際の合戦の場となったことはなく、これら城防衛のための悪夢のような数々の仕掛けも、実際に使われることはなかったのでした。
ゴエモン「軍備は使われないまま無駄になるのが一番だね。」 -
天守内は六層にわかれています。
各層をつなぐ階段はこれまた狭くて急であり、侵入者を阻む構造になっています。
ゴエモン「バリアフリーとは対極の発想だな。」 -
最上層の六階に到着しました。
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なぜか神社がありました。
これは観光客からお賽銭を集めてお金を儲けるため。。。ではなく、実は姫路城ができる前この辺は「姫山」といい、そこにあった神社を改めて祀りなおしたものなのだそうです。ご利益は厄除け特に火難よけで、第二次大戦で姫路城が罹災を免れたのは、この神様のおかげとか。
神社名は長壁神社。ご祭神は刑部大神。由来については諸説あるようですが、初代藩主輝政が重病を患い叡山から坊さんを招いて原因を探らせたところ、天守に鬼神が現れ「われはこの地の神である」と宣い坊さんを殺害してしまったとのことで、祟りを恐れた輝政がこの地に祀ったとの説が有力なようです。
火事が心配な人、祟りの怖い人は一応拝んでおきましょう。
ゴエモン「くわばらくわばら」長壁神社 寺・神社・教会
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最上階から望む姫路駅方面。
駅方面に向けてまっすぐに伸びる「大手前通り」は、実は昔からあるものではなく、大戦時の姫路大空襲で焼け野原になった町の復興計画の一環として、戦後になって整備されたものです。 -
ここは侍が一人寝転がって隠れられる武者隠しという場所。
武者でない鳥も隠れているようですが。。。
ゴエモン「人には狭いかもしれないけど、小鳥なら百羽は隠れられるね。」 -
追加料金500円で小天守にも入れるという期間限定特別公開をやっていたので、入ってみました。
小天守と馬鹿にするなかれ、大天守も小天守も同じ国宝指定の建物です。 -
ゴエモン「小天守の中にも武具掛けなどがたくさんあるぞ。まさに大天守と一体となって防御機能を果たしていたのだな。」
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小天守から見る大天守。
青空に生える白亜の城壁。 -
天守から出口方面に向かうと、「お菊の井戸」があります。
ここは怪談「番町皿屋敷」のモデルになった場所で、かつてある家臣が城の乗っ取りを企てているのではと怪しんだ城主がその家臣のもとに「お菊」という女性をスパイのため奉公にやりました。
その後の権力闘争で城主は破れてしまい、この家臣が城を手にいれますが、そのまた家臣で町坪という男がお菊に懸想するもお菊はなびかず、逆恨みした町坪は大事な10枚組の皿の1枚を隠し、お菊に疑いがかかるように仕向けます。
お菊は主人から厳しく叱責され、町坪の屋敷にお預けとなりますが、罪を認めず町坪にもなびきません。怒った町坪はお菊をこの井戸に投げ込んで殺してしまったところ、夜になると井戸のそばから「一枚二枚・・・」と皿を数えるお菊の声が。。。
ゴエモン「怖いよ~」
もちろんこの話は作り話の可能性が高い上に、原作の「播州皿屋敷実録」ではお菊が投げ込まれたのはこの井戸ではなく、町坪家の井戸だったらしいので、夜にこの井戸を訪れても皿を数える声はしません。
ゴエモン「な~んだ。」
たぶんね。 -
天守から西の丸の方へやってきました。
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西の丸全体をぐるっと渡り廊下で渡れるようになっています。
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家康の孫娘、豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂の陣で豊臣家が滅亡した後は、本田家に嫁ぎ、本田家が姫路に移ってきてからはこの地でも暮らしたという戦国の世に生まれた運命に翻弄されたプリンセス千姫の像も。
ゴエモン「なんだか顔が怖い。。。」 -
西の丸方面から姫路城を再度のぞみます。
国宝に指定されているお城は日本に5つあります。犬山城以外はすべて訪問してそれぞれ素晴らしいお城でしたが、そやはりこの姫路城は風格、美しさともに天下一の名城といえましょう。 -
姫路の地を離れ、次は赤穂四十七士で有名な赤穂にやってきました。
ここは赤穂四十七士を祀る大石神社。神社への参道の脇には、四十七士の石像が並んでいます。赤穂大石神社 寺・神社・教会
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そしてこちらが四十七士のリーダー、大石内蔵助の像。
ゴエモン「なんか隣の「世界人類が平和でありますように」ってのが目立つな。」
これはもちろん大石の言葉ではなく、どこぞの宗教団体が純粋に世界平和を願って建てたもののようです。 -
こちらが社殿ですね。
江戸時代には四十七士は罪人だったので、隣の大石家のお屋敷に小さな祠を作ってひそかにお祀りしていたそうですが、明治になってから公にお祀りできるようになり社殿ができ、さらに旧赤穂藩の元藩主達の霊も合祀され、現在の姿になったとか。 -
境内には四十七士ゆかりの品を集めた博物館や、各義士の木像を集めた施設のほか、旧大石邸の門など一部が保存されており、忠臣蔵ファンなら一度は訪れたい施設となっています。
ゴエモン「山鹿流の陣太鼓だー。討ち入りだー」
浅野家が山鹿流軍学に傾倒していたのは事実のようですが、山鹿流の陣太鼓というものは実はなく、後世の歌舞伎の演出らしいです。義士史料館(赤穂大石神社) 美術館・博物館
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これは宝物館にあった義士が討ち入り時に着用していたといわれる着物。
一部血痕のようなものが残っており、当時の激しい戦いを忍ばせます。
かれこれ300年以上前の遺物がこのように残っているというのはなかなかすごいことですね。 -
吉良上野介の首級をあげて、意気揚々と両国橋を凱旋する義士達を描いたジオラマ。
吉良上野介の屋敷は両国にあり、今は公園になっています。なおこのジオラマの説明には「両国橋」とありましたが、一説には両国橋は大名なども通る道のため、義士達はこの橋を通らず、近くの永代橋などを経由して泉岳寺に向かったともいいます。 -
こちらが旧大石邸の長屋門。
大石内蔵助は赤穂浅野家の筆頭家老として1500石の石高を有していたので、お屋敷も広かったそうで、門もなかなか立派です。
建物自体は火災などで焼けてしまったそうですが、この長屋門は被災を免れ、江戸時代そのままの姿で残っているそうですよ。 -
こちらは主君浅野内匠頭の刃傷沙汰を江戸からの使者が内蔵助とその息子大石主税に告げる場面のジオラマ。
内蔵助「なに、殿が。。。なんということじゃ。」
その後、主税も討ち入りに加わり、切腹して果てることになります。主税享年15歳。
ゴエモン「昔は大人とみなされるのが早かったとはいえ、15歳とはかわいそうだね。」
なお浅野家は事件後、大名としての復活はかないませんでしたが、浅野内匠頭の息子(養子)浅野大学は一時親戚にお預けとなっていたものの、その後幕府の旗本として復活します。そういう意味では、義士の討ち入りは無駄ではなかったのかもしれません。 -
大石神社から歩いて5分の場所に、かつての赤穂城跡があります。
門や石垣の一部などが復元され、往時の姿をしのばせます。赤穂城跡 (赤穂城跡公園) 名所・史跡
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城跡内部は公園になっています。
先ほど見てきたばかりの姫路城と比べて、更地になってしまった赤穂城の姿を見ると、「兵どもが夢のあと」といった感じですねえ。 -
赤穂の地を離れ、倉敷へ移動。
本日のお宿はgoemonp家が都市部に泊まるときによく利用するドーミーイン。
温泉があるのがやはりうれしい。天然温泉 阿智の湯 ドーミーイン倉敷 宿・ホテル
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機能的なツインのお部屋です。
ゴエモン、コンちゃん「長い一日だったな。疲れたよ。」
ベッドが大きめなので奥への通行はちょっと不便ですが、他は特に不満なし。あ、ここのドーミーインはセーフティーボックスがなかったので、そこはちょっと減点かな。
Part2は倉敷の町を見物。
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