2021/09/22 - 2021/09/22
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旅人のくまさんさん
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東山植物園の歴史紹介の締め括りです。昭和55年(1980年)には植物会館も建設され、植物園の核となりました。また、昭和26年(1951年)に寄附を受けていた伊藤圭介の遺品を展示し、圭介の業績を市民に広く紹介するための伊藤圭介記念室も会館内に設けられました。「万葉の散歩道」、「東海の森」などのハイキングコースや、「中南米産植物温室」などの人気施設が整備されたのもこの頃です。(東山動植物園公式サイト)
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名前:『シャーレーン・ストローン』:推定
分類:スイレン科(温帯睡蓮)
分布:温帯地域
その他:花はやや小ぶりですが、色と香りのハーモニーが優れているようです。蕾が次々に立ち上がっていました。(ウィキペディア、東山動植物園公式サイト) -
名前:『シャーレーン・ストローン』:推定
分類:スイレン科(温帯睡蓮)
分布:温帯地域
その他:耐寒性が優れているスイレンのようです。すっきりとした色合いの、黄色の花です。(同上) -
名前:『ブルー・アネモネ』:推定
分類:スイレン科(熱帯睡蓮)
分布:熱帯地域
その他:写真で確認したブルー・アネモネの色より、かなり薄いようです。別種かも知れません。蕾は、濃い紫色でした。(同上) -
名前:『ブルー・カペンシス』:推定
分類:スイレン科(熱帯睡蓮)
分布:熱帯地域
その他:温帯性スイレンに比べ花上がりがよく、4~10回も花を咲かせます。(同上) -
イチオシ
名前:『ブルー・カペンシス』:推定
分類:スイレン科(熱帯睡蓮)
分布:熱帯地域
その他:品種改良が盛んで、素晴らしい品種が作出されています。 -
名前:『チョーラーブ』:推定
分類:スイレン科(熱帯睡蓮)
分布:熱帯地域(タイのワスワット博士によって作られた品種)
その他:名前の推定は、外れている可能性が高いようです。ただし、チョーラーブは、どこかに植栽されています。(同上) -
名前:『 ラッタナ・ウボン』:推定
分類:スイレン科(温帯睡蓮)
分布:温帯地域
その他:蕾が開いたばかりの状態でした。濃い緑の外皮が見えていました。こちらも、名前の特定は自信がありません。(同上) -
名前:『ゴンネール』:推定
分類:スイレン科(温帯睡蓮)
分布:主に温帯に分布する耐寒性のあるスイレンのことを指すようです。
その他:花は、赤、黄、ピンク、白の4種類とされますが、色彩や花の形は種類により差異があるようです。(同上) -
イチオシ
名前:『マニーレッド』:推定
分類:スイレン科(温帯睡蓮)
分布:タイのソンパニッチ氏により作られた新品種です。
その他:赤い宝石(マニー・レッド)の名に相応しい、濃く鮮やかな赤色で、花弁数が43~48枚と多いのが特長です。(同上) -
左から雄蕊の枚数が1~3本の『第一綱』~『第三綱』の植物の展示です。
『第一綱(雄蕊が1本)』:カンナやミョウ(茗荷)が植栽されていました。
『第二綱(雄蕊が2本)』:クマガイソウ(熊谷草)が例示してありました。
『第三綱(雄蕊が3本)』:ハナイカダ(花筏)が植栽されていました。(同上) -
(左):『第四綱(雄蕊が4本)』:『イカリソウ(碇草、錨草)』:中央左手前
分類:メギ科イカリソウ属、鑑賞用の他薬用にもなります。
(右):『第五綱(雄蕊が5本)』:『ヤブコウジ(藪柑子)』:中央右手前
分類:サクラソウ科ヤブコウジ属、薬用になります。(同上) -
左:『第六綱(雄しべが6本のもの)』の植物見本
名前:『ツルボ(蔓穂)』:左端:キジカクシ科
右:『第七綱(雄しべが7本のもの)』の植物見本
名前:『ハンゲショウ(半夏生):右端:ドクダミ科ハンゲショウ属 (同上) -
『第八綱(雄しべが8本のもの)』の植物見本
名前:『イブキトラノオ(伊吹虎の尾)』:左端
分類:タデ科イブキトラノオ属の多年草。
その他: 細い茎の先に動物のしっぽのような花を咲かせます。薬草です。(同上) -
『第廿綱(おしべがないもの)』の植物見本
名前:『トウゲシバ(峠芝)』:中央手前
分類:ヒカゲノカズラ科コスギラン属
分布:東アジア・東南アジアなどに広く分布。
その他:シダ植物です。(同上) -
名前:『シーボルトノキ』
分類:クロウメモドキ科クロウメモドキ属
分布:中国南部原産。
その他:牧野博士が長崎出島のシーボルトの居宅で見付けてRhamnus sieboldiana Makinoと命名しましたが、その後、既知の樹木と分かりました。(同上) -
左側の立て札に『圭介の庭・泰西本草名疏の世界』、右側の立て札には『圭介の名が学名になった植物』のタイトルがありました。(同上)
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名前:『マルバスミレ(丸葉菫)』
分類:スミレ科スミレ属
分布:日本では、 本州 、 四国 、 九州 に分布。
その他:純白の花を咲かせるスミレです。(同上) -
ここからは、東山動植物園の一角にある『伊藤圭介記念室』の紹介です。正面に伊藤圭介の大きなモノクロ写真が飾ってありました。記念室の入り口は右側です。伊藤圭介は、植物学者として著名ですが、医家としては種痘を広めた功績があります。しばしば博物会を開催し、『救荒食物便覧』(1837年)を著し、知識の普及に努めました。(同上)
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『伊藤圭介記念室』の室内光景です。実にさっぱりとした室内でした。伊藤圭介は、1877年(明治10年)、東京大学理学部員外教授に選ばれ、1881年に教授となりました。その前年には、スウェーデン王立学士院から銀牌(ぎんぱい)を贈られ、1888年学位制制定とともに初の理学博士となる。(同上)
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『運命の出会い・シーボルト』のタイトルの説明パネルです。ドイツ出身の医師・博物学者のシーボルトは1823年に初来日し、長崎の出島のオランダ商館医となりました。そして、1824年に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まった医者や学者に西洋医学・博物学を伝授しました。1826年、シーボルトの江戸参府に際し、名古屋の本草学者水谷豊文、その門下生伊藤圭介、大河内存真らは、往路と復路の2回、宮宿でシーボルトに面会し教えを受けました。伊藤圭介は長崎で学ぶことを勧められ翌年シーボルトのもとに留学し、多くの書物を著したほか、1888年日本での理学博士号第1号を取得するなど、多数の業績を残しました。(同上)
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名古屋市教育委員会名の『指定書・伊藤圭介関係資料・1690点』です。名古屋市の指定有形文化財への指定の日付けは、平成30年(2018年)5月25日でした。貴重な資料として、圭介の末裔の方が大切に保存されてきたことが覗われる1690点の資料です。(同上)
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『圭介ここにあり・泰西本草名疏(たいせい・ほんぞうめいそ)』のタイトルがあった説明パネルです。『国立国会図書館デジタルコレクション』からの紹介です。
〇書名:泰西本草名疏
〇著者:春別爾孤<Thunberg,Karl Peter>//著,伊藤舜民<伊藤圭介>//訳
〇出版:文政11-12 (1828-1829)
*この訳本の中で圭介は、『めしべ』、『おしべ』、『花粉』などの訳語を考え出しました。(同上) -
伊藤圭介の遺族から名古屋市(東動植物園)に寄贈された、書籍類のようです。下段の左から、『尾張名所図会後編1~6』、『尾張名所図会前編7,6,3』などです。頁を開いて紹介された本もありました。名古屋のお城廻や、名所巡りの時に何度か参考にさせて貰いました。(同上)
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同じく、伊藤圭介の遺族から名古屋市(東山動植物園)に寄贈された、遺品類や書籍類のようです。下段の右端には、『漁譜』の2と3が置かれていましたが、開かれた書籍が、『漁譜(一)』のようでした。アマゴ当たりのイラストでしょうか、上段の展示は、左が銘々皿、右が印鑑でした。(同上)
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『本業はお医者さん・種痘の普及』のタイトルがあった説明パネルです。主な事績を箇条書で紹介します。
〇ずっと続く、医者の家系。
〇文政3年(1820年)、18歳の時に町医(開業医)の資格を取得する。
〇文政4年(1821年)、19歳の時に京都で蘭学(オランダ医学)を学ぶ。
〇天然痘の予防接種の牛種痘療法を、尾張で初めて紹介する。
〇1天保8年(1841年)、37歳の時に英吉利国種痘奇書を出版する。
〇近所の子供に、お金をあげて種痘するなど、普及に努力する。
〇嘉永3年(1850年)、48歳の時に自宅に種痘所を作る。
〇嘉永5年(1852年)、50歳の時に尾張藩から種痘に関する指導者を要請される。
〇文久元年(1861年)、59歳の時に幕府要請により、江戸に移住する。
*まだまだ紹介したい事項があり、以降も明治時代の事績で紹介します。 -
『伊藤圭介胸像(複製)』の説明パネルがあった胸像です。常滑出身の『柴山清風(本名 柴山廉三:1901~1969年)』作とされます。清風は、常滑陶器学校で陶器の彫刻を学び、地元の丸益富浦製陶所のノベリティ原型師をするかたわら観音像の制作に没頭していきました。昭和9年(1934年)、清風は千体観音の無償配布を発願し、観音信仰者などに933体配布しました。(同上)
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イチオシ
『伊藤圭介胸像(複製)』のズームアップ光景です。86歳の時、日本の第1号理学博士となりました。その風格を感じさせる胸像でした。略暦の一部を紹介します。
○享和3年(1803年)、町医者の西山玄道の次男として名古屋呉服町に生まれる。
○文政3年(1820年)、町医の資格を得て開業。
○文政4年(1821年)、京都に遊学し、藤林泰助より蘭学を学ぶ。
○文政10年(1827年)、長崎にてシーボルトより本草学を学ぶ。
○文政11年(1828年)、長崎から名古屋に帰る際にシーボルトより、ツンベルクの『日本植物誌』を受取る。
○文政12年(1829年)、これを翻訳し、『泰西本草名疏』を刊行する。
〇嘉永5年(1852年)、尾張藩より種痘法取調を命ぜられる(種痘所)。
〇文久元年(1861年)、幕府の蕃書調所物産所出役に登用される。(同上) -
『100年にわたって・大活躍』のタイトルがあった説明パネルです。伊藤圭介の明治維新後の業績を紹介します。
〇明治3年(1870年)、名古屋を離れて東京に移り住み、明治政府に仕えました。
〇明治14年(1881年)、東京大学教授に任ぜられました。
〇明治21年(1888年)、日本初の理学博士の学位を受けました。また初代の東京学士会院会員となりました。
〇明治34年(1901年)、慢性胃腸炎のため97歳で永眠しました。死に臨んで、学者として初の男爵を授けられました。
〇墓所は谷中天王寺墓地。愛知県名古屋市の平和公園内(光勝院墓域)にも碑が建立されています。(同上) -
『学名に圭介の名がつく植物』の説明パネルです。日本最初の理学博士です。
〇アシタバ(セリ科、Angelica keiskei)
〇イワチドリ(ラン科、Amitostigma keiskei)
〇イワナンテン(ツツジ科、Leucothoe keiskei)
〇オオビランジ(ナデシコ科、Silene keiskei)他多数。(同上) -
楽観は確認していませんが、伊藤圭介の手になる絵が描かれた三幅の掛け軸のようでした。
〇左端の掛け軸:墨絵の花鳥画です。中間付近に鳥の姿があります。
〇中央の掛け軸:彩色の花鳥画です。楓の紅葉と、雀らしい小鳥です。
〇左端の掛け軸:大型の鳥の光景です。コウノトリ程の大きさに見えます。(同上)
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