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暑いです。コロナもまた感染拡大が懸念されています。<br />感染対策をして、まだまだ用心して、できるだけ近隣を、密を避けて出かけたいと思います。<br /><br />かねてから行きたかった無鄰菴へ行きました。学生時代の恩師がとても好きだった無鄰菴。恩師はもう100歳を超えていますが、今も厳しかった恩師の思い出と無鄰菴がセットになって思い出されます。<br />お庭が拡がりのある、繊細な雰囲気でした。<br />立派な日本庭園とは違って、庶民的で山里の可愛い雰囲気を感じました。<br />斬新なイメージです。<br /><br />六波羅蜜寺も学生時代に来た覚えがあります。現在は朱色の建物が新しい建物になっていました。<br />空也上人像も拝観できました。<br /><br />六道珍皇寺は小野篁の伝説で有名なお寺です。<br />小野篁は平安時代の公暁であり、反骨の精神から野宰相とも呼ばれています。<br />文人としては、多才で、その書も特に優れていたという人物です。一族には書で有名な小野東風がいます。<br />また遣唐使乗船を拒否し、遣唐使事業を風刺するなどして、隠岐の島に配流されています。<br />昼間は朝廷の仕事、夜は閻魔大王の補佐をしていた、という伝説が残っています。このような伝説が生まれた背景には、とても優秀な人物だったことを表しているように思えます。とても興味のある人物です。<br />六道珍皇寺には地獄と現生を行き来できるという言い伝えがある井戸も残っています。<br />小野篁は小野小町の祖父とも言われています。

きょうとさんぽ  山形有朋の別荘だった無鄰菴~六波羅蜜寺~伝説のある六道珍皇寺

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2022/07/06 - 2022/07/06

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hijuno

hijunoさん

暑いです。コロナもまた感染拡大が懸念されています。
感染対策をして、まだまだ用心して、できるだけ近隣を、密を避けて出かけたいと思います。

かねてから行きたかった無鄰菴へ行きました。学生時代の恩師がとても好きだった無鄰菴。恩師はもう100歳を超えていますが、今も厳しかった恩師の思い出と無鄰菴がセットになって思い出されます。
お庭が拡がりのある、繊細な雰囲気でした。
立派な日本庭園とは違って、庶民的で山里の可愛い雰囲気を感じました。
斬新なイメージです。

六波羅蜜寺も学生時代に来た覚えがあります。現在は朱色の建物が新しい建物になっていました。
空也上人像も拝観できました。

六道珍皇寺は小野篁の伝説で有名なお寺です。
小野篁は平安時代の公暁であり、反骨の精神から野宰相とも呼ばれています。
文人としては、多才で、その書も特に優れていたという人物です。一族には書で有名な小野東風がいます。
また遣唐使乗船を拒否し、遣唐使事業を風刺するなどして、隠岐の島に配流されています。
昼間は朝廷の仕事、夜は閻魔大王の補佐をしていた、という伝説が残っています。このような伝説が生まれた背景には、とても優秀な人物だったことを表しているように思えます。とても興味のある人物です。
六道珍皇寺には地獄と現生を行き来できるという言い伝えがある井戸も残っています。
小野篁は小野小町の祖父とも言われています。

旅行の満足度
5.0
  • 車を停めて、趣のある路地に入ります。

    車を停めて、趣のある路地に入ります。

  • 近隣は由緒あるお店があるようです。<br /><br />帰りに京弁当、朝がゆというメニューのお店もありました。<br />入りたかったですが、こういうとき、夫と意見が合いません。(-_-;)<br />あきらめます。<br />とういうか、予約が必要だったのかな。。。

    近隣は由緒あるお店があるようです。

    帰りに京弁当、朝がゆというメニューのお店もありました。
    入りたかったですが、こういうとき、夫と意見が合いません。(-_-;)
    あきらめます。
    とういうか、予約が必要だったのかな。。。

  • とりあえず、無鄰菴に到着します。

    とりあえず、無鄰菴に到着します。

  • 説明板があります。

    説明板があります。

  • あらかじめネットで予約をしました。1時間おきの予約。<br />1896年に造営された山形有朋の別荘です。<br /><br />庭園と主屋、洋館、茶室の三つの建物があります。<br />

    あらかじめネットで予約をしました。1時間おきの予約。
    1896年に造営された山形有朋の別荘です。

    庭園と主屋、洋館、茶室の三つの建物があります。

  • 中にはいると、中庭。

    中にはいると、中庭。

  • 長い廊下。

    長い廊下。

  • 広い座敷。ここからの庭園の眺めが素晴らしいです。<br /><br />

    広い座敷。ここからの庭園の眺めが素晴らしいです。

  • 七代目小川治兵衛による作庭。

    イチオシ

    七代目小川治兵衛による作庭。

  • 東山を借景。<br />全て意図された構成といわれています。

    イチオシ

    東山を借景。
    全て意図された構成といわれています。

  • 高低さを利用した庭園。<br />奥行があります。<br />とても広い庭園に感じます。

    イチオシ

    高低さを利用した庭園。
    奥行があります。
    とても広い庭園に感じます。

  • ブルーのお座布団がまた、にあう。。

    ブルーのお座布団がまた、にあう。。

  • 母屋の小さな和室。

    母屋の小さな和室。

  • 母屋の中心からみると、より広い庭を感じます。

    イチオシ

    母屋の中心からみると、より広い庭を感じます。

  • 琵琶湖疎水からの水。

    琵琶湖疎水からの水。

  • 小川や里山をイメージとした素朴な庭。

    小川や里山をイメージとした素朴な庭。

  • 奥のほうは、樹々の中にすっぽり入ってしまった気になります。

    奥のほうは、樹々の中にすっぽり入ってしまった気になります。

  • 建物が小さく見えます。<br />手入れをされた芝生がうつくしい~。

    イチオシ

    建物が小さく見えます。
    手入れをされた芝生がうつくしい~。

  • 低い植物も。<br />シダなども。<br />モミの木もどこかにあるよう。。。<br /><br />あちこちで雰囲気ががらりと変わってきます。

    低い植物も。
    シダなども。
    モミの木もどこかにあるよう。。。

    あちこちで雰囲気ががらりと変わってきます。

  • 池も、どこか自然な池。

    池も、どこか自然な池。

  • 苔も美しい~。<br />しっとり。

    苔も美しい~。
    しっとり。

  • 茶室。

    茶室。

  • 洋館がお隣。

    洋館がお隣。

  • 里山にある家のよう。<br />芝生がまた現代的。

    里山にある家のよう。
    芝生がまた現代的。

  • 母屋でゆっくりお庭を眺めることができます。<br />

    母屋でゆっくりお庭を眺めることができます。

  • 秋にはもみじもみごとでしょう~。<br />いまのあおもみじも綺麗です。

    秋にはもみじもみごとでしょう~。
    いまのあおもみじも綺麗です。

  • 細やかに手入れをされた庭園でした。<br />とても斬新で、身近に感じるようなお庭でした。

    細やかに手入れをされた庭園でした。
    とても斬新で、身近に感じるようなお庭でした。

  • 入口には大きな灯籠。

    入口には大きな灯籠。

  • こんな説明も。

    こんな説明も。

  • 南禅寺の近くでもあり、もともとは多くの塔頭があったようです。<br />静かで風情のある通りでした。

    南禅寺の近くでもあり、もともとは多くの塔頭があったようです。
    静かで風情のある通りでした。

  • 六波羅蜜寺に来ました。<br />951年に創建。<br />空也上人が当時流行していた悪疫退散のために自ら刻んだ十一面観音像を車に安置、病人にお茶をふるまいながら、市中で念仏を唱えて回り、多くの人々を救ったといわれています。<br />

    六波羅蜜寺に来ました。
    951年に創建。
    空也上人が当時流行していた悪疫退散のために自ら刻んだ十一面観音像を車に安置、病人にお茶をふるまいながら、市中で念仏を唱えて回り、多くの人々を救ったといわれています。

  • 学生時代に訪れたときよりお堂が新しくなっているように感じました。

    学生時代に訪れたときよりお堂が新しくなっているように感じました。

  • 境内にある阿古屋の塚。<br />平景清の愛人、遊女の阿古屋は捕らえられて、琴、三味線、胡弓を弾かせて<br />音色を確かめ、乱れがないため、行方を本当に知らないということで釈放されたといわれています。<br /><br />鎌倉時代の供養塔、下の台座は古墳時代の石棺の一部だそうです。<br /><br />

    境内にある阿古屋の塚。
    平景清の愛人、遊女の阿古屋は捕らえられて、琴、三味線、胡弓を弾かせて
    音色を確かめ、乱れがないため、行方を本当に知らないということで釈放されたといわれています。

    鎌倉時代の供養塔、下の台座は古墳時代の石棺の一部だそうです。

  • そのお隣には平清盛の塚がありました。

    そのお隣には平清盛の塚がありました。

  • お堂の奥に建物。

    お堂の奥に建物。

  • 令和館。<br />館内、撮影禁止。<br />平清盛像など、貴重な像が多くありました。<br />運慶、湛慶像もあります。

    令和館。
    館内、撮影禁止。
    平清盛像など、貴重な像が多くありました。
    運慶、湛慶像もあります。

  • 空也上人像、何十年ぶりに拝観することができました。<br />鎌倉時代のものですが、わらじをはいて、疫病が蔓延していた京都の街を念仏を唱えながら歩くという像からは力強さを感じます。<br />念仏を唱える口から阿弥陀仏が出たという伝承がとても迫力のある印象です。<br /><br />

    空也上人像、何十年ぶりに拝観することができました。
    鎌倉時代のものですが、わらじをはいて、疫病が蔓延していた京都の街を念仏を唱えながら歩くという像からは力強さを感じます。
    念仏を唱える口から阿弥陀仏が出たという伝承がとても迫力のある印象です。

  • 本堂には木造の十一面観音立像が安置されています。<br />12年に一度辰年のみの開帳。<br />国宝です。<br />

    本堂には木造の十一面観音立像が安置されています。
    12年に一度辰年のみの開帳。
    国宝です。

  • 静かな通り。

    静かな通り。

  • 町屋カフェもありました。

    町屋カフェもありました。

  • 竹かごのお店。<br />職人さんの見事な技術。

    竹かごのお店。
    職人さんの見事な技術。

  • 六道珍皇寺へ。<br />京都らしい路地を歩いていきます。<br />暑いです。。。

    六道珍皇寺へ。
    京都らしい路地を歩いていきます。
    暑いです。。。

  • 矢坂の塔が見えます。

    矢坂の塔が見えます。

  • スマホ片手でたどり着きましたが、門は反対側。

    スマホ片手でたどり着きましたが、門は反対側。

  • 小さな路地、このような場所も。

    小さな路地、このような場所も。

  • 門。こちらから。

    門。こちらから。

  • 説明板。

    説明板。

  • このあたりは、平安京の火葬地、鳥辺野の入り口あたりで、現生と他界との境にあると考えられていました。

    このあたりは、平安京の火葬地、鳥辺野の入り口あたりで、現生と他界との境にあると考えられていました。

  • 創建は782年~805年。本堂には薬師三尊像が祀られています。

    創建は782年~805年。本堂には薬師三尊像が祀られています。

  • 閻魔堂。<br />閻魔大王、小野篁、弘法大師を祀っています。

    閻魔堂。
    閻魔大王、小野篁、弘法大師を祀っています。

  • 迫力のある閻魔大王。<br />小野篁像は堂々たる官吏の様子でした。

    迫力のある閻魔大王。
    小野篁像は堂々たる官吏の様子でした。

  • 昼間は朝廷の仕事、夜は閻魔大王の補佐をしていたと伝説のある小野篁の像を小さな格子まどから観ることができます。

    昼間は朝廷の仕事、夜は閻魔大王の補佐をしていたと伝説のある小野篁の像を小さな格子まどから観ることができます。

  • 小野篁が夜に冥途に通ったといわれる井戸の説明。

    小野篁が夜に冥途に通ったといわれる井戸の説明。

  • 実際の場所には行けませんでした。<br />格子窓から。

    実際の場所には行けませんでした。
    格子窓から。

  • 写真がありました。

    写真がありました。

  • 奥のほうにある井戸です。<br />格子窓から。<br /><br />特別公開のときには近くで見れるようです。<br /><br /><br />こちらは冥途通いの井戸ですが、2011年に隣接の場所から発見された井戸があり、こちらは小野篁が冥土からの帰路に使ったと伝わる黄泉帰りの井戸も発見されています。

    イチオシ

    奥のほうにある井戸です。
    格子窓から。

    特別公開のときには近くで見れるようです。


    こちらは冥途通いの井戸ですが、2011年に隣接の場所から発見された井戸があり、こちらは小野篁が冥土からの帰路に使ったと伝わる黄泉帰りの井戸も発見されています。

  • 地蔵堂。<br />

    地蔵堂。

  • 説明にもありますが、このあたりは平安時代、現生と冥土との境「六道の辻」と呼ばれ、当時の疫病などにより亡くなった人々のために、空海が一夜にして大きな地蔵尊を造ったといわれています。

    説明にもありますが、このあたりは平安時代、現生と冥土との境「六道の辻」と呼ばれ、当時の疫病などにより亡くなった人々のために、空海が一夜にして大きな地蔵尊を造ったといわれています。

  • 古来からの現生と冥界との境「六道の辻」と呼ばれた場所。<br /><br />小野篁の伝説も生まれた背景を考えると興味深いです。

    古来からの現生と冥界との境「六道の辻」と呼ばれた場所。

    小野篁の伝説も生まれた背景を考えると興味深いです。

  • 近くの建仁寺へも向かいます。

    近くの建仁寺へも向かいます。

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