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2021年8月14日(土)9時半、雨の中、諏訪大社下社秋宮に到着。諏訪大社は諏訪湖を挟んで二社四宮が鎮座しており、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。<br /><br />創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つとも云われるほど古くから存在する。文献上は「日本書紀」で、691年に「信濃須波」の神を祀るというのが初見。古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。1180年には上社・下社の区別が明示され、勝劣あるべからずとされている。<br /><br />鎌倉時代になると平家没官領として源頼朝に給付される。その後、鎌倉幕府は鷹狩禁止令を出したが、諏訪大明神の贄鷹の神事については例外的に許可したため、諸国の御家人が諏訪大社を相次いで勧請する契機となり、そのため全国に諏訪神社が生まれ、諏訪大祝(おおほおり)一族が諏訪流の鷹狩を伝えることになった。<br /><br />中世では武田信玄も尊崇し、軍旗に掲げられた「南無諏訪南宮法性上下大明神」は諏訪大社のこと。兜も諏訪法性兜で、歌舞伎、映画や時代劇で有名。霧ヶ峰山上の八島ヶ原湿原近くにある旧御射山(もとみさやま)は下社の社地で、湿原を水田とみなす「神の田」として信仰されて来た。<br /><br />明治の神仏分離、廃仏毀釈までの神仏習合時代には、別当となる神宮寺があり、千手観音を本地仏にしていたが廃寺となり、本尊の千手観音像は岡谷市の照光寺に遷された。<br /><br />諏訪大社全体で祀る主祭神は大国主神の御子神とされる建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃とされる八坂刀売神(やさかとめのかみ)。糸魚川市などに残される伝承では、建御名方神はフォッサマグナ沿いに姫川をたどり、諏訪湖に鎮座したとのこと。<br /><br />それぞれの社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられている。御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。寅と申の年の御柱祭で建て替えられる。<br /><br />下社は上社に対しては下流の位置にある。同格の秋宮と春宮からなり、御霊代が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。秋宮は町の東端に鎮座する。毎年8月から翌1月末まで祭神が祀られるため、秋宮と呼ばれている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある(後述)。<br /><br />大社通りの東の突き当りに下社秋宮の鳥居が建つが、この鳥居前広場前の右手に南から来るのが江戸からの甲州街道(現在の国道142号線)。ここで東に方向を変え鳥居の左手に続き、約100mほど先で中山道に合流していた(下の写真1)。<br /><br />鳥居前広場の北側には手水舎があり、その隣には日本電産サンキョーオルゴール塔もある。このオルゴール塔は三協精機(現日本電産サンキョー)が地元の人や観光客にオルゴールに親しんでもらえるよう建立したもの。朝の8時から夕方4時まで20分毎に30弁オルゴールが優しい音色を聞かせ、からくり装置が稼働する。その奥の千尋池からはかつて下社の宝印の賣神祝印(国の重文)が掘り出された。<br /><br />神橋を渡り鳥居を抜けて表参道の坂道を上がると左右の参道に分かれるが、その間に根入りの杉がそびえている。樹齢800年で、幹周5m、樹高35m。真夜中を過ぎると枝先を垂れ下げて寝入ってしまい、いびきが聞こえると云われることから寝入りの杉→根入りの杉となったようだ。子どもに木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まると云う言い伝えもあり、諏訪七不思議のひとつ。<br /><br />寝入りの杉の奥に神楽殿。神様に雅楽や舞を奉納したり祈願を行う三方切妻造りの建物で、上社本宮の幣拝殿を手掛けた立川和四郎二代目富昌の作。江戸時代末期の1835年造営で、国の重文に指定されている。雨が酷くなってきて、写真にも雨が写り込む。<br /><br />正面に飾られている注連縄は御柱祭の前年に新調されるもので、長さ7.5mで、重さは1tある。この年の年末に建物の負担を減らすために軽量化された重さ約800㎏のものに新調されたそうだが、この時点では2015年製のもの。建物前の狛犬は1960年、彫刻家清水多嘉示氏作。身長1.7mあり、青銅製では日本一と云われる。<br /><br />神楽殿を回り込むと幣拝殿と左右片拝殿が並ぶ。本殿を持たない諏訪造りといわれる独特の様式で、いずれも国の重文に指定されている。後ほど行く下社春宮にも同じような幣拝殿と左右片拝殿があるが、春宮は大隅流、秋宮は立川流という流派の異なる宮大工によって、同じ絵図面で技を競うように建てられた。<br /><br />幣殿と拝殿が一体となっており、一階部分には屋根がなく、二階部分にだけ屋根が乗せられた二重楼門造りで、左右に片拝殿が並ぶ。江戸中期の1781年に諏訪高島藩の命により立川和四郎初代富棟の棟梁で落成した。幣拝殿、左右片拝殿とも国の重文。二階には先の反った跳勾欄を回し、全体に見事な彫刻が施されている。<br /><br />幣拝殿の奥には神明造りの宝殿が2棟建っている(下の写真2)。新しい方が神殿、古い方が権殿で、寅年と申年毎に権殿を取り壊して新しい宝殿を建て、遷座祭を行う。なお、室町時代の記録では新築後6年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったそうだ。<br /><br />さらに宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残している。<br /><br />左右片拝殿の前には、御柱が建っているが、右片拝殿の前が一番太くて大きい一の御柱。前回(2016年)の御柱祭の際、霧ヶ峰から10kmもの道のりを切り出されたもので、直径1m、長さ17m、重さ16tの樅の木。左片拝殿の前が二の御柱で、その奥が三の御柱、一の御柱の奥が四の御柱で、徐々に小さくなっている。三の御柱は表から見えなかったが、後で回り込んだ北側外から見えた。<br /><br />一の御柱の左にあるのは天覧の白松(三葉の松)。1964年に昭和天皇皇后両陛下が参拝されたためこのように呼ばれている。一般的な松の葉は二葉だが、この木には三葉となっているものがあり、これを財布に入れておくとお金が貯まると云われる。<br /><br />境内の左右奥には摂社・末社が並ぶ。一の御柱側に並ぶのは摂社の若宮社を真ん中に末社の皇大神宮社と稲荷社(下の写真3)。二の御柱側は鹿島社・子安社・賀茂上下社・八坂社の4つの末社(下の写真4)。この末社の左手には神宮逍遥所もある(下の写真5)。<br /><br />戻り道、根入りの杉の辺りから南側に逸れて降りて行くと日本の国歌「君が代」の歌詞にも出てくるさざれ石がある。平安時代前期に発見されたもので、石灰が雨水に溶けて粘着力の強い乳状液となり、何千年・何万年もの時間をかけて小粒な石を結合して、少しずつ大きな巖となって苔むした石。その少し下には御神湯と云う温泉が龍の口から流れ出る手水。これは珍しいわ。<br /><br />そこから南に駐車場を抜けて進むと忠魂碑が建つが、明治の陸軍軍人、大山巌筆で、元々は明治末の1911年(明治44年)に建てられたものだが、終戦に伴い一時撤去され、1954年に再建され、1965年にこの場所に移設された。大山巌は西郷隆盛の従兄弟で、日本初の米国留学女学生の一人山川捨松と結婚したことでも有名。大河の「八重の桜」では反町隆史が演じていた。なお、捨松は水原希子だった。<br /><br />この忠魂碑の西側の丘にも2つの末社がある。諏訪大神「建御名方神」の父神「大国主神」と兄神「事代主神」を祀った秋宮恵比寿社(下の写真6)と武神「第15代 応神天皇」とその母「息長足姫命」および「比賣大神」を、八幡三神として祀った八幡社(下の写真7)。<br /><br />さらにこの丘には1912年(明治45年)に諏訪神社創建1200年を記念して建てた「祭神如神在」の碑もある(下の写真8)。「神を祭ること神在(いま)すが如くす」と読み、「(孔子が)神様を祭る場合には、あたかも神様がそこに降臨されているかのように敬虔な態度を示した」と云う意味で、創建1200年を迎え、さらに神様をお祀りして行こうと云うよな意味らしい。<br /><br />根入りの杉のところから北側の階段を降りたところには宝物殿があり、源頼朝直筆の下文(鎌倉時代の公文書)などが収蔵されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7816364681766821&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />(22/9/2追加)余談だが、全く思い出さなかったが、42年前の1979年の8月に家族で行ってたと云うのが後で分かった。下の写真9だが、こんな鳥居の下に階段の場所って今はないよなあ・・・<br /><br /><br />次は中山道下諏訪宿跡に進むが、続く

長野 諏訪大社下社秋宮(Lower Fall Shrine,Suwa-taisha,Shimosuwa,Nagano,JP)

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2021/08/14 - 2021/08/14

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年8月14日(土)9時半、雨の中、諏訪大社下社秋宮に到着。諏訪大社は諏訪湖を挟んで二社四宮が鎮座しており、全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。

創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つとも云われるほど古くから存在する。文献上は「日本書紀」で、691年に「信濃須波」の神を祀るというのが初見。古くから軍神として崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたと伝えられる。1180年には上社・下社の区別が明示され、勝劣あるべからずとされている。

鎌倉時代になると平家没官領として源頼朝に給付される。その後、鎌倉幕府は鷹狩禁止令を出したが、諏訪大明神の贄鷹の神事については例外的に許可したため、諸国の御家人が諏訪大社を相次いで勧請する契機となり、そのため全国に諏訪神社が生まれ、諏訪大祝(おおほおり)一族が諏訪流の鷹狩を伝えることになった。

中世では武田信玄も尊崇し、軍旗に掲げられた「南無諏訪南宮法性上下大明神」は諏訪大社のこと。兜も諏訪法性兜で、歌舞伎、映画や時代劇で有名。霧ヶ峰山上の八島ヶ原湿原近くにある旧御射山(もとみさやま)は下社の社地で、湿原を水田とみなす「神の田」として信仰されて来た。

明治の神仏分離、廃仏毀釈までの神仏習合時代には、別当となる神宮寺があり、千手観音を本地仏にしていたが廃寺となり、本尊の千手観音像は岡谷市の照光寺に遷された。

諏訪大社全体で祀る主祭神は大国主神の御子神とされる建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃とされる八坂刀売神(やさかとめのかみ)。糸魚川市などに残される伝承では、建御名方神はフォッサマグナ沿いに姫川をたどり、諏訪湖に鎮座したとのこと。

それぞれの社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ4本のモミの柱が建てられている。御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。寅と申の年の御柱祭で建て替えられる。

下社は上社に対しては下流の位置にある。同格の秋宮と春宮からなり、御霊代が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。秋宮は町の東端に鎮座する。毎年8月から翌1月末まで祭神が祀られるため、秋宮と呼ばれている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある(後述)。

大社通りの東の突き当りに下社秋宮の鳥居が建つが、この鳥居前広場前の右手に南から来るのが江戸からの甲州街道(現在の国道142号線)。ここで東に方向を変え鳥居の左手に続き、約100mほど先で中山道に合流していた(下の写真1)。

鳥居前広場の北側には手水舎があり、その隣には日本電産サンキョーオルゴール塔もある。このオルゴール塔は三協精機(現日本電産サンキョー)が地元の人や観光客にオルゴールに親しんでもらえるよう建立したもの。朝の8時から夕方4時まで20分毎に30弁オルゴールが優しい音色を聞かせ、からくり装置が稼働する。その奥の千尋池からはかつて下社の宝印の賣神祝印(国の重文)が掘り出された。

神橋を渡り鳥居を抜けて表参道の坂道を上がると左右の参道に分かれるが、その間に根入りの杉がそびえている。樹齢800年で、幹周5m、樹高35m。真夜中を過ぎると枝先を垂れ下げて寝入ってしまい、いびきが聞こえると云われることから寝入りの杉→根入りの杉となったようだ。子どもに木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まると云う言い伝えもあり、諏訪七不思議のひとつ。

寝入りの杉の奥に神楽殿。神様に雅楽や舞を奉納したり祈願を行う三方切妻造りの建物で、上社本宮の幣拝殿を手掛けた立川和四郎二代目富昌の作。江戸時代末期の1835年造営で、国の重文に指定されている。雨が酷くなってきて、写真にも雨が写り込む。

正面に飾られている注連縄は御柱祭の前年に新調されるもので、長さ7.5mで、重さは1tある。この年の年末に建物の負担を減らすために軽量化された重さ約800㎏のものに新調されたそうだが、この時点では2015年製のもの。建物前の狛犬は1960年、彫刻家清水多嘉示氏作。身長1.7mあり、青銅製では日本一と云われる。

神楽殿を回り込むと幣拝殿と左右片拝殿が並ぶ。本殿を持たない諏訪造りといわれる独特の様式で、いずれも国の重文に指定されている。後ほど行く下社春宮にも同じような幣拝殿と左右片拝殿があるが、春宮は大隅流、秋宮は立川流という流派の異なる宮大工によって、同じ絵図面で技を競うように建てられた。

幣殿と拝殿が一体となっており、一階部分には屋根がなく、二階部分にだけ屋根が乗せられた二重楼門造りで、左右に片拝殿が並ぶ。江戸中期の1781年に諏訪高島藩の命により立川和四郎初代富棟の棟梁で落成した。幣拝殿、左右片拝殿とも国の重文。二階には先の反った跳勾欄を回し、全体に見事な彫刻が施されている。

幣拝殿の奥には神明造りの宝殿が2棟建っている(下の写真2)。新しい方が神殿、古い方が権殿で、寅年と申年毎に権殿を取り壊して新しい宝殿を建て、遷座祭を行う。なお、室町時代の記録では新築後6年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったそうだ。

さらに宝殿の奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所。上社の神体山に対し下社は御神木を御神体として拝し、古代祭祀の形式を今に残している。

左右片拝殿の前には、御柱が建っているが、右片拝殿の前が一番太くて大きい一の御柱。前回(2016年)の御柱祭の際、霧ヶ峰から10kmもの道のりを切り出されたもので、直径1m、長さ17m、重さ16tの樅の木。左片拝殿の前が二の御柱で、その奥が三の御柱、一の御柱の奥が四の御柱で、徐々に小さくなっている。三の御柱は表から見えなかったが、後で回り込んだ北側外から見えた。

一の御柱の左にあるのは天覧の白松(三葉の松)。1964年に昭和天皇皇后両陛下が参拝されたためこのように呼ばれている。一般的な松の葉は二葉だが、この木には三葉となっているものがあり、これを財布に入れておくとお金が貯まると云われる。

境内の左右奥には摂社・末社が並ぶ。一の御柱側に並ぶのは摂社の若宮社を真ん中に末社の皇大神宮社と稲荷社(下の写真3)。二の御柱側は鹿島社・子安社・賀茂上下社・八坂社の4つの末社(下の写真4)。この末社の左手には神宮逍遥所もある(下の写真5)。

戻り道、根入りの杉の辺りから南側に逸れて降りて行くと日本の国歌「君が代」の歌詞にも出てくるさざれ石がある。平安時代前期に発見されたもので、石灰が雨水に溶けて粘着力の強い乳状液となり、何千年・何万年もの時間をかけて小粒な石を結合して、少しずつ大きな巖となって苔むした石。その少し下には御神湯と云う温泉が龍の口から流れ出る手水。これは珍しいわ。

そこから南に駐車場を抜けて進むと忠魂碑が建つが、明治の陸軍軍人、大山巌筆で、元々は明治末の1911年(明治44年)に建てられたものだが、終戦に伴い一時撤去され、1954年に再建され、1965年にこの場所に移設された。大山巌は西郷隆盛の従兄弟で、日本初の米国留学女学生の一人山川捨松と結婚したことでも有名。大河の「八重の桜」では反町隆史が演じていた。なお、捨松は水原希子だった。

この忠魂碑の西側の丘にも2つの末社がある。諏訪大神「建御名方神」の父神「大国主神」と兄神「事代主神」を祀った秋宮恵比寿社(下の写真6)と武神「第15代 応神天皇」とその母「息長足姫命」および「比賣大神」を、八幡三神として祀った八幡社(下の写真7)。

さらにこの丘には1912年(明治45年)に諏訪神社創建1200年を記念して建てた「祭神如神在」の碑もある(下の写真8)。「神を祭ること神在(いま)すが如くす」と読み、「(孔子が)神様を祭る場合には、あたかも神様がそこに降臨されているかのように敬虔な態度を示した」と云う意味で、創建1200年を迎え、さらに神様をお祀りして行こうと云うよな意味らしい。

根入りの杉のところから北側の階段を降りたところには宝物殿があり、源頼朝直筆の下文(鎌倉時代の公文書)などが収蔵されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7816364681766821&type=1&l=223fe1adec

(22/9/2追加)余談だが、全く思い出さなかったが、42年前の1979年の8月に家族で行ってたと云うのが後で分かった。下の写真9だが、こんな鳥居の下に階段の場所って今はないよなあ・・・


次は中山道下諏訪宿跡に進むが、続く

  • 写真1 鳥居前広場

    写真1 鳥居前広場

  • 写真2 宝殿

    写真2 宝殿

  • 写真3 若宮社・皇大神宮社・稲荷社

    写真3 若宮社・皇大神宮社・稲荷社

  • 写真4 鹿島社・子安社・賀茂上下社・八坂社

    写真4 鹿島社・子安社・賀茂上下社・八坂社

  • 写真5 神宮逍遥所

    写真5 神宮逍遥所

  • 写真6 秋宮恵比寿社

    写真6 秋宮恵比寿社

  • 写真7 八幡社

    写真7 八幡社

  • 写真8 祭神如神在の碑

    写真8 祭神如神在の碑

  • 写真9 42年前の写真

    写真9 42年前の写真

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