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2021年7月14日(土)4時半前、形原神社から旧山陰街道を少し南に進むと高札所跡の案内板があるが、ここから西に延びる本町通りには京格子や虫籠窓など昔ながらの街並みが残る。高札とは現在で云うと新しい法律や罪人の罪状などを一般民衆に周知するために掲げる板札で、大手門へ向かう街道筋であるこの場所に高札を掲げる高札所が設けられていた。<br /><br />カラー塗装された本町通りを西に進むと、板壁の続く立派な屋敷があり、立札が建っているが、風雨で薄くなってなかなか読み取れないが、山脇東洋の生家とある。全然知らなかったが、江戸中期の1754年に京都の神泉苑の南にあった六角獄舎で、日本で初めて人体解剖を行ったお医者さんとのこと。解剖と云うと杉田玄白や前野良沢しか思いつかないが、彼らの1世代上で、彼らは山脇東洋の影響を受けているそうだ。この家は彼の生家である清水家の家屋(20歳の時に山脇家に養子で入った)。<br /><br />さらに西に少し進むと亀岡祭山鉾の一つの三輪山の説明が立つ(下の写真1)。亀岡祭とは上の形原神社のところで説明した鍬山神社の例祭のこと。10月25日の還幸祭に合わせて11基の山鉾が前々日の宵々山に建てられ、当日には巡行を行う。巡行する様子から、丹波の祇園祭とも呼ばれる。祭は室町時代に始まり、戦国時代の混乱の中で一時廃れたが、江戸時代になって歴代藩主の庇護を受けて町衆の力により徐々に復興した。<br /><br />太平洋戦争によって中断した祭が1953年頃に復活したが、当初はこの三輪山だけがここ本町の東端から西端まで運航されて祭を盛り上げていた。1749年に小振りの舁山(かきやま)として造られたが、1781年に曳山の鉾として改装された。大和の国三輪山麓に鎮座する大神神社の祭神である大物主大神をご神体とし、能楽「三輪」の後シテの女神像で表している。この説明板の近くの交差点を南に少し入ったところに保存庫がある。<br /><br />そこからもう少し西に進むと本町カフェと云う町屋造りの城下町歴史街並み案内所。2012年に亀岡市観光協会がオープンした観光拠点施設。木製の格子戸越しに街並みが見える部屋や亀岡城から譲り受けた襖絵のある部屋があるが、奥の部屋からは四季折々の表情を見せる庭を眺められる。<br />http://honmachi-cafe.com/<br /><br />一間一席のゆったりした空間で亀岡の食材を使った料理やお菓子を戴けるとのことで、一休みしてケーキとコーヒーを戴こうと思ったのだが、4時半過ぎで、店時間は5時だが、もう何もないとのことで何も戴けなかった。<br /><br />ただ、これは予定してなかったのだが、いつも常駐しておられると云うボランティアの亀岡ガイドの会の方が、帰る前に案内しましょうと云ってくださって、ありがたくお願いすることにする。後でお話ししてたら、私の卒業した立命館大学の先輩で同時期に衣笠キャンパスに在籍したこともあったのが分かって驚いた。まあ、地元やしね~<br /><br />まずは本町カフェと三輪山保存庫の間、北側への三差路を北に入ると、本町辻子と呼ばれる奥まった静かな路地に本町三ケ寺とも呼ばれる寺が3つ寄り添って並んでいる。<br /><br />一番西のお寺は本門寺。法華宗のお寺で山号は鷲林山、ご本尊は十界曼荼羅。法華宗の開祖である日蓮上人の弟子の日弁上人により開かれた千葉県茂原にある長国山鷲山寺の表本山として、鎌倉末期の正和年間(1312年~1317年)に日弁の弟子であった藤原定家の末孫、日寿により京都二条柳馬場の藤原定家の旧邸を寺として開創した。<br /><br />応仁の乱で焼失後の1493年に亀岡市西部、湯ノ花温泉の手前の山内郷奥条村(現在の稗田野町奥条)に移転し、さらに1600年に丹波亀山藩主となった前田玄以が現在地に移した。その時、本門寺は分家して一つは京都へ戻り、一条七本松にある宥清寺(ゆうせいじ)となっている。門前の題目石に1718年に建てられたもの(下の写真2)。<br /><br />そのお隣の壽仙院は浄土宗のお寺で、山号は霊松山。戦国時代の1572年に霊松山浄土寺として創建されたと伝えられるが詳細は不明。明智光秀が厚く帰依した大誉春光和尚を中興開山として亀山城の本丸の地にあり、1592年に小早川秀秋が息子の一存の菩提を弔うために米二石を寄進した五箇寺の一つとして壽仙院に改称、さらに城主前田玄以の時、現在地に移された。茶室への路地を進むと、水琴窟が設えてあり、清らかな音色を響かせている(下の写真3)。<br /><br />最後、法華寺は日蓮宗の寺で、室町時代の1464年の創建。関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返って徳川家康勝利に貢献したといわれる小早川秀秋が1589年に丹波亀山城主になり、寺院を城下に配置しなおした際に丁重に庇護されて移ったと云われている。城下の寺院本堂の中で最も古い1709年建造の本堂に祀られている高祖日蓮上人像は、身延山日号上人の作と伝えられている(下の写真4)。<br /><br />さらにこの本町辻子には5つのお堂が置かれている。路地の両端、東端の法華寺前には鬼子母神、西端の本門寺前には大黒さんが向かい合っている。さらに、壽仙院と法華寺の間に弘法大師堂、天満宮、妙見堂が並ぶ。なお、妙見堂に祀られている妙見大士大菩薩は身延山日堅上人の作と伝えられている。<br /><br />5時前、ガイドして下さってる先輩が、車で移動してもう少しガイドして下さると云うことで、ありがたくお願いすることにし、本町カフェに戻る。本町辻子を本町カフェに戻る路地に「かくれ布や」と云う看板が掛かかる入口がある(下の写真5)。中には入ってないのだが、日本の着物地と天然染め素材のオリジナル婦人服とバッグなどを製造・販売している店の工房らしい。店舗は京都の錦小路や八坂通り、嵐山にあるようだ。元々山口で創業されたそうだが、福岡を経て、2001年からここに工房を構えられているらしい。<br /><br />柿渋を使った染をされているそうだが、柿渋とは、まだ青いうちに収穫した渋柿の未熟果を搾汁し発酵熟成させたもので、日本では古くから、この柿渋を塗料や染料、あるいは万能民間薬として、マルチに活用して来た。家屋や生活道具、衣料品の耐久性を高め、防水・防虫・防腐・消臭効果を与えるなど、その効能は驚くほど多彩だそうだ。<br /><br />本町カフェの西側にも大きな三角の妻面が通りに面している妻入り造りの立派な古民家があり、「アレックス 探索・警備犬研究所」と云う看板が掛かっているが、調べても何なのか分からなかった。ガイドの方に聞けばよかったなあ・・・<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7576685922401366&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />車に同乗させて戴き、西竪町の寺へ向かうが、続く

京都 亀岡 本町(Honmachi,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2021/07/14 - 2021/07/14

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年7月14日(土)4時半前、形原神社から旧山陰街道を少し南に進むと高札所跡の案内板があるが、ここから西に延びる本町通りには京格子や虫籠窓など昔ながらの街並みが残る。高札とは現在で云うと新しい法律や罪人の罪状などを一般民衆に周知するために掲げる板札で、大手門へ向かう街道筋であるこの場所に高札を掲げる高札所が設けられていた。

カラー塗装された本町通りを西に進むと、板壁の続く立派な屋敷があり、立札が建っているが、風雨で薄くなってなかなか読み取れないが、山脇東洋の生家とある。全然知らなかったが、江戸中期の1754年に京都の神泉苑の南にあった六角獄舎で、日本で初めて人体解剖を行ったお医者さんとのこと。解剖と云うと杉田玄白や前野良沢しか思いつかないが、彼らの1世代上で、彼らは山脇東洋の影響を受けているそうだ。この家は彼の生家である清水家の家屋(20歳の時に山脇家に養子で入った)。

さらに西に少し進むと亀岡祭山鉾の一つの三輪山の説明が立つ(下の写真1)。亀岡祭とは上の形原神社のところで説明した鍬山神社の例祭のこと。10月25日の還幸祭に合わせて11基の山鉾が前々日の宵々山に建てられ、当日には巡行を行う。巡行する様子から、丹波の祇園祭とも呼ばれる。祭は室町時代に始まり、戦国時代の混乱の中で一時廃れたが、江戸時代になって歴代藩主の庇護を受けて町衆の力により徐々に復興した。

太平洋戦争によって中断した祭が1953年頃に復活したが、当初はこの三輪山だけがここ本町の東端から西端まで運航されて祭を盛り上げていた。1749年に小振りの舁山(かきやま)として造られたが、1781年に曳山の鉾として改装された。大和の国三輪山麓に鎮座する大神神社の祭神である大物主大神をご神体とし、能楽「三輪」の後シテの女神像で表している。この説明板の近くの交差点を南に少し入ったところに保存庫がある。

そこからもう少し西に進むと本町カフェと云う町屋造りの城下町歴史街並み案内所。2012年に亀岡市観光協会がオープンした観光拠点施設。木製の格子戸越しに街並みが見える部屋や亀岡城から譲り受けた襖絵のある部屋があるが、奥の部屋からは四季折々の表情を見せる庭を眺められる。
http://honmachi-cafe.com/

一間一席のゆったりした空間で亀岡の食材を使った料理やお菓子を戴けるとのことで、一休みしてケーキとコーヒーを戴こうと思ったのだが、4時半過ぎで、店時間は5時だが、もう何もないとのことで何も戴けなかった。

ただ、これは予定してなかったのだが、いつも常駐しておられると云うボランティアの亀岡ガイドの会の方が、帰る前に案内しましょうと云ってくださって、ありがたくお願いすることにする。後でお話ししてたら、私の卒業した立命館大学の先輩で同時期に衣笠キャンパスに在籍したこともあったのが分かって驚いた。まあ、地元やしね~

まずは本町カフェと三輪山保存庫の間、北側への三差路を北に入ると、本町辻子と呼ばれる奥まった静かな路地に本町三ケ寺とも呼ばれる寺が3つ寄り添って並んでいる。

一番西のお寺は本門寺。法華宗のお寺で山号は鷲林山、ご本尊は十界曼荼羅。法華宗の開祖である日蓮上人の弟子の日弁上人により開かれた千葉県茂原にある長国山鷲山寺の表本山として、鎌倉末期の正和年間(1312年~1317年)に日弁の弟子であった藤原定家の末孫、日寿により京都二条柳馬場の藤原定家の旧邸を寺として開創した。

応仁の乱で焼失後の1493年に亀岡市西部、湯ノ花温泉の手前の山内郷奥条村(現在の稗田野町奥条)に移転し、さらに1600年に丹波亀山藩主となった前田玄以が現在地に移した。その時、本門寺は分家して一つは京都へ戻り、一条七本松にある宥清寺(ゆうせいじ)となっている。門前の題目石に1718年に建てられたもの(下の写真2)。

そのお隣の壽仙院は浄土宗のお寺で、山号は霊松山。戦国時代の1572年に霊松山浄土寺として創建されたと伝えられるが詳細は不明。明智光秀が厚く帰依した大誉春光和尚を中興開山として亀山城の本丸の地にあり、1592年に小早川秀秋が息子の一存の菩提を弔うために米二石を寄進した五箇寺の一つとして壽仙院に改称、さらに城主前田玄以の時、現在地に移された。茶室への路地を進むと、水琴窟が設えてあり、清らかな音色を響かせている(下の写真3)。

最後、法華寺は日蓮宗の寺で、室町時代の1464年の創建。関ヶ原の戦いで、西軍から東軍に寝返って徳川家康勝利に貢献したといわれる小早川秀秋が1589年に丹波亀山城主になり、寺院を城下に配置しなおした際に丁重に庇護されて移ったと云われている。城下の寺院本堂の中で最も古い1709年建造の本堂に祀られている高祖日蓮上人像は、身延山日号上人の作と伝えられている(下の写真4)。

さらにこの本町辻子には5つのお堂が置かれている。路地の両端、東端の法華寺前には鬼子母神、西端の本門寺前には大黒さんが向かい合っている。さらに、壽仙院と法華寺の間に弘法大師堂、天満宮、妙見堂が並ぶ。なお、妙見堂に祀られている妙見大士大菩薩は身延山日堅上人の作と伝えられている。

5時前、ガイドして下さってる先輩が、車で移動してもう少しガイドして下さると云うことで、ありがたくお願いすることにし、本町カフェに戻る。本町辻子を本町カフェに戻る路地に「かくれ布や」と云う看板が掛かかる入口がある(下の写真5)。中には入ってないのだが、日本の着物地と天然染め素材のオリジナル婦人服とバッグなどを製造・販売している店の工房らしい。店舗は京都の錦小路や八坂通り、嵐山にあるようだ。元々山口で創業されたそうだが、福岡を経て、2001年からここに工房を構えられているらしい。

柿渋を使った染をされているそうだが、柿渋とは、まだ青いうちに収穫した渋柿の未熟果を搾汁し発酵熟成させたもので、日本では古くから、この柿渋を塗料や染料、あるいは万能民間薬として、マルチに活用して来た。家屋や生活道具、衣料品の耐久性を高め、防水・防虫・防腐・消臭効果を与えるなど、その効能は驚くほど多彩だそうだ。

本町カフェの西側にも大きな三角の妻面が通りに面している妻入り造りの立派な古民家があり、「アレックス 探索・警備犬研究所」と云う看板が掛かっているが、調べても何なのか分からなかった。ガイドの方に聞けばよかったなあ・・・
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7576685922401366&type=1&l=223fe1adec


車に同乗させて戴き、西竪町の寺へ向かうが、続く

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  • 写真1 亀岡祭山鉾 三輪山説明

    写真1 亀岡祭山鉾 三輪山説明

  • 写真2 本門寺の題目石

    写真2 本門寺の題目石

  • 写真3 壽仙院の水琴窟

    写真3 壽仙院の水琴窟

  • 写真4 法華寺本堂

    写真4 法華寺本堂

  • 写真5 かくれ布や

    写真5 かくれ布や

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