亀岡旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2021年7月14日(土)4時前、亀岡駅南の南郷公園から公園の東端、公園と並行して走るクニッテルフェルト(Knittelfeld)通りと京都府道25号亀岡園部線の交差点の北東にある亀岡市文化資料館へ移動。この資料館では亀岡の歴史や文化の調査・研究・展示を行っているほか、小学生と保護者に向けた子ども歴史学校も開催している。<br /><br />1985年11月に開館。前年までは女子技芸専門学校の校舎として使われていた。この学校は1957年に亀岡市内9ヶ所の裁縫学校が統合されて開校した学校で、当初は城の南、現在の亀岡高校辺りにあったが、1974年に新築してこの地に移転、1984年に閉校した。<br /><br />入口を入るとロビーに江戸時代の城下町のジオラマなどが展示されており、この部分は自由に見ることが出来る。奥の展示室は有料(大人210円)(下の写真1)。展示室では亀岡地方の縄文時代から大正時代までの歴史や亀岡市のあゆみなどの紹介・展示を行っている(下の写真2、3)。また年に1回の特別展、年に2回の企画展なども開催されており、この時は「丹波の天変地異展」が開催されていた。<br /><br />資料館の外には石棺や常燈、道標などがある。石棺は市の西南部の曽我部町法貴森山で発見された法貴19号墳から移築したもの。この古墳は6世紀から7世紀初期に造られたものとされる。<br /><br />石棺からは、頭蓋骨などの人骨、金メッキされた耳飾りなどが出土しているが、成人を安置できる大きさではなく、死後に改葬されたものと推測され、京都府下で他に改葬された墓は、私の住んでいる京田辺の堀切古墳群でしか見つかっておらず、古代に行われていた葬送儀礼である殯(もがり)の存在を示す貴重な例とされる。<br /><br />常燈(常夜燈)は城の北東の河原町にあったもので、2003年に住宅開発に伴いここに移設された。裏面に「文政十丁亥春正月建酢屋」と刻まれており、江戸後期の1827年に建立されたもの。常燈は元々は神仏の前で常に灯されていた燈火だったが、江戸時代以降に、石燈籠型式の常夜燈が街道筋に沿って建てられ、道標を兼ねて旅人の目標にもなった。<br /><br />道標は2つあり、市域の最南部の東別院町南掛にあったものは亀岡市内で最も古い道標で江戸中期の元禄時代、1703年に建てられたもの。西国三十三所巡礼の総持寺(大阪府茨木市)を案内するもの。もう一つは亀山城下の西の出入口である穴太口に建っていたもの。山陰街道から西国三十三所巡礼の穴太寺、さらに能勢妙見山を経て摂津国へ抜ける道を案内している。<br /><br />さらに防火水槽もあるが、太平洋戦争時に空襲に備えて民家に設置されたもの。市役所近くの荒塚町の民家に残っていたもの。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7541006225969336&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />城下町を歩くが、続く

京都 亀岡市文化資料館(Cultural Museum,Kameoka,Kyoto,Japan)

8いいね!

2021/07/14 - 2021/07/14

237位(同エリア363件中)

旅行記グループ 亀岡

0

3

ちふゆ

ちふゆさん

2021年7月14日(土)4時前、亀岡駅南の南郷公園から公園の東端、公園と並行して走るクニッテルフェルト(Knittelfeld)通りと京都府道25号亀岡園部線の交差点の北東にある亀岡市文化資料館へ移動。この資料館では亀岡の歴史や文化の調査・研究・展示を行っているほか、小学生と保護者に向けた子ども歴史学校も開催している。

1985年11月に開館。前年までは女子技芸専門学校の校舎として使われていた。この学校は1957年に亀岡市内9ヶ所の裁縫学校が統合されて開校した学校で、当初は城の南、現在の亀岡高校辺りにあったが、1974年に新築してこの地に移転、1984年に閉校した。

入口を入るとロビーに江戸時代の城下町のジオラマなどが展示されており、この部分は自由に見ることが出来る。奥の展示室は有料(大人210円)(下の写真1)。展示室では亀岡地方の縄文時代から大正時代までの歴史や亀岡市のあゆみなどの紹介・展示を行っている(下の写真2、3)。また年に1回の特別展、年に2回の企画展なども開催されており、この時は「丹波の天変地異展」が開催されていた。

資料館の外には石棺や常燈、道標などがある。石棺は市の西南部の曽我部町法貴森山で発見された法貴19号墳から移築したもの。この古墳は6世紀から7世紀初期に造られたものとされる。

石棺からは、頭蓋骨などの人骨、金メッキされた耳飾りなどが出土しているが、成人を安置できる大きさではなく、死後に改葬されたものと推測され、京都府下で他に改葬された墓は、私の住んでいる京田辺の堀切古墳群でしか見つかっておらず、古代に行われていた葬送儀礼である殯(もがり)の存在を示す貴重な例とされる。

常燈(常夜燈)は城の北東の河原町にあったもので、2003年に住宅開発に伴いここに移設された。裏面に「文政十丁亥春正月建酢屋」と刻まれており、江戸後期の1827年に建立されたもの。常燈は元々は神仏の前で常に灯されていた燈火だったが、江戸時代以降に、石燈籠型式の常夜燈が街道筋に沿って建てられ、道標を兼ねて旅人の目標にもなった。

道標は2つあり、市域の最南部の東別院町南掛にあったものは亀岡市内で最も古い道標で江戸中期の元禄時代、1703年に建てられたもの。西国三十三所巡礼の総持寺(大阪府茨木市)を案内するもの。もう一つは亀山城下の西の出入口である穴太口に建っていたもの。山陰街道から西国三十三所巡礼の穴太寺、さらに能勢妙見山を経て摂津国へ抜ける道を案内している。

さらに防火水槽もあるが、太平洋戦争時に空襲に備えて民家に設置されたもの。市役所近くの荒塚町の民家に残っていたもの。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7541006225969336&type=1&l=223fe1adec


城下町を歩くが、続く

  • 写真1 展示室入口

    写真1 展示室入口

  • 写真2 亀岡地方 中世のあゆみ

    写真2 亀岡地方 中世のあゆみ

  • 写真3 亀岡地方 近代のあゆみ

    写真3 亀岡地方 近代のあゆみ

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP