2021/11/15 - 2021/11/16
595位(同エリア1341件中)
まりも母さん
レトロな建物見物が大好きなまりも母
聖地明治村を見まくり 堪能しております。
開園と同時に入村し5丁目から3丁目と見まくり
半分以上は見終わりました。
当初 2日間かけて見学するつもりでしたが、
これは、少しマキを入れれば一日で全部見られるかもしれない。
と、いうことで
残り二丁目分はやや急ぎ足で廻る事になりました。
(実は2丁目より先に1丁目を見ていますが 旅行記は逆回り5丁目~で記載します)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
2丁目最初の建物は
東山梨群役所 国指定重要文化財
明治18年(1885)山梨県山梨市
この建物は 地元の職人の手によって建てられた
木造桟瓦葺のハイカラな擬洋風建築。
正面にベランダがあり
左右に翼屋がある いかにも洋館と言った意匠。
大工さんたち頑張ったんだなぁ~ と しみじみ感じる建物ではありませんか。 -
内部は あんがいあっさりとしていて
竿縁天井が採用されているなど和の設えも見られました。
特に 洋風の豪華な蛇腹引きの装飾とかはないのですが
ペンダントが下がる部分のメダリオンが特徴的でした。
円形の漆喰飾りの下にペンダント。
そのメダリオンが 和テイストな美しい鏝絵で飾られているのです。
これは、波にチドリ。 -
梅にメジロでしょうか?
季節の動植物のモチーフで まるで襖絵のような趣なのです。 -
色こそありませんが、菊の花
細かい繊細なレリーフとなっています。
素晴らしい職人技! -
牡丹?芍薬?それにオミナエシっぽい花と蝶。
それぞれ 異なるデザインの花鳥風月で
和洋折衷のメダリオンとなっているのです。
メダリオン好きの私としても これは初めて見ましたねぇ。
和室の天井にあっても良い位のええ感じや~~。
和洋折衷の洋室でも見たこと無かった! -
そして この建物には 明治村の村長室が。
現在の村長さんは第四代目 阿川佐和子氏です。
等身大のパネルがありましたね。(あえてちょっとだけ入れたけど)
このお部屋の天井は竿縁で、バリバリの和風まんまでした~。
照明器具もシャンデリアとか 入手困難だったのでしょうねぇ。 -
次に
清水病院 国指定登録有形文化財
明治30年(1897)長野県木曽郡大桑村
漆喰で塗られた土蔵造りっぽい感じです。
しかし、大きなアーチ窓もあり
建物下部には斜め格子の目地を入れ、石積み風にしたりと
洋風建築に見せる努力があちこちに見られますね。 -
入ってすぐのお部屋は待合室。
畳敷きのお部屋。
火鉢も本当にあったろうなぁ。
襖にデカデカと書かれているのは 養生訓。 -
診察室内部のディスプレイも興味深いです。
アンティーク好きに大人気の医療棚 ケビントが並び
ドクターバックも見えます。
昔の医療機器って味がありますねぇ。
子供のころお世話になった 近所の医院とおじいちゃん先生を思い出しますわ。
壁にガラスケースに入った便の標本(偽物だが)があって
毎回 ガン見していた自分を思い出した。 -
待合室の奥には薬局が。
ここで、処方箋を用意して 患者さんに渡したのですね。
2階は非公開になっています。
明治村のサイトによると 2階は和室で 家族の休息や地元民の応接室だったそう。 -
第四高等学校物理化学教室 国指定登録有形文化財
明治23年(1890)文部省技師 久留正道設計 石川県金沢市
中央部分のみ高さがあるのは 内部に階段教室があるから。 -
下見板張りの学校らしい建物。
色もレトロなピンクです。 -
入り口を入ると 奥の廊下は更に天井が高くなっています。
-
平屋の建物ですが、かなり天井高があります。
窓の位置も高く 廊下から窓越しの外も教室内も見えませんねぇ。
窓も上げ下げだから開けにくそう~。手が届かんわ~。 -
中は広い階段教室です。
左右に通路があり 机とベンチが並びます。
こういう教室 高校にも大学にもあったなぁ~。 -
階段上から見下ろした図
結構な勾配です。
出席取った後 この脇の通路にしゃがんで 隠れ
隙を見て脱走している学生いましたよね~。
大学あるある。
この階段の下って物置とかになっていますよね。 -
2丁目は煉瓦敷の通りに面して建物が並ぶ ストリートっぽくなっています。
古い建物が並び「映える」写真撮影スポットになっています。 -
洋風の建物ばかりではなく和館もあります。
東松家住宅 国指定重要文化財
明治34年(1901)名古屋市
油商から堀川貯蓄銀行と言う私立銀行を営んでいた家です。
珍しい木造3階建て。
しかし、この建物 元は江戸末期に建てられた平屋を明治28年に後ろに曳家し
2階建ての前半分を増築、さらに明治34年に3階を増築、と
何度も手が加えられての姿なのでした。 -
江戸時代の面影を感じる店部分。
梁や桁も太いです。
この位頑丈でないと3階はのせられなかったかも。
と、言うか頑丈だったから3階も増築できたのかも。 -
入り口からはまっすぐ吹き抜けの通り土間があります。
吹き抜けはさすがに3階までなので高いです。
高窓から明かりが入るので かなり明るい。 -
通り土間にはかまどもありました。
2階は非公開です。 -
千早赤坂小学校講堂 国指定登録有形文化財
明治30年(1897)大阪府
1階が体育館 2階が講堂になった建物のようです。
この時 内部ではドイツ知育玩具の展示が行われていて
そちらには興味がなかった事と時間的余裕がなく
内部はスルーしちゃいました。 -
少し離れた場所から。
アーチ状のアーケードが廻らされた素敵なデザインです。 -
京都中井酒造 国指定登録有形文化財
明治3年(1870)京都市中京区
むくり屋根、2階 虫籠窓のある建物。
通り土間のある典型的な京町屋の造りに作業スペースが付属しています。 -
黒漆喰の土蔵造りの建物は
安田銀行会津支店 国指定登録有形文化財
明治40年(1907)福島県会津若松市
会津若松市にはこういった土蔵造りの商店がいくつもありましたね。
内部は ハイカラ写真館として利用され 明治風のコスチュームで記念撮影したり
明治村内を借りた着物や袴で散策できるお店になっていたので、
入ることはしませんでした。 -
石造りの建物
札幌電話交換局 国指定重要文化財
明治31年(1898)
日本で最初に東京横浜間で電話交換業務が開始されたのが明治23年
この札幌電話交換局は明治33年から業務が開始されました。
道内初の電話交換局は 最初は市内のみだったものが
同年のうちに小樽への市外電話も可能となり
旭川、函館と順次拡大して行きました。
北海道は広大ですから、電話の普及はインフラが大変だったでしょうね。 -
頑丈な石造りであるのは、
中にある高価な電話交換の機械を火災などから守るため。
石は地元 札幌軟石と札幌硬石を箇所によって使い分けてあるそうです。
意匠も要石のあるアーチ状の窓や花紋状飾りがあったりと
なかなか凝っています。
彫刻のある部分は軟石。
この建物 博物館明治村に最初に移築が決まった建物なのだそうです。 -
内部に入り 階段の親柱
彫刻がされています。
ペンキがべったり塗られていますけれど。
壁際の柱は半分で、壁に埋め込まれたようになっていました。
絶妙なこだわりを感じます。 -
古い機械も展示されています。
2020年に足尾の掛水会館で電話資料館を見ました。
そこにも手動交換機の展示がありましたが、
もっと時代が新しく 機械は複雑そうでしたね。
この機械は、加入数の少ない 初期の時代の物ですね。 -
路面電車 名鉄1号形 の展示館です。
名古屋で 後に札幌で利用された木製の市電車両。
この車両は札幌交通局より期間限定で借り受けて展示されているものです。
予定では2023年秋までの里帰り。 -
2丁目最後の建物は
京都七条巡査派出所 国指定登録有形文化財
明治45年(1912)
赤い煉瓦と白い帯が一見「辰野式」といったデザインです。
白い部分は花崗岩ではなく、モルタル洗い出し仕上げ
煉瓦もタイル状のものなので
なんちゃって辰野式もしくは お手頃辰野式 と言えるかもしれません。 -
内部には巡査の詰所と宿直室。
窓枠やドアがレトロなグリーンで塗られている所がかわいいです。
2丁目は以上です。
実際は 2丁目見学が最後であり、この後 駐車場のある北口に戻りつつ
抜かした建物や もう一度見たい建物を廻りました。
旅行記は それらの順序とは別に丁目逆回りに掲載しています。
この続きは 最後の1丁目編へ。
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