2021/11/15 - 2021/11/16
421位(同エリア1341件中)
まりも母さん
愛知県 博物館明治村・・・
古い建物を見るのが好きなわたしには まさに聖地。
行きたいと思い続けてとっくに10年が過ぎました。
下調べ完璧に見逃しポイント無く 隅々まで見るぞ!と 気負っているばっかりで
つい、暑いからやめる。寒いから今度にする・・・。
行く前に死んじゃいそうでした・・・。
そんな思い続けていた「聖地」に 案外あっさり
コロナが沈静化している隙に!と 急遽(結局これだ)行く事になりました。
予定では丸2日 明治村の建物を見るだけを目的に 出かけてきました。
当然ながら画像が多いので、5~1の丁目に分けての旅行記にします。
5丁目から入村の為 逆回りとなります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
長く続くコロナ禍でありましたが、感染者数がかなり少なくなった11月
ダンナの 年1度の一週間休暇の間に 遂に明治村へ行く事になりました。
自分としては 130%観る 位の気持ちだったので
開村時間にイン出来るよう、出発しました。
車で5時間かかることを予想して 逆算3時起き。
暗い中 東名高速の集中工事渋滞に巻き込まれるのを避け 圏央道~中央高速で進みました。 -
諏訪湖SAで休憩。
7時前 朝日があたり始めてきました。 -
進む道からは 南アルプスや中央アルプスの山々も見えます。
高い山はもう雪をかぶっていますね。
運転しているダンナが山の写真を撮れと。
走りながらだから、良く撮れんけど~。 -
伊那谷のあたりはずーーっと霧が立ち込め、進む高速道路の左側には幻想的な景色が見えました。
カーブでそんなガスの中へ入ると
さっきまで見えた青空はすっかり モノクロームの世界へ。 -
11月の開村時間は9:30 駐車場は9時開場です。
着いたのは駐車場が開く直前。
やっと着いた~~ん。
本日一番乗り でありました。
駐車料金 普通車900円 -
公式の駐車場は明治村の北口 5丁目に近い方にあります。
公共交通機関でアクセスする場合の正門は2丁目です。
が、明治村の中でも 絶対じっくり見たいと思っている帝国ホテルは5丁目にありますので、
朝一の人が少ないうちに見ておくのも良し、と 思いました。
北口から入場し SL東京駅売店で公式ガイドブックを買い 見学スタートです!
通路にあったのは 皇居外苑鋳鉄製柵 設置明治21年(1888)
建物の他にもこうした部材も展示されています。
他に すぐそばに旧三菱二号館玄関石柱 も。 -
SL東京駅のホームには「三等客車」
SL乗車体験は この日は運休日だったので、蒸気機関車は接続されていませんでした。 -
少し紅葉の始まった木々を眺め 通路を進むと見えてきたのは
まずのお目当て 帝国ホテルの建物。 -
帝国ホテル中央玄関 国指定登録有形文化財
大正12年(1923)フランク・ロイド・ライト設計 -
近くで見るのはもちろん初めて。
大谷石の部分 大部分に細かい彫刻が施されています。
柔らかい大谷石であるから 彫刻も容易、な 気もしますが
その分 素材が荒い部分は欠け易いでしょうし 長年の風雨での劣化も多いように見えます。 -
玄関脇 軒下を見上げます。
こんな風になっていたんだ~。
私は スクラッチタイルが大好きなのですが、
この外壁に使われているのは櫛目が入れられた黄色っぽい煉瓦です。
この「黄色い煉瓦」が出来るまでの物語は2019年にNHKのドラマで見ましたねぇ。
この煉瓦ひとつを取っても 興味深いエピソードがある訳です。 -
いよいよその内部へ。
数々のドラマのロケでも使われ、画面からは何度も見て来た
ホワイエからロビーの眺め。
ドアを入ると一瞬低い天井のホワイエ空間があり、
その先の大空間との対比を感じさせる ロイド先生のオハコってやつですね。 -
左側にはフロントがありました。
お客様の足音やドアマンの声 フロントのホテルマンの気配が感じられるような錯覚を覚えます。
左奥にはセフティーボックスも見えますね。 -
ロビーは3階までの大きな吹きぬけ空間。
ロビーの端にある「光の籠柱」と言う 大谷石、テラコッタ、スクラッチタイルで出来た透かしの柱内部には照明が設えられ
建物の一部と言うよりアート作品。
移築の際 外壁で風化の激しい大谷石はプレキャストコンクリートで修復された箇所もあるそう。
テラコッタの 明らかに新しく修復されたものだと見える箇所も 内部にはありました。 -
ライトは 家具や照明器具も建物に合わせデザインします。
この椅子も独特なデザインが目を引きます。
本当にこだわりの強い建築家ですね。 -
デザインが ホテル建物の意匠とリンクするフロアーランプ。
幾何学的なデザインはゼセッションの流れと言うか
やはり当時流行していた アールデコ様式って事なのでしょうね。 -
ホワイエの脇にあたるラウンジ となっているスペースの天井部分。
複雑ですねぇ~。どうなっているんだ~?
私の弟は 工業デザイナーなのですが、
その弟が言うには、三次元的な空間構成の認識度ってイメージできる人とできない人がいるそうです。
今時はコンピューターでどんな立体画像も見られちゃうかもしれないけど、
大正時代 こういう面の空間をデザインできるって言うのはやっぱり天才なのかも。
ここ、わりとどうでもいい そんなに注目されなさそうな場所の天井だと思うのですがねぇ。
全てにこだわるロイド先生です。(いや 案外こういう細部は遠藤新氏のデザインだったり?) -
ホワイエの上の部分は喫茶室になっています。
ここで、コーヒーやケーキが楽しめます。
それもいいな~と思っていましたが、まだ来たばっかり。
最初の建物で休んでどうする?
喫茶室の営業は10時半からです。もうとっくにその時間にはなっちゃってますけどー。 -
2階レベルからロビーを見ます。
ロイド先生のお写真が飾られていますね。
この帝国ホテル こだわり過ぎて工期はどんどん伸びる、予算もじゃんじゃん追加になる、と
結局 最後は弟子の遠藤新に「お願いね」って感じで離日してしまいます。
この辺りは、植松三十里の帝国ホテル建築物語で じっくり読みました。
時代背景もあり大変興味深い内容でしたね。 -
2階も見られる所はくまなくチェックします。
ぼちぼちお客さんも増えて来ましたが、ほとんどの皆さんロビーだけ見て出ていっちゃいますね。
このカーテンのかかったガラスの所、昔はショップとかがあった場所でしょうね。
中が見えるガラスだけでも良いと思われますが
大胆な大谷石の彫刻壁(?)がありました。
これも~意匠的なものでしょうね。
一番見たかった建物を まず最初にじっくり見させて頂きました。 -
ここから5丁目内を歩きます。
帝国ホテルのお隣に建つ
名鉄岩倉変電所 国指定登録有形文化財
明治45年(1912)
煉瓦造 天然スレート葺き -
建物の四隅にはバッドレス。
移築の際 躯体は鉄筋コンクリート 外壁は煉瓦タイルになっています。
この建物ととてもよく似た 同じ明治45年に造られた
旧碓氷峠の「旧丸山変電所」を見ていますので、なんとなく既視感が。
今日は 見るべき建物がものすごい数なので、
前にほぼ同様な物を見ている、和館のみ は ある程度流す程度の見学にしようと思っています。
さっきの帝国ホテルみたいにじっくり見ていたら、
2日どころじゃ~足りないかもしれぬ。 -
中にも入れます。
変電施設の機器があった場所なので、やはり内部はがらーんと 広い空間。
木造クイーンポストトラス と言う小屋組み。
ここは建物活用で、結婚披露宴の会場にも使われるみたいです。 -
建物の後ろ側
この面の二つある窓上の四角い窪みのあたりにガイシが付き
架線が伸ばされ電気が送られていました。 -
5丁目には広い芝生広場も。
コロッケの売店もあります。
ここから見える 金沢監獄の建物。
紅葉は日当たりの良い場所の木の方が 色づきが進んでいるようです。
陽が高くなってきて 暑い位に。さっきまで着ていた上着は要らなくなりました。 -
特別 順路 がある訳ではないので、
見逃しが無いように 絶対見たい。まぁ見たい。時間があれば見ても良い。みたいに
自分でリストを作って来ました。
時間もそうだけど、歩き疲れて集中力が無くなるのも せっかく見に来た意味なくなりますしね~。
そのリストと村内マップで近い場所から見て回ります。
宮津裁判所法廷 国指定登録有形文化財
明治19年(1886)
和館の裁判所。
前に宮城県の登米で見た「水沢県庁記念館」でも和館の裁判所見たな~。
と、言うわけでこちらは 中は見ないでスルーとなりました。 -
その裏手 この かわいらしい建物は
高田小熊写真館 国指定登録有形文化財
明治41年(1908)
新潟県上越市にあった写真館の建物です。
移築までの間に増改築も行われていた為 この地に移された時は写真館が華やかであった昭和初期の姿にされたそう。 -
中に入ると 1階には応接室、暗室、居室。
この階段を上がり2階へ。
階段手摺の板にチューリップの透かしがあり、とてもかわいらしいのです。 -
2階にあがると広いスタジオ。
北側の屋根全面にガラスがはめられ、光が得られるようになっています。
そして、光の調整の為の暗幕と白い天幕が。
こういう写真館も東京都小金井公園の江戸東京たてもの園「常盤台写真場」で見たことあったなぁ~。 -
階段を上がった2階ホール。
素敵な明り取りの窓が壁にあります。
この画像では写っていませんが、左のカーテンの上、豪華なカーテンボックスもありました。 -
表に出て建物右側のドーマーウンドウ部分。
赤い柵のあるのはテラスっぽいけど あまり頑丈な造りではなさそうですね。
それに 文化財オンラインのサイトに掲載されている画像には ドーマーとテラスはありません。
時代によって増築されたものなのかも。(明治村では昭和初期の姿にしてありますので) -
さっき芝生広場から眺めた建物へ
金沢監獄中央看守所・監房 国指定登録有形文化財
明治40年(1907)
金沢監獄の建物の一部がここに移されたもの。
看守所の上には見張り櫓があり高さは地上12m -
看守所の中央には八角形の監視室があり
放射状に配置された舎房が一目で見渡せるようになっている訳です。
この放射状の監視室は 網走監獄で有名ですよね。
実は この真ん中の監視室 金沢監獄の物ではなくて、
網走監獄で使われていたものだそう。
まりも母コロナ禍のうちに 漫画「ゴールデンカムイ」読みましたよ~。
聖地じゃないが~出てきましたよね~ 網走監獄から脱獄させる話。 -
監視室の上は美しく見えちゃう程の板張りの天井。
さっき外から見えた櫓には小屋根を抜けて登るようになっているそうです。
監視室から直接上がる訳じゃないのですね。 -
舎房は一部の移築で、後は監視室から見える風に写真が貼られていました。
第五舎だけが実際 見られる感じです。 -
第五舎の方へ進んでみると
このようになっています。
扉の上には換気用の窓
頑丈そうな木の扉にはのぞき窓らしいスリットと
下部には 給食を入れるのか?小さな扉もありました。
食事のサンプルと囚人人形が展示されている部屋もあります。 -
木製トラスの小屋組み。
一部鉄筋が採用されているのは太い梁が多いと見通しが悪いので、
強度と見通しを配慮しての事のようです。
うーん、ゴールデンカムイでここに白石がぶら下がっていたよなぁ~。 -
次に
東京駅警備巡査派出所 国指定登録有形文化財
大正3年(1914)
東京駅丸の内本屋のほぼ正面 駅前広場にあった事から
本屋の建物と調和をはかる為 デザインが合わせてある。
鉄筋コンクリート造に化粧煉瓦張りの当時最新の工法で作られたもの。 -
そしてもうひとつ 監獄が。
前橋監獄雑居房 国指定登録有形文化財
明治21年(1888)
明治5年の「監獄則並図式」の公布に沿って造られた監獄で
近代的なものかと思うと・・・。
全部木造の微妙に昔風な建物
当初は十字型の舎房もありました。
移築部分は雑居房の一部。 -
中はほぼ江戸時代~。
飲食も排便も同じ房内で不衛生になりがち、と言う事から
壁は太い材が並べられ 通気は良さそうだが、
ほとんど屋外と同じで冬は寒いだろうなぁ~。
私には家畜小屋とあまり変わらなく思えた。
この時代の罪人はキビシイですわ~。 -
ちょっと離れた場所に
金沢監獄正門 国指定登録有形文化財
明治40年(1907)山下啓次郎設計
明治後期五大監獄のひとつ
他の五大監獄同様 煉瓦と花崗岩のいわゆる「辰野式」の美しい門。
旧奈良監獄も2017年に見に行っています。
奈良は円筒形の塔屋でもっと優しい感じでしたね。 -
門を抜けて 池の端に建つのは
小那沙美島燈台 国指定登録有形文化財
明治37年(1904)
広島 瀬戸内海に浮かぶ小さな島にあった燈台。 -
先に見えてきたのは
隅田川新大橋 国指定登録有形文化財
明治45年(1912)
アメリカ カーネギー社製の鉄材でできています。 -
関東大震災でも落ちず 戦後も修理や補強されつつ使われましたが
橋台の沈下がひどく 1977年に現在の橋に架け替え。
移築部分は1/8の長さです。 -
少し高台に目立つ大きな建物。
内閣文庫 国指定登録有形文化財
明治44年(1911)大熊喜邦設計(現国会議事堂の設計者のひとり)
ドーリア式の柱が4本も並び ペディメントとあわせて
ルネッサンス洋式。
堂々とした建物です。 -
私が建物を鑑賞する際 ポイントにしている箇所がいくつかあります。
美しさを鑑賞するので、装飾の部分が多いです。
階段と親柱、窓、床、暖炉などです。
そして、外せないのが 天井。
そこには現代の建物と違って多くの装飾が見られます。
天井の形状、照明器具、メダリオンなどの漆喰飾り。
ここの天井にもありましたね。 -
こちらは玄関ホールから2階への階段。
木製の手すりと親柱のデザインが素敵です。
洋館らしい意匠です。
見える木目の感じからケヤキ材?と思ったら、そのようです。 -
この建物の照明器具は割と小さ目のガラスシェードのペンダントです。
同じシェードが使用され、部屋の大きさなど 場所によって数が違いました。
こちらのお部屋は4灯。
上のメダリオンのデザインも3灯のお部屋とは異なっていました。 -
アーチ型の向こうに見える
メダリオンから下がるペンダントの景色も良いですねぇ、 -
そして、この内閣文庫では マントルピースのデザインも見どころです。
部屋ごとに異なるデザインになっています。
特にこのマントルピースは美しかったですね。
上にある、やけに細かい柄のパネルは・・・
村内で行われている「ウォーリーを探せ」のイベント用の物らしいです。 -
展示室の一つには 世界の建物のミニュチアが展示されていました。
ガラスケースが設えられているのは、元書棚のようですね。 -
外に出ます。
建物の近くには
皇居正面石橋飾電燈。国指定登録有形文化財
明治21年(1888)久米民之助設計
当初はガス燈にするはずでしたが、ドイツ人技師の提言により安全性と明るさから電燈が採用されました。
でも、電燈の安全性が確認されるまで5年は灯されず・・・。
昭和61年に鋳型を取って新調された時払い下げられた1基がこちらだそう。
たしか~同じものが江戸東京たてもの園でも見た。6あったうちのもうひとつが、そちらなのでしょう。
どうやら、東京電力の電気の資料館にもあるらしい。
残り3基はどうしたのだろうなぁ。 -
高台にあるエリア。
ちょっと不思議な建物が。
川崎銀行本店 国指定登録有形文化財
昭和2年(1927)矢部又吉設計(川崎銀行の建物を多く設計している)
東京都中央区にあった建物の部分移築です。
一部が明治村へ。
新ビルは 旧ビルの中央玄関などが保存再利用されています。
(スターツ日本橋ビル) -
入り口の鉄扉
銀行らしい威厳を感じます。
この川崎銀行 知らない銀行だな、と 以前水戸の「旧川崎銀行水戸支店」を見物に行った後調べてみました。
設立は茨城県出身の川崎八右衛門で、明治中期には川崎財閥と呼ばれる程に発展していたのです。
後に銀行は三菱銀行と合併し
信託部門は財閥解体後 日本信託銀行へ。この建物は55年余り 日本信託銀行本店として使われました。
その日本信託銀行もバブル崩壊後 吸収合併で解散しています。 -
明治村では階段で上階にあがれる展望台 のように使われています。
が、落下防止なのか ガラスっぽいのがはめられていて、
ちょっと景色も見難いし
高台ではありますが、敷地の端の為 建物群もさほど見えませんでした。 -
次に向かったのは5丁目の端っこにある
大明寺聖パウロ教会堂 国指定登録有形文化財
明治12年(1879)
フランス人宣教師ブレル神父の指導の下
大浦天主堂の建設に携わった 地元大工 大渡伊勢吉が
長崎県伊王島に建てた教会です。
ほとんど普通の農家の建物と変わらず、妙な櫓があるのと
軒下のギザギザがちょっと変だな?な見た目です。
隠れキリシタンの印象が強く感じられますが、完成は禁教が明治6年に解かれた後です。 -
中に入ってびっくり!
外観からは想像つかないリブヴォールト天井の空間が広がっていました!
大浦天主堂の建築に関わった大工が 知識を注ぎ込み
木製リブと竹を編んだもの、漆喰塗りで造った 日本のリブヴォールト天井。 -
祭壇の左右にある窓には麻の葉文様のような木製枠がはめられています。
ステンドグラスの代わりなのでしょう。
ちょっと和風な感じもあります。 -
中央身廊と側廊の間のアーチには アーチ一つ置きにこのような柱が。
アーチ全に柱が無いのは
教会堂しては 全体の規模が小さいためであろう、と言う事です。
柱には細かい彫刻もある束ね柱。 -
祭壇右には不思議なものが。
有名なルルドの聖母を再現した壁が。
竹を組んだ上に泥を塗って洞窟風を造り 現れた聖母マリアの像が置かれていました。 -
壁にはイコンも掲げられ。
伊王島に行った時に訪れたのは昭和6年築の馬込教会。
そちらも日本人が造った独自解釈のゴシック様式が興味深い建物でした。
それと同様
禁教が解かれた明治初期 自分たちの村にもりっぱな教会を と苦心したであろう様子が思われます。 -
5丁目の端まで来ましたので、戻って、
もうひとつ 見たかった建物の教会へ向かいます。
聖ザビエル天主堂 国指定登録有形文化財
明治23年(1890)パピノ神父設計
京都河原町三条にあったカトリック教会堂 -
内部に入って何といっても印象的なのはステンドグラス。
建物正面上部にはめられたバラ窓。
入り口 入って右側に置かれたものは、移築の際外された当初のものです。
色ガラスに白いペンキで草花の模様が描かれているのが特徴です。
光を透かすと 細かい草花模様が浮かび上がり、とても美しいです。 -
丁度冬の遅い朝日が入り始めた時間で
ステンドグラスを通した色とりどりの光が内部を照らす時間でした。 -
こちらも中央のエリア 身廊と左右の側廊の三廊式
ステンドグラスも多く、
本国から取り寄せた設計原案に基づき造られた教会堂との事で
ヨーロッパの教会堂と遜色ない威厳を感じます。 -
祭壇のある内陣には7体の聖像が。
その前には香炉らしきものも下げられていました。 -
内陣の左には聖母と幼子の像、そして十字架。
ステンドグラスからの光が十字架を彩っていました。 -
見上げれば、リブヴォールト天井。
4本の柱で囲った1区画を4分割している 4分ヴォールトになっています。
ケヤキ材が張られています。
リブの交差している所に見える丸いもの。キーストーンです。
ボスと呼ばれるそうで、
この装飾には、聖書から引用されたモチーフや人物を表すものなどが表されているのです。 -
丸いステンドグラスのはめられたのはクリアストーリと言う採光の為の高窓。
アーチが連なる部分はトリフォリュウムと言い アーケード状になっています。
これは典型的なゴシック様式。 -
ステンドグラス越しの鮮やかな光が床面を照らし出しました。
美しい時間でした。 -
ツリー型の大きなステンドグラスは、
クリスマスに向けた物?それとも常に置いてあるのでしょうか? -
その後ろにはこの木製の懺悔室。
カトリック教会ならではの設備ですね。
ステンドグラス越しの光の美しい時に来られて良かったです。
帰り際、最後にもう一度入ってみた時には、冬の短い日はとうに傾き、
午前中のような輝きは消えていました。 -
5丁目最後のエリアに向かいます。また、少し高台へ登ります。
明治村村内 結構高低差もあるのですよ。
少し登って振り返り 聖ザビエル天主堂を脇から。
煉瓦造と木造の併用で建てられています。
小屋組みと身廊の側壁が木造です。 -
5丁目最後の建物は遠くから見ても大きな建物です。
菊の世酒蔵 国指定登録有形文化財
明治初期 (1868頃)愛知県刈谷市
日本酒の仕込み蔵。 -
元は愛知県碧南市新川に穀物倉として建てられたものを
刈谷市に移築し酒造に。
内部はどれもぶっとい柱に梁と桁。 -
深い軒もこれまたぶっとい材が使われ
ここまで頑丈に造る必要があったのか!とちょっと驚き。
移築の際 地上部分の半分と地下を鉄筋コンクリート造にし
明治村の収蔵庫に使っているそうです。
(軒と反対側 側面の下部には石垣が見え 地下があるのが判ります)
一番見どころの多そうだった5丁目から、逆回りっぽい明治村見学。
5丁目見ごたえありました。
このペースだと2日でも見切れない気がして来ました。
この時点ではやや不安ながらも どんどん進むのでありました。
この続きは4丁目編へ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
犬山(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 建物見物愛知県1
0
76