2021/04/01 - 2021/04/01
5303位(同エリア7080件中)
三峯霧美さん
鎌倉の二階堂エリアは見どころがたくさんあります。
ゆっくり歩いて、お寺で御朱印を頂きます。
せっかくなので素敵な洋館のテラスで、贅沢ランチしました。
PR
-
11:22 報国寺の前の道を山に向かって進みます。
ここは坂東三十三観音霊場の1番杉本寺から2番の岩殿寺へ続く巡礼の道
報国寺から100mほど進むと旧華頂宮邸があります。
公開日じゃないと内部は見れませんが、庭園は見ることができるので行ってみましょう。 -
1929年(昭和4年)に建てられた洋館、今は鎌倉市が取得して管理しています。
時々映画やTVのロケ地になってます。
華頂宮は伏見宮家(世襲親王家)から分かれた宮家で、1924年に独身だった博忠王が22歳で亡くなり、皇室典範によって宮家を兄弟間で継承することが禁止されていたため宮家は断絶します。旧華頂宮邸 名所・史跡
-
庭園入り口に募金箱があります。
華頂宮博忠王の弟、伏見宮博信王が華頂侯爵家を創設し華頂宮の祭祀を継承し、この洋館を造りました。
なのでここは正確には「旧華頂侯爵邸」なのです。 -
華頂博信は妻の華子の不倫が原因で離婚。その後、1953年に再婚しロサンゼルスで心理学の学者として暮らし1970年に死去されました。
断絶した宮家って、ずいぶん経ってから子孫を名乗る人が現れるので、面白いですね。嘘をついても誰にも害がなければ、罪には問われませんからね。
有栖川の末裔を名乗ってお金集めて詐欺でつかまった人、いましたね。 -
博信がこの洋館を別邸として使ったのは数年だそうで、その後、所有者が何人か変わり、平成8年に鎌倉市が買い取りました。
なので創建当時に調度品の種類や配置をしていたのかは不明です。 -
テラスからお庭を見る。
この庭の先に「無為庵」という茶室があります。
昭和46年に華頂邸の前の所有者によって東京の上大崎から門と共に移設されました。
廷内の見学は年に2回ほど行われるようですが、コロナ蔓延防止で中止されています。 -
11:39 のんびり歩いて浄妙寺に行きましょう。
バス停からお寺までの道は、近隣のお宅の桜が綺麗に咲いています。
バス停も地名も「浄明寺」なんですが、お寺は「浄妙寺」です。
同じ字を使っては恐れ多いと、一文字変えたそうです。 -
稲荷山 浄妙広利禅寺
創建は1188年 足利義兼(足利氏二代)開基、退耕行勇、開山
当時は極楽寺という名前でした。
1200年代後半、禅宗になり浄妙寺にと改名しました。浄妙寺 寺・神社・教会
-
近年、門から方丈への参道の両側の植え込みを整えられたようです。
枯山水風で、とてもすっきりして明るくなりました。 -
1386年 鎌倉五山の第五位になりました。
その頃が最盛期で塔頭が23院、その後、火災によって衰微していきます。
現在の本堂(方丈)は江戸時代中期に建てられました。 -
御本尊の御朱印
南無釈迦牟尼佛 -
仏壇周辺は室町時代の木材が使われているそうです。
-
本堂の奥の墓地には足利尊氏の父、貞氏の墓所があります。
浄妙寺は鎌倉の足利氏の菩提寺でした。 -
喜泉庵 天正年間に建てられた茶室を復興したものです。
抹茶とお菓子がいただけます。 -
枯山水のを眺めながらのお茶、魅力的ですが、これからランチなので次回に持ち越し。
-
ランチは浄妙寺の敷地内にあるレストラン 石窯ガーデンテラスで。
一週間ほど前に予約の電話を入れてあります。 -
山を少し登って行きます。
家族連れのおばあ様とおじい様はゆっくりと坂を上っていきます。
がんばって! -
11:57 桜が満開。
ここは足利尊氏の異母兄の高義が母の追善のために建てた延福寺の跡です。
高義は足利家の家督を継承しましたが、21歳で父より先に早世したため、家督はいったん父に戻り、その後三男の尊氏が継ぎました。 -
お寺の跡地に100年ほど前に建てられたドイツ式の洋館があり、それがレストランになっています。
一体どんな方が住んでいらしたのか。
浄妙寺の境内になるので、レストラン利用だけでも拝観料がかかります。石窯ガーデンテラス グルメ・レストラン
-
テラス席が気持ち良い季節ですね。コロナ下ですが、そこそこの客数。
この日アフタヌーンティーは完売していました。
予約の電話を入れた時にメニューは決まってますか?と聞かれた意味が解りました。たぶん予約で完売だったのでしょうね。 -
スコットランド人のガーデナーが管理するイングリッシュガーデン、この日も二人の女性が庭仕事してました。
春は球根の花が次々に咲きます。チューリップがあでやかな色で咲いてます。 -
甘い物でお腹を満たしたくなかったので、「信玄どりのフリカッセ~森のあしらい」をオーダーしました。
サラダも付け合わせもお野菜多めで、セルクル詰めのバターライスもいい感じ。
さすがブランド鶏肉、旨味のあるお肉とクリームソースもコクがあって美味しく頂きました。
自家製のパンも美味しい! -
かなり時間の余裕をもってスケジュールを立てましたが、ゆっくり食べてたら、あっという間に予定時間をオーバー
-
ミニデザートのパンナコッタ、コーヒーもいい香り。
これで3000円、少々お高いですが、ロケーション代も含まれているので、コスパは悪くないと思います。
スタッフのサービスも丁寧でしたし、気持ちよく食事ができました。 -
すこしガーデンを歩いて、撮影して、レジ脇にある石窯パンのラインナップを見て・・。
最近、身体のためにパンを控えめにしているので、買わずに帰りました。がまんがまん。 -
13:23 レストランから山を登っていきます。
足利直義のお墓があるというので・・・。
直義は尊氏の同母の年子の弟、とても仲が良かったそうで、鎌倉幕府の政務を任されていました。 -
道は突当り、崖を掘りぬいたやぐらがありました。
直義は幕府の軍事を任されていた高師直と対立し、直義が出家して事が納まりましたが、政務は尊氏の嫡子の義詮が行いました。
次第に対立は尊氏+義詮と直義に変わって行きます。 -
やぐらに直義公のお墓。
1351年 直義は降伏し延福寺に幽閉され、その数か月後に急死してしまいます。
尊氏が毒殺したという説があるのです。
お寺の入り口に戻って、預けていた御朱印帳を回収。 -
鎌倉三十三観音 第9番
聖観世音 -
鎌倉十三仏霊場 第2番
釈迦如来 -
お隣にあるお寺の山号の由来となったお稲荷さんに行ってみましょう。
浄妙寺の門を出て東側の道を歩いて行きます。 -
13:36 道しるべがありました。
民家の脇の石段を登って行きます。
この神社は伝説があります。
藤原鎌足が小さい頃、稲荷大神から鎌を授けられ、常に身に着けて大神の加護を得ていました。 -
鎌足は蘇我入鹿を討ったのち、東国に向かい相模国の由井の里に入りました。
その夜「宿願を成し遂げたので、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」と言う神様のお告げがありました。 -
鎌を埋めて祠を造ってお祭りしたのが、この神社だそうです。
鎌を埋めたので「鎌倉」といい、地名の由来の一つです。 -
さて浄妙寺を後にして、西の杉本寺に行くか、東の明王院に行くか・・・。
ランチ休憩して元気なので遠い方の明王院に行くことにしました。
スケジュールがおしてたのに・・・これ判断ミスでした。 -
13:54 浄妙寺から1kmしかないんだけど、結構歩きましたよ。ペースが速かったのか疲れちゃった。
明王院 飯盛山 寛喜寺 明王院
わ~、桜が満開だ!!
創建は1235年 鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経によって建立されたお寺です五大堂明王院 寺・神社・教会
-
幕府の鬼門除けの祈願所で、五大明王をまつっています。なんでも鎌倉で不動明王がご本尊のお寺はここだけだそうです。
境内は撮影禁止。
本堂はかやぶき屋根で、味わい深い。堂内には入れませんが、お参りしていたら、お勤めが始まりました。 -
その昔、元寇の際は、異国降伏祈願が行われたそうです。
コロナでどこにも行けなくて、対馬のゲームにハマったなぁ。
今は毎月28日の護摩供養の際に地元野菜の販売をしたり、オリジナルのお焼香造りのイベントがあったり、楽しそうですね。 -
お勤めが始まってしまったので、御朱印は待たなくてはダメかと思ったら。
もうお一人お坊さんが出てきてくださいました。
ご本尊 鎌倉十三仏 第1番
不動明王 -
撮影禁止のお寺なので厳しい対応かと思ったら、とってもフレンドリーで、安心しました。
鎌倉観音霊場 第8番
十一面観世音
御朱印を頂いて、次の光触寺に向かいます -
明石橋のY字路まで来て気が付きました。ここは40年くらい前、朝比奈ICから逗子に出る時に使っていた道でした。
勤務先が逗子マリーナに保養施設として部屋を持ってて、よく同僚と一緒に遊びに来てたのです。
みんな若くて元気だったな、楽しい思い出です。 -
金沢街道からちょっと外れて、赤い橋をわたります。
自販機で小さな水を買いました。結構汗をかいているかも。 -
14:16 光触寺 こうそくじ 岩蔵山 長春院 光触寺
ここも散り始めた桜。
創建は1278年 開基は一遍上人です。
堂宇の他、六坊の塔頭がありましたが、地震や台風で荒廃して現存していません。 -
ご本尊の阿弥陀三尊像は頬焼阿弥陀と呼ばれます。
鎌倉時代、将軍に招かれた運慶が町局という女性の求めによって阿弥陀三尊像を刻みます。
町局に仕えていた僧が盗みの疑いを掛けられて、頬に焼印を押されますが、痕が付きません。その夜町局の夢に阿弥陀仏が現れて、なぜ私の頬に火印を押すのかと言いました。朝になって阿弥陀像を見ると頬に焼痕が残っていました。 -
岩蔵寺が現在地に移り、三代の住職が一遍に帰依し光触寺と改称しました。
どこかで、ピアノの練習してるなぁ。 -
頬に焼き印を付けたご本尊、運慶の作ではないそうですが、鎌倉時代のもので、由来を記した絵巻物と一緒に国の重要文化財です。
「御用の方は」というインターフォンを押して待ちましたが、なしのつぶて。
何度か押して、5分ほど待って、どうしたものかと立ち尽くしていると参道を走ってくる女性が「出ませんか?」とおっしゃる。
その方に御朱印帳を渡すと庫裏に入って行きました。 -
しばらくすると、ご住職が本堂に入られて、お経が聞こえてきました。
書いた御朱印にお経を唱えてくださったんですね。初めての体験でした。
それをずっと一遍上人が見守ってくださった。 -
塩嘗地蔵
昔、県道にあったお地蔵さまで、塩売りが県道を通る際に、商売繁盛を祈願して塩を供えていたところ、帰りに立ち寄ると塩が無くなっていました。
きっとお地蔵様が塩を舐めたのだという逸話があります。 -
頂いた御朱印
鎌倉六阿弥陀 第六番
本尊 頬焼阿弥陀佛 -
鎌倉三十三観音 第7番
聖観世音
14:43 参拝を終えて、金沢街道に出て戻ったのですが、ここでもミスってしまいました。一番近いバス停から鎌倉行のバスに乗ればよかったんです。 -
疲れたので、途中のバス停からバスに乗り、杉本観音で下車。
15:03 お寺に向かうと・・・。あれ。なんか雰囲気が変だぞ。 -
はい、三分遅れで閉門しておりました・・・・。
往路のバスで予定通りここで降りてお参りしてれば・・・ランチの後こっちに先に来てれば・・・光触寺に行かなければ・・・などと、イロイロ思うところはありますが。 -
きっとまたいらっしゃいと観音様に言われてるってことで。
バスに乗って鎌倉駅に戻りました。杉本寺 寺・神社・教会
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったグルメ・レストラン
鎌倉(神奈川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 坂東三十三観音巡礼の旅
0
53