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COVID-19で深刻な影響を受けている観光業等の活性化を目指し始まった、兵庫県民割を利用したお出かけ第二弾の後編です。<br /><br />前日は龍野、坂越を経由し早い目に旅館に到着し、温泉で身体がふやけてしまうんじゃないの(奥様談)位、景色を眺めながらの湯治生活を満喫し、美味しい料理も頂きぐっすりと眠る事が出来ました。<br /><br />今日の予定は、赤穂観光です。<br />赤穂御崎や、私の大好きな「忠臣蔵」ゆかりの街を巡りましたが、15時過ぎには予定終了となり、早い目に帰路につきましたが、前日訪れた、安志稲荷神社の大提灯に灯が点っている状態を見たいな、という事で、姫路からいそいそと北上していきましたが、残念ながら点灯しておらず、中国自動車道の夢前ICから新名神経由で帰宅しました。<br /><br />赤穂はこじんまりとした街で、観光スポットも倉吉位の規模かなと思います。<br /><br />子供が一緒なら塩つくり体験等も参加したと思いますが、私達夫婦だけでは少々時間を持て余した感はあります。<br />それでも大石内蔵助ゆかりの地は、私にとってパワースポット。<br />以前泉岳寺に参拝した時以上に、力を授けて貰いました。<br />泉岳寺の忘備録↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11228968<br /><br />温泉と併せパワー満タン、頑張っていけそうな気持にさせて貰えました。

兵庫県民割でおでかけ その2(赤穂御崎・赤穂市内巡り)

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2021/12/10 - 2021/12/11

30位(同エリア336件中)

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21

まつじゅん

まつじゅんさん

この旅行記スケジュールを元に

COVID-19で深刻な影響を受けている観光業等の活性化を目指し始まった、兵庫県民割を利用したお出かけ第二弾の後編です。

前日は龍野、坂越を経由し早い目に旅館に到着し、温泉で身体がふやけてしまうんじゃないの(奥様談)位、景色を眺めながらの湯治生活を満喫し、美味しい料理も頂きぐっすりと眠る事が出来ました。

今日の予定は、赤穂観光です。
赤穂御崎や、私の大好きな「忠臣蔵」ゆかりの街を巡りましたが、15時過ぎには予定終了となり、早い目に帰路につきましたが、前日訪れた、安志稲荷神社の大提灯に灯が点っている状態を見たいな、という事で、姫路からいそいそと北上していきましたが、残念ながら点灯しておらず、中国自動車道の夢前ICから新名神経由で帰宅しました。

赤穂はこじんまりとした街で、観光スポットも倉吉位の規模かなと思います。

子供が一緒なら塩つくり体験等も参加したと思いますが、私達夫婦だけでは少々時間を持て余した感はあります。
それでも大石内蔵助ゆかりの地は、私にとってパワースポット。
以前泉岳寺に参拝した時以上に、力を授けて貰いました。
泉岳寺の忘備録↓
https://4travel.jp/travelogue/11228968

温泉と併せパワー満タン、頑張っていけそうな気持にさせて貰えました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩

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  • ホテルを出て、瀬戸内海の景観を見ながら数分のドライブで、赤穂御崎観光駐車場に到着です。<br /><br />こちらに車を止め、赤穂御崎を歩く事としました。<br /><br />先ずは「きらきら坂」へ、神社の鳥居をくぐり通り抜けると階段が現れます。<br /><br />ここから、キラキラ坂は左手へ、正面は海に向かって大きな鳥居があります。<br /><br />伊和都比売神社から瀬戸内海へつながる小さな坂の名称のようで、スタート地点から海が見下ろせ、坂道沿いにはカフェやジェラートショップ、ガラス舎等が並ぶ観光地となっています。<br /><br />階段の床面は石貼、蹴上部はデザインタイルが張られています。

    ホテルを出て、瀬戸内海の景観を見ながら数分のドライブで、赤穂御崎観光駐車場に到着です。

    こちらに車を止め、赤穂御崎を歩く事としました。

    先ずは「きらきら坂」へ、神社の鳥居をくぐり通り抜けると階段が現れます。

    ここから、キラキラ坂は左手へ、正面は海に向かって大きな鳥居があります。

    伊和都比売神社から瀬戸内海へつながる小さな坂の名称のようで、スタート地点から海が見下ろせ、坂道沿いにはカフェやジェラートショップ、ガラス舎等が並ぶ観光地となっています。

    階段の床面は石貼、蹴上部はデザインタイルが張られています。

    きらきら坂 自然・景勝地

    名前の由来は何なのか気になります。 by まつじゅんさん
  • 伊和都比売神社です。<br /><br />式内社で、旧社格は郷社です。<br />海に向かって鎮座する大鳥居がシンボルで、航海安全や縁結びの神様として信仰されているようです。<br />平安時代の延喜式神名帳では、赤穂郡3座の筆頭に記される古社で、特に明治時代に、東郷平八郎が日露戦争開戦前に勝利祈願のため訪れた事から、帝国海軍関係者の信仰を集め、戦前まで連合艦隊司令長官が艦隊を率いて海上より参拝を行ったと言われています。<br />航海安全や大漁の祈願等、船乗りによる海上からの参拝は盛んに行われている神社のようです。

    伊和都比売神社です。

    式内社で、旧社格は郷社です。
    海に向かって鎮座する大鳥居がシンボルで、航海安全や縁結びの神様として信仰されているようです。
    平安時代の延喜式神名帳では、赤穂郡3座の筆頭に記される古社で、特に明治時代に、東郷平八郎が日露戦争開戦前に勝利祈願のため訪れた事から、帝国海軍関係者の信仰を集め、戦前まで連合艦隊司令長官が艦隊を率いて海上より参拝を行ったと言われています。
    航海安全や大漁の祈願等、船乗りによる海上からの参拝は盛んに行われている神社のようです。

    伊和都比売神社 寺・神社・教会

    航海安全や縁結びの神様のようです。 by まつじゅんさん
  • 松の廊下での刃傷事件、世にいう「赤穂事件」が起こった年、氏子の方々が神社に寄進したという手水鉢です。<br /><br />藩の平穏と安泰を祈念し、神のご加護を・・・という藩民の願いが凝縮されているのでしょうね。

    松の廊下での刃傷事件、世にいう「赤穂事件」が起こった年、氏子の方々が神社に寄進したという手水鉢です。

    藩の平穏と安泰を祈念し、神のご加護を・・・という藩民の願いが凝縮されているのでしょうね。

  • 赤穂御崎の名所のひとつである畳岩で、この周辺は岩の美しさがアピールポイントです。<br />潮の干満で道ができたり消えたりする中、干潮時には岩場にわたる事も出来ます。<br />この辺りは恋人の聖地らしく、ベンチも設置されていますが、そこから眺める景色が美しいとの評判です。

    赤穂御崎の名所のひとつである畳岩で、この周辺は岩の美しさがアピールポイントです。
    潮の干満で道ができたり消えたりする中、干潮時には岩場にわたる事も出来ます。
    この辺りは恋人の聖地らしく、ベンチも設置されていますが、そこから眺める景色が美しいとの評判です。

    赤穂御崎 自然・景勝地

    岩場と海の景観が綺麗です。 by まつじゅんさん
  • 大石内蔵助が名残を惜しんだと伝えられている「名残の松」の跡に石碑がありました。<br />石碑には「血涙を呑んで赤穂開城を終えた大石内蔵助は元禄14年(1701年)年6月半ば妻子をこの港より海路遠く大坂表に送り出し、自らは6月25日其の後を追って山科に向った。其の時、御崎の巌頭に立つ老松を見返りつつ名残を人びとは、これを「名残の松」と云い伝えているが、今は枯れ幹に儚く昔の語り種を残す。」と刻まれています。<br /><br />初代の松は枯れてしまっていますが、その後も何代かの松が植えられています。<br /><br />大石内蔵助を尊敬し止まない私も、同じ景色からパワーを頂きたいと思います。

    イチオシ

    大石内蔵助が名残を惜しんだと伝えられている「名残の松」の跡に石碑がありました。
    石碑には「血涙を呑んで赤穂開城を終えた大石内蔵助は元禄14年(1701年)年6月半ば妻子をこの港より海路遠く大坂表に送り出し、自らは6月25日其の後を追って山科に向った。其の時、御崎の巌頭に立つ老松を見返りつつ名残を人びとは、これを「名残の松」と云い伝えているが、今は枯れ幹に儚く昔の語り種を残す。」と刻まれています。

    初代の松は枯れてしまっていますが、その後も何代かの松が植えられています。

    大石内蔵助を尊敬し止まない私も、同じ景色からパワーを頂きたいと思います。

  • 赤穂御崎から市内に向けて走ります。<br /><br />最初は、赤穂城跡にある市立歴史博物館、1989年設立で、愛称は「塩と義士の館」です。<br />赤穂城内の米蔵跡に建てられた、赤穂浪士と塩をメインテーマとする史学系博物館となっていて、潮造りの歴史や道具、浄瑠璃の赤穂事件の映像や、赤穂義士の歴史資料・浮世絵・文楽人形・映画演劇に関する資料等、興味深い展示が多くありました。<br /><br /><br />建物の西側外観は、5連の白壁土蔵を模して造られていて、米蔵を再現したデザインとなっています。<br /><br />館内には、赤穂の歴史資料の収集、保管、調査研究および公開による文化の振興と発信の拠点を目指した展示が行われているようです。

    赤穂御崎から市内に向けて走ります。

    最初は、赤穂城跡にある市立歴史博物館、1989年設立で、愛称は「塩と義士の館」です。
    赤穂城内の米蔵跡に建てられた、赤穂浪士と塩をメインテーマとする史学系博物館となっていて、潮造りの歴史や道具、浄瑠璃の赤穂事件の映像や、赤穂義士の歴史資料・浮世絵・文楽人形・映画演劇に関する資料等、興味深い展示が多くありました。


    建物の西側外観は、5連の白壁土蔵を模して造られていて、米蔵を再現したデザインとなっています。

    館内には、赤穂の歴史資料の収集、保管、調査研究および公開による文化の振興と発信の拠点を目指した展示が行われているようです。

    赤穂市立歴史博物館 美術館・博物館

    赤穂城跡にある市立歴史博物館です。 by まつじゅんさん
  • 武家屋敷群に残る大石内蔵助宅、浅野赤穂藩の家老で大石家三代にわたる屋敷の長屋門です。<br /><br />屋敷は308畳もある広大な邸宅だったようです。<br />浅野内匠頭の刃傷事件の際、知らせを持って早籠で駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が、この門を叩いたと伝えられています。<br />1729年、建物の大半が火災で焼失したが、長屋門だけがその難をまぬがれ、その後建て替え等を経て、数少ない江戸時代の建築としての価値は高い建造物です。

    武家屋敷群に残る大石内蔵助宅、浅野赤穂藩の家老で大石家三代にわたる屋敷の長屋門です。

    屋敷は308畳もある広大な邸宅だったようです。
    浅野内匠頭の刃傷事件の際、知らせを持って早籠で駆けつけた早水藤左衛門、萱野三平が、この門を叩いたと伝えられています。
    1729年、建物の大半が火災で焼失したが、長屋門だけがその難をまぬがれ、その後建て替え等を経て、数少ない江戸時代の建築としての価値は高い建造物です。

    赤穂大石神社 寺・神社・教会

    赤穂浪士を祀る神社です。 by まつじゅんさん
  • 赤穂神社と大石神社の合祀により、赤穂大石神社として創祀された神社で、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社です。<br /><br />赤穂神社の祭神である、旧赤穂藩主浅野家、森家祖霊と、大石神社祭神の大石内蔵助ら赤穂浪士47人、および中途で自害した萱野重実を主祭神としています。<br /><br />江戸時代は、幕府に反旗を翻した事件の当事者を表立って顕彰することはできなかったゆですが、1868年に明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし、その後大石内蔵助ゆかりの赤穂市と、潜伏先であった京都市山科に赤穂浪士を祀る神社が創建されました。<br /><br />ちなみに、京都山科の大石神社は、昭和初期に赤穂浪士を崇拝していた浪曲師 吉田大和之丞が、大石内蔵助ゆかりの山科に神社を造営することを計画し、1935年に京都府知事を会長とする大石神社建設会が社殿を造営し、討入の為の武器を納入した天野屋利兵衛を祀る義人社も造営されています。

    赤穂神社と大石神社の合祀により、赤穂大石神社として創祀された神社で、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社です。

    赤穂神社の祭神である、旧赤穂藩主浅野家、森家祖霊と、大石神社祭神の大石内蔵助ら赤穂浪士47人、および中途で自害した萱野重実を主祭神としています。

    江戸時代は、幕府に反旗を翻した事件の当事者を表立って顕彰することはできなかったゆですが、1868年に明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わし、その後大石内蔵助ゆかりの赤穂市と、潜伏先であった京都市山科に赤穂浪士を祀る神社が創建されました。

    ちなみに、京都山科の大石神社は、昭和初期に赤穂浪士を崇拝していた浪曲師 吉田大和之丞が、大石内蔵助ゆかりの山科に神社を造営することを計画し、1935年に京都府知事を会長とする大石神社建設会が社殿を造営し、討入の為の武器を納入した天野屋利兵衛を祀る義人社も造営されています。

  • 大石神社の入口は、南側と東側の大石邸長屋門南側と、2箇所あります。<br /><br />南側参道の両脇には、中国産黒大理石製の四十七義士石像が並んでいます。<br />本堂に向かって右は表門隊 大石内蔵助以下23体、左は裏門隊大石主税以下24体です。<br /><br />裏門隊の末席にある像の主は、寺坂吉右衛門信行(享年83歳)、討ち入り時38歳でしたが、本懐を遂げた後、泉岳寺に入ら前に消えた、といわれる人です。<br />故に、幕府から切腹は申し渡されておらず、最後まで吉田家の遺族に仕え、江戸で83歳で病死したという人です。<br /><br />寺坂は義士なのか否か、本当は四十七士ではなく、四十六士だったのではないかと言う議論もあったようですが、足軽の身分で3両2分、2人扶持という下級武士です。<br /><br />この人が数奇な運命に流されたのには、いくつもの説があります。<br /><br />1.大石内蔵助や吉田忠左衛門らが、足軽でありながらも同志として留まった吉右衛門を生かしてやりたかった説。<br />2.浅野本家他への生き証人的な役割を担ったとする説。<br />3.足軽に助勢を買ったと言われては、武士の面目が立たないので、逐電させたと言う説。<br />私は2.では無いかと思っています。<br /><br />私の尊敬する大石内蔵助が赤穂事件で取った用意周到、計算された動きを考えると、伝承と言う事も考えたのではないかと思います。<br />紛れもなく、彼も同志の一人だと思います。<br /><br />赤穂浪士であった事を誇りに思いながらも、討ち入りから45年間生きていく事の辛さを甘んじて受け入れた、真の目的で生きていったのだと思います。<br /><br />パッと散る、潔さばかりでは無いのが忠臣蔵の世界です。

    大石神社の入口は、南側と東側の大石邸長屋門南側と、2箇所あります。

    南側参道の両脇には、中国産黒大理石製の四十七義士石像が並んでいます。
    本堂に向かって右は表門隊 大石内蔵助以下23体、左は裏門隊大石主税以下24体です。

    裏門隊の末席にある像の主は、寺坂吉右衛門信行(享年83歳)、討ち入り時38歳でしたが、本懐を遂げた後、泉岳寺に入ら前に消えた、といわれる人です。
    故に、幕府から切腹は申し渡されておらず、最後まで吉田家の遺族に仕え、江戸で83歳で病死したという人です。

    寺坂は義士なのか否か、本当は四十七士ではなく、四十六士だったのではないかと言う議論もあったようですが、足軽の身分で3両2分、2人扶持という下級武士です。

    この人が数奇な運命に流されたのには、いくつもの説があります。

    1.大石内蔵助や吉田忠左衛門らが、足軽でありながらも同志として留まった吉右衛門を生かしてやりたかった説。
    2.浅野本家他への生き証人的な役割を担ったとする説。
    3.足軽に助勢を買ったと言われては、武士の面目が立たないので、逐電させたと言う説。
    私は2.では無いかと思っています。

    私の尊敬する大石内蔵助が赤穂事件で取った用意周到、計算された動きを考えると、伝承と言う事も考えたのではないかと思います。
    紛れもなく、彼も同志の一人だと思います。

    赤穂浪士であった事を誇りに思いながらも、討ち入りから45年間生きていく事の辛さを甘んじて受け入れた、真の目的で生きていったのだと思います。

    パッと散る、潔さばかりでは無いのが忠臣蔵の世界です。

  • 大石内蔵助良雄 像。<br />私の名前はこの方から頂いているようです。(本当はヨシオではなくヨシタカが正解のようですが。。。)<br /><br />平穏時には「昼行燈」と称されても、有事の際は冷静沈着に次善の策を準備し、次の動きを計算しながらも人心掌握に秀でた人。<br /><br />このような人に、なりたいものです。(小物の私としては、憧れしかありませんが・・)

    大石内蔵助良雄 像。
    私の名前はこの方から頂いているようです。(本当はヨシオではなくヨシタカが正解のようですが。。。)

    平穏時には「昼行燈」と称されても、有事の際は冷静沈着に次善の策を準備し、次の動きを計算しながらも人心掌握に秀でた人。

    このような人に、なりたいものです。(小物の私としては、憧れしかありませんが・・)

  • 大石神社義芳門は神社の正門で、二大忠臣義士の1人、楠正成公を祀る神戸湊川神社の神門を移築されたもので、湊川神社の創立時の欅材で作られた、入母屋造四脚門です。<br /><br />名前の由来は、義士の忠芳義芳を伝えるため「義芳門」と世慣れていますが、門を潜ると両側には何故か巨大な大黒様と布袋様が鎮座されていました。

    大石神社義芳門は神社の正門で、二大忠臣義士の1人、楠正成公を祀る神戸湊川神社の神門を移築されたもので、湊川神社の創立時の欅材で作られた、入母屋造四脚門です。

    名前の由来は、義士の忠芳義芳を伝えるため「義芳門」と世慣れていますが、門を潜ると両側には何故か巨大な大黒様と布袋様が鎮座されていました。

  • 本殿は1912年建立で、大正時代という割合新しいものです。<br /><br />この鎮座地は、大石内蔵助屋敷跡です。

    本殿は1912年建立で、大正時代という割合新しいものです。

    この鎮座地は、大石内蔵助屋敷跡です。

  • 大石神社には義士史料館があり、義士宝物殿、義士宝物殿別館、義士木像奉安殿という3館があり、入館は共通券となります。<br /><br />義士宝物殿には、大石内蔵助所持の備前長船清光・康光の大小刀、討入りに使用の采配、形見の呼子鳥笛、堀部安兵衛着用の鎖頭巾・鎖襦袢、大石瀬左衛門着用の血染めの袴、潮田又之丞筆吉良邸絵図面等、史料が展示されています。<br />大石内蔵助が討入りに使ったと伝えられている「呼子鳥笛」は、吉良を見つけた気持ちがこもっている気がしました。<br /><br />宝物殿別館には、赤穂藩主浅野家、森家の宝物が納められています。<br /><br />義士木像奉安殿は一番の見どころで、超一流の彫刻家が製作した義士木像が並んでいます。<br />平櫛田中作の浅野内匠頭像や、著名な彫刻家がひとり一体ずつ彫った木像には、それぞれの思いが伝わってきます。

    大石神社には義士史料館があり、義士宝物殿、義士宝物殿別館、義士木像奉安殿という3館があり、入館は共通券となります。

    義士宝物殿には、大石内蔵助所持の備前長船清光・康光の大小刀、討入りに使用の采配、形見の呼子鳥笛、堀部安兵衛着用の鎖頭巾・鎖襦袢、大石瀬左衛門着用の血染めの袴、潮田又之丞筆吉良邸絵図面等、史料が展示されています。
    大石内蔵助が討入りに使ったと伝えられている「呼子鳥笛」は、吉良を見つけた気持ちがこもっている気がしました。

    宝物殿別館には、赤穂藩主浅野家、森家の宝物が納められています。

    義士木像奉安殿は一番の見どころで、超一流の彫刻家が製作した義士木像が並んでいます。
    平櫛田中作の浅野内匠頭像や、著名な彫刻家がひとり一体ずつ彫った木像には、それぞれの思いが伝わってきます。

  • 祭神である大石内蔵助の御神徳を頂くべく御守を頂きました。<br /><br />様々な力が身に付く「力守」、武芸・勝負事に勝つ「勝守」、大石内蔵助公手植えの松の木の古木が入った「パワー上昇守」等がありましたが、私は欲張って「力守」を選びました。<br />

    祭神である大石内蔵助の御神徳を頂くべく御守を頂きました。

    様々な力が身に付く「力守」、武芸・勝負事に勝つ「勝守」、大石内蔵助公手植えの松の木の古木が入った「パワー上昇守」等がありましたが、私は欲張って「力守」を選びました。

  • 大石邸庭園で、国指定史跡に指定されています。<br /><br />大石神社の義士史料館の一部として、大石内蔵助の邸宅跡に残る池泉回遊式庭園です。<br /><br />こちらには、大石邸庭園七景というのがあるようで、見逃せない鑑賞ポイントのようです。<br />①内蔵助お手植えの松<br />②内蔵助遺愛の枝垂れ桜<br />③内蔵助ゆかりの牡丹<br />④樹齢300年を超える大楠の樹影<br />⑤子宝陰陽石<br />⑥蓬莱遠山石<br />⑦亀島と鶴出島

    大石邸庭園で、国指定史跡に指定されています。

    大石神社の義士史料館の一部として、大石内蔵助の邸宅跡に残る池泉回遊式庭園です。

    こちらには、大石邸庭園七景というのがあるようで、見逃せない鑑賞ポイントのようです。
    ①内蔵助お手植えの松
    ②内蔵助遺愛の枝垂れ桜
    ③内蔵助ゆかりの牡丹
    ④樹齢300年を超える大楠の樹影
    ⑤子宝陰陽石
    ⑥蓬莱遠山石
    ⑦亀島と鶴出島

    義士史料館(赤穂大石神社) 美術館・博物館

  • 大石神社を出て、市街地に向かいます。<br /><br />浅野家と義士のお寺と呼ばれていて、播磨国赤穂藩の浅野家、永井家、森家という歴代藩主の菩提寺です。<br />義士墓所、義士宝物館、義士木像堂は、拝観料が必要です。<br /><br />義士墓所は1739年義士の37回忌の時に建立されたもので、当時の赤穂藩主は森家、その家臣・小林貞真を中心とする有志によって建てられたようです。<br /><br />墓には赤穂義士の遺髪が埋められていると伝えられています。<br /><br />天井の大額は、赤穂最大の画人 法橋義信の「竹に虎」代横額 細井光沢の書で、迫力があります。

    大石神社を出て、市街地に向かいます。

    浅野家と義士のお寺と呼ばれていて、播磨国赤穂藩の浅野家、永井家、森家という歴代藩主の菩提寺です。
    義士墓所、義士宝物館、義士木像堂は、拝観料が必要です。

    義士墓所は1739年義士の37回忌の時に建立されたもので、当時の赤穂藩主は森家、その家臣・小林貞真を中心とする有志によって建てられたようです。

    墓には赤穂義士の遺髪が埋められていると伝えられています。

    天井の大額は、赤穂最大の画人 法橋義信の「竹に虎」代横額 細井光沢の書で、迫力があります。

    花岳寺宝物館 美術館・博物館

    浅野家と義士のお寺と呼ばれています。 by まつじゅんさん
  • 花岳寺から徒歩5分位の場所に、息継ぎ井戸を中心とした広場があります。<br /><br />浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発し、155里(約620km)もの行程を、4昼夜半早かごに揺られ続けた2人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれています。<br /><br />この広場には、市制施行60周年を記念して造られた、からくり時計「義士あんどん」とからくり時計が設置されています。

    花岳寺から徒歩5分位の場所に、息継ぎ井戸を中心とした広場があります。

    浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせるため、早水藤左衛門、萱野三平が早かごで江戸を出発し、155里(約620km)もの行程を、4昼夜半早かごに揺られ続けた2人は、城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれています。

    この広場には、市制施行60周年を記念して造られた、からくり時計「義士あんどん」とからくり時計が設置されています。

    息継ぎ井戸 名所・史跡

    城下に入りこの井戸の水を飲んで一息ついたといわれています。 by まつじゅんさん
  • 気持ちだけでも、大石内蔵助良雄になって、大看板の前でポーズをとる私。<br /><br />小説等による赤穂浪士の話は、殆どが後世の創作と言われています。<br /><br />ただ、紛れのない事実は、大石内蔵助以下47士が、武家社会全盛の江戸時代 元禄年間に、江戸城松之大廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介義央に斬りつけ、詳しい審議無く即日主君に切腹を命じた幕府に対し、御法上の正義を突き詰めていき、最終的には主君の浅野長矩の恨みを果たすべく吉良邸に討ち入り、本懐を果たし、「さぁどうだ、きちんと裁きをしてみろ。」と幕府に義を突き付け、見事に収めた、という事だと思います。<br /><br />討ち入りまでの期間が長かった事で、色々創作的な話が庶民の間に出回ったのかもしれませんが、私はその中で三波春夫さんの俵星玄蕃を聞くと、今でも涙が出てきます。<br />

    気持ちだけでも、大石内蔵助良雄になって、大看板の前でポーズをとる私。

    小説等による赤穂浪士の話は、殆どが後世の創作と言われています。

    ただ、紛れのない事実は、大石内蔵助以下47士が、武家社会全盛の江戸時代 元禄年間に、江戸城松之大廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介義央に斬りつけ、詳しい審議無く即日主君に切腹を命じた幕府に対し、御法上の正義を突き詰めていき、最終的には主君の浅野長矩の恨みを果たすべく吉良邸に討ち入り、本懐を果たし、「さぁどうだ、きちんと裁きをしてみろ。」と幕府に義を突き付け、見事に収めた、という事だと思います。

    討ち入りまでの期間が長かった事で、色々創作的な話が庶民の間に出回ったのかもしれませんが、私はその中で三波春夫さんの俵星玄蕃を聞くと、今でも涙が出てきます。

  • 朝ご飯をしっかり頂いたので、お腹が減らなかった事もあり、遅めのランチを以前TVで紹介されていた「天馬らぁめん」で頂く事としました。<br /><br />赤穂の塩でスープの味が決まる、赤穂焼塩の真の旨さを知って欲しい、というお店です。<br />「焼き塩」とは、高温で焼き上げることで余分な苦汁成分が取り除かれ、舌をさすような味や苦味がなく、べた付きにくいのが特徴の塩で、「赤穂の焼き塩」を使用することで、塩辛さが強調されることのない まろやかな味に仕上がるという事です。

    朝ご飯をしっかり頂いたので、お腹が減らなかった事もあり、遅めのランチを以前TVで紹介されていた「天馬らぁめん」で頂く事としました。

    赤穂の塩でスープの味が決まる、赤穂焼塩の真の旨さを知って欲しい、というお店です。
    「焼き塩」とは、高温で焼き上げることで余分な苦汁成分が取り除かれ、舌をさすような味や苦味がなく、べた付きにくいのが特徴の塩で、「赤穂の焼き塩」を使用することで、塩辛さが強調されることのない まろやかな味に仕上がるという事です。

    天馬らぁめん グルメ・レストラン

    赤穂の塩を使ったラーメンです。 by まつじゅんさん
  • 2人で、塩ラーメンとチャーハンのセットと、つけ麺を頂く事としました。<br /><br />確かに円やかな味わいで、口に残る嫌な塩辛さは無く美味しかったです。

    2人で、塩ラーメンとチャーハンのセットと、つけ麺を頂く事としました。

    確かに円やかな味わいで、口に残る嫌な塩辛さは無く美味しかったです。

  • 赤穂イオンを少しのぞき、街を16時過ぎに出て帰路につきますが、まだ時間があるという事で、「安志稲荷神社の大提灯に灯が点ったのを見たい」となり、姫路から北上して見に行きましたが、点灯されていない真っ黒な提灯を見て残念だっとという事で、夢前ICから中国道に乗り、いつも帰省の際にも休憩場所となっている加西SAで休憩し、無事帰宅しました。<br />お土産ショップやフードコートも充実している、中規模のSAですが、最近トイレ改修も進み、快適性が向上しているように思います。<br />レストランよりフードコートの方が、商品の種類も多く利用しやすい気がします。<br /><br />兵庫県民割でお得な赤穂旅、今回、これまで。

    赤穂イオンを少しのぞき、街を16時過ぎに出て帰路につきますが、まだ時間があるという事で、「安志稲荷神社の大提灯に灯が点ったのを見たい」となり、姫路から北上して見に行きましたが、点灯されていない真っ黒な提灯を見て残念だっとという事で、夢前ICから中国道に乗り、いつも帰省の際にも休憩場所となっている加西SAで休憩し、無事帰宅しました。
    お土産ショップやフードコートも充実している、中規模のSAですが、最近トイレ改修も進み、快適性が向上しているように思います。
    レストランよりフードコートの方が、商品の種類も多く利用しやすい気がします。

    兵庫県民割でお得な赤穂旅、今回、これまで。

    加西サービスエリア 道の駅

    少し寂れてきたSAです。 by まつじゅんさん
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