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江戸時代の古地図がそのままの街並みに残る萩は、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文などの幕末に活躍した多くの志士たちを輩出した維新の源流の町です。今回散策した、萩城下町城跡、萩城下町旧町人地、松下村塾は世界文化遺産に登録されています。<br /><br />菊屋横丁と伊勢屋横町、江戸屋横丁の3つの通りに囲まれた旧町人地は、重厚な武家屋敷や豪壮な商家、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。この地で多くの幕末の志士達が誕生し活躍しています。<br /><br />「松下村塾」は、幕末、長州藩に生まれ育った吉田松陰が開いた私塾で、ここから明治維新の原動力となった志士たちが数多く生まれました。吉田松陰は、江戸幕府に処刑されまが、その思想は弟子たちに受け継がれ、彼らによって明治維新がなされたのです。<br /><br />弟子たちは明治新政府で要職につき、彼らは師であった吉田松陰を祀って「松陰神社」を建立しました。

クリスタルハートの旅・・毛利36万石の城下町、萩に世界遺産を訪ねます。

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2021/11/19 - 2021/11/19

743位(同エリア941件中)

YAMAJI

YAMAJIさん

江戸時代の古地図がそのままの街並みに残る萩は、吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文などの幕末に活躍した多くの志士たちを輩出した維新の源流の町です。今回散策した、萩城下町城跡、萩城下町旧町人地、松下村塾は世界文化遺産に登録されています。

菊屋横丁と伊勢屋横町、江戸屋横丁の3つの通りに囲まれた旧町人地は、重厚な武家屋敷や豪壮な商家、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。この地で多くの幕末の志士達が誕生し活躍しています。

「松下村塾」は、幕末、長州藩に生まれ育った吉田松陰が開いた私塾で、ここから明治維新の原動力となった志士たちが数多く生まれました。吉田松陰は、江戸幕府に処刑されまが、その思想は弟子たちに受け継がれ、彼らによって明治維新がなされたのです。

弟子たちは明治新政府で要職につき、彼らは師であった吉田松陰を祀って「松陰神社」を建立しました。

  • 萩観光マップです。<br />雁嶋別荘の出発時間が10時なので約1時間30分あります。雁嶋別荘でタクシーを呼んで萩城跡を廻り、菊屋家住宅前で下車し、萩の城下町旧町人地を散策しました。田中儀一銅像の前でタクシーを呼んで雁島別荘へ帰りました。

    萩観光マップです。
    雁嶋別荘の出発時間が10時なので約1時間30分あります。雁嶋別荘でタクシーを呼んで萩城跡を廻り、菊屋家住宅前で下車し、萩の城下町旧町人地を散策しました。田中儀一銅像の前でタクシーを呼んで雁島別荘へ帰りました。

  • 萩城跡に到着です。<br />萩城は慶長9年(1608)~慶長13年(1608)に、毛利輝元により築城されています。「萩城下町城跡」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

    萩城跡に到着です。
    萩城は慶長9年(1608)~慶長13年(1608)に、毛利輝元により築城されています。「萩城下町城跡」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

  • 極楽橋と本丸門です。<br />極楽橋は本丸と二の丸を繋ぐ門で、往時は木橋でしたが現在は土橋になっています。本丸門は渡櫓門と高麗門で構成される枡形門でした。

    極楽橋と本丸門です。
    極楽橋は本丸と二の丸を繋ぐ門で、往時は木橋でしたが現在は土橋になっています。本丸門は渡櫓門と高麗門で構成される枡形門でした。

  • 萩城の内堀です。<br />本丸と二の丸を隔てる水堀で、幅は20間(約40m)あります。

    萩城の内堀です。
    本丸と二の丸を隔てる水堀で、幅は20間(約40m)あります。

  • 本丸門石垣と指月山です。<br />指月山は本丸の背後に聳える標高143mの山で、山頂には詰丸がありました。

    本丸門石垣と指月山です。
    指月山は本丸の背後に聳える標高143mの山で、山頂には詰丸がありました。

  • 天守閣跡です。<br />天守は5層5階の複合式望楼型で、高さは約21mありました。

    天守閣跡です。
    天守は5層5階の複合式望楼型で、高さは約21mありました。

  • ユネスコの世界文化遺産に登録されている、「萩城下町旧町人地」の散策マップです。

    ユネスコの世界文化遺産に登録されている、「萩城下町旧町人地」の散策マップです。

  • 萩城の外堀です。<br />萩城の三の丸(堀内)と城下町とを隔てる水堀です。当初は20間(約40m)の幅がありましたが、その後、14間(約28m)、8間(約16m)と狭くなりました。

    萩城の外堀です。
    萩城の三の丸(堀内)と城下町とを隔てる水堀です。当初は20間(約40m)の幅がありましたが、その後、14間(約28m)、8間(約16m)と狭くなりました。

  • 素水園には、田中儀一の銅像が立つています。

    素水園には、田中儀一の銅像が立つています。

  • 菊屋横丁です。<br />晴れた日には、太陽の光が反射してまぶしいほどの「白いなまこ壁」の美しいこの横町は「日本の道100選」の一つに選ばれています。

    菊屋横丁です。
    晴れた日には、太陽の光が反射してまぶしいほどの「白いなまこ壁」の美しいこの横町は「日本の道100選」の一つに選ばれています。

  • 田中儀一の生誕地です。<br />田中儀一は原敬内閣の陸軍大臣、第26代総理大臣などを務めています。ニックネームは「おら(俺)が大将」でした。

    田中儀一の生誕地です。
    田中儀一は原敬内閣の陸軍大臣、第26代総理大臣などを務めています。ニックネームは「おら(俺)が大将」でした。

  • 高杉晋作生誕地です。

    高杉晋作生誕地です。

  • 「奇兵隊」を組織した、萩藩士・高杉晋作旧宅(高杉晋作生誕の地)です。

    「奇兵隊」を組織した、萩藩士・高杉晋作旧宅(高杉晋作生誕の地)です。

  • 「白壁が続く小道と夏みかんの木」は、萩城下町を代表する風景です。

    「白壁が続く小道と夏みかんの木」は、萩城下町を代表する風景です。

  • 夏みかんです。<br />萩の夏みかんは、明治9年(1876)に小藩高政によって生活の術を失った士族たちを救うため、全国で始めて広く栽培されました。

    夏みかんです。
    萩の夏みかんは、明治9年(1876)に小藩高政によって生活の術を失った士族たちを救うため、全国で始めて広く栽培されました。

  • 萩焼城下苑です。<br />店内には香合などの小物や日常使いの食器類など、バラエティ豊かな萩焼が並びます。

    萩焼城下苑です。
    店内には香合などの小物や日常使いの食器類など、バラエティ豊かな萩焼が並びます。

  • 高杉晋作立志像です。

    高杉晋作立志像です。

  • 円政寺の参道です。<br />円政寺は真言宗のお寺で、萩藩主毛利氏の祈願寺でした。

    円政寺の参道です。
    円政寺は真言宗のお寺で、萩藩主毛利氏の祈願寺でした。

  • 金比羅社社殿です。<br />境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社社殿があり、全国でも珍しい神仏習合の形態が今でも見られる点で貴重な遺構です。

    金比羅社社殿です。
    境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社社殿があり、全国でも珍しい神仏習合の形態が今でも見られる点で貴重な遺構です。

  • 金比羅社の大天狗面です。<br />幼き日の高杉晋作は、家人にここへ連れて来られてこの天狗の面を見せられ、物恐れをしないようにしつけられたといわれています。

    金比羅社の大天狗面です。
    幼き日の高杉晋作は、家人にここへ連れて来られてこの天狗の面を見せられ、物恐れをしないようにしつけられたといわれています。

  • 神馬です。<br />幼年期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだといわれる、文政3年(1820)に寄進された木馬が残っています。

    神馬です。
    幼年期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだといわれる、文政3年(1820)に寄進された木馬が残っています。

  • 石灯籠です。<br />安政5年(1858)に寄進された、高さ5.07mの県下最大の石灯籠は、龍の彫刻が素晴らしく、支えの猫足が動く「免震構造」の仕掛けには驚きます。

    石灯籠です。
    安政5年(1858)に寄進された、高さ5.07mの県下最大の石灯籠は、龍の彫刻が素晴らしく、支えの猫足が動く「免震構造」の仕掛けには驚きます。

  • 本堂前の弘法大師像です。

    本堂前の弘法大師像です。

  • 木戸孝允の旧宅です。

    木戸孝允の旧宅です。

  • 「維新の三傑」と呼ばれた、萩藩士・木戸孝允旧宅(木戸孝允生誕の地)です。

    「維新の三傑」と呼ばれた、萩藩士・木戸孝允旧宅(木戸孝允生誕の地)です。

  • 木戸孝允が生まれてから江戸に出るまでの、約20年間を過ごした生家です。

    木戸孝允が生まれてから江戸に出るまでの、約20年間を過ごした生家です。

  • 掛け軸の書は、少年時代(十一歳)の手習いです。名前は桂小五郎です。

    掛け軸の書は、少年時代(十一歳)の手習いです。名前は桂小五郎です。

  • 正面右の掛け軸の書は、幼少時代(七・八歳頃)の手習いです。名前は和田小五郎です。

    正面右の掛け軸の書は、幼少時代(七・八歳頃)の手習いです。名前は和田小五郎です。

  • 中庭です。

    中庭です。

  • 御成道(おなりみち)です。

    御成道(おなりみち)です。

  • 菊屋家住宅です。<br />国の重要文化財に指定されています。

    菊屋家住宅です。
    国の重要文化財に指定されています。

  • 萩藩の御用商人として藩を支えた豪商の館です。<br />秋の庭園特別公開中、時間が無く見学できなくて残念です。

    萩藩の御用商人として藩を支えた豪商の館です。
    秋の庭園特別公開中、時間が無く見学できなくて残念です。

  • 旧久保田家住宅です。

    旧久保田家住宅です。

  • 幕末から明治前期にかけての建物として、意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えています。

    幕末から明治前期にかけての建物として、意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えています。

  • 松陰神社の案内図です。

    松陰神社の案内図です。

  • 松陰神社です。<br />一の鳥居が見えています。境内の「松下村塾、吉田松陰幽因之旧宅」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

    松陰神社です。
    一の鳥居が見えています。境内の「松下村塾、吉田松陰幽因之旧宅」は、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

  • 石碑「明治維新胎動之地」です。<br />昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立されました。揮毫は故佐藤栄作元首相です。

    石碑「明治維新胎動之地」です。
    昭和43年(1968)、明治維新100年を記念して建立されました。揮毫は故佐藤栄作元首相です。

  • 石碑「親思ふ~」です。<br />「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、吉田松陰が安政6年(1859)に家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られています。

    石碑「親思ふ~」です。
    「親思ふこころにまさる親ごごろけふの音づれ何ときくらん」、吉田松陰が安政6年(1859)に家族に宛てた遺書の中で詠われた有名な和歌が彫られています。

  • 松下村塾(しょうかそんじゅく)です。<br />吉田松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾で、移築ではなく、当時からこの位置に建っていました。ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。

    松下村塾(しょうかそんじゅく)です。
    吉田松陰が安政4年(1857)年主宰した私塾で、移築ではなく、当時からこの位置に建っていました。ここで、明治維新を成し遂げた、数多くの人材が育ちました。

  • 室内の様子です。<br />木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。

    室内の様子です。
    木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。

  • 講義室です。<br />松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。

    講義室です。
    松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。

  • 吉田松陰幽因(よしだしょういんゆうしゅう)の旧宅です。<br />吉田松陰の実家、杉家の旧宅で、当時よりここに建っていました。安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚されます。ここで家族などに対して講義を行われ、これがやがて松下村塾の教育に発展して行きます。

    吉田松陰幽因(よしだしょういんゆうしゅう)の旧宅です。
    吉田松陰の実家、杉家の旧宅で、当時よりここに建っていました。安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、この邸内の3畳半の1室に幽囚されます。ここで家族などに対して講義を行われ、これがやがて松下村塾の教育に発展して行きます。

  • 室内の様子です。<br />旧宅は、木造瓦葺き平屋建て214㎡の建物で、8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室ほか、板間・物置・土間を有する大きい建物です。

    室内の様子です。
    旧宅は、木造瓦葺き平屋建て214㎡の建物で、8畳3室、6畳3室、4畳、3畳7分、3畳半・3畳および2畳各1室ほか、板間・物置・土間を有する大きい建物です。

  • 幽因室(ゆうしゅうしつ)です。<br />幽囚室は東側にある3畳半の一室で、前後2回幽囚生活を送りました。

    幽因室(ゆうしゅうしつ)です。
    幽囚室は東側にある3畳半の一室で、前後2回幽囚生活を送りました。

  • 傘の形をしたおみくじが、木に結んでありました。

    傘の形をしたおみくじが、木に結んでありました。

  • 宝物殿至誠館です。<br />吉田松陰の著述や物品を永久保存し、展示を通じ て松陰先生の思いを現代に伝えます。

    宝物殿至誠館です。
    吉田松陰の著述や物品を永久保存し、展示を通じ て松陰先生の思いを現代に伝えます。

  • 松陰神社です。<br />

    松陰神社です。

  • 松陰神社の手水舎です。

    松陰神社の手水舎です。

  • 松陰神社の本殿です。<br />明治40年(1907)に創建、現社殿は昭和30年(1955)に竣功しました。

    松陰神社の本殿です。
    明治40年(1907)に創建、現社殿は昭和30年(1955)に竣功しました。

  • ご祭神は幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰です。

    ご祭神は幕末の思想家であり教育者であった吉田松陰です。

  • 松門神社です。<br />現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、吉田松陰の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建されています。

    松門神社です。
    現社殿の竣功に伴い、それまでの松陰神社社殿を移築し、吉田松陰の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建されています。

  • 村田蒲鉾の総本店でお買い物です。

    村田蒲鉾の総本店でお買い物です。

  • 店内風景です。

    店内風景です。

  • 鮮魚(えそ100%)からつくる本格焼き抜き蒲鉾「村四郎:864円」は、村田蒲鉾店の原点の味です。

    鮮魚(えそ100%)からつくる本格焼き抜き蒲鉾「村四郎:864円」は、村田蒲鉾店の原点の味です。

  • 「ふぐ天:3枚540円とのどぐろ天:3枚540円」です。<br />ふぐ天は、山口名産のふぐの身と皮を贅沢に練りこんでいます。

    「ふぐ天:3枚540円とのどぐろ天:3枚540円」です。
    ふぐ天は、山口名産のふぐの身と皮を贅沢に練りこんでいます。

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