2021/11/14 - 2021/11/15
44位(同エリア131件中)
ミータさん
この旅行記スケジュールを元に
東日本大震災から10年以上経過して、被災地はどう変化してきたか。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝9時前の一ノ関駅前。早朝5:30前に家を出れば同じ新幹線に乗ることができたのだが、さすがに早過ぎるので福島に前泊した。2時間ぐらいゆっくりできる。
一ノ関駅 駅
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いつもは鉄道で気仙沼まで行くのだが、今回はバスで陸前高田に向かう。5番乗り場の大船渡行のバスに乗ればよい。朝9時に一ノ関駅を出発する便に乗る。
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何度も東北に行くものだから岩手県交通のバスカードを持っている。これさえあれば小銭を用意しなくても良い。交通系ICカードが使えればもっと便利なのだが。
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10:50前、陸前高田の一つ手前の「三本松」という停留所でバスを降りる。すぐ近くに震災遺構の旧気仙中学校の校舎がある。
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奇跡の一本松と震災遺構のユースホステルも見える。バス停から徒歩10分ほどで奇跡の一本松にたどり着けるだろう。
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左端に移っている橋を渡れば奇跡の一本松や高田松原津波復興祈念公園へ行くことができる。土地がどのくらい嵩上げされたか分かる。
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高田松原津波復興祈念公園。手前の横に長い建物が現在の「道の駅高田松原」(建物の中には「東日本大震災伝承館」も入っている)、写真中央の三角形の建物が震災遺構の「旧道の駅高田松原」
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今年(2021年)3月にも訪れた”CAMOCY”。醸造メーカー八木澤商店が中心になって作った食堂や土産物屋が入った商業施設だ。三本松のバス停から徒歩10分足らずで到着。
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八木澤商店はお味噌や醤油など発酵食品を扱っているので、他のお店もパン屋やビール醸造など発酵関係。
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11:00丁度ぐらいに入ったので、お客さんはまだ少なかった。3月に訪れたときは大勢のお客さんでにぎわっていた。
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クラフトビールのお店。
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3月の時はかなり待ち時間が長くて断念した発酵食堂やぎさわで早めのお昼ご飯。軽くお握りとみそ汁のセットぐらいで良かったのだが、そういうのはなかった。
発酵食堂やぎさわ グルメ・レストラン
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メニュー。
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南部どりのステーキご飯、税込み990円。最後に南部鉄瓶に入ったお出汁でお茶漬けにする。
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南部どり。
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奥の少し高台になったところに現在の陸前高田市の中心部がある。かつての市の中心部はいまだに造成工事が続いている。
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2012年12月、初めて陸前高田市を訪れた時には被災した岩手県立高田病院の建物がまだ残っていた。もうじき取り壊されるというので写真に残しておいた。この病院の確か3階部分まで津波に飲み込まれ、多くの患者、職員がお亡くなりになった。上の写真を見ても、どのあたりに病院か分からない。
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これは2015年4月の陸前高田の写真。現在は写真右側の方に陸前高田津波復興祈念公園がある。奥には土地の嵩上げ用の土砂を運ぶためのベルトコンベア。
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11:45頃高田松原津波復興祈念公園に到着。
高田松原津波復興祈念公園 公園・植物園
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建物の奥が「道の駅高田松原」、手前に「東日本大震災伝承館」が入っている。
道の駅 高田松原 道の駅
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震災遺構「旧道の駅高田松原」
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今まで何度も陸前高田を訪れていたが、「旧道の駅高田松原」の正面前には行ったことがなかった。立ち入り禁止なのでこれ以上は近付けない。
旧 道の駅高田松原 タピック45 名所・史跡
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津波の高さ14.5m。実際に見ると恐ろしいほどの高さだ。陸前高田の市街地が壊滅状態になったのも理解できる。
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「旧道の駅高田松原」の後ろ側(海側)は津波に襲われたときに避難できるように階段になっている。だが、この建物のかなり上まで登らないと助からなかったということだ。
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2017年9月。震災遺構「旧道の駅高田松原」の周辺は造成工事の真っ最中(2021年11月現在も工事は行われてはいる)。まだ、「高田松原津波復興祈念公園(現在の道の駅高田松原)」は姿を現していない。防潮堤はほぼ完成したか。
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2019年11月の「道の駅高田松原(と東日本大震災伝承館)」。
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2019年11月。「高田松原津波復興祈念公園」はまだかなりの部分が工事中。
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2019年11月。工事中の「高田松原津波復興祈念公園」。2015年頃は、奥の山から巨大ベルトコンベアで土地の嵩上げ用の土砂が運搬されてきた。
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2021年11月現在。防潮堤に昇って海の方を見る。高田松原を再生するために松の苗木が植えられている。
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2019年11月。松の苗木はまだ植え始めたばかり。上の写真(2021年11月現在)は、2年前と比べ松がかなり生長したことが分かるが、それでもかつてのような松原になるのにはさらに2,30年はかかるだろう。
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2021年11月現在。防潮堤から見た「道の駅高田松原(と東日本大震災伝承館)」の建物。
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2019年11月。防潮堤から「旧道の駅高田松原」の方の眺め。
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2021年11月現在。奇跡の一本松と震災遺構「ユースホステル」。奥の白い建物は震災遺構「旧気仙中学校舎」
奇跡の一本松 名所・史跡
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2021年11月。防潮堤のコンクリートブロックの上をさらに芝生で覆っている。防潮堤の右の方には芝生に覆われていないコンクリートブロックの部分が見える。
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2021年11月現在の奇跡の一本松。
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2014年4月。この頃はまだ防潮堤は造られる前だった。
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2021年11月現在。故やなせたかし氏が奇跡の一本松をモデルにした「ヒョロ松君」のモザイク画。
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2015年4月のモザイク画。この時の写真と比べると、上の写真(2021年11月現在)は太陽部分のモザイクが剥げ落ちている。
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2014年12月。現在の「道の駅高田松原」ができる前は、道路の向かい側に「一本松茶屋」があって、物産店や食堂が入っていた。
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2019年11月。「道の駅高田松原」ができて、「一本松茶屋」はその役割を終え、解体工事が始まっていた。
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2014年12月。奇跡の一本松は嵩上げ用の土砂を運ぶ巨大ベルトコンベアで枝部分を隠されていた。防潮堤は盛り土の段階
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2014年12月。土砂の運搬用のベルトコンベアが大活躍中。写真には写っていないが、右奥の方に後に「高田松原津波復興祈念公園」ができる。
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2015年4月。防潮堤は盛り土の段階。
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2015年11月。奇跡の一本松は嵩上げ用の土砂で隠れてしまった。防潮堤はコンクリートブロックで覆われ始めている。
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2016年2月。土地の嵩上げ用の土砂を運搬していた巨大ベルトコンベアもその役割を終え、解体工事が始まっていた。
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2016年2月。防潮堤はかなりの部分がコンクリートブロックで覆われているが、震災遺構「ユースホステル」の背後は盛り土がむき出しになっている。
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2017年9月。防潮堤は全体がコンクリートブロックで覆われている。
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2021年11月現在に戻る。「道の駅高田松原」には食堂が2つ入っている(さらにカフェが一つ)。そのうちの一つ「まつばら食堂」は券売機の前に行列ができていた。
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もう一つの食堂「たかたのごはん」。
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”CAMOCY”の「発酵食堂やぎさわ」で南部どりのステーキご飯を食べたのに、「たかたのごはん」でも丼(たかた丼)を食べている。復興を支援するため、なるべく多くお金を落とさないといけない。そのためにはお昼御飯が2食になるのもやむを得ない。
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カフェ「すなば珈琲」でも抹茶ラテをいただく。
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「道の駅高田松原」で購入した物。「かもめの玉子」は定番のもの以外にさつまいも味もあった。エコバッグは300円。
続く。
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この旅行記へのコメント (2)
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- gontaraさん 2021/11/16 19:58:07
- ご無沙汰してます
- ミータさんこんばんは
今回も復興支援の東北行ですね。
バスカードも持って、準備万端?
確かに交通系ICカードが使えるようになるといいのに。
で、今回目にしたのが4tの新着旅行記の表示が、ほいみさん、ミータさん、GONTARAが3人連続で並んですんですよ。
- ミータさん からの返信 2021/11/16 20:32:04
- Re: ご無沙汰してます
- 私の方も他の方の旅行記まで目を通す余裕がなく(時間というより気持ち的に)、ご無沙汰しています。
新型コロナ感染者が減っているうちにと、三陸地方に行ってきました。
奇跡の一本松(高田松原津波復興祈念公園)にはバスツアーも来ていて、
結構人が多かったです
10年以上経過しても、ようやく土地の整備が終わったくらいで、
建物が建つのはこれからでしょう。
ただ、高台に市街地が移転し、平地に賑わいが戻るのは難しいでしょう。
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